三ノ二 「智美」
「じゃあ、修学旅行の班決めするぞー」
四月のとある日のホームルーム。五月に行われる修学旅行の準備が進められていた。
修学旅行の行き先は、東京だ。以前の修学旅行も東京で、ネズミの国や原宿あたりを巡った記憶がある。
大人になってからも東京には何度か旅行に行ったから、今更感がある。とはいえ、新たな友人達と回る東京も、それはそれで楽しいだろう。それで、クラスメイト同様、コウキもやや浮ついた気持ちでいた。
高校での修学旅行以来、大勢での旅行の経験などなかったから、随分久しぶりだ。嫌でも、気分が高まる。
「一班六人で、男女半々だ。仲間外れがでないよう、うまく作れよ」
担任は投げやりに言って、さっさと自分の席に座っている。そのまま日誌や書類に目を通しだして、後は生徒が勝手にやれと言わんばかりの適当さだ。
こういうやる気のない感じの教師は、いつの時代もいるものだが、出来れば前の中学三年生の時の担任が良かった。時間軸が違う事で、担任もクラスも変わってしまった。あの担任は、好きだった。言っても仕方の無いことではあるが、数少ない、先生と心から呼べる人の一人だった。
クラスメイトはというと、これ幸いとばかりに、わいわい騒ぎながら班決めに取り掛かっている。
まずは男の子と女の子で教室の左右にわかれ、相談をはじめた。
互いに探りを入れながら、三人ずつ組んでいく。
三人は、微妙な人数である。極端に仲の良い二人と一人で組むと、その一人は浮きがちになってしまうし、微妙な三人で組むと微妙な空気のまま過ごすことになる。誰とグループになるかで旅行の楽しさも変わるのだから、慎重になるのも無理はない。
誰と一緒でも楽しめば良いのにと思うのだが、年頃のこどもならこんなものだろう。自分もこどもの時はそんな感じだったと思う。
話し合いが進む中、誰と組むかは周りに任せた結果、いつも一緒にいる友達の、亮と直哉とグループになった。他の男の子も、それなりに仲の良い同士でまとまったようだ。
女の子も、少し遅れて組み終えた。
問題はここからだ。やはり思春期ということもあって、互いにどこと組むかを探りあっている。
当然だろう。
修学旅行は三泊四日。その間のほとんどが班での行動になる。できれば仲の良い男女メンバーで回りたいだろうし、あわよくば恋愛的な何かしらも、求めているだろう。
クラスメイトのその様子が、青春という感じで微笑ましい。
幸い、このクラスにいじめなどは無いので、どことどこが組んでも極端に大きな問題にはならない。
自分の班がどこのグループと組むかは、亮と直哉に任せるつもりでいた。
どうせなら喜美子や奈々あたりの、よく話す子と一緒のほうが過ごしやすい。だが、せっかくの修学旅行なのだ。初めての経験である彼らに決めてもらうべきだろう。
二回目のコウキよりも、一回目の彼らにこそ楽しんでもらいたい。
しかし、そうは言っても担任の仕切りもなく生徒だけでの班決めでは、互いに探り合うばかりでなかなか決まらない。無駄に、時間だけが過ぎていく。
担任はそれでも知らんぷりで、居眠りを決め込んでいる。やる気のなさを隠す気もない。人の多い東京を、この人に引率されて大丈夫なのかと、今から心配になってくる。
くじ引きでも提案しようかと声に出しかけたところで、女の子の輪の中から奈々と亜衣が出てきた。
席に座っていたコウキの前に来ると、真剣な表情で見下ろしながら声をかけてきた。
「三木君とこ、一緒に回ろうよ」
「え?」
二人を見上げて、ぽかんとしてしまう。
一人で決めるわけにはいかない。窺うように、亮と直哉を見る。
「良いね良いね、そうしようぜ!」
亮は、嬉しさを隠す気もないというくらい満面の笑みで頷いた。直哉も同様だ。
この二人が良いのなら、コウキにも異論はない。
しかし、奈々と亜衣のそばに、三人目がいない。
「もう一人は?」
亜衣が後ろを向いて答えた。
「智美だよ」
