十一ノ十 「部長の器」
摩耶が意図的にこの三人で部屋を組んだのであろうということは、部屋割表を見た時に、すぐに智美には分かった。
三人部屋で、ベッドが三つ並んでいる。智美は中央のベッドで、窓際が摩耶、入り口側が千奈だ。
ちらりと、千奈に目を向けた。
ベッドに仰向けに寝転がって、携帯をいじっている。指が高速で動いているところを見ると、メールでもしているのかもしれない。
「ねえ、千奈ちゃん」
摩耶が言った。
「はい」
「まだ起きてる?」
「しばらくは。携帯の音、うるさかったですか?」
「あ、そうじゃないよ。ちょっと話したいなと思って」
携帯をいじるのをやめて、千奈が身体を起こす。
智美は二人の視界の間に入らないように、ベッドの端に移動した。
就寝時間は過ぎてもう電気も消しているため、それぞれの枕元の小さな明かりが三つ、部屋をわずかに照らしているだけだ。
「千奈ちゃんはさ、どうして花田を選んだんだっけ?」
「それは、単純に近かったからですね。心菜も花田を選んでましたし」
「そういえば徒歩通学だったね、千奈ちゃん」
「はい。近い方が楽ですから」
「どう、花田は。中央中の頃とは勝手が違うと思うけど、楽しい?」
んー、と千奈が唸る。
「楽しい、ですよ。上下関係がそれほど厳しくないのは、私には合ってるかなって思います」
それは、智美も同感だった。元々智美は、陸上部で上下関係の厳しさに反発して退部したのだ。
コウキに誘われて入った吹奏楽部は、智美の価値観に合っていた。
「うちは誰でも意見が言えるからね。そのための、全学年にリーダーを複数立てる制度になってるし」
「あ、それ、不思議だったんですよね。なんでリーダーが十人もいるんだろうって。多すぎませんか?」
「そう?」
「だって、六十人の部ですよ。もうちょっと少なくても良いんじゃないのかなあって」
摩耶がちょっと身じろぎして、かけていた眼鏡を外した。枕もとに置いていた眼鏡ケースから布を取り出し、眼鏡を拭きだす。
「昔は、部長と副部長だけだったんだよ」
摩耶が言った。
「そうなんですか?」
「うん。丘先生が花田高生だった時は、まだそうだったって聞いてる。今の体制に変わったのは、丘先生が卒業してから数年経った頃だって」
「なんで変わったんですか?」
眼鏡を拭き終えた摩耶が、再びかけ、軽く髪を流した。
摩耶は、眼鏡が似合う人だ。外している時も整った顔立ちで人目を引くけれど、眼鏡をかけるとより一層美しさが引き立つ。知的な雰囲気が足されて、まさに人の前に立つに相応しい人間という雰囲気になるのだ。
普段はポニーテールが基本だけれど、今は就寝前ということで髪を下ろしている。ストレートの黒髪が、ポニーテールの時よりもさらに摩耶の美しさを引き出している印象を受ける。
「花田が昔、全国に二度出場してるのは知ってるよね」
「はい。丘先生が一年生の時と二年生の時ですよね」
「そう。その当時部長だった進藤先輩が、凄い人だったらしいの。進藤先輩が皆を引っ張ることで、花田は全国へ行った。でも」
摩耶が、丘が聞かせてくれた当時の話を、千奈に聞かせた。
丘の前任の顧問であった王子が導き出した結論だ。
いつ現れるとも知れない、進藤のような柱となり得る人物。その人物が現れないかぎり全国大会へは行けず、仮に再び現れて全国大会へ行けたとしても、その人物がいなくなればまた届かなくなる。
花田の体制は、一人の人間に頼りすぎて、全部員の力を常に引き出せる体制ではなかった。
だから一人に頼らず、部員同士が支え合って高みを目指せる今の体制に変わった。
「そういう歴史が、あったんですね」
食い入るように話を聞いていた千奈が、何度も首を縦に振っている。
「確かにリーダーが多いと感じるかもしれないけど、一年生の頃から務めるってことは、それだけ長くリーダーとして自分がどうあるべきなのかを考えられるとも言えるんだよ」
「へえ?」
「これは私の勝手な考えだけど」
前置きをして、摩耶が姿勢を変えた。
寝間着の短パンから伸びた白くほっそりとした足が、摩耶のスタイルの良さを表している。
