三ノ三 「拓也と奈々」
コウキと同じクラスになるとは思わなかった。
小学五年生の時になって以来だ。
なったからといって、変わりはない。相変わらず、コウキとはほとんど話さなかった。
里保の事で、智美から一方的にコウキとの縁を切った。小学六年生の二学期には、里保とコウキは和解していたが、智美は関係を元に戻せなかった。
コウキは、たまに廊下ですれ違うと挨拶をしてきた。それが不意打ちすぎて、返事が出来る時もあれば、出来ない時もあった。
中学一年生で、里保はコウキと同じクラスになった。そこで、二人はちゃんとした友達になったのだという。智美の知らないところで、二人はクラスの集まりなどで遊んだりもしたらしい。
里保がその話を楽しそうにした時、智美は自分の心に沸き上がった不快感に戸惑った。
なぜ不快感を感じたのか、ずっと考え続けてきた。
コウキの事は、許せなかったはずだ。大切な友達である里保を傷つけたのだから。なのに、その里保が、コウキと仲直りをした。それで怒りや嫌悪感をどこに向けたら良いのか、分からなくなった。
行き場を無くした感情が、智美の中で燻った。
けれど、とうの昔に、答えは出ていたのだ。自分でそれを見ないようにしてきただけで。
運動場で、準備運動をしている。走る前には、念入りに身体をほぐす。怪我だけはしたくなくて、欠かしたことはなかった。
走るのは、昔から好きだ。それで、陸上部に入った。
この部は、智美に合っている。ひたすら走っていられるし、仲間と一緒に頑張るのも、この上なく楽しい。今は、中学校最後の大会に向けて、全員で一丸となっている。
誰かと何かを一緒にする。その楽しさを知れたのは、陸上部のおかげだ。
耳をすますと、他の運動部の掛け声に混じって、吹奏楽部の楽器の音が聴こえる。
あの中のどれかが、コウキの音なのだろうか、と智美は思った。
妹が、吹奏楽部に入ったと言っていた。コウキの様子を聞いてみたかったけれど、聞けていない。
別に、コウキの事など、忘れてしまえば良かったのだ。
なのに、忘れられなかった。
勝手に怒って、勝手に嫌って、勝手に、気にしている。そんな自分も、嫌だった。
修学旅行の班決めで、奈々と亜衣と組んだ。男子は、どこでも良かった。
奈々と亜衣が、コウキの班と組みたいと言い出した。
内心、焦った。コウキと一緒で、修学旅行の数日間を、平気で過ごせるだろうか、と。同時に、これは良い機会なのではないか、とも思った。
コウキと、ちゃんと話す機会だ。今まで避けていた、コウキとの会話。何度も、してみようとは思った。なのに、出来なかった。
修学旅行でなら、出来るかもしれない。
それで、承諾した。けれど、そんな心の内を誰にも悟られたくなくて、興味が無い振りをした。
コウキも、智美と同じ班になるかもと知って、戸惑ったような表情を見せていた。
コウキは、智美の事をどう思っているのか。
嫌われている、かもしれない。コウキは、誰にでも挨拶をする。だから、智美にもしてくるだけかもしれない。
現に、コウキは、クラスの中で智美だけを名字で呼ぶ。他の子は、全員下の名前で呼ぶのにだ。それだけで、明らかにコウキが智美を避けている事が分かる。
それでも、いや、それだからこそ、こういう機会でなければ、きっともうコウキとは話せない。意地になり続けてしまう。
「智美ー、走ろ」
先に準備を終えた陸上部の仲間が、声をかけてくる。返事をして、智美も駆けだした。
学校の外周を、時間を決めてひたすら走る。何キロ走れば終わりというものではないから、気力が必要だ。
初めは一緒に走っていた仲間も、一人二人とペースが落ちてくる。横について、励ましながら一緒に走る。すると、また力を出して、足を動かしてくれる。そうやって、一緒に走る。
走っている間は、もやもやとした気持ちも忘れられる。
風が智美の身体を打ってくる。それが、気持ち良い。
