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青春ユニゾン  作者: せんこう
高校二年生・コンクール編
245/444

十一ノ二十二 「県大会前日 ニ」

 午後三時になって繰り上げ練習が終わり、ミーティングも済んで自主練習になったところだった。

 もう明日が本番である。その結果で、よしみ達三年生の夏がまだ続くのか、それとも終わるのかが決まる。

 そう考えると、心がざわついた。


 ソロを吹くと決意して、練習してきた。けれど、まだ本番で吹けるかは分からない。

 もし、中学の時と同じことになったら。

 何もしないでいると、嫌な想像で押し潰されそうになる。だから、前日に吹きすぎるのは良くないけれど、残って練習をしたかった。


「正孝」


 音楽室から出ていこうとしていた正孝を呼び止める。

 足を止めて正孝が振り返り、よしみを見下ろした。


「何」

「ソロをもう少し練習したいから、付き合ってくれない?」

「おう、良いよ」

「じゃあ、東階段に行こう」


 譜面は完璧に覚えている。楽器と水抜き用の雑巾だけを持って、東階段へ移動した。こちら側なら、ほとんど誰も通らないから、邪魔されることもない。廊下の反響具合が、少しだけホールとも似ている。


「じゃあ、俺から行くぞ」

「うん」

 

 正孝がアルトサックスを構え、静かに旋律を奏でる。

 よしみも、それに合わせていく。

 

「……どうだ?」

「織姫と彦星感、ある?」

「……うーん」


 ここのソロは、恋仲の男女が過ごす幸せな時間を思わせるような、魅力的で甘い旋律である。

 よしみと正孝はそのイメージを曲名にかけて、織姫と彦星感、と呼んでいた。

 たった数小節だけれど、曲中で特に印象深い部分でもある。ここの出来がコンクールの結果に影響することは、間違いない。


「自分で吹いてると分からんな」

「誰か呼ぶ?」

「そうだな。丘先生、は鬼頭先生のお見舞いに行くって言ってたな」

「じゃあ、誰にしよう」

「コウキ君に頼むか」

「ん、分かった、呼んでくる」


 コウキなら、よしみも信頼できる。

 正孝を待たせて総合学習室に戻り、休憩していたらしいコウキに話しかけた。

 

「コウキ君。今、正孝とソロの練習してるんだけどさ、ちょっと演奏聴いてアドバイスくれない?」

「え、俺ですか?」

「正孝がコウキ君が良いって」


 窓の外を眺めていたコウキは、ちょっと思案した後、頷いた。


「良いですよ」

「ありがと」


 コウキを連れて、東階段へ戻る。


「おう、コウキ君。練習したいだろうに、悪いな」

「大丈夫です。明日に備えて、今日はもう吹くつもりなかったですから」


 金管奏者は、吹きすぎると唇の疲労が翌日まで残る。そうなると、吹奏感が乱れて思う通りに演奏出来なくなるから、コウキはそれを懸念しているのだ。

 恐らく、他の金管の子もそうだろう。


「じゃあ、聴いててね」

「はい」


 正孝と目を合わせ、頷く。

 もう一度、正孝からソロを開始した。よしみも合わせて、音を奏でていく。

 何度も練習した場所だ。理想の形も、頭の中にはある。しかし、それを正孝と合わせた時に、ぴたりと表現することが出来ない。

 

 吹き終えて、コウキを見る。目を閉じて聴いていたコウキは、そのまま無言を貫いている。

 黙って、コウキが話すのを待った。

 

 むわっとした熱気をたたえた階段の踊り場に、開けてあった廊下の窓から、爽やかな風が流れてくる。しっとりと汗ばんだ身体には、心地良い。しかし、風はすぐに止み、また蒸し暑さがぶり返す。


 夏だ、とよしみは思った。


「お二人は、今の自分達の演奏を、どう感じましたか?」


 目を開けて、コウキが言った。


「織姫と彦星感が足りないよなって、さっきも二人で言ってたんだ」

「織姫と彦星感……」


 手を口元に当てて、コウキが頷く。


「二人の演奏が溶け合ってないってことですね?」

「そう、そんな感じ」

「なら、演奏で会話してみましょう」

「何だって?」


 言われた意味が分からず、よしみも正孝も首を傾げる。


「演奏を溶け合わせるには、お互いに、相手が何を伝えようとしているのかが分からないと、難しいですよね。好き勝手に吹いてたら、絶対溶け合わないですもん」

「それは、そうだな」

「何を伝えたいのかを言語化するのも手ですが、演奏でやってみると面白い」

「音を聴いて、相手が表現していることを当てるってこと?」

「そういうことです、よしみ先輩。フレーズはなんでも良いので、自分で自由に即興で作って、演奏するんです。正孝先輩から吹く。よしみ先輩はそれを聴いて、正孝先輩が何を伝えようとしてきたかを考える。そして、答えになるフレーズを演奏する。音楽でキャッチボールです」

