十一ノ四 「そのうち孤立するよ」
午前練習が終わった後、浩子と英語室で昼食を食べていた。
「あ~あ。合宿の部屋、金川さんと同じなんて最悪」
弁当のおかずの唐揚げに箸を突き刺しながら、浩子が言った。
「海と同室が良かった」
「仕方ないよ。先輩達が決めるんだし」
「なんで私と金川さんが仲悪いって分かってるはずなのに、一緒にしたんだろ」
浩子のため息。
それには答えず、海は弁当の炒飯をスプーンですくって口に放り込んだ。
合宿は他の部員と三日間共同生活を行うものだ。同室の人間は嫌でも濃く関わることになる。どうせ、それをきっかけに浩子と心菜を仲良くさせようという魂胆なのだろう。
いかにも甘い花田高の人達が考えそうなことだ、と海は思った。
海も浩子も、中央中の子達とは相容れないのだ。妙なことを画策されても、良い迷惑である。
入部してから三ヶ月以上経つけれど、中学時代との部の雰囲気の違いに、海はまだ馴染めていなかった。
花田南中の吹奏楽部は規律が厳しく、部長が頂点に立って全てを仕切っていた。部長の指示は絶対遵守で、いつも部内には緊張感が漂っていたけれど、おかげで部は一つにまとまっていた。
吹奏楽部は人数が多く、ほとんどが女の子で構成される部のため問題が起きやすい。だからこそ、そうした上意下達とも言える縦の関係が重要なのだ。
なのに、花田高は縦の関係をあまり重視していなかった。
確かに部長は部の顔として存在しているけれど、並ぶ存在として学生指導者がいて、その二役職をトップに、他の三役が補佐をする形が取られている。しかも、各学年にリーダーがいるのだ。
今後、一年生の役職者も選ばれたらリーダーは十五人に増え、部員の四分の一がリーダーということになる。
そして、その十五人で部の方針を決めるのだ。
一歩間違えれば、各リーダーが我を主張して統率が乱れ、収拾がつかない事態になりかねない体制である。
それに、練習方法の一つであるペア練習では、下級生に上級生が教わるペアもある。
智美と奈美のペアが良い例で、二年生であり部長サブという立場である智美が、一年生の奈美に教えられている。
上の人間が下に教わるなど、あって良いはずがない。そんな状態で、どうやってリーダーとしての威厳を保ち、部をまとめていくのか。
なぜ花田高はこんな体制なのか。歯がゆいものを感じずにはいられない。
もっと、摩耶を中心として一致団結すべきではないのか。
「はあ」
ため息をつくと、浩子が顔を覗き込んできた。
「どうしたの、海?」
浩子は、花田南中の時に副部長として海を支えてくれていた。海が見きれない細かな部分に気を回し、弛んだ部員が出ないように、雰囲気を引き締める役を務めてくれていた。
海が一番信頼している仲間であり、花田高でも一緒にリーダーになろうと約束をしあった子だ。
「浩子は、今のうちの体制についてどう思う?」
「体制というと?」
「リーダーが十人もいることについて。秋には一年生のリーダーも決めるらしいから、十五人になるじゃん。そんなにリーダーがいるのって、おかしくない?」
「ああ、まあ、多すぎるよね」
「でしょ?」
「もう少し少なくて良いとは思う。智美先輩とか、なんで部長なのか分かんないし」
「ほんとそれ」
海も、未だに智美のどこが部長として相応しいのかが分かっていなかった。
フレッシュコンクールの日に、奈美から海と浩子が知らないだけだと言われたけれど、観察しても、智美の凄さは見えてこない。
何せ、ぱっとしない人なのだ。
確かに練習は熱心だ。海は毎朝早くに登校してきているけれど、智美は必ずその海よりも先に来ている。サックスの腕は、言われなければ高校から始めたとは分からないレベルではある。一年でそれだけ上達したのは、驚きだ。
その熱心さは、認めても良い。
ただ、部長として見ると、二年生の中心にいるわけでもないし、何か目立つようなところがあるわけでもない。
技術力や統率力で見るなら、星子や勇一の方が部長に適任だし、部長と学生指導者の兼任が出来るのなら、コウキが二役ともやるのが最適だとすら思う。
何故、ニ、三年生は智美を部長にしたのだろう。