頭に浮かんでいたコウキの事は、その間だけ、消えていた。
部活動が終わって、最終下校の時間まで残っていた。
サッカー部は、新入部員の一年生の訓練に集中する時期だ。希望した一年生は、残って三年生が練習に付き合う。拓也も、頼まれて後輩の指導をしていた。
三年生になって、嫌味を言う上級生はいなくなった。自分達で、好きなようにやれるようになって、楽しさは増した。顧問は、部員の自主性を尊重すると言って、練習メニューなどもすべて自分達で決めさせてくれる。
大会に向けて、戦力を伸ばす時期だ。後輩への指導は、結果的に自分達三年生にとっても効果がある。 教えるためには、自分自身が技術を習得している必要がある。後輩の手本になるために、上級生も基礎練習に励むようになる。それで、部全体の技術力が向上していく。
練習メニューを考えていて、コウキが教えてくれた事だった。取り入れてみて、実感している。
下校を促す音楽が、校内に鳴り響いている。飽きるほどに聴き慣れた曲だ。洋楽らしいが、曲名も知らない。
出て行く生徒を見送る教師に挨拶をして、校門を抜ける。
「拓也君」
声をかけられて、そちらを見た。奈々が立っていた。
「おう」
「一緒に帰ろ?」
「ああ、良いよ」
最近は、奈々とよく帰る事が多かった。いつも、奈々が校門で待っていて、声をかけてくる。
コウキと帰る日以外は、基本は一人だ。奈々とは家の方向が途中まで同じだから、別に構わなかった。
並んで歩く。奈々の歩調に合わせて、少しだけ速度を緩めた。
「今日の部活はどうだった?」
「いつも通り。基礎練して、試合して、後輩の練習に付き合って」
「ずっと思ってたけど、面倒見良いね。自分の練習はしなくて良いの?」
「後輩を教えるのは、俺のためにもなるから」
「そうなの?」
「教えるからには、半端な事は言えないだろ。それで、自分の基礎動作を見直すことになって、レベルが上がった」
格闘ゲームのようだ、と拓也は思っている。繰り返し同じ動作を練習して、いつでも出来るようにする。
格闘ゲームは、相手の動きを読んで、防御したり、反撃を仕掛ける。その反応が出来るようにするためには、何度も練習するのみだ。
サッカーも、望む動作を可能にするには、反復練習だった。適当にやっていても、上手くならない。
動きを自分のものにしたうえで、相手との読み合いがある。まともに動けないのでは、どれだけ相手の行動を読めたとしても、対応できない。
動作は慣れてくると、型が崩れやすくなる。崩れた型では、良い動きは出来ない。後輩にはきちんとした動きを教える必要があって、それを指導するうちに、自分についていた悪い癖にも気がつく。
いつの間にか、自分までその動作が洗練されていた。
「サッカー、好きなんだね」
「ああ。楽しいよ」
「見てたよ、今日の試合。勝ってたね」
部活動では、いつも最後にチームに分かれて試合をする。
「そっちは、今日は?」
「今日は早く終わったんだー。だから試合見れたの」
「なら、何で最終下校まで残ってたん?」
「あ、えと、それは」
「帰れば良かったじゃん」
「たっ、拓也君を待ってたの!」
「俺を?」
奈々が、何故。
「そうだよ!」
「何のために?」
「一緒に帰りたいから!」
「友達と帰れば良いじゃん。俺、帰り遅いし」
「友達とだって、帰る日もあるよ。今日は、拓也君と帰りたかったの!」
「ふーん、変なの」
「変じゃないよ。何、一緒に帰るの、嫌なの?」
「そうは言ってないだろ」
別に、奈々と帰るのは嫌ではない。むしろ、奈々は沢山話すから飽きない。よく次から次に話題が出てくるものだと、感心するほどだ。
普段、洋子以外の女子とは積極的に話さないが、奈々は、比較的話しやすかった。
「そんな事より、ねえ、修学旅行の自由行動、一組はどこ行くの?」
「原宿。女子が決めた」
「マジ! 私達もだよ!」
