表示調整
閉じる
挿絵表示切替ボタン
▼配色
▼行間
▼文字サイズ
▼メニューバー
×閉じる

ブックマークに追加しました

設定
0/400
設定を保存しました
エラーが発生しました
※文字以内
ブックマークを解除しました。

エラーが発生しました。

エラーの原因がわからない場合はヘルプセンターをご確認ください。

ブックマーク機能を使うにはログインしてください。
青春ユニゾン  作者: せんこう
高校二年生・コンクール編
238/444

十一ノ十五 「池内よしみ 四」

 よしみが目覚めると、窓の外は日が昇り始めているところだった。まだ鳥も鳴いていない。

 深呼吸をして、天井を眺める。


 昨夜は美鈴に言われたことを考えていたら、あまり眠れなかった。

 寝ついたのは日付が変わって大分経ってからのはずだけれど、その割に眠気はあまりない。


 身体を起こし、ベッドから降りる。他の子を起こさないように部屋を出て、共用洗面所で顔を洗った。

 まだ合宿所の規則の起床時間まで、かなりある。少しだけ、朝練が出来ないだろうか、とよしみは思った。

 部屋で着替えを済ませ、本棟の管理室へ向かう。


「おはようございます」


 管理人は、すでに管理室にいた。


「おはようございます。どうされましたか?」

「花田高のものです。あの、勝手なお願いなんですが……講義堂を、今から使わせていただけないでしょうか」

「今から?」

「お願いします、少しでも……練習したくて」

「起床時間は、まだですが……」


 管理人が顎に手を添えて、唸る。

 やはり、駄目だろうか。

 説得するのは苦手だ。上手く言葉に出来ない。

 駄目なら、諦めるしかない。


「……特別ですよ」


 管理人が言った。


「えっ、良いんですか?」

「合宿最終日ですからね。頑張ってください。私も、花田高校さんは応援していますから」

「あ……ありがとうございます!」

「今鍵をお持ちします」


 奥に戻って鍵束を持ってきた管理人が、管理室から出てくる。


「どうぞこちらへ」


 後に続き、講義堂の扉を開けてもらう。


「お待たせしました」

「ありがとうございます」


 にこりと笑った管理人に頭を下げ、講義堂へ入った。

 扉が閉まり、静寂に包まれる。

 椅子の間を抜けて自分の席に向かい、横に置いていた楽器ケースからユーフォニアムを取り出して、軽く息を吹き込んだ。


 冷えている楽器を温め、身体を整えるために、軽く音出しをする。毎日、欠かさずにやっている。これをやると、曲の練習にも入りやすいのだ。

 準備が済んだところで、譜面をめくり、『たなばた』を開いた。


「花田高にとって、『たなばた』を完成させるためにはよしみちゃんのソロが必要なんだよね?」


 昨日、美鈴が言った。


「なら、堂々と吹いちゃえば良いんだよ」


 ソロパートに目を移す。


「中学の時の部員はよしみちゃんを恨んだかもしれない。でも、花田の人達もそうなの? よしみちゃんが失敗したら、恨むような人達なの?」


 花田高の皆が、どう思うか。

 考えたこともなかった。

 去年、ひまりが怪我をしてコンクールメンバーから外れた。あの時、皆はひまりを責めるのではなく、ひまりを全国大会に連れていくために演奏した。それが、東海大会の震えるような演奏に繋がった。 

 花田高の皆なら、よしみのことも支えてくれるのだろうか。


 思考を止め、ユーフォニアムを構えた。深く息を吸い、ソロパートを奏でる。

 短く、音階の形に近い歌いやすい旋律だ。主旋律を奏でるアルトサックスとの絡みを意識して、ダイナミクスに変化をつけていく。

 頭の中では、理想とする旋律の形はすでに出来上がっていた。それを音にする。


 人がいなければ、冷静に演奏出来るのだ。

 旋律自体はよしみの好きな型をしているし、吹きやすく、意図を汲み取りやすい。

 けれど、他の人がいると、駄目になる。


 扉が開く音がして、はっとした。

 入って来たのは摩耶だった。


「摩耶」

「よしみ、ソロ、吹けたの?」

「……ちょっと吹いてみただけ」

「ちょっと、でそれかあ」


 摩耶がそばに来る。


「驚いた。モッチーが急に上手くなったのかと思った、なんて」

「はは……」

「こんな時間に吹いてたんだね」

「うん、管理人さんにお願いしたら、特別にって言って開けてくれた」

「そっか。やっぱり、よしみの音は良いねぇ」


 言いながら、摩耶が隣に座る。真澄の席だ。


「ユーフォニアムってさ、不思議だよね。そんなに大きい楽器なのにめちゃくちゃ音域広くてさ、音色も他のどの楽器とも違う響きがあるし」

「そうだね」

「私は、金管楽器の中ではユーフォニアムが一番好きだなぁ。特に、よしみの音はね」

「ありがと……摩耶」

 