「人は与えられた立場に応じた自分になっていく、と私は思ってる。だから、部長に選ばれた子は、自然と部長っぽさが出てきたりする。他の学校の吹部を見ててもさ、あ、あの子が部長だろうなって何となく雰囲気で分かる時ってない?」
「あ、分かります。ありますよね、そういうの」
「でしょ、千奈ちゃん。でも、多くの学校はリーダーを務めるのは三年生になってからなの。そこからコンクールまで数ヶ月。元々の素質が無いと、たった数ヶ月で部員をまとめ上げるのは大変だと思うんだよね」
「確かに、そうですね」
「その点花田は、一年生の頃からリーダーとしての自分を見つめられる。どんな人間になれば良いのか、明確な目標になる先輩が常に前にいてくれる。でも先輩に頼りきりじゃなくて、一人で考えることも求められる」
「素質が多少不足していても、じっくり成長できて、与えられた立場に応じた人間になれる、ってことですか」
満足そうに、摩耶が頷いた。
「そういうこと。だから私は、リーダーが多いのはむしろ良いことだと思ってる」
「うん……お話を聞いたら、なんだか納得できました。ありがとうございます」
話題の区切りがついたところで、智美は横から口を挟むことにした。
「ところでさ」
摩耶が会話を始めた意図は分かっている。
「千奈ちゃんが中学で部長をやっていたのは、どうしてなの?」
千奈と目が合う。
「立候補?」
「そうです、智美先輩」
「やっぱり」
「私は別にやるつもりは無かったですよ。他にやれる子がいなかった、ってだけです。心菜でも良かったと思いますけど、心菜は支える方が得意な子だったので、副部長になって」
「部にとって最善なのが、千奈ちゃんが部長になることだった?」
「そういうことですね」
やはり千奈は前に立つ素質があるのだ、と智美は思った。
部にとって何が一番良いのかが、見えている。そして、それを実行する責任感もある。
求めても簡単に手に入る力ではない。
「千奈ちゃんは、摩耶先輩に似たタイプだね」
「摩耶先輩に?」
「うん。人の前に立つ器、っていうのかな」
「そんな大層な人間じゃないですよ」
「謙遜だね~」
「事実です。なら、智美先輩は? 先輩はどうして部長になったんですか?」
聞き返されて、思わず自分を指さした。
「私?」
「はい。摩耶先輩は分かります。どう見ても部長をやる人だから」
「何それ」
「ほんとですよ、摩耶先輩。それこそさっき言ってた、部長っぽさが摩耶先輩にはあるんです。でも、智美先輩はなんでなんだろうなって」
「私は」
問われて、智美はコウキと小川の堤防で話した時のことを思いだした。
去年の夏に、コウキと二人で部について語り合った。
智美は、コウキの語る想いに共感したのだ。力になりたい、と思った。
「コウキと約束したから、だね」
「コウキ先輩と?」
「うん。一年生の頃にね。コウキが部長か学生指導者になるなら、私がもう一つをやる、って」
「それは、私も知らなかった」
「多分、誰にも言ったことないですね、摩耶先輩」
「どうして、その約束を?」
問いかけられて、智美は部屋の壁に目を向けた。白い壁に、明かりで作られた影が浮かび上がっている。
「コウキはこの部をもっと良くしたいと思っていました。そのためにはリーダーになる必要があったんです。そして、コウキの理想を叶えるには理解者の協力も必要だった。たまたま私は、他の人よりコウキを理解してた。だから、コウキの支えになるって決めたんです」
「……へえ」
「それって、智美先輩はコウキ先輩が好きってことですか?」
「違うよ、千奈ちゃん。コウキは……確かに私にとって大切な人だけど、好きとかじゃなくて。どっちかっていうと親友、かな。私は、コウキの考えに賛同してるんだ」
「それで部長までやっちゃうって、凄いですねえ」
「ああ、でも、晴子先輩も部長に智美ちゃんを推薦しようとしてたよ」
摩耶が言った。
「晴子先輩が?」
「うん。丘先生と三人で話してた時にも、真っ先にリーダーとして名が挙がったのはコウキ君だった。そのコウキ君と協力しあえる子として、晴子先輩が智美ちゃんを挙げてた」
晴子から、そんな話を聞かされたことはなかった。
「智美ちゃんが立候補したから、推薦することはなかったみたいだけどね」