「難しいな」


 正孝が言った。


「うん。いきなりだと難しいですから、何かテーマを決めて、それに合う演奏をしてみましょう。そうだな……あの空の雲、とかどうですか」


 廊下の窓から見える入道雲を指して、コウキが言った。


「雲、か」

「関連した何かなら、何でも良いですよ」

「なるほど」


 言いながら、すでに正孝の指が動き出している。

 よしみは即興は得意ではない。ただ、面白そうではある。


「……ん」


 頷いて、正孝が楽器を構える。そして、音を出した。

 ゆったりとした速度だ。スラーで、滑らかに音を変化させていく。伸び伸びとした音。音階のように、一音ずつ上がっていく。ちょっと跳ねた。また、上がっていく。そして、下がっていく。どこか、牧歌的な雰囲気を感じさせる。


 正孝は、あの入道雲が浮かぶ、空の方を表現しているのではないか、とよしみは思った。

 

「どうだ?」

「じゃあ、今度はよしみ先輩ですね」


 よしみは頷いて、ユーフォニアムを構えた。

 正孝が空を表現したのなら、よしみは入道雲を表現しよう。

 大きく、存在を主張してくる雲だ。音量はフォルテで、唸るような低音を意識する。雲の底の暗さから、雲の頂点の雄大さを。音階で、駆けあがっていく。最後は、どこか名残を感じさせるような物悲しい音で締めた。


 コウキが、拍手をした。


「二人ともめちゃくちゃ良いですね。んじゃあ、よしみ先輩は正孝先輩が何を表現したと思いましたか?」

「正孝は最初、雲を表現するのかなって思った。でも、違った。正孝は、雲が浮かぶ空の方を表現したんじゃないか、って感じた。時間の経過で、空の様子が変わっていく感じを」

「お、そうそう、正解。雲はちょっとイメージ湧かなくてな」

「じゃあ、正孝先輩は?」

「よしみのは分かりやすかったよな。あの入道雲だろ?」

「正解!」


 満足げに、コウキが頷いた。


「その気になれば、演奏でも相手に自分の想っていることを伝えられるんですよね。正孝先輩が曲調で表現したり、よしみ先輩が音量や音程で表現したみたいに、色んなことを使って」

「確かにな」

「うん。雲、っていうテーマだけしかなくても、割とやりやすかった」

「ですよね。だから、『たなばた』も同じです。お二人がここのソロを織姫と彦星感、と感じているのなら、それを表現し、相手に伝えようとしてみてください。そして、相手のそれを受け取って、答える」

 

 今まで、やっていたつもりでも、これほどはっきりと相手の表現を感じ取れたことはなかった。

 少しテーマを意識するだけでも、違うのだ、とよしみは思った。


「ソロ、もう一回やってみるか、よしみ」

「うん」


 互いに、頷く。

 二人で、楽器を構えた。


 よしみのユーフォニアムの方が、音は低い。表すなら、彦星だろう。正孝のアルトサックスが、織姫だ。

 滅多に会えない二人が、再開した瞬間の喜びと、すぐに離れなければならない悲しみ。その両方を、音に込めてみる。

 

 





 