 沈黙。

 摩耶もこの時間に練習をしに来たのだろうか。しかし、摩耶は立ち上がろうとしない。


「……よしみはさ」


 しばらくして、摩耶が言った。


「何?」

「ソロに、トラウマがあるんでしょ」


 その言葉を聞いた瞬間、心臓が音を立てた。

 何故、摩耶が知っている。


「……ごめんね。事情を知ってる子に聞いた」


 よしみは答えず、視線を落とした。


「私が部長の権限で無理やり聞き出したの」


 そう言って、摩耶が姿勢を正した。


「私は部長だから、よしみのことを放っておくわけにはいかなかった。私にも出来ることが無いか知りたくて、よしみの過去を聞いた」

「そう」

「よしみは……また同じことが起きるのが怖くて、ソロが吹けないの?」


 問いかけに、静かに頷きを返す。


「よしみにとってさ、私達ってどう見えてる?」

「え?」

「よしみがミスをしたら、よしみを責めるように見えてる?」

「それ、は」

「確かに、上手い学校の中には奏者同士でギスギスしてるとこもあるよね。でもさ、花田高は違うと思う。皆で一つになってやっていこうとしてる。去年だって、そうだったじゃん」

「……うん」

「今の花田高には、よしみのソロが必要だよ。全国大会に行くためには、絶対に。よしみが欠けたら『たなばた』を選んだ意味が無いもん」

「それは買いかぶりすぎ」

「ううん、そんなことない。よしみだって分かってるでしょ、『たなばた』のソロを吹けるのは、自分だけだって」


 思わず、顔を逸らす。

 自分でそんな風に思うなど、思い上がりだ。人前で吹けもしないのに。よしみより、久也のほうがずっと相応しい。


 摩耶が、よしみの手を取った。


「だから……仮によしみがミスしたって良い。誰も怒らないよ」

「えっ……?」

「そもそもよしみが吹かなかったら、『たなばた』は完成しない。だったら、吹いてくれるだけでありがたい。それだけで、少なくとも道は繋がる」

「摩耶」

「確かに私達はよしみに期待してる。その期待のせいで、よしみにプレッシャーかけちゃってるかも。でもね」


 摩耶の視線が、真っすぐによしみに注がれる。

 

「私達は、よしみに頼りきりなわけじゃない。一緒に演奏する仲間なんだよ。よしみが音を間違えるくらいで全国大会を逃すような、下手な演奏をするつもりはない」


 力強い目。この自信に満ちた目が、いつも摩耶を花田の頼れる部長なのだと実感させる。

 言葉にも、力がこもっている。それが、心に真っ直ぐに刺さってくる。 


「よしみのソロも良かった、だけど、全体が素晴らしかった。審査員の講評用紙には、そう書かせてみせる。だから、よしみは安心してソロを吹いてほしい」

「……だけど、また本番で真っ白になってソロを飛ばしちゃうかもしれないんだよ。そんな人間にソロを吹く資格なんて」

「その時はモッチーがいる。そうでしょ、モッチー」


 摩耶が講義堂の扉の方に目をやった。

 驚いて、勢いよく振り返った。

 そこには、いつの間にいたのか、久也が立っている。


「モッチー……」


 久也が、少しだけ近づいてくる。


「すみません、立ち聞きして……でも、摩耶先輩の言う通りです、よしみ先輩。俺は、今度こそよしみ先輩のサポートをします」

「……どういう意味?」

「もしよしみ先輩が本番でまたソロを飛ばしちゃっても、その時は俺が吹きます。その咄嗟の対応が出来るように、心構えもしておきます。だから、よしみ先輩がソロを吹いてください」


