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青春ユニゾン  作者: せんこう
高校二年生・コンクール編
230/444

十一ノ七 「走り出したばかり」

 階段を上っていると、上階から次々に部員が下りてくる。手にはそれぞれ自分の楽器の入ったケースや梱包された打楽器を持っていて、列になって摩耶の横を通り過ぎていく。

 これから合宿所へ向かうために、全員で業者のトラックへ楽器を積み込んでいる最中だった。


 今回はあらかじめ楽器係で打ち合わせして、下ろす順番も積み込む順番も決めた。

 素早く下ろせるように、全ての打楽器は昨日のうちに梱包して運べるようにしておいたおかげで、部員達を待たせることなく運べている。

 

 音楽室へ入ると、陸が部員達に運ぶものを指示していた。


「あ、摩耶先輩」


 楽器係として陸の補佐をしている沙也が声をかけてくる。


「沙也ちゃん、何割済んだ?」

「七割ですかね~。もう少しで全部下ろし終わりそうです」

「陸君の指示は、問題なさそうだね」

「ばっちりです~」


 業者のトラックで楽器を運んでもらう行事の時は、楽器係が積み込みの一切を取り仕切るのが決まりだった。指示が交錯して混乱や間違いが起きないように、楽器係以外は指示を出さないように徹底しているのだ。

 そのおかげで、今まで花田高で楽器の持ち忘れなどが発生したことはない。

 それは、楽器係の誇りでもあった。


 楽器係の仕事は、トラックの中で指示を出す役と、音楽室で指示を出す役とに分かれる。

 今までは純也がトラックの役長で、摩耶が音楽室の役長だったところを、今回からは陸に音楽室の役長を任せている。

 摩耶の目の前を、どんどん部員達が通り抜けていく。列が滞らないのは、陸の指示出しが上手くいっている証拠だ。


 係の人員は去年は四人だったけれど、今年は六人になり、摩耶、純也、陸、勇一、千奈、沙也が務めている。

 勇一以外は全員打楽器パートなのは、花田高のお約束のようなものである。

 種類の多い打楽器を間違えずに積み込むには、普段から扱っている人間がやるのが一番なのだ。

 勇一は例外のようなもので、去年は打楽器が三人しかいなかったために他パートから勇一が選ばれた。他パートだけれど、能力としては申し分ない。


「はい、これで最後です」


 陸が小物を部員に手渡し、大きく息をついた。

 

「下ろすものはこれで全部です。積み込みが終わったら業者さんに挨拶があるので、皆さん一階に下りててください」

「はい!」


 ぞろぞろと、部員達が音楽室から出ていく。


「陸君、お疲れ」

「摩耶先輩! 疲れましたぁ」

「私がいなくても出来てたじゃん」

「いやもうやだぁ、一発目からいきなり放置しないでくださいよぉ」


 くねくねと、陸が身をよじる。


「陸君なら出来ると思ったから任せたんだよ。実際、出来たじゃん、偉いよ」


 陸が、嬉しそうに頬を染める。


「沙也ちゃんが補助してくれたからですぅ」

「え~、私ですかぁ?」


 自分を指さして、沙也が首をかしげる。


「うん、助かったよ~、ありがとね、沙也ちゃん」

「は~い、どういたしまして~」


 沙也は打楽器パートらしからぬ、ふわふわとした子だった。

 打楽器パートの人といえば、今まで摩耶が出会ってきたのは気が強かったり、動作がきびきびとした子ばかりだ。

 リズムを正確に刻むのが仕事だし、様々な楽器で素早い動作も求められるために、のんびりとした子では務まらないからそういう人選になるのだろう。

 