 皆、気持ちは同じなのだろう。

 本番前日に、吹きすぎないほうが良い。けれど、帰るのも気が引ける。まだ、何か出来ることがあるのではないか、と。

 真澄も、そうだった。


 音楽室の自分の椅子に座って、ぼんやりとしていた。廊下からは、部員のはしゃぐ声が聞こえてくる。


 吹奏楽部員としてコンクールを経験するのは、四度目だ。過去三回は、地区大会どまりだった。今年は、強豪の花田高として参加する。しかも地区大会を飛ばして、県大会から。

 名前しか聞いたことのなかったような有名高と、競うことになる。


 不意に、首筋に冷たい物が当たった。思わず悲鳴を上げて、身体を跳ねさせる。


「モッチー先輩!」

「ほい」


 後ろに立っていた久也の手には、水滴をまとったペットボトルの水が握られている。


「え、くれるんですか?」

「うん」

「あ、ありがとうございます」


 受け取って、蓋を開ける。一口飲むと、身体の中をひんやりとした心地良さが流れ落ちていった。

 久也が、真澄の隣に座る。その手にもペットボトルの水が握られていて、久也は蓋を開けると、豪快に半分近く飲んだ。


「……県大会だな」


 息を吐き出して、久也が言った。


「県大会ですね」

「また、三人だな」

「はい」

「明日は、よしみ先輩の様子に注意しよう。出来る限り、フォローしたい」


 頷いて応える。


「本番は、もしよしみ先輩が固まったら、俺がソロを吹く」

「はい」

「よしみ先輩の様子は、磯貝さんが教えて」


 本番でのユーフォニアムの並びは、よしみ、真澄、久也という順だ。

 久也からは、よしみの様子は見えにくいだろう。


「分かりました」

「よしみ先輩を、全国へ連れていきたい」

「私も、同じ気持ちです」

「ソロを、乗り越えて欲しい」

「はい」


 よしみの音は美しく、うっとりとするような魅力がある。

 きっと、全国でも通用する音だ。

 その音を、多くの人に知って欲しい。


「でも、先輩は本当に良かったんですか? ソロを、よしみ先輩に取られて」

「取られたとは思ってない。元々、よしみ先輩が吹くべきだったソロだ。俺じゃ、よしみ先輩みたいなソロは吹けなかった」

「悔しくないんですか?」

「……俺の力不足なのは、事実だったから。それに、俺は自分がソロを吹くかどうかよりも、部が全国へ行くことのほうが大切だ。全国へ行ける最善の方法が、よしみ先輩がソロを吹くことなんだから、気にしてないさ」

「……そういう所ありますよね、先輩って」

「なんだよ、そういう所って」


 久也をちらりと見る。気にするようになったのか、最近は寝癖が無くなった。今の方が、清潔感があって良い。


「自分よりも、他を優先するところ、です」

「普通だろ。この部に所属してるんだから、部のためを第一で考えるのは。それが俺達の仕事じゃん」

「ソロ奏者向きじゃない考え方ですよね」


 けれど、真澄は嫌いではない。


「そもそも俺は、自分がソロ奏者だと思ったことはないよ。バンドの中で吹いてる方が好きだ」

「ふふ、私もです」

「ソロ奏者ってのは、よしみ先輩みたいな人のことさ」

「そうですね」

「呼んだ?」


 声がして、後ろを振り向いた。音楽室の扉からよしみが入ってきて、こちらへ向かってきていた。


「よしみ先輩。正孝先輩と練習されてたのでは?」

「終わったよー、真澄ちゃん」

「じゃあ、ばっちりですか?」

「まあ、出来ることはやったって感じかな。後は明日次第だね。それよりも、二人きりで私の噂話でもしてたの?」

「違いますよ。ソロ奏者に向いてるのは、俺達よりもよしみ先輩みたいな人だよなって話してたんです」

「私がソロ奏者に?」

「はい」


 ユーフォニアムを抱えるよしみが、顔の前で手を振った。


「私はソロは好きじゃないよ。バンドの中で吹いてる方が好き」


 その言葉に、久也と顔を見合わせた。

 全く、同じことを言っているではないか。

 思わず、笑っていた。


「何々、なんで笑うの?」


 三人とも、そうなのだ。

 ユーフォニアムは吹奏楽の楽器の中でも目立つ楽器ではない。どちらかというと、バンドのサウンドの厚みを補強するような役割の方が多い。だから、そういう感性の人が担当しやすいのかもしれない。

 それでも、間違いなくよしみは、ソロも出来る人である。

 

 よしみも、つられて笑っている。

 この笑顔を、そのまま持ち続けていてほしい、と真澄は思った。

 もう、あの頃のような悲しい顔には、なってほしくない。


「先輩」


 久也が言った。


「ん、何?」

「明日は……頑張りましょう。ソロも、安心して思いっきり吹いてください。もし吹けなくなっても、約束通り、俺がサポートしますから」


 よしみの目がちょっと開かれた。

 それから、す、と細められる。


「……うん。ありがと、モッチー」

「代表選考会、行きましょう」

「うん」


 互いの顔を見合わせて、また笑い合った。


 不安は、ある。きっと、よしみも久也も、そうだろう。

 それでも、この三人なら大丈夫な気がする。 

 それだけの信頼関係が、三人にはあるのだ。

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