 自然と、腰が浮いていた。


「何、言ってるの……? それじゃモッチーは二番手になっちゃうじゃん。せっかくソロを吹けるのに。吹きたいって言ってたじゃん!」

「よしみ先輩がソロを吹けるようになってくれることのほうが、ずっと大事です!」

「っ」

「……安川の広瀬先輩から聞きました。よしみ先輩、本当はソロを吹きたいんですよね」


 久也に見つめられて、よしみは視線を逸らした。


「吹いてください。もう一度、ソロを」

「……そんなこと……モッチーのほうが、ソロに相応しいじゃん。ずっと一生懸命練習してた。まだ県大会だし、東海大会までも日がある。頑張れば……」

「俺じゃ駄目なんです!」


 その語気の強さに、よしみは言葉を出せなくなった。

 久也の両手が、震えるほどぎゅっと握られている。何かに耐えるような苦痛の表情を浮かべて、久也は顔を振った。


「俺……本当はずっと謝りたかったんです」

「……え?」

「あの時のコンクール、俺は本番直前から、よしみ先輩の様子がおかしいことに気がついてました。だから、よしみ先輩がソロを吹かなかった瞬間から俺が代奏してれば、大きな減点にはならなかったんです」


 そう言って、久也は唇を噛んだ。


「俺のせいなんです。多分あの時、俺だけが異変に気づいてた。それなのに、動かなかった。俺が動いてれば、あんなことにならなかったんです。よしみ先輩なら大丈夫だろうって、良いように自分に言い聞かせて……それであの結果です。コンクールの後、よしみ先輩はずっと自分を責めてたけど、俺にだって責任があった。俺も、一緒に責められるべきだったのに……皆、よしみ先輩だけを恨んだ」


 言いながら、久也が涙を流しだしていた。


「俺も恨まれるべきだったのに。皆が怖くて、言い出せなくて、よしみ先輩だけを恨みの対象にしてしまいました」


 久也は、そんな風に思っていたのか。


「ごめんなさい、よしみ先輩。今まで、ずっとよしみ先輩にだけ責任を負わせてました。ごめんなさい……っ」


 久也の涙が、地面にいくつも落ちていく。


「だからっ、俺、もうよしみ先輩が苦しまなくて良いようにって、『たなばた』のソロも俺が吹こうとしたんです。俺が完璧に吹けば、よしみ先輩が苦しむことはないからって。なのに……なのに、俺、全然吹けなくてっ」


 そっと、久也に近寄る。嗚咽混じりに語る久也を、よしみは抱きしめた。

 男の子らしい、骨ばった身体だ。


「ごめんなさい、また、皆の期待をよしみ先輩に向けさせてっ……俺が下手だからっ……よしみ先輩を、また苦しめて……っ」

「そんなことない、そんなことないよ」


 久也の背中を、そっとさする。


「ごめんなさいっ、よしみ先輩っ……!」

「ありがとね……でも、モッチーのせいじゃないから、もう謝らなくて大丈夫だよ」

「でもっ」

「モッチーがそんなに私のことを考えてくれてたなんて、知らなかった。モッチーも……私と同じだったんだね」


 身体を離し、涙を流す久也の目元に、ハンカチを当てる。


「表に出さなくても、抱え込んでたんだね」


 先輩なのに、よしみはそのことに気がついてあげられなかった。自分のことばかり考えていた。

 真面目で、固くて、不器用で、だけど芯のあるこの後輩を、よしみはちゃんと見てあげられていなかった。


「……私、吹くよ。ソロ、ちゃんと吹く」

「よしみ先輩……」

「モッチーが私のために頑張ってくれたみたいに、今度は、私が頑張る。だから、モッチーが支えてくれる? また、あんなことにならないように」


 涙で溢れた目が、よしみに向けられる。久也がこんなに涙を流す姿は、初めて見た。それだけ心の中に溜め込んでいて、辛かったのだろう。


 ゆっくりと、久也が頷く。

 よしみは微笑んで、久也の頭を撫でた。


「一緒に、頑張ろう。丘先生に、もう一度ソロオーディションをしてもらえるように頼んでみる」

「……はい」

「摩耶も」


 よしみは振り向いて、摩耶を見た。


「ありがとね。私のために動こうとしてくれて」

「……ううん」

「頑張ってみるよ。それで、皆ともきちんと向き合う。皆で、全国大会に行けるように」

「私も、協力する」

「ありがと」


 顔を見合わせて、笑い合う。

 講義堂の壁に設置されている大時計の針が、六時を指した。スピーカーに電源が入り、起床の音楽が流れだす。


「時間だね」


 摩耶が言った。


「摩耶も、後で一緒に丘先生のところ行ってくれる?」

「勿論」


 久也が、よしみのことをここまで考えてくれていた。そのせいで、久也を苦しめることにもなった。

 よしみは知っている。苦しみながら吹く演奏は、奏者の心をすり減らしていくことを。

 後輩にそんな想いをさせてしまっていたことが、情けない。


 部員を信用せず、勝手に怖れていた。

 それは、もうやめだ。

 逃げる時は、もう終わりにしなくてはならない。

 よしみの代わりに苦しんでくれた久也のためにも、もう一度、ソロに挑戦するのだ。

 






