十一ノ十九 「橋本万里」
じわじわ、じわじわ、と鳴き続ける蝉の大合唱。いったい、今何匹がここにいるのか。木々に囲まれていて人が少ない神社は、蝉にとって理想的な住処なのかもしれない。
小学生の頃の万里にとって、神社は最高の遊び場だった。学校終わりに近所の友達と一緒に神社へ行く。そこで鬼ごっこやかくれんぼをしたりして過ごすのが日常だった。
「おーい、女子達、かくれんぼするかー?」
男の子達が手招いている。
万里と他の女の子達で、男の子達のそばへ駆け寄った。
「する!」
「何人いる?」
「一、二、三……七人!」
「よし、鬼はあそこの樹のところで三十秒数えろよ! いくぞ、最初はぐー! じゃーんけーん」
同時に手を出す。ぐーとちょきだけだ。男の子の一人が、鬼になった。
「隠れろー!」
万里もすぐに走り出した。
「万里ちゃん、こっち!」
「みいちゃん!」
仲の良い女の子が呼んでいる。万里はみいちゃんと呼んだ女の子の後に続いた。
二人で社務所の裏に回り込む。そこに置かれている大き目の木箱をひっくり返して、二人で入った。
木箱にはところどころ隙間が出来ていて、そこからわずかに外の様子が見える。
鬼の男の子の数える声は、二十を過ぎた。
「しーっだよ、万里ちゃん」
「うん!」
みいちゃんは小学校が違う子だった。本名は知らない。
いつも神社でだけ会う子で、皆で遊びに来ると、いつの間にかみいちゃんもやってきていて遊びに混ざっていた。
「三十!」
鬼の男の子が探しはじめたらしい。
すぐに、見っけ、という声が上がり、悔しがる女の子の声が聞こえてくる。
「どきどきするねっ、万里ちゃん」
「うん、見つからないかな」
「大丈夫、私と居ればいつも通り見つからないよ!」
自信満々にみいちゃんが言った。
なぜみいちゃんと居れば見つからないのか、万里にはその理由が分からなかった。
ただ、それは真実だった。
かくれんぼをする時はいつもみいちゃんと一緒だった。そして、なぜか決まって最後まで見つからなかった。
鬼が諦めてかくれんぼが終わると、万里とみいちゃんは出ていく。
今回も、万里とみいちゃんは最後まで見つかることはなかった。
「なんでいつも橋本だけ見つけられないんだー?」
鬼の男の子ががりがりと頭をかきながら言う。
得意気になって、万里は胸を張った。
「みいちゃんがいるからだよ!」
「はー? みいちゃん? 誰それ?」
男の子が首をかしげる。
「もー、また?」
「またってなんだよ」
「なんでみいちゃんのこと忘れるの」
「何言ってんだ?」
「もう! ねえ、皆はみいちゃんのこと、分かるでしょ?」
「誰、それー」
全員がぽかんとした表情を浮かべている。
「何なの、皆! もう!」
「何怒ってんだよ、橋本! 変なの」
皆が笑い声をあげる。
こういうやりとりは、もう何度繰り返しただろう。
皆、遊ぶ時にはきちんとみいちゃんのことを人数に含めているくせに、みいちゃんの名前を出すと、知らない振りをする。
みいちゃんがかわいそうで、万里はそれが嫌だった。
けれど、みいちゃんは気にした風もなく、いつもニコニコと笑っていた。
強い子なんだろう、と万里は思っていた。
一緒に遊ぶ友達はこうして何人かいるけれど、万里にとって一番の友達は、みいちゃんだった。
「あーあ、橋本見つけるのに時間かかったから、もう帰る時間だー」
「えー、もう?」
「急がないと怒られるぜ!」
「じゃあまた明日ねー」
「ばいばーい!」
皆、動くのが早い。帰ると決めたらすぐに帰ってしまう。
みいちゃんと残された万里は、ゆっくりと神社の入口へ向かう。
「いっつも皆みいちゃんのこと知らないって言って、私、やだ」
口を膨らませて万里が言うと、くすくすとみいちゃんが笑った。
「私は万里ちゃんだけ見てくれてれば、良いよ」
「でも、せっかく一緒に遊んでるのに。まるでみいちゃんのことが見えてないみたいに」
「良いってば。万里ちゃんがいるし。万里ちゃんがいれば、皆とも一緒に遊べるもん」
言っていることがどういう意味かは、良く分からない。ただ、嬉しいと感じて、胸が温かくなる。
「じゃあ、また明日ね、万里ちゃん」
「みいちゃん、帰らないの?」
「帰るよ。家、すぐそこだから」
「分かった。じゃあねー!」
「ばいばーい」
手を振って神社を出る。
みいちゃんと別れるのは、いつも神社の入り口のところでだった。
万里はみいちゃんの家がどこにあるのかも知らない。すぐそこというのなら同じ小学校のはずなのに、みいちゃんは万里の学校にはいない。
不思議な子だった。けれど、万里はそんなみいちゃんが好きだった。
