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青春ユニゾン  作者: せんこう
高校二年生・コンクール編
226/444

十一ノ三 「特別」

 洋子は自宅の玄関ポーチに座って、空を見上げていた。日は落ちて暗くなり、半分に欠けた月が浮かんでいる。町の明るさのせいか、星はよく見えない。

 夜でも気温は下がらず、生ぬるい空気が身体にまとわりついてくるけれど、火照った身体にはそれでも充分だった。


 昨日の地区大会の興奮が、まだ冷めていなかった。

 音楽室で繰り返してきた練習と、何かが違った。

 自分達の演奏に、震えたのだ。


 演奏後に舞台からはける時、洋子の手は痺れていた。

 あの感覚が、今も残っている。

 実力以上の演奏だった、と思う。

 それは洋子以外の部員も感じていたのだろう。会場から帰るバスの中で、誰もが顔を火照らせ、上ずった声で喜びを叫んでいた。


 東中は、県大会へ進んだ。

 ずっと地区大会どまりの学校だったのに、ついに壁を越えたのである。

 全国大会へ行く。その目標に、一歩近づいた。

 

 自転車の走る音が聞こえてきた。

 月から視線を外して、立ち上がる。

 すぐに、一台の自転車が家の前で止まった。


「洋子ちゃん」

「コウキ君っ」

「お待たせ」

「ううん、来てくれてありがとう、コウキ君」

「洋子ちゃんに呼ばれたら、来るさ」


 コウキには、県大会に進めたことは昨日のうちにメールで伝えていた。けれど、直接会って話したかった。

 コウキもコンクールを控えて忙しい時期だから、迷惑になると分かっていても、会いたいという気持ちを抑えられなかった。


「お家の中には上がれないんだけど、ごめんね」

「良いよ。この時間じゃ迷惑になっちゃうし。洋子ちゃんは、外に出てて大丈夫なの?」

「うん。敷地から出なければ良いって言ってくれた。ね、ポーチに座ろ?」

「ああ」


 二人で、玄関ポーチの段差に腰かける。

 

「メールでも言ったけど……県大会進出、おめでとう」

「えへへ、ありがと」

「二位だったって?」

「うん。一位にはなれなかったけど、でも県大会には出られる」

「やったな」

「他の子もね、皆本気で東海大会に行こうとしてるよ。今日の合奏も気合が入ってて、凄く良かったもん。まだ時間はあるから、もっと良くするんだ」

「そっか」


 コウキが、にこりと微笑んだ。


「花田高は、もうすぐ合宿なんだよね」

「ああ。二十九日から、三日間ね」

「良いなあ。私も合宿ってしてみたい」

「ずっと仲間と一緒にいられるから、楽しいよ。練習はキツイけどね」

「三日間練習漬け?」

「夜にレクリエーションがあったりはするけど、基本はね」

「凄いなあ」

「今年は安川高校との合同練習もあるから、例年より内容が濃いんだ」

「でも、コンクール間近に他校と合わせる時間って、もったいなくないの? 自分達だけで練習したほうが良いような気がするけど」

「合宿の目的は、部員の団結力の強化と、学校での練習とは違う気づきを得ることだから、安川との練習も何かを掴むきっかけになるかもしれないんだよ」

「へえ~」


 去年、東中も花田高と合同練習をした。部員も顧問の山田も、そこで様々な学びを得た。

 確かに、合同練習は自分達だけでの練習では得られない刺激がある。


「花田は……今のままじゃ全国に行けないかもしれないんだ」

「え」

「自由曲の一番大切なソロが、上手くいってない。このままだと、東海大会も危ない。だから、ソロ奏者の人達にも何かを掴んでほしい。安川との練習も、そのきっかけになるかも」

「自由曲って、『たなばた』だよね。大切なソロって、アルトサックスとユーフォニアムのソロのこと?」

「そう。サックスは問題ないんだけど……ユーフォニアムがな。今は俺の同期の男の子が吹いてる。毎日一緒に練習しててさ、どんどん良くなってはいる。でも、花田が全国に行くためには、三年の先輩のソロが必要だ。あの曲に合うのは、先輩の音なんだよ」


 花田高のユーフォニアムパートは三人いたはずだ。全員、合同バンドに参加している。三年生というと、あの人か、と洋子は思った。


「その先輩の名前、何だっけ」

「池内よしみ先輩」

「池内先輩、は何でソロを吹かないの?」

「吹かないんじゃなくて、吹けないんだ。中学の時に、大きな失敗をしたみたいで」

「そう、なんだ」

「コンクールのソロがトラウマみたいになってるんだろうな。普段の演奏会ではソロを吹ける人だから。まあ……色々動いてみるよ。何とか克服してもらえるように」

「解決、すると良いね」

「うん」


 東中よりはるかに優れた演奏を奏でる花田高でも、何かしらの問題を抱えている。

 きっと、どこの学校もそうなのだろう。

 迷ったり苦しんだりしながら、それでももがいて全国大会を目指す。もがき続けて、立ち止まらなかった学校が、全国という最高の舞台に立てるのかもしれない。


 コウキが頑張ろうとしているのだ。洋子も、県大会までに出来ることを考えてみよう、と思った。

 自分の演奏は勿論、部員の心のケアにも気を配ったほうが良いだろう。華も顧問の山田も、演奏面の対処で忙しい。二人が見れない部分は、洋子が支えるのだ。

 

