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青春ユニゾン  作者: せんこう
高校二年生・コンクール編
257/444

十一ノ三十四 「オーディションの結果」

 自分の努力を、これくらいで充分だ、と思ったことはない。

 どれだけ努力しても、高校から始めた万里と経験者の間には、経験面で大きな差がある。万里が、何度も練習してやっと出来るようになったことが、他の人にとっては当たり前の技術だったりするのだ。

 周りに追いつき、離されないためには、頑張り続けること。それが、万里に出来る全てだった。


 卒部生の奏馬が、大学で忙しいはずなのに、万里の練習を見るために何度も来てくれた。逸乃、月音、コウキも、ペア練習や個人練習の合間に、合奏でやった内容を共有するため、一緒に合わせてくれたりした。その善意に応えるためには、手を休めている暇はなかった。


 オーディションの前に、自信はあるか、とコウキに尋ねられた。そんなものを持てるほど、万里は、自分が優れているとは思っていない。ただ、オーディションを受ける心構えなら、出来ている。

 やれることは、全てやってきた。丘にどこを指定されても、イメージしている演奏が奏でられるようにしたし、曲中での自分の音の役割を理解して、それを果たす演奏に仕上げた。

 これで駄目なら、万里以上に、周りが努力したということだ。それならそれで、良い。より一層、花田高が全国大会に行く可能性が高くなるということでもある。


「では、次は橋本」


 丘が言った。

 英語室。トランペットパートの七人が横並びに立ち、向かい合うように、丘と涼子が座っている。

 すでに五人の演奏が終わって、残りは、万里とみかだけだった。


「はい」


 返事をして、万里はトランペットに軽く息を吹き込んだ。楽器は冷えていないから、このまま、すぐに演奏出来る。


「では、課題曲の冒頭から」

「はい」


 何度も練習したところだ。課題曲の『マーチ「ブルースカイ」』。抜けるような青空を想起させる曲で、金管楽器は、華やかな音が求められる。

 万里は、一度目を閉じ、頭の中に譜面を思い浮かべた。何度も吹いているうちに、完璧に覚えていた。どう吹けば良いかも、刻み込まれている。


 深呼吸をして、胸の中に空気を送り込む。

 万里の音は、逸乃達に比べて力強さがない。自分で、よく分かっていた。息の圧力や速度の不足が原因で、それはつまり、この冒頭の輝かしい音を担うのに、相応しくないということでもある。


「演奏の前には、自分が思っている以上にしっかりと息を吸おうか」


 奏馬にも、逸乃に紹介されたプロの先生にも、同じようなことを言われた。

 息で音を支えるには、それ相応の量が必要になる。自分でここまでと思う量より、更にもう一段深く息を吸うのだ。それによって、肺がしっかりと膨らみ、身体の中に息の圧力を作り出す源が生まれる。


 ゆっくりと息を吐き出し、それからトランペットを構え、万里は目を開いた。

 英語室は、静寂に包まれている。頭の中で課題曲のテンポを鳴らし、もう一度、息を吸った。弾けるような音を、出した。音の処理を一音ずつ、丁寧に抜いていく。狭い英語室ではなく、広いホールにいると想定して、音を響かせる。

 問題ない出来だ、と万里は思った。


「結構です。では次、トリオから」

「はい」


 万里は、トランペットのベルに、ストレートミュートをはめた。

 曲の中間部で、トランペットは細かなタンギングが要求される箇所である。軽やかに、音の粒がはっきりと聞こえるように吹き、かつテンポが遅れてはならない。ミュートを着けている分、普段と息の抵抗感も変わるから、繊細な技術力が求められる。

 しかもここは、ダブルタンギングとシングルタンギングを使い分ける必要がある。どこをダブルで吹き、どこをシングルで吹くのか。トランペット全員の音が、まるで一本のようにまとまって聞こえるようにするには、タンギングの仕方も揃えなければならない。万里だけ好き勝手に吹いては、音の輪郭がぼやける原因になる。

 

 万里は、もう一度楽器を構えた。

 大丈夫。心の中で、呟く。苦手なタンギングも、出来るようにしてきた。他の人と音が揃うように、何度も合わせてきた。

 不安になる必要はない。練習した通りに、吹くのだ。

 大きく、息を吸う。そして、万里は音を放った。


















 何故。

 最初に浮かんだ言葉は、それだった。次に浮かんだのは、悔しい、だった。

 そして、泣いていた。膝の上に、玉の涙が落ちていく。


 丘は、淡々とオーディションの結果を告げていった。

 自分の何が悪かったのか。努力は、してきた。県大会オーディションの時よりも、良い演奏をした。間違いなく、自分は大丈夫だったはずだった。

 なのに、浩子の名前は、呼ばれなかった。


「これが、東海大会へ臨むベストメンバーです。必ず、全国大会へ行きましょう」

「はい!」


 部員の、力強い返事。

 浩子は、声を上げなかった。


 オーディションは、サックスパート全員で同時に受けたから、隣で智美の演奏も聴いていた。その出来は、浩子と対して変わらなかったはずだ。なのに、智美は選ばれて、浩子は選ばれなかった。