「学生指導者もさ……正直、正孝先輩よりコウキ先輩が正学生指導者になったほうが良いと思うし。三年生だから正役職、っていうのは……分かんないかなぁ。その割に上下関係は甘いし」
「そう、そうなの」
やはり、浩子は分かっている。
「ちぐはぐなんだよね」
今の花田高は、体制に囚われている気がしてならない。
最適な人間が最適な役職に就いて、部員を束ねる。それでこそ、強固な信頼関係が築けるのではないのか。
「不満を言ったって、どうかなるわけじゃないけどさ」
「まあ、ね」
「ちょっと、あんた達」
はっとして、振り向いた。
英語室の少し離れた席に座っていたトロンボーンの美喜が、こちらを睨んでいた。咲と万里もいる。
美喜は二年生の金管セクションリーダーだ。同期の莉子が同じ海原中出身らしく、かなり怖い先輩だ、と言っていた。海はまだ挨拶くらいしかしたことがなかった。
「こっちまで聞こえてきてんだけど?」
「すっ、すみません!」
小声で話していたのに、耳が良すぎはしないか、と海は思った。
「部のことで何か不満があるなら、こそこそ文句言ってないで先輩に聞け!」
「はっ、はい」
「……ちょっと弁当持ってこっち来な」
くい、と指を曲げて呼んでくる。
浩子と顔を見合わせた。
断ることは、出来ないだろう。頷いて、二人で席を移動する。
「お邪魔、します」
「どうぞ~」
美喜と一緒に弁当を食べていた咲と万里が、にこりと笑う。
「あんた達、この三ヶ月、何を見てたわけ?」
美喜は腕を組み、指でとんとんと肘の辺りを叩いている。不機嫌さが仕草から伝わってきて、海は自分の身体が固くなるのを感じた。
「えっと……」
「智美が何で部長なのか分かんないって言ってたよね。あんた達の顔についてるその目は、ちゃんと機能してるわけ?」
酷い言いようだ。
「あの子はね、ちゃんと周りを見てるんだよ。人によって態度を変えたりもしないし、言いたいことははっきり言う。初心者だからって経験者に遠慮しないで、対等に接する。それに、誰よりも練習してるの」
「うそ、美喜が智美ちゃんのことべた褒めしてる……!」
咲が目を見開きながら言った。
「……茶化すな」
美喜に睨まれて、咲が口を抑える。
「北川さん、花田南中で部長だったんでしょ」
「そうです」
「部長に必要な条件って、何だと思う」
「それは……皆を引っ張れることとか、信頼される人であるとか」
「そうでしょ。人より練習しない人間が部長で、周りがついていくと思う?」
「思わないです」
「人によって接する態度を変える子に、皆が納得してついていくと思う?」
「思わない、です」
「言いたいことも言えない子に部長が務まると思う?」
美喜の言いたいことは、何となく分かってきた。
「周りを見れない人間に、部長が務まると思う?」
「……いえ」
「智美は、普段はぼけっとしてて頼りなく見えるかもしれないけど、ちゃんと全部出来てるんだよ。そんな子、なかなかいないでしょ?」
「……はい」
「自分の価値観で相手を決めつけないこと。分かんないなら、もっと相手をよく知ろうとすること。不満垂れ流す前に、自分から接してみな」
「……はい」
「うちと花田南中との違いに戸惑ってるのかもしれないし、部活に対してあんた達なりの想いもあるんだろうけど……それが正しいとは限んないんだからね。いつまでも突っ張ったままだと、そのうち孤立するよ」
孤立。
その言葉を聞いて、胸がどきりとした。
「あんた達、何と戦ってんの? 部員は、全員一緒に吹く仲間なんだよ。仲間の陰口言ってて良い演奏が出来るのか、よく考えてみな」
海は、答えられなかった。
話は終わりだとでも言うように、美喜が弁当箱を持って立ち上がる。そのまま、こちらを見もせずに、英語室から出ていった。
嫌な思い出が、一瞬脳裏に浮かんだ。
中学三年生の夏。部員と衝突した、あの時。
浮かんだ映像を頭から追い払おうと、海は頭を振った。
「北川さん、竹本さん」
咲だ。
「美喜は、怒ったわけじゃないからね」
咲がじっと見つめてくる。
暑さのせいか少し汗ばんでいる咲の姿が、妙に綺麗だ、と海は思った。