亜衣の視線の先には、壁にもたれかかってぼんやりしている智美がいた。班決めには興味なしといった感じで、どこを見ているのかわからないような目をして立っている。
亮と直哉は、智美の名前を聞いて、ますます嬉しそうにはしゃいでいる。
奈々、亜衣、智美といえば、このクラスの男の子人気で上位の三人だ。思春期の男の子なら、それこそ天にも昇るほどの嬉しさだろう。
「中村さんはそれで良いの?」
遠慮がちに、智美に声をかける。
一応話は聞いていたようで、智美が頷いた。
智美が良いのなら、断る理由もない。
ただ、意外だった。気まずい関係であるのは間違いなかったし、てっきり向こうが嫌がるだろうと思っていた。その表情からは、何も読み取れない。
「じゃ、よろしくね!」
「よろしくー!」
コウキと智美を除いた四人が、ハイタッチしながらはしゃいでいる。
予想外の班になったが、この子達が嬉しそうにしているなら、それはそれか、とコウキは思った。
智美も良いというのなら、問題ないだろう。この機会に少しは話せるようになるかもしれないし、そう考えれば、むしろ幸運かもしれない。
「あ、三木君にはいろいろと相談にも乗ってもらいますので!」
奈々と亜衣が有無を言わさぬ様子で迫ってくる。
きっと恋愛の相談だろう。わざわざ自分達から、班を組むのを提案してきた意味が分かった。そのためのこの班か。
修学旅行中に、奈々と拓也の関係を進展をさせたいのだろう。
断る意味もないので、黙って頷く。
他の班はというと、どうやらほとんどの男の子が、人気の上位三人と同じ班になりたかったらしい。それなのに三人まとめて一つの班になってしまっているし、早々に班が決まってしまって、見るからにがっかりしている。女の子も女の子で、どうやら亮たちを狙っていたグループが多かったようだ。
目当ての異性が組む候補から外れたことでふっきれたのか、さっきまでのぐだぐだとした様子は何だったのかというくらい、さらりと班決めは完了してしまった。
クラスメイトの露骨な態度に思わず苦笑してしまう。変に取り合いで争いになるより、人気者同士がくっついているほうが平和だろう。これでよかったのかもしれない。
担任が目を覚まして、席に着け、と声を出した。
ちらりと、智美を見る。
思わぬ事態となったが、嬉しくないと言ったら嘘になる。できれば智美とも仲良くしたいと思っていた。コウキが一方的に感じているだけかもしれないが、この修学旅行で、智美とのわだかまりを解消したいところだ。
別に智美とぎくしゃくしたままで困るわけではない。ただ、出来れば関わりのある人とは、全員真剣に向き合いたいと考えている。
それは、智美も例外ではない。
次の日の放課後。奈々と亜衣と智美に囲まれていた。
早速相談がしたいからと言われ、部活動の前に残された。智美もいるのは予想外だったが、奈々と亜衣が誘ったらしい。
相談の内容は、予想していた通り、奈々が拓也と修学旅行を回りたいという相談だった。それだけでなく、亜衣も、健と回りたいと言ってきた。
健は六年四組のクラスメイトだった。小学生の時はたまに遊んだりしていたが、同時に、コウキの短気な性格を、面白がって馬鹿にしてくるような子でもあった。ただ、深く関わるようになってから、そういうところも減っていった。
中学に上がってからは、クラスが離れていてほとんど会っていなかったので、今はどうなのか全く知らないのだが、久しぶりに名前を聞いて懐かしくなった。
亜衣は、小学生の時からずっと健のことが好きだったらしい。何年も片思いでいたが、一度も同じクラスになれず、中学生最後の年だからせめて修学旅行で一緒に回りたい、とのことだった。
しかし奈々も亜衣も一対一で東京を回る自信はなく、それで、奈々、亜衣と拓也、健でダブルデートにしたいのだそうだ。
「すれば? 俺は別に構わないよ」
「でも、亮と直哉がいるから……どうにか離れさせてほしい」
「だったら正直に亮と直哉にも言えば?」
すると、亜衣が表情を曇らせてしまった。言いづらそうにもじもじしている。
