十一ノ十七 「夏祭り 一」
神社の鳥居の前で、久也達は待っていた。
境内からは、祭囃子の音と賑わいが聞こえてきていて、祭りに来た客が、楽しげな表情を浮かべながら、次々に鳥居を抜けていく。
「勇一も美喜さんの浴衣姿見るのは初めてか?」
コウキが言った。
「ああ。緊張すんなぁ」
「俺達まで来て良かったのか? 美喜さんと二人の方が良かったんじゃないのか?」
「いや、多い方が楽しいじゃん。それに、どうせ他の部員だって遊びに来てるだろ。二人でいても、結局合流したりするかもだし」
「あー、それはそうか」
久也もなぜか誘われて、ここにいる。
今日来るのは、他に美喜と万里と咲だと聞いている。三人とも浴衣を着てくるらしいが、女の子の浴衣姿などまともに見たことはない。
そもそも、男女グループでどこかに遊びに行くこと自体、初めてだ。
何故自分が呼ばれたのかすら、分かっていない。
「おっ、来た来た」
勇一が指で示した方向を見る。三人がこちらに手を振りながら向かってきていた。
段々と近づいてくる三人。その姿がはっきりと分かるところまで来た時、久也は、衝撃を受けた。
「お待たせ」
「おー!」
勇一の歓喜の声。
「美喜、めっちゃ可愛いやん!」
「何で関西弁よ」
頬を染めながら、美喜が言った。
「すまん、興奮して」
「やらしい目で見るなっ!」
「美喜が可愛いからしょうがないだろ」
「~~っ!!」
「殴んなよ!」
「おい、のろけるなよこんなとこで」
苦笑しながらコウキが言うと、笑いが巻き起こった。
「のろけてないしっ!」
「まあまあ、美喜」
美喜の腕に咲が触れる。その仕草を、久也は凝視していた。
三人が近づいてきた時からずっと、久也は咲から目を離せなくなっていた。
桜柄の浴衣。こどもっぽく見えそうな明るい色合いなのに、それが咲に見事に似合っている。
元から整った顔立ちの子だったが、今、その可愛さは一層増している。
これが浴衣の効果か、と久也は思った。
「どうした、モッチー」
コウキに肩を叩かれて、はっとした。
「い、いや……何でもない」
「咲に見とれてたんでしょ、モッチー。やらしい」
にやにやと、美喜が笑う。
「なっ、ち、違うし!」
「違うの、モッチー?」
咲が首をかしげる。その細く白い首筋に、どきりとした。
目のやり場に、困る。
「……違わないです」
くすりと、咲が笑った。
「正直でよろしい」
「咲さん、モッチーは平気なんだな。男子に見られるの、嫌いって言ってなかった?」
「だってモッチーは無害だもん、コウキ君」
「へー」
無害。
その言葉が、胸に棘のように刺さる。
それはつまり、久也のことを男として見ていないということだ。
別に咲のことを好きだったわけではないが、そういう風に見られていると分かったら、がっかりもする。
肩を落としていると、咲が隣に来た。
「行こ、モッチー。皆もう歩いてるよ」
「あ……うん」
美喜と勇一が、鳥居を抜けていた。
万里とコウキも後に続く。
自然と、ペアで別れるような形になっている。
「ねえ、モッチー」
歩き出しながら、咲が言った。下駄の音が、からんころん、と鳴っている。
「今日ね、コウキ君と万里を二人にしたいんだ」
「二人に? 何で?」
「鈍いなー。二人をくっつけたいからだよ」
「お、おお、そうなんだ」
「だから途中で抜けようね」
「抜ける、とは?」
「皆と離れて別行動するってこと」
「え!? 橘さんと俺で?」
「そう。美喜は白井君とデートだし。良いよね?」
「え、あ、う、うん」
思わず頷いたが、咲と二人で、どう過ごせというのだ。
女の子を連れて歩いたことなど、一度もない。何をすれば喜ぶのか。
「万里、可愛いよね」
「へ、あ、あー」
「どっち?」
「え、いや、うん」
「はっきりしないなー」
そんなことを言われても、と久也は思った。
久也には咲しか見えていなかった。万里のことを聞かれても、困る。
咲と二人で抜ける。
そのことで、久也の頭はいっぱいになりだしていた。
「あいつら、どこ行ったんだよ」
チョコバナナをくるくると回しながら、コウキが言った。
屋台の一つで買ったものだ。万里も、同じものを買っている。
「勇一と美喜さんはともかく、モッチーと咲さんまでいないし……橋本さん、連絡来てない?」