「美喜もね、去年の初めのうちは凄く尖ってたんだよ」
「……え」
「同期の中でトップレベルの上手さだったし、ちょっと他の子を見下すようなところもあって。智美ちゃんとも最初は仲が悪くて、初心者が口を挟むな、とかって言ってたし」
「そう、なんですね」
美喜なら言いそうだ、と海は思った。
「そのせいで何となく避けられがちな子だったけど、でも色々あって、美喜も変わったんだ。今は他の子を見下すようなところもないし、前みたいに刺々しくなくなった。多分、美喜は二人のことが以前の自分と重なって見えたんだと思う。まあ、私からすると……二人よりも一年生の頃の美喜の方が、突っ張ってたように感じるけどね」
「分かる」
万里がくすくすと笑っている。
「二人とも、部訓の調和って覚えてる?」
「あ、はい、咲先輩」
「あれの意味を考えるように、入部の時に丘先生が言ってたじゃん」
慌てて、頷く。
確かにそうだった。ただ、部訓は音楽室の壁に掲げられてはいるけれど、日々の忙しさに流されて、その意味を考えることはすっかり忘れていた。
「二人は今の花田の体制に疑問があるかもしれない。だけど、部訓の意味が分かったら、うちがなんでこういう体制なのか納得がいくと思うよ」
「そう、なんですか?」
「うん。私達から答えみたいなものは教えられないけど、よく考えてみて。一年生同士で部訓の意味について話し合うのは大丈夫だから。それと出来れば、美喜の言ったことも考えてみて」
「分かりました」
にこりと笑いかけられる。思わず、海は眼を逸らしてしまった。
咲の笑顔は、同性の海でもどきりとする。
整った顔立ちなのは、イギリスと日本のハーフだからというのも理由なのだろう。何となく近寄りがたくて、咲ともまともに話したのは、これが初めてだった。
落ち着いた話し方で、印象通りの大人びた雰囲気の人だ。
「じゃ、私達も行くね」
「あ……はい。ありがとう、ございました」
「ん」
咲と万里が英語室を出ていく。
それを見送った後、海も浩子もしばらく固まったまま、うつむいていた。
夏の蒸し暑さが身体にまとわりついてきて、やけに不快に感じる。
英語室は窓を全て開け広げているのに、それでも風はあまり入ってこない。
「突っ張ったままだと、そのうち孤立するよ」
不意に、美喜の言葉が頭の中で再生された。同時に、またかつての記憶が思い出される。
花田南中で、海と浩子が三年生の時だった。
夏のコンクールに向けての練習が繰り返される中、海はどこか緩んだ空気が部に漂っていることを感じていた。真剣に県大会進出を目指しているとは思えない、本気度の低い空気。
海と浩子は、その状況に危機を覚えた。
何としても部を県大会へ導く。それこそが部長の責任だ、と海は信じていた。
だから、緩んだ空気を変えるため、部員の締め付けを厳しくすることに決めた。
部活動を休むなど決して許さず、練習中でも手を抜いたりさぼるようなことが無いように見回りを強化し、いれば叱責を浴びせて練習させた。
全ては、部が県大会へ行くためだった。
けれど、海のそうした想いに反して、締め付けを厳しくしてから部員の心は離れていった。それまでは、皆海と浩子に付き従ってくれていたのに、だ。
そして、地区大会の三日前に、部員達と衝突した。溜まりきった不満を、部員達から浴びせられた。
当然、海と浩子は反論した。次第に言い合いのような形になり、それで、部はばらばらになった。
海と浩子の言葉は部員には届かなくなり、中学生最後のコンクールは、あっけなく地区大会で終わった。
部のためを想っての行動だったけれど、それが部員に理解されることはなかった。
コンクールが終わって、文化祭を最後に海達の代は引退した。
地区大会の後から文化祭まで、海と浩子は文字通り孤立していた。
最後まで、誰も海と浩子の気持ちを分かってはくれなかった。
「……私達、間違ってるの?」
思わず呟いていた。
浩子は、黙っている。
答えは、期待していない。
机に広げられた弁当に目をやる。まだ半分以上も残っている。
けれど、食欲はもう、無くなっていた。