 ところが沙也は実にのんびりとした子で、話し方も動作も、とにかくゆっくりしている。摩耶の中の打楽器奏者のイメージから、大きく外れていた。

 最初は、そんな子が打楽器に来て大丈夫か、という考えも頭をよぎった。

 けれど、実際に練習が始まってみれば、楽器の才は全く申し分なかった。


 演奏する時は、まるで人が変わったかのように素早く動くのだ。

 沙也いわく、スイッチが入る、のだという。

 ティンパニと鍵盤打楽器が得意で、不足していた鍵盤打楽器要員として、非常に助かっていた。


「よし、私達も忘れ物が無いか確認して、下へ行こう」

「は~い」


 陸と沙也の声が、重なる。

 くすりと微笑んで、摩耶は二人の背中を押した。


「さくっと済ませちゃお」


 全開にしている窓からは、一階で積み込みをしている部員達の声が聞こえてくる。

 いよいよ、花田高の合宿が始まるのだ。




















 急坂の下から、唸りを上げるバスが姿を現す。 

 部員は、列を作ってバスの到着を待っていた。


「バスの席は、パート毎?」


 栞が摩耶に問いかけているのが聞こえてくる。


「のつもりだけど」

「だよね。でもさ、コンクールに行くわけじゃないんだから、たまには自由席にしたら?」

「え?」

「そのほうが皆の気分も上がって、練習に身が入ると思うけど」

「……あー」

 

 摩耶が、口元に手を当てて考え込む仕草をしている。


「これから三日間きつい練習があるんだしさ、最初くらいは羽目を外すのも、許してあげて良いんじゃないかな」


 しばらくして、摩耶が頷く。


「確かに、ね。ちょっと待って、栞。理絵、来て」


 摩耶が呼ぶと、すぐに理絵がやってきた。


「何、摩耶」

「バスの車内、席自由にするのどう?」

「なんで?」

「栞が、そのほうが皆の気分が上がって良いんじゃないかって」

「コンクールじゃないんだしさ、たまには良くない、理絵? 移動時間そこそこあるし、仲良い子同士で話しできると、やる気出ると思うんだよね」

「なるほど……」


 栞の言葉に、理絵が頷く。


「まあ良いんじゃない、摩耶」

「うん、そうしよう。はい、皆静かに」


 手を叩いて、摩耶が注目を集める。

 バスは、転回してバックしてきているところだった。


「今日は特別に席を自由にするから、皆好きなところに座って良いよ」


 部員が歓声を上げる。


「喧嘩とかはしないように、さくっと決めてね」

「はーい!」


 バスが部員の近くで停車し、排気の音を轟かせた。

 部員達が、誰と座るかで盛り上がり始める。


 幸は、素早くコウキの姿を探した。

 せっかくなら、コウキと一緒に座りたい。


 すぐにコウキは見つかったけれど、トランペットパートでかたまって話しているようだった。

 そのままパートで座るつもりなのだろうか。そばに月音も万里もいる。

 間に割り込んで誘う勇気は、幸には無い。

 ため息をついていると、美知留が肩を叩いてきた。


「幸先輩!」

「なに、美知留ちゃん」

「私に任せてください!」

「え?」


 美知留が、身体を寄せてくる。


「コウキ先輩と、座りたいんですよね」


 慌てて、美知留の顔を凝視した。


「分かってますよ。その願い、私が叶えてあげます。ここに居てください」


 に、と美知留が笑った。


「え、ちょ、美知留ちゃんっ」


 止めようとした時には、もう美知留はコウキのそばに移動していた。まるで、瞬間移動である。

 平然とトランペットパートの中に入り込んで、コウキに話かけている。

 ここからでは、何を話しているのかは聞こえない。


「うぅ~……」


 美知留がコウキに変なことを言っていないか、不安が沸きあがってくる。せっかく最近は、また少しだけコウキと話せるようになってきていたのだ。今余計なことをされて、コウキとの仲をぎこちなくしたくはない。