言われて、万里は巾着から携帯を取り出した。
「メール来てる」
「何て?」
コウキが画面を覗き込んでくる。
顔が近くなって、自分の頬が熱くなるのを、万里は感じた。
「後で合流、って……一緒に来た意味ないな」
苦笑するコウキ。
「まいいや。とりあえず、どっかで座る? 橋本さん」
「うん。あ、なら、あそこ行かない?」
「ん?」
万里は神社の外を指さした。敷地から出てすぐのところに、石の階段がある。
「上が高台になってて、見晴らし良いんだよ」
「へー、じゃあ行ってみようか」
並んで、歩き出す。
コウキは下駄の万里に合わせて、ゆっくりと歩いてくれている。こういう気遣いをさりげなくしてくれるところが、コウキの良さだ。
神社の敷地を出て、石の階段を上がる。他の祭り客も階段を往来するから、すれ違えるように、上る側は左端を一列になって歩いていた。
左右の樹々に明かりが吊り下げられているおかげで、それほど暗くはない。
「こんなとこあるんだなあ」
万里の後ろを歩くコウキが言った。
「私は去年まで毎年来てた。いつもここに上がって、屋台の食べ物食べてたんだ」
「なるほどねえ。静かで良さそうだ」
階段はかなりの段数があり、上がりきるのは結構大変だったりする。
ただ、美喜と咲からは必ずここへ行け、と言われていた。神社の中では、祭りに来ている他の部員に会う可能性が高いからだ。
他の部員に、コウキとの時間を邪魔されないようにしろ、とのことだった。
美喜と咲が上手い具合に離れてくれたおかげで、コウキと二人になれた。
今のところ、自然に話せている気がする。
コウキの方は、万里との時間を楽しんでくれているだろうか。
「あと少し! けっこーキツイなぁ」
笑いながらコウキが言った。
「橋本さん、足は大丈夫? 痛くない?」
「うん、大丈夫だよ」
「痛くなったら遠慮しないで言ってよ。無理すると良くないから」
「ありがとう」
階段を上りきると、開けた広場に出た。
元は、木々が生い茂るごく小さな山のような場所だったらしい。万里が生まるか生まれないかの頃に、ちょっとした見晴らしのいい広場にするために、整備されたのだという。
広場の端には、落下防止のために、木の柵がぐるりと設置されていて、いくつかベンチが並んでいる。
端に移動して下を見ると、神社が見下ろせる。屋台や飾りの灯りが輝き、人の波が流れているのが見えた。
「ほんとに景色良いなあ」
「でしょ」
二人で近くのベンチに腰かける。
さすがに疲れた。ただ、来た甲斐はあっただろう。
予想通り人は少なく、ベンチとベンチの距離も離れているから、自然とコウキと二人きりのような状態になれている。
「こうして見ると、花田町って田舎だよなあ。家も密集してないし」
「そうだね」
「花田高は……見えないか」
「日中なら見えるよ。あっちだね」
「橋本さんの家は、どの辺?」
「あそこらへんかな」
民家の灯りの集まっている一角を指さす。ここからだと、徒歩で五分ほどである。
「へー、意外と近いんだ」
「うん。だから、ちっさい頃はこの神社が遊び場だったんだ」
小学生の頃は学校の運動場で遊ぶか、この神社に来ていた。神社の中で遊ぶこともあったし、この広場で過ごすこともあった。
「神社が遊び場って、なんか良いね。てか、橋本さん外に出る子だったんだね」
「小学生の頃は、そうだった。中学生くらいからあんまり外遊びしなくなったかも」
「そういえば今更だけど、中学って部活何やってたの?」
「帰宅部だよ。前は、あんまり熱中できるものとか無くて」
「へえ」
「中学の時の私って、何してたんだろう。自分でも、無意味に三年間を過ごしてたような気がする」
高校で吹奏楽に出会ったおかげで、今の万里は毎日が充実している。友達も増えて、学校が楽しいと感じるようになっている。
前は、そうではなかった。
「昔は昔さ。今の橋本さんはちゃんと頑張ってるし、輝いてるじゃん」
「そうかな」
「そうだよ。トランペットも、随分上手くなったしね」
「ほんと?」
「ああ。知らない人が聴いたら、今の橋本さんを高校から始めたと思う人はいないんじゃないか。音も綺麗になったし」
「コウキ君がそう言うなら、間違いないね」