「じゃあ結局、摩耶先輩も智美先輩も、なるべくして部長になった、ってことなんですね」
言って、千奈が笑った。
「さすが部長のお二人です」
智美は、まだ自分が部長として部の全員に認められたと思ったことはない。未だに、智美が部長であることに懐疑的な部員もいるはずだ。
晴子も摩耶も、部長として相応しかった。
智美は、まだだ。まだ、半人前なのだ。
会話が途切れ、部屋に束の間の静寂が訪れる。
先ほどまで時折バイブの音を立てていた千奈の携帯も、今は通知を報せる光が点滅しているだけで、静かだ。
「……千奈ちゃんさ」
しばらくして、摩耶が口を開いた。
「花田でも部長をやる気はない?」
「えっ?」
千奈が少しだけ目を見開いて、固まった。
「私ね、この数ヶ月、一年生を見続けてきたんだ。それで、一番部長として立つに相応しいのは千奈ちゃんかなって思った。秋には一年生のリーダー決めがある。千奈ちゃん、部長にならない?」
「私がですか」
「うん。さっき話した通り、花田は複数のリーダーで成り立つ部だよ。だけど、それでもやっぱり部長と学生指導者の存在は重要なんだ。相応しい子がやらないとリーダーをまとめられないし、部員もついてこない。千奈ちゃんなら、部長に相応しい。千奈ちゃんが部長になってくれたら、私は安心できる」
千奈がちょっと顔を下げて、自分の手元に目を落とした。
予想通り、本題はこれだった。
智美も一年生で部長になるのなら千奈だろう、と思っていた。
下を向いていた千奈はゆっくりと顔をあげ、摩耶をまっすぐに見た。
「北川さんがいますよ。北川さんも、中学で部長でした。やる気もありますし、良いんじゃないですか?」
海は確かに部長をやりたいと公言していたけれど、性格的に不安があった。
千奈なら申し分が無いどころか、きっと満場一致で認められるだろうと思える。
二人の器量の差は大きい、と智美は感じている。
「この場にいない子のことをあれこれと言いたくはないんだけど」
摩耶が目を伏せながら言った。
「海ちゃんには、今のままじゃ部長は任せられない。あの子がリーダー決めまでに変われたら分からないけど、少なくともこのままなら私は海ちゃんを認めない」
「でも、成長を期待するために、一年生からリーダーにさせるんですよね」
「そうだけど、それだけで海ちゃんを部長にするのはリスクが大きい。私は……部の将来も考えないといけないから。最善の方法を選びたい」
「それが、私が部長になることですか」
「うん」
再び俯いた千奈を見て、今何を思っているのだろう、と智美は思った。
千奈も摩耶と同じで、部にとっての最善を考えられる子だ。そして、それを選ぼうとする。千奈なら、断ることはないはずだ。
「……少し、考えてみます」
告げられた千奈の答えは、意外なものだった。
「迷ってるの、千奈ちゃん?」
「というより、争いたくないというのが本音ですね、摩耶先輩。私が部長になるってことは、北川さんと二派に分かれるってことです。それは、一番面倒だから」
なぜか海が千奈を嫌っていることは、部内ではすでに周知の事実だった。
海本人から、その理由が語られたことはない。浩子なら知っている可能性はあるけれど、浩子の口も堅く、決して話しそうにはなかった。
「もう、良いでしょうか? 眠くなっちゃいました」
「……うん。ごめんね、遅くまで」
「いえ、楽しかったです。おやすみなさい、摩耶先輩、智美先輩」
「おやすみ」
頷いて、千奈は枕元の明かりを消した。
智美達に背を向けて横になった千奈は、布団をかぶり、そのまま静かになった。
摩耶と顔を見合わせ、首を振る。
今は、ここまでだろう。
無理強いをすれば、千奈の心もかたくなになってしまいかねない。
智美も摩耶も明かりを消して、布団にもぐりこんだ。
千奈と海。
二人の間に、何があったのだろう。
なぜ、海は千奈を敵視するのか。
リーダー決めは、先のようでもうすぐだ。東海大会から全国大会の間くらいには、行われる。
コンクールで忙しい日々が続くけれど、リーダー決めについても少しずつ動き始めなければならないのだ、と智美は思った。