 緊張しながら二人の様子を眺めていると、不意にコウキがこちらを見て、目が合った。

 咄嗟に、逸らしてしまう。


「幸せーんぱいっ」

「っ!?」


 いつの間にか、後ろに美知留がいた。


「おっけーでーす」

「えっ!?」

「コウキ先輩、私の隣に来てくれることになりました」

「嘘!?」

「ほんとです。なので、幸先輩が窓際でコウキ先輩が通路側、私は補助席という感じで座りましょう」

「どどど、どうやって説得したの?」

「東中のことで話したいって言いました」

「あ、なるほど……」


 美知留が、大きく胸を反らす。


「ふっふっふ……使えるでしょ、私?」

「う、うん、ありがとう、美知留ちゃん」

「任せてくださいよ。私、幸先輩のこと応援してますから。余計なことはしないけど、必要なことはする人間です」


 胸の奥に熱いものがこみあげてくる。

 何て良い後輩なのだ、と幸は思った。


「でも、月音先輩とか万里ちゃんがコウキ君と座りたがらなかった?」

「ちっちっち」


 美知留の人差し指が、顔の前で揺れる。


「こういうのは、事前準備が大事なんですよ。コウキ先輩と幸先輩にくっついてほしい派は、私だけじゃないんですよ?」

「え……どういうこと?」

「栞先輩も、幸先輩派なんです。バス席を自由席になるよう仕向けたのは、私達の計画です。さらに、そうなることを見越して、月音先輩と万里先輩を封じる手も打ってありました」

「は、派閥とかあったの?」

「当然ありますよ! 女子の中だけですけどね。私の独自の調査では、幸先輩派が一番多いですよ?」


 にやりと、美知留が笑う。

 自分の知らないところでそんな動きがあったことに、幸は戸惑いを隠せなかった。

 自分の恋を公に応援してくれているのは、今まで美知留くらいしかいなかったのだ。


「まあ、誰を応援してるとかって明確にしちゃうと、喧嘩の原因になりますからね。皆、動いてるのは水面下ですよ。私はこういうの慣れてるから堂々とやりますけどね」

「そ、そうなんだ」

「バスでは私は早々に寝たふりをしますから、楽しんでくださいね」

「……うん、ありがとう、美知留ちゃん」

「いえいえ」


 うやうやしく礼をして、美知留は離れていった。

 

 

 

 



「コウキ先輩、ここ座りましょっ」


 バスの通路を、コウキと美知留がやってきた。

 

「あれ、市川さん座ってる」

「あ、こ、コウキ君」

「あれま。んー、でも後ろ詰まってるし、しょうがないですね。じゃあコウキ先輩そこ座って良いですよ。私、補助席座ります」

「じゃあ……市川さん、隣邪魔するね」

「どうぞどうぞ!」


 コウキが隣に腰を下ろした拍子に、肩が少し触れ合った。それだけで、幸の心臓が跳ねあがる。

 

「合宿楽しみですね~」

 