コウキは世辞を言わない人だ。そのコウキに言われたら、素直に嬉しくなる。
自分でも、出したい音もろくに出せずにいた最初の頃が、遠い過去に思えるほど、吹けるようになった自信はある。
花田高に入部してから今日まで、ずっと必死だった。
早くコウキ達に追いつきたくて、足手まといになりたくなくて、ずっと練習ばかりしていた。
練習をしていれば、コウキのそばにいられたというのもあるけれど、それ以上に、上達することが万里の中で大切なことだったのだ。
万里は、ふと空を見上げた。
日が落ちて闇に包まれた空には、点々と星が光っている。星座の名前には詳しくないけれど、夏の大三角形というのはかろうじて分かる。大きく光る三つの星が、そうなのだろう。
こうやって空を見上げるのなど、いつぶりだろう、と万里は思った。
自分の中で、そうするだけの余裕が出てきた、ということなのかもしれない。
「橋本さんとゆっくり話すの、久しぶりな気がするな」
ぽつりと、コウキが言った。
「前はよく二人で練習したのにね」
「橋本さんはもう俺が教えなくても、一人で上達していくようになったもんなあ」
それは喜ぶべきなのか、複雑な気持ちだった。
トランペットが上達したのは嬉しい。けれど、そのせいでコウキとの時間は減った。
「俺はさ、全国大会に行きたいし、部員の皆に部活をやってて良かったと思われるような活動にしたいと思ってる」
コウキが言った。
「それと同じくらい、トランペットパートをもっと凄いパートにしたい、っていう目標もある」
「もっと凄いパートに?」
「ああ。どんな曲にも対応して、トランペットとしての仕事を完璧にこなすような、高い技術力とまとまりのあるパートにさ」
「良いね……それ」
「でしょ? でも来年は俺、正学生指導者になるじゃん」
「うん」
「そしたら、他のパートの子達の練習を見る時間が、今以上に増えると思う。そうすると、トランペットの皆を見る時間は相対的に減る」
「そうなるね」
「だから、俺は橋本さんを頼りにしてるよ」
どきりとした。
「私を?」
「ああ。俺は、学生指導者とパートリーダーを兼任するつもりはない。橋本さんに、パートリーダーをやって欲しい。そして、パートを引っ張ってほしい」
「ええ?」
「橋本さんは、俺が人に教えるやり方をそばで見てきたでしょ。だから、橋本さんも上手く後輩を教えられると思ってるし、パートを任せられる」
確かに、ペア練や同期の初心者で集まった時に、コウキから教わったし、パートで莉子達を教えたり、前に立って基礎合奏をする姿も見てきた。
コウキならどう教えるか、というのは、何となくは想像出来る。
「でも、初心者の私がパートリーダーなんて」
「まこ先輩も、初心者だったぜ」
「……あ」
「トランペットパートをもっと凄いパートにする。そのためには、橋本さんの協力が必要だ。初心者とか関係なく、橋本さんがね」
コウキは、本気で言っているのだろうか
思ったこともはっきりと口に出せず、人の後ろをついていくような人間だった。その万里がパートリーダーに相応しいと、本当に思っているのだろうか。
「ごめんな、せっかく遊びに来たのに真面目な話しちゃったわ。こういう二人の時に、伝えておきたくて」
「あ、ううん……」
「まあ、そうすぐに来る話じゃないしさ。一応、考えといてよ」
言って、コウキがにこりと笑いかけてきた。その笑顔に、どきりとする。
そういえば、今はコウキと二人だったのだ、と万里は思いだした。
部活動の話になったから、忘れていた。また、緊張が胸の内から湧き上がってくる。
ちらりとコウキの横顔を見ると、かすかな笑みを浮かべたまま、景色に目をやっていた。
今、コウキは何を思っているのだろう。何を話せば良いのだろう。
一度会話が途切れると、不安になる。何か話さなくてはという考えで頭がいっぱいになり、話題が思い浮かばなくなる。
何か話題になりそうなものはないか、と周りを見回すと、ある一点が万里の目に留まった。
「あれ?」
「ん?」
コウキも振り向く。
「あれ、なんだろう」
万里は石の階段のそばを指さした。
「あんなの、さっきあったっけ?」
指さした先には、小さな石作りの鳥居が、ぽつんと佇んでいた。