 丘と涼子が、智美は学年が上だから選んだ、などという贔屓をするとは思っていない。

 二人の間に、どんな差があったのだ。


 浩子の代わりに新たにメンバーに加わったのは、トランペットの万里だった。

 県大会ではメンバーから外れていた万里をわざわざ加えて、浩子を外す。そこに、どんな意図があったのか。

 去年まで初心者だった万里のほうが、浩子より上手かったとでもいうのか。浩子の演奏の、何が不満だったのだ。


 気がつくと、オーディション結果の通知は終わり、合奏に移っていた。浩子は、強制的に図書室から出された。

 扉の外で立ち止まり、唇を噛む。部員の中で、メンバーから外れたのは七人。そのうち六人は一年生の初心者で、経験者は、浩子だけである。


 みじめだ、と浩子は思った。悔しさと恥ずかしさが、胸の内に渦巻いている。めちゃくちゃに暴れたい気持ちを必死に抑え、階段を駆け上がった。そのまま、音楽室準備室に逃げ込む。


 合奏の音が、下の図書室から聞こえてくる。昨日まで、浩子もあそこにいたのに。今は、入りたくても入れない。

 何故。

 また、涙がこぼれていた。

 

 








 選ばれるなら、心菜か万里のどちらか一人だけだと思っていた。県大会の時のトランペットは五人だったから、またそうだろう、と。それが、トランペットは六人になった。


 みかは、少し練習不足が目立っていて、特に、正確なタンギングが必要な箇所で、音がもつれていた。東海大会を間近に控えて、それは許されない。だから、みかがメンバー外になるだろうということは、オーディションの時点で察していた。


 万里は、文句の付け所の無い演奏をしていた。丘がどこを指定しても、きっちりと奏でてみせていた。個人練習の時間で、充分に仕上げてきたということだった。

 万里の名前が呼ばれた時、心菜は、負けたのだと思った。けれど次の瞬間には、心菜の名前も呼ばれていた。


 代わりにメンバー外となったのは、アルトサックスの浩子だった。想定していなかった状況だ。

 

「良かったね、心菜」

 

 練習からの帰り道で、千奈が言った。


「万里先輩も選ばれたし」

「うん、そうだね」

「万里先輩、喜んでたね」

「うん」

「頑張ってたもんね、万里先輩」

「そうだね」

「竹本さんが落ちるとは、思ってなかったけど」

「……それは、私も」

「丘先生は、木管中心のサウンドにしようとしてたしな」


 隣を歩いていた真二が言った。


「トランペットは五人のままだと思ってたぜ」

「だよね」

「でもまあ、実際のところ、今まで竹本の音程は悪かったしな」


 それは、そうだった。

 音程が悪いといっても、全く周りと合わせられないわけではない。そもそもそんなレベルなら、県大会の時にメンバーになれてはいなかっただろう。そうではなく、本当に些細な部分で、サックスのアンサンブルが乱れる時があったのだ。そして、その原因が浩子だった。


「案外、竹本さんが部員の陰口言いまくるから、罰として、とかだったりして」

「まさか、丘先生がそんなことしないでしょ、千奈」

「分かんないよ、丘先生が何考えてるかなんて。予想しないようなことする人だし」

「ま、あり得ないとは言い切れんわな」

「真二まで」

「良いじゃん。何にしたって、竹本がいないほうが気楽だよ」


 真二は、花田南中吹奏楽部だった浩子と海を露骨に嫌っている。特に、陰口で部の雰囲気を悪くする浩子に対しては、嫌悪感を隠そうともしていない。

 中学生の頃から、花田中央中と花田南中の仲は、険悪だった。町内の合同バンドでは、よく競い合っていたものだ。はじめの頃は、花田南中からの一方的なものだったのに、いつの間にか、互いに憎み合うようになっていた。


 心菜も、あの二人のことは別に好きではないけれど、だからといって、浩子がメンバーから外れたことを嗤ったりはできない。もしかしたら、心菜があの立場になっていたかもしれないのだ。

 経験者で、唯一のメンバー外。相当、悔しいだろう。図書室を出て行く時、浩子は泣いていた気がする。


「……憶測はやめよう」


 心菜は言った。


「竹本さんはメンバーから外れた。それだけだよ」

「……まあな」

「東海大会はすぐだし、練習に集中しよう、落ちた子の分まで」


 他人を嗤っている暇はない。まだ、曲は完成したとは言えないのだ。丘は、常に新しい要求を突き付けてくる。それに応えてみせなくては、きっと全国大会には届かない。


 不意に、真二が小さく笑った。


「何、真二?」

「心菜が、そんなこと言うようになるなんてな。やる気ないって、ずっと言ってたやつが」

「それはっ」

「分かってるよ。良いことだ」

「私は信じてたよ? 心菜ならそのうちまた、やる気出してくれるって」

「千奈」

「頑張ろうね。東海大会突破を目指して」


 微笑む千奈に、心菜も笑みを返した。


「……うん」


 夜の蒸し暑さが、心菜の身体にまとわりついている。いつもなら不快に感じるその暑さも、今は気にならなかった。

 あと、八日。東海大会まで残された日数だ。

 そこで、全てが決まる。

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― 新着の感想 ―
[気になる点] ところで東中の県大会の結果はまだなんでしょうか? [一言] 自分も心菜が外れて万里が入るかなと予想していたのでこの結果はかなり斜め上でした。 もしやるとしても打楽器の初心者を一人減らす…
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