 






 


 講義堂を出た後、よしみと久也は先に行かせて、摩耶は本棟の二階に上がった。

 そこには長椅子に座るコウキがいた。


「コウキ君」

「摩耶先輩」


 コウキの隣に座る。


「ありがとう。おかげで、よしみと話せた」

「上手くいきましたか」

「うん。よしみ、ソロを吹くって」

「そうですか」


 今朝、コウキが部屋に来た。

 よしみが講義堂に行ったから、きっと練習している、と教えてくれた。よしみの心を動かすには、摩耶と久也が必要だ、とも言われた。

 

 よしみの事情は、花田北中出身の星子から聞き出していた。

 だから、コウキにそう言われた時、摩耶は察した。


「よく気づいたね、よしみが講義堂に行ったこと」

「談話室にいたら、よしみ先輩が通るのが見えたから」

「そっか」

「はい」

「でも……どうして?」

「何がですか?」

「どうしてコウキ君が自分でよしみと話さなかったの? コウキ君なら、一人でもよしみの心を動かせたでしょ」


 いつだってコウキはそうだった。言葉だけで、部員の気持ちを変えてきた。

 なのに、今回に限ってこんなところに隠れていたのには、理由があるのではないか。

 コウキが、ゆっくりと視線を外す。


「今の俺は……駄目です」

「駄目って?」

「人を炊きつける資格は、今の俺にはないです」


 コウキが気まずそうな顔を浮かべる。

 どこか暗く重い空気をまとっている。昨日まではそんなことはなかったのに。


「……夜に、何かあったの?」


 ぴくりと、コウキの眉が動いた。


「いえ……」


 言いたくはないらしい、と摩耶は思った。


「……そう」

「とにかく、良かったです」


 言って、コウキが立ち上がった。


「これで一歩前進ですね。でも……きっとよしみ先輩は皆がどう思うのか、不安を感じ続けると思います。だから、どこかで皆とよしみ先輩が話せる機会を作ってあげてください。皆がよしみ先輩を恨んだりしないってことを伝える機会を」

「……分かった」

「じゃ、朝の集会、行きますか」

「うん」


 歩き出したコウキの背中を、摩耶は後ろから眺めた。

 いつも堂々として頼もしく見えるコウキの背中が、何故か今は、小さく見えていた。


評価をするにはログインしてください。
ブックマークに追加
ブックマーク機能を使うにはログインしてください。
― 新着の感想 ―
[良い点] 結構長いしだらだらでもない内容をこの期間で連続投稿はすごい。 [一言] よしみさんが肚を決めてくれて何より。 久也君溜めてたんだねぇ。 みんなのベクトルが合えば素晴らしい演奏になりそう。 …
[一言] シリアスの裏で何やってるの主人公…と思ってたら最後めっちゃどんよりしてるー! まぁ、人情というモノのいっそう深いところに踏み出して、それでこそレベルアップできる所があるかもしれませんが。…
[良い点] 漸く【青春】ユニゾンの名に相応しい素晴らしく 青臭いお話を読め、内容に涙腺が弛みそうでした。 然り気無く暗躍してたコウキの存在も面白かったです。 (特に最近のヘタレっぷりみてたから尚更)…
感想一覧
+注意+

特に記載なき場合、掲載されている作品はすべてフィクションであり実在の人物・団体等とは一切関係ありません。
特に記載なき場合、掲載されている作品の著作権は作者にあります(一部作品除く)。
作者以外の方による作品の引用を超える無断転載は禁止しており、行った場合、著作権法の違反となります。

この作品はリンクフリーです。ご自由にリンク(紹介)してください。
この作品はスマートフォン対応です。スマートフォンかパソコンかを自動で判別し、適切なページを表示します。

↑ページトップへ