「何?」
「昨日、亮と直哉に、三木君と智美と別行動でダブルデートしよって誘われたんだよね。とりあえず保留にして濁しておいたんだけど……」
「うっそ、俺聞いてないわ」
そんな話が進んでいたとは全く知らなかった。
亮と直哉は、奈々と亜衣を狙っているということか。
智美も班にいると聞いて喜んでいたのに、わざわざ別行動に持ち込もうとするということは、そういうことだろう。
二人とはあまり恋愛話をすることがなかったので、二人が誰のことを好きなのか、全く知らなかった。
そういうことなら、他の人と回りたいからダブルデートは嫌だ、とは言いづらいだろう。かといって、何も言わずに離れるのも不自然だ。
なかなか難しい問題だけに、どうしたものか思案に暮れていると、それまで椅子に座ってぼーっと話を聞いているだけだった智美が、口を開いた。
「拓也君と健君は、ダブルデートをオッケーしてくれてるの?」
「ああ、そうだ。それ聞いてなかったわ」
その質問に二人は固まったかと思うと、次の瞬間には大きなため息を吐き出した。
「もしかして……まだ言ってない?」
同時に頷く。
智美もため息をついて、椅子から立ち上がった。
「じゃあ、今この相談してても意味ないんじゃない? まずはオッケーもらってから考えなよ」
彼女の言う通りだ。そもそも拓也と健が承諾しないと、ダブルデート自体実現しないのだから。
「そうしたほうが良いよ」
話を切り上げようと、コウキも立ち上がる。
「言いづらいんだよ~……」
「簡単に言えたら苦労しません……」
奈々が泣きそうな表情で机に顔をくっつけ、亜衣は椅子にだらりともたれかかりながら、がっくりと肩を落とした。
二人の情けない様子に、思わず智美と目を合わせて肩をすくめてしまった。
「気持ちは分かるけど、話はそれからだよ。そしたらまた聞くから」
「はーい……」
うなだれている二人を置いて、智美と教室を出た。
「亜衣さんが健のことを好きなんて、全然気づかなかったなぁ」
「亜衣は隠してたからね」
同時に出たので、何となく一緒になって、並んで廊下を歩いている。
「中村さんは気づいてたの?」
「ううん。私も最近知ったよ」
「数年間も片思いしてたんなら、どうにか上手く行ってほしいけど、俺、今の健がどんな感じになってるのか全然知らないんだよね。クラス違ったから」
実際、今の健が良い子なら亜衣のことを応援したいが、そうでなかったら個人的には力になりづらい。
その辺りも一度知っておかないと、うまく対応できないだろう。
「私も一緒のクラスになったことないから、分かんないな。今度話してみたら?」
「うん、そうしてみる」
階段を二階まで下りたところで、智美と別れることにした。
「じゃあ、俺こっちだから」
「うん。またね」
小さく手を振って、智美は階段を下りて行った。
少しは自然に話せただろうか、とコウキは思った。
なぜ、智美の前でだけは緊張してしまうのだろう。
他の子と接する時は、こんなことはない。喜美子や里保とは、初めのうちはそんな感じもあったが、それはコウキが彼女達を傷つけていたという後悔があったからだ。
だが、智美に対してはそれはない。なのに、いまだに智美にだけ遠慮や躊躇をしてしまう。
智美の気持ちも分からないが、自分の気持ちも、うまく理解できなかった。
智美が去っていった階段を眺めていたら、窓の外から運動部の掛け声が聞こえてきた。練習が始まったらしい。
頭を振って考えを追いやり、渡り廊下へ進む。音楽室は、渡り廊下の先の実習棟だ。
相談が長引いたので、もう吹奏楽部も始まっているだろう。明日には新入生が入部してくるのでその歓迎会の準備が進められているはずだ。急いで参加しなくてはならない。
吹奏楽部のことも考えなくてはならないし、修学旅行はもちろん、その他の相談事の解決もおろそかにはできない。たとえ手一杯だとしても、どれかを手を抜いて過ごす気は、全くない。
どれも真剣にやるからこそ、意味があるのだ。




