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青春ユニゾン  作者: せんこう
高校二年生・コンクール編
224/444

十一ノ一 「トランペットパートの朝」

 翌日から、すぐに泉に出された課題に取り掛かった。

 コウキの個人練習の配分は、大体基礎練習が七割に曲練習が三割だ。レッスンを受ける前の基礎練習は簡単なリップスラーと音階が中心だったが、泉の楽譜を貰ってからはリップスラーの比率が増えている。

 

 金管楽器は唇の振動によって音が出る楽器で、リップスラーとは名前の通り、指を使わずに唇や息で音程を変化させる奏法だ。このリップスラーが滑らかに吹けると、それだけ金管楽器の技量は向上していく。


 実際、泉のレッスンが始まってから二週間が経っているが、その効果を感じ始めていた。

 わずかずつでも、奏法に安定感が増してきているのだ。

 複雑なパターンのリップスラーを吹けるようになってきたことで、唇などの身体のコントロールが良くなっているのだろう。


 一通り課題のリップスラーをやってから、もう一枚の楽譜を取り出した。

 必殺のテーマである。

 高校野球の応援でよく演奏される曲で、最初にトランペットのソロがある。

 コウキは、前の時間軸でも野球応援に行ったことは無かったから、実際に吹くのは初めてだった。


 メトロノームを鳴らし、まず吹いてみる。

 音の高さはそれほどでもないが、フレーズの奏で方はやや難しさを感じるソロだ。

 伴奏もなくトランペット一本で吹くところだから、さらりと吹いてしまうよりは、自分の感覚でたっぷりと抑揚をつけて吹いても良さそうではある。


 泉は、球場で吹いているつもりで練習しろ、と言っていた。

 味方を鼓舞するような演奏が、応援では求められるだろう。ならば、球場に轟くような迫力のある音が良いか。


 ぶつぶつと呟きながら、楽譜を眺める。

 曲を練習する前は、必ずこうするようにしていた。まず一度吹いて、曲の雰囲気を知る。それからどういう風に奏でるか想像を膨らませ、イメージが形作られたところで、吹きながら調整していく。

 そうすることで、より自分の吹きたい音楽が明確になっていく。


「……ようございます、コウキ先輩」


 とん、と肩を叩かれて、反射的に身体が跳ねた。

 横に、莉子とみかが立っていた。


「びっくりした。二人とも、いたのか」

「挨拶しましたけど、集中してたみたいで聞こえなかったんですね」


 みかが笑って言った。


「ごめん、おはよう」

「おはようございます。相変わらず、朝早いですね」

「ん、まあ癖だな。それに、早く来ると人が少なくて集中できるし」

「私達も今日は早く来たつもりだったんですけど……先輩、何時から来てたんですか?」

「六時くらいか?」

「えっ、一時間も前じゃないですか」

「学校あった時は、いつもそれくらいだったからな」

「凄いなあ」


 みかが、感心したように息を吐いた。


「……コウキ先輩、今吹いてたの、必殺のテーマですか?」


 莉子が言った。


「ん、そうだよ」

「野球部の応援、今年あるんですか?」

「いや、これはレッスンの先生から、課題として出されたから練習してたんだ」

「必殺が、課題?」

「そう。ソロを吹くのに必要なことを知るために、って」

「へえ」


 莉子が、楽譜を覗き込んでくる。


「野球応援、したいのか、莉子ちゃん?」

「え、あ……まあ、やってみたいなあとは思ってました」

「なら野球部に勝ってもらわないとな」

「そうですね。でも、うちってあんまり強くないですよね」

「まあ、そうだなあ。ここ数年間は、二回戦にすら進めてないみたいだな」


 がっくりと、莉子が肩を落とす。

 その背中をつつきながら、みかがくすりと笑った。


「莉子は野球部に好きな人がいるんですよ」

 

 途端に、莉子の顔が赤く茹で上がる。


「なっ、ち、違う! 適当言わないでよ、みか!」

「あれ~、おかしいなあ? 違ったっけ?」

「違うよ!」

「え~」


 莉子とみかがじゃれ合うのを、コウキは微笑みながら眺めた。


「……仲良いな、二人は」

「良くないです! 知りません、こんな子」

 