そのみいちゃんとは、いつ頃からか全く会えなくなった。
何度神社に行っても、みいちゃんは姿を見せてくれなくなった。周りの子に聞いても、やはり誰もみいちゃんについて知らなかった。
そのうち万里も学校生活が忙しくなってきて、みいちゃんのことを忘れるようになっていた。
元子からギャップについての一通りの説明を受けた万里は、複雑な顔をして黙っていた。
いきなり聞かされて、はいそうですか、と信じるのは難しいのだろう。
しかし、今コウキ達が居る神社の境内は、姿かたちもばらばらな、人間ではない生物で溢れ、喧噪に包まれている。
目の前の光景が、万里に真実を突きつけているのだ。
今は、元子の開いている出店の場所で話していた。
境内で立ち話をしていると通行の邪魔になるため、元子に招かれたのだ。
出店といっても、地面に敷物を敷いて立て看板を置いているだけの、簡素な店構えである。当然、客は素通りで見向きもしていない。
隣の店は植物や虫を黒焼きにしたものを販売しているようで、ひっきりなしに客がやってきては買っていく。
確か、黒焼きには様々な薬効があるとかで、民間療法で重宝されていたはずだ。ギャップの生物達にとっても、薬のようなものとして使われているのだろうか。
「ギャップについては大体理解してもらえた、万里ちゃん?」
問われて、万里が小さく頷く。
「……驚いたけど、信じるしか、ないよね」
「まあこれからも疑問に思ったことは聞いてくれれば、答えられることは答えるから」
「うん」
「それで、本題だけど……さっきも言ったように、万里ちゃんも特別な体質を持ったギャップなの」
「……本当に、私が?」
元子が頷く。
「どんな体質、なの?」
「普通は見えないものが見える体質、だと思う」
「見えないものが?」
「そう。特別な目を持ってるとでもというのかな。だから、門が見えるようになった」
「門?」
「二人がくぐってきたっていう石の鳥居のこと。この世界には、ギャップが住むこちら側と私達が住むあちら側とを繋ぐ門が沢山ある。でも、それは普通の人には絶対に見えないものなの」
「そう、なんだ」
「万里ちゃんは小さい頃に周りに見えない子が見えてたっていうし、心霊写真も撮れるっていうし、まあ間違いないと思う」
「心霊写真がどう関係あるんだ?」
思わず、コウキは口を挟んでいた。
「見えないものが見える体質といっても、万里ちゃんの力は強くない。だから視界に入ってても万里ちゃん自身は気がついてない、ということも沢山あるんだと思う。でも幽霊からすると、万里ちゃんに自分達が見えてることは感じる。だから、近寄ってくる。単に霊感があるだけなら、門は見えなかったはず」
「……幽霊って、実在するのか」
「するよ」
元子はさらりと言うが、こちらからすれば衝撃だった。コウキは、これまで幽霊というものを見たことが無い。ギャップが実在するのだからいてもおかしくはないが、実際に話に聞くと、やはり驚かされる。
「で、ここからが大切」
一瞬、元子と目が合う。
何だろう、とコウキは思った。
「実は……コウキ君もギャップなの」
瞬く間に、汗が噴き出した。
思わず、腰を浮かせて元子に迫る。
「元子さん!? 何をいきなりっ」
自分がギャップであることは、決して誰にも知られたくないことだった。元子は、あの店の関係者だから許容出来ていたことだ。例え、万里がコウキと同じ体質持ちだとしても、コウキの体質について、明かされたくはなかった。
非難しようとしたコウキを、元子が手で制す。
「コウキ君にも関係のある大切なことだから、言わせて」
「けどっ」
「二人の今後に関わるの」
強い口調で言われて、言葉に詰まる。
元子は、真剣な表情でこちらを見ている。
考えなしに万里にばらしたわけではない、というのか。
やがて、コウキは息を吐き出して、握りしめていた拳をゆっくりと解いた。
万里にも関係しているというのなら、引きさがるしかない。
コウキが元の体勢に戻ると、元子は頷いて、再び口を開いた。
「あのね、コウキ君は、ギャップを引き寄せる体質なの」
万里がこちらを見てくる。
「……コウキ君が?」
「そう」
「本当に?」
問われて、目を逸らしたまま、頷く。
「……ああ」
「言葉通り、色んなギャップがコウキ君に引き寄せられる。コウキ君は今まで、何度もギャップに遭遇してるの。そして今も、万里ちゃんというギャップの存在を明らかにし、門を見つけてこちら側へ来た。普通は、そんなに何度もギャップに出会うなんてあり得ない。体質を持っている人ですら、一生の間に他のギャップと出会うことは、まずないんだもの」