 補助席に腰を下ろした美知留が言った。


「そうだなあ。美知留ちゃん、部屋誰と一緒だっけ?」

「私は梨奈先輩と幸先輩と三人部屋です」

「おー、当たり部屋だね。三人部屋は良いよ、静かで」

「遊びに来てくださいね、コウキ先輩」

「駄目だろ。女の子の部屋に男は行けんよ」

「こっちは問題無しですっ。トランプとかしましょうよ。ね、幸先輩も夜トランプやりたくないですか?」

「えっ、あ、そうだねぇ。やりたいなあ」

「でしょでしょ。私と幸先輩と梨奈先輩の三人じゃ少ないから、もう一人くらい来てほしいですもん。コウキ先輩、来るの待ってますからね!」

「梨奈先輩が嫌がるって」

「だーいじょうぶです。嫌がりません」

「どうだかなあ。まあ、気が向いたら、な」

「はいっ」


 にこりと笑って、美知留が前を向いた。

 全員が搭乗して席に着くと、バスの扉が閉まった。先頭に座る副顧問の涼子が運転手に何か話しかけ、バスが動き出す。


「ところで今年の東中は、東海大会行けますかね~」

「どうかなぁ。行ってほしいよなあ」

「コウキ先輩は演奏聴きました?」

「地区大会前の録音なら」

「どうでした?」

「良かったよ。俺達がいた頃より、ずっと」


 そっかぁ、と美知留が呟く。


「後輩が私達より良い結果を残すって、複雑だなぁ」

「そうか? 俺は嬉しいよ。俺達が残したものが後輩に受け継がれて、先へ進んでくれたんだから」


 美知留がきょとんとした顔で、何度か瞬きする。

 それから、くすりと笑った。


「さすがコウキ先輩。その発想は無かったです」

「でも、そうだろ?」

「確かに、ですね。じゃあ、今の私達も花田の先輩達から色んなものを受け継いで、先へ進んでるのかな」

「そういうこと」

「だったら、結果で示したいですね」

「ああ。そのための合宿だ」

「はい」


 ちらりと、美知留がこちらを見てくる。

 目が、何かを訴えかけてきている。

 寝るぞという合図かもしれない、と幸は思った。


 案の定、しばらくしてから美知留は目を閉じて静かになった。わざとらしくない、実に自然な感じの寝息をたてはじめる。


「寝ちゃった」


 美知留を起こさないように気を遣っているのか、コウキが声をひそめて話しかけてくる。必然的に顔が近くなって、コウキの顔をまともに見れない。


 まだ、バスは走り出したばかりだった。

 少なくとも到着までに五十分近くはかかるだろう。それまで、こんなにそばにコウキがいるのだ。

 胸の高まりが、抑えられない。あまりに激しいせいで、コウキに聞こえはしないかと不安になる。

 

「こ、コウキ君は、大部屋だったよね」

「そう。小部屋が良かったなあ」

「私は、大部屋も好きだけどね」

「まあ、楽しいは楽しいよな。ただ、皆起きていたがるだろうから、まともに寝れないだろうなって」


 困ったような顔をして、コウキが笑う。

 その時は、眠くなったらこっちの部屋に来て良いよ。

 そう言おうとしたけれど、言葉には出来なかった。

 さすがに、大胆過ぎる発言だ。平静を装って言える気がしない。


「あれ」


 コウキが言った。


「市川さん、その腕に着けてるの何?」


 幸の右手首を指さしてくる。


「え、あ、これ?」


 幸の右手首には、色とりどりの紐で編んだミサンガをつけていた。


「サックスパートのみんなで作ったんだ。全国大会に行こうっていう約束を込めて」

「へえ」


 コウキが、ちらりと美知留の手首を見た。美知留の右手首にも、同じものがつけられている。


「そういうの、良いね」

「うん。智が言い出したの」


 中学生の頃、所属していた陸上部で流行っていたのだという。それで編んだことがあったらしく、智美がサックスパートの全員に教えて、九人で作り上げた。


「トランペットパートは、何かやってる?」

「楽譜に皆で言葉を書きあってるな」

「わあ、良いね」

「こういうのって一体感強まるよな」

「うんっ」


 幸は、今のサックスパートが好きだった。

 一年生は皆良い子だ。浩子に少し手を焼いているけれど、いずれは部にも打ち解けてくれると信じている。正孝と栞は先輩として信頼出来る人達だし、智美と元子は最高の仲間である。

 バリトンサックスのにいなだけはコンクールメンバーから外れてしまっているけれど、全員で全国大会へ行く、という気持ちは九人で一致している。

 その証拠が、このミサンガだ。


 右手首につけたミサンガを、そっと撫でる。

 想いのこもったものだからか、これに触れると、あたたかな気持ちになる。

 

「全国、行きたいね」


 呟いていた。


「ああ、行きたいな」

「……行けるかなあ」

「行ける、いや、行くんだ。俺達で」


 力強い返答に、思わず幸はコウキの顔を見た。

 真剣な、けれどやわらかさも感じる、穏やかな表情をしている。

 それは、幸の好きな表情だった。


 コウキの顔を見ていると、いつも息苦しいような感覚と胸がいっぱいになるような幸福感とが、同時にやってくる。

 もっと、見ていたい。

 もっと、この感覚を味わいたい。

 そんな欲求が顔を見せる。

 