「今日は急に呼ばれてびっくりしたけど、直接おめでとうを言えて良かった」


 コウキが言った。


「洋子ちゃんの顔も見れたし」

「夜遅いのにわがまま言って呼びつけて、ごめんなさい。コウキ君に迷惑かけないって決めてたんだけど……どうしても直接祝って欲しくなっちゃったんだ」

「良いって」


 コウキが頭を撫でてくる。

 コウキに撫でてもらうのは、久しぶりだった。くすぐったいような痺れるような、甘い感覚が頭から全身に広がる。


「会えて良かったよ」

「ほんと?」

「ああ。ありがとな、呼んでくれて」

「……良かったぁ。いきなりだったから嫌がられちゃうかも、ってちょっと不安だったんだ」

「嫌なわけないだろ。洋子ちゃんの顔を見たら、疲れが吹き飛んだよ」

「わ、私も。コウキ君と会えて元気出た」

「なら良かった」


 顔を見合わせて、笑いあう。


 この時間が、ずっと続けば良いのに、と洋子は思った。

 コウキと会える時間は限られている。なのに、やっと会えても、その時間は一瞬で過ぎてしまう。

 ずっと一緒にいられたら、どんなに幸せだろう。


 今まで、会えていない間のコウキがどうしているのか、なるべく考えないようにしていた。考えると、どうしても不安な気持ちが沸き上がってしまうからだ。


 花田高には魅力的な人が大勢いる。その中にはコウキを好いている人が何人もいるだろう。少なくともトランペットの山口月音は確実にコウキを好いている。

 月音は合同バンドの時でも、周りの目を気にせずコウキに近づいているのだ。そして、コウキがそれを嫌がっているようにも見えなかった。

 ほとんど会えない洋子と、いつもそばにいる月音。どちらに心を動かされるかは、考えればすぐに分かる。


 今日はコウキに会いたかった。それは、本心である。

 同時に、少しでもコウキの中に自分という存在を残しておきたい、という思惑もあった。

 忘れられないように、まだ、大切に想っていてもらえるように、と。

 そうすれば、コウキは洋子を待っていてくれるだろうと、淡い期待をして。


 ずるい女だ。

 コウキは、そんなずるい人間はきっと嫌いだろう。だから、こんな気持ちはコウキには言えない。

 高校生になるまでコウキの返事を聞くのは待つ、と約束した。その約束も、破りたくない。

 

 今すぐ好きだと言いたい。何度だって、伝えたい。

 けれど今、その言葉を口にしても、コウキを縛る鎖にしかならないだろう。

 だから心の奥底に押し留める。コウキに受け取ってもらえるようになるまで。


 隣で空を見上げているコウキの横顔を、ちらりと見た。

 まつげが、女の子のように長い、と洋子は思った。

 さらさらとした髪は、手入れをしているわけではなさそうなのにとても艶やかで、玄関灯に照らされて輝いている。


「ん、何?」

「ううん、何でもない」


 コウキから視線を外して、月に目をやった。


 元から、洋子は他の女の子よりも不利なのは分かっていた。

 コウキとは二歳も離れているから、中学校も高校も一年しか一緒にいられないのだ。

 残りの二年間は離れ離れで、その間、コウキのそばには何人も女の子が近づいてくる。

 コウキがその中の誰かに惹かれてしまっても、洋子には止めようがない。


 結局、考えるだけ無駄なのだ。ただ自分の心が不安や嫉妬で乱されるだけで、何の意味もない。

 たとえコウキが誰を好きになってしまったとしても、関係ない。

 洋子に振り向いてもらえるように、努力するだけだ。


「コウキ君」

「何?」

「また、呼んだら会ってくれないかな。夜に、ちょっとだけでも良いから」


 くすりと、コウキが笑った。


「何でそんな遠慮がちに言うんだよ」

「だって、迷惑かなって」

「まあ……他の子に呼ばれたら、行かないかもな。でも、洋子ちゃんは特別。いつでも呼んでくれれば、行くよ」

「ほんと?」

「ああ」

「……えへへ」 


 特別だと、言ってもらえる。その特別が、どういう意味なのかは分からない。

 それでも、今は良かった。

 コウキにとって、他の女の子とは違う存在でいられている。

 それだけで、嬉しい。

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