 莉子が鼻を鳴らして、背中を向ける。


「照れてるんです、莉子は」

「うるさい!」

「はいはい。コウキ先輩の邪魔になるから、そろそろ向こう行きましょうねえ、莉子ちゃん」

「っもう! こどもみたいに扱わないでよ!」

「じゃあ先輩、練習頑張ってください」

「二人もな」


 鼻息荒い莉子の背中を、みかが押しながら部屋を出ていった。

 あの二人はよほど気が合うのか、かなり仲が良い。昼食も、いつも一緒に食べていたはずだ。

 指導相手の多いコウキに気を遣っているのかもしれないが、みかは最近コウキに練習を見てもらわずに、莉子と一緒に練習している姿も見かける。

 同期で教え合うことで学べるものもあるし、莉子の技術力なら充分みかの指導を出来ると判断して、コウキは二人のことを見守っていた。


 楽譜に視線を戻し、練習を再開する。

 三十分ほど、必殺のテーマを練習した。吹き方や抑揚のつけ方を変えつつ、イメージに近づくよう、調整していく。

 だが、いきなり思うように吹けるわけではない。

 それについては、徐々に理想の演奏に仕上げていけば良いだろう。


 少し休憩をしようと総合学習室へ向かうと、逸乃が机の上に腰かけながら携帯を眺めていた。


「逸乃先輩、おはようございます」

「お、コウキ君。おはよ」

「朝に弱い逸乃先輩が、珍しく今日は早いですね」

「一言余計だぞ」


 睨まれて、コウキは肩をすくめた。


「てかコウキ君、何で必殺のテーマ吹いてるの?」

「あぁ、レッスンで課題として出されたんです」

「へえ? 変わった課題だね」

「ソロを吹けるようになるための課題みたいです」

「ソロを?」

「はい。俺も、ソロがばんばん吹ける奏者になりたいなって」

「今でも、吹けてるじゃん」

「全然ですよ。逸乃先輩と月音さんに比べたら。俺も二人みたいに吹けるようになりたいんです。それに、今、二人に敵わないってことは、来年のトランペットパートはソロの質が落ちるってことでもありますから」

「なるほどねえ」


 手に持っていた折りたたみ式の携帯を閉じて、逸乃が微笑んだ。


「先を見て動いてる後輩がいると、嬉しいよ。来年も我らがトランペットパートは安泰だね」

「だと良いですが」

「それで、どう、レッスンの先生は? 良い感じの人?」

「ん、そうですね、俺には合ってるなと思います」

「泉先生だよね」

「です」

「ふーむ、コウキ君がソロを狙ってるなら、私も頑張らなきゃ。『たなばた』のソロも、月音に取られたし」

「先輩と月音さん、どっちも良いソロでしたけどね」

「うん。私もそう思う。だから次は私が吹くよ」

「自信満々ですね」

「そりゃあ、ね。私は花田のトップだよ?」

「そうでした」


 顔を見合わせて、笑いあう。


 去年の夏頃までの逸乃は、自分の腕に悩みを抱えていて、壁を突き抜けられずにくすぶっていた。その影響でスランプにも陥り、一時は思い通りに吹けなくなったりもした。

 それを克服できたのは、楽しく吹くという原点を思い出したからだ。

 逸乃は、スランプを脱してから急激に成長していった。

  

 その過程で、トップ奏者としての自信も確立されたのだろう。

 月音という並び立つ存在が現れても、逸乃は揺るがなかった。  

 今の逸乃は、以前の時間軸の逸乃とはまるで違う。正真正銘の花田のトップだ。


「そういえば、橋本さんも逸乃先輩と同じ先生に習いだしたんですよね?」

「うん。万里ちゃんがプロのレッスン受けたいって言うから、私が紹介した」

「初心者から始めて、一年でもうプロのレッスンも受けるようになって……橋本さん、凄いなあ」

「ほんとね。まあ、それだけオーディションで落ちたのが悔しかったんじゃないかな」

 

 逸乃が窓際に移動して、生徒棟の方を眺めた。

 今日は夏休みの課外があるのか、二、三年生の進学クラスの教室は窓が開いている。


「橋本さんは、十分メンバーになれる実力でしたけどね。たまたま今年の選曲の関係で、トランペットの枠が減ったから外れちゃっただけで」

「まあね。でもオーディションの結果は関係なく、プロの指導を受けるのは良いことだよ。間違いなく力が伸びるし。それにほら、花田って金管セクションのプロレッスンってないじゃん。木管は蜂谷先生のがあるのに」

「はい」

「だから花田って意外とプロと接する機会って少なくて、もったいないよ。プロと会うと、受ける刺激の量が違うし。他の子にも、出来ればレッスン受けて欲しいよね」

「そうですねえ。丘先生は金管セクションにもプロを呼びたいみたいですけど、中々良いあてがないみたいですね」

「全体指導が出来る人は、そういないもんね」

「そうそう……お、噂をすれば」


 廊下の方に目をやると、万里が階段から姿を現した。隣には、心菜もいる。

 こちらに気がついた二人が、手を振りながら近づいてくる。


「どうしたんですか!? 逸乃先輩がもういるなんて!」


 逸乃が眉をぴくぴくと動かしながら、引きつった笑みを浮かべる。


「どういう意味かな、心菜ちゃん?」