「あ、そうなの。クレープ食べるため?」
「クレープ? そうじゃないけど」
「うちの女子は原宿のクレープが食べたいとかって言ってたぞ。あとは服とか」
「ああ、うん。服屋は行きたい。こっちじゃ売ってないものもあるし」
「服ばっかだな」
「良いでしょ! 女の子は可愛い服着たいの!」
以前、奈々の買い物に付き合わされたことがあった。ショッピングモールで、奈々が大量に服を買った。実質、荷物持ちのような感じだったが、奈々はあれを遊んだのだと言い張っている。
楽しくなかったわけではないが、拓也の遊ぶ感覚とは少し違う。いかにも、女子が好きそうな遊びだった。
「ねえ、拓也君」
「ん」
「自由行動の日、なんだけどさ」
「何?」
「えとね、森屋亜衣って覚えてる?」
「ああ、同小のだろ、覚えてるよ」
「良かった。亜衣とね、私とね、あと、健と、その……拓也君でさ」
「うん」
「自由行動の時間、ダブルデートしない?」
「……は?」
言われた意味が分からなくて、聞き返していた。
「だから、四人でさ、抜け出して、ダブルデート、しようよ」
奈々の顔を見る。目を合わせようとしてこない。頬が、うっすらと染まっている気がする。
ダブルデート。
聞こえてきた言葉を頭の中で思い返して、想像した。
複数の男女で、デートをする、という意味だろう。
「何で?」
思わず、言っていた。
はっと、奈々が顔を上げる。
「い、嫌なら、良い……」
そう言って、俯いた。ぎゅっと、鞄を持つ両手を握りしめている。
奈々は、拓也よりずっと背が低い。今は、いつもよりももっと低く見えた。小さくなっている。下を向かれていて、表情は見えない。
何となく、しまった、と思った。
どう、答えれば良かったのだろう。
修学旅行の自由行動というと、班ごとに決められたエリアで自由に過ごして良い時間だ。拓也の班は、原宿の竹下通りに行く事になっている。
奈々は、それを抜け出して、四人でどこかを回りたいと言っている。
別に、修学旅行の班は、抜けようと思えば抜けられる。それどころか、他の四人の班員は互いに好き合っているらしく、実質、拓也は邪魔もの扱いだ。拓也が居なければ、彼らこそダブルデートを楽しめるだろう。
奈々の誘いは、断る事もない。
「ごめんね、変な事言って。忘れて……」
奈々が言った。
「別に、断るなんて言ってないじゃん」
「……え?」
「何で俺と、って聞いただけだろ。まあ、どうせうちの班、俺がいない方が自由行動に関しては喜ぶし、原宿では抜けようと思ってたから、良いよ」
「え、え、ほん、とに?」
「ああ」
奈々がこちらを見て、顔を輝かせた。
「あ、じゃ、じゃあ、亜衣から健にも聞いてみると思う」
「分かった」
「じゃあじゃあ、それが決まったら、また細かい事話そっ」
「良いよ」
「良かった、断られると、思っちゃった」
そう言って、奈々がやわらかく笑った。
その表情を見た瞬間、心臓が跳ねたような気が、拓也はした。
奈々は、こういう表情もするのか、と思った。
意外な素顔に、戸惑いを隠せない。
考えてみれば、女子にデートに誘われたのは、初めてだ。以前奈々と遊んだのは、あれはただの遊びだった。デートではないだろう。
デートで何をすれば良いのか、見当もつかない。喜ばせる必要があるのだろう、というのは分かる。どうやって喜ばせるのか。
隣を歩く奈々を、ちらりと見る。先ほどまでとは打って変わって、愉快そうに身体を弾ませている。
こちらの視線に気づいて、奈々が首を傾げた。
「ん?」
「いや、何でも」
気軽に承諾したが、女子の扱い方など考えた事も無い。変な事をして、不機嫌になられても困る。
コウキに、相談してみようか、と拓也は思った。
コウキなら、良い助言をくれる気がする。
もしかしたら、とんでもない事を承諾してしまったのかもしれない。
唾を飲み込む。その音が、やけにはっきりと聞こえた。