「そうなの、コウキ君?」
「……小学生の頃にも中学生の頃にも、ギャップとは出会ってる」
「問題はね、コウキ君の体質は、他の人にも影響を与えるっていう点。万里ちゃんの力は強くないって、さっき言ったでしょ」
「う、うん」
「今までほとんど不思議なものを見た経験がないっていうのだから、それは間違いない。なのに、今回は何故か門を見つけられた。本来なら、それなりの力がないと見えるようにはならなかったはず。ということは、コウキ君の体質が、一時的に万里ちゃんにも作用したと考えるのが自然」
「俺の体質が橋本さんの力を増幅した、ってことか?」
「多分そう。コウキ君の力が他者にまで働くのは、過去にも例があったでしょ」
智美のことか。
中学生の時に、コウキの知らないところで、智美がギャップと遭遇していたという。それは間接的にコウキに対して作用するモノだった、と聞いている。
小学生の時に、洋子と拓也と一緒に怪獣の石像と話したのも、そうなのかもしれない。
「どういう条件で人に影響を与えるようになるのかは分からないけれど、今回は万里ちゃんに」
万里の横顔を見る。驚きと戸惑いを感じているような、何とも言えない表情を浮かべている。
「……橋本さんが体質持ちだったなら、なんで今まで二人でいた時には、何も起きなかったんだ?」
「それは分からない。コウキ君と万里ちゃんがそばに居ると、これからも影響が出るかどうかも、まだ分からない。でももし出るなら、今後問題がないとも限らない。だから、明かさせてもらったよ」
「……ああ」
万里が、体質のせいで霊などに近寄られるというのなら、コウキの影響で力が強まることで、万里に危害を加える何かが現れる可能性も、ないとは言えない。
ならば、元子の判断は間違ってはいないだろう。
万里のことを考えるなら、コウキの体質を明かされたことは飲み込むしかないし、時間を渡ったことについては隠してくれるようだから、よしとするしかない。
「万里ちゃん」
元子が言った。
「はい」
「いっぺんに色々言われて混乱してると思うけど、これからきちんと調べていくから、心配はしないで。私のお父さんのほうがギャップについては詳しいから、話しておく」
「……分かった」
「とりあえずここは安全だから、せっかく来たんだし、二人とも祭りを楽しんでいってよ」
そう言って、元子が微笑んだ。
「やっぱ祭りなのか、これ?」
「そう。オクジラ様に感謝をささげ、姿を拝む祭り」
「オクジラ様?」
「雨をつかさどる神聖な生き物のことだよ。オクジラ様が通った場所には、後日、恵の雨が降るの」
「もしかして、さっき空を飛んでた鯨のことか?」
元子が目を見開いた。
「見れたの? 鳴き声も聴いた?」
万里と共に、頷く。
「それは幸運だったね。良い時にこっちに来たわけだ。オクジラ様は毎年見られるわけじゃないし、通ってもほんの少しの間なの。ここで目撃出来たのは、五年ぶりだよ」
あの鯨には名前があったのか、とコウキは思った。
確かにどこか神秘的な雰囲気を持っていたように感じたし、雨を降らせる生物だというのなら、拝む対象になっても、不思議ではない。
「あの空に浮いてる灯りは、何?」
「オクジラ様を見るために空に放つ天灯だよ、万里ちゃん。夜にオクジラ様が通ると、暗くて見えないからね。同時に、オクジラ様をこの町の上空に案内する道しるべにもなってる」
「へえ」
空を見上げていた万里が、小さく微笑んだ。
「……何か、夢みたい。こんなことが現実にあるなんて」
はにかむような、ちょっとした笑顔。万里のその笑い方は、コウキは好きだった。
しばらく、三人で夜空を眺めていた。
祭りの音と人々の生み出す喧噪は、今も続いている。
不意に、隣の店から甲高い手振りの鐘の音が鳴った。
目を向けると、押しかけていた客達が落胆の声を上げて、離れていく。
「どうしたんだ?」
「黒焼きが売り切れたみたい」
「随分と、人気商品なんだな」
「こっちの黒焼きは本物だからね」
「偽物があるのか?」
「あるよ。あちら側のものの大半は、まがい物。作り方が違う」
隣の店主は、素焼きの土面を被り、藍色の動きやすそうな和服を身にまとっている。頭の上から動物のような耳が伸びているから、人間ではないのだろう。
こちら側の人は、和服が多いようだった。それも、随分古びたものを着ている人が多い。先ほど出会った角が生えた女の子も、古びた防空頭巾と着物を身に着けていた。
鐘を鳴らし終えた店主は、椅子に座って、大きく息を吐いた。
そんな仕草は、不思議と人間と似ているのだな、とコウキは思った。