 ふと、バスに乗る前に美知留とした会話を、幸は思いだした。


「疑似的な二人っきりの空間ですから、思いっきり甘えてくださいね。私の見立てでは、コウキ先輩は女の子に甘えられるのに弱いですから」


 耳打ちするように、美知留が言った。


「う、甘えるって……無理だよ。バスだよ?」

「大丈夫です!」

「急にそんなことしたら、不自然じゃん!」

「いえ、頭をもたれかからせたりとか手を握ったりとか、何でも良いんです。スキンシップですよ。いつも他の男子にしてるじゃないですか!」

「あれは意識してるわけじゃないし……コウキ君には無理!」

「無理なんて言ってられませんよ、幸先輩?」


 美知留が、腕を組む。


「コウキ先輩を狙ってる子は多いんです。こういう時に積極的にならなきゃ、いつまでもコウキ先輩の一番になれません」

「でも……」

「大丈夫、コウキ先輩は絶対に嫌がりませんから」

「なんで言い切れるの?」

「私はコウキ先輩のファンクラブ会員ですから」

「理由になってないよ……」

「とにかく、何でも良いですから甘えてくださいね。約束ですよ、これはミッションです! 必ず任務達成してください! 健闘を祈ります!」


 かかとをそろえて敬礼する美知留に、幸は渋い頷きを返すしかなかった。

 

 相変わらず、美知留は寝たふりをしている。あまりにも自然すぎて、もしかしたら本当に寝ているのかもしれない。

 ごくりと、唾を飲む。

 ちらりと隣に座るコウキの顔を盗み見た。ぼんやりと、前の方を眺めている。

 

 幸は、確かに他の男の子には平気で触れられるし、意識することも全くない。無意識に他の子には触れているのに、なぜかコウキにだけはそれが出来ない。

 変に意識してしまって、緊張してしまう。

 そんな相手は、コウキが初めてだ。


 だけど、と幸は思った。

 美知留の言う通り、今が絶好の機会である。


 幸はコウキにだけは積極的になれない。月音や万里にも、遠慮してしまう。そのせいで、コウキとは近づいたり離れたりを繰り返している。

 自分でも、いつまでもそのもどかしい状態でいるのが、嫌だった。

 今動かなければ、また離れてしまうかもしれない。

 そうなりたくなければ、動くしか、ない。


 幸い、バスの座席の背もたれは高く、前後の人から幸とコウキの様子は見えにくい。

 通路の反対側の座席に座っている七海と睦美は、楽譜を開いて指練習に夢中になっている。


 誰も、幸とコウキに意識を向けていない。

 疑似的な、二人きりの空間。


「……コウキ君」


 心臓が、喉から飛び出しそうだ。


「ん?」


 コウキと、目が合う。

 顔が熱い。

 コウキの目に、自分はどういう風に映っているのだろう、と幸は思った。


「ちょっと……手、貸して?」

「え……うん」


 コウキが、左手を差し出してくる。

 その手を、幸はそっと握った。ぴくりと、コウキの手が反応する。


「……繋いでて、良い?」

 

 コウキは答えない。

 繋いだ手が離されることも、ない。

 それを、幸は肯定だと受け止めた。


 指を、絡める。少し骨ばっていて固さを感じる、男の子の手。

 きゅっと握ると、コウキも、少しだけ握り返してきた。

 

 緊張は、最高潮に達している。心臓は先ほどよりもさらに強く音を立てていて、このまま破裂してしまいそうな気すらする。

 けれど、コウキと手を繋いでいる。たったそれだけのことで、幸の心も身体も、満たされている。

 このまま死んでも良い、とすら思えるほどの多幸感。


 思い切って、コウキの肩にもたれてみる。

 それも、コウキは拒まない。

 薄い夏服のシャツ越しに、コウキの肉体を感じる。細身のわりにしっかりとした体つきをしていて、それが、余計にコウキが男の子であることを意識させる。


 言葉は、不要だった。

 ただ、この幸せを少しでも長く、味わっていたかった。


 まだ、合宿所は遠い。

 この時間が、もっと続いてほしい、と幸は思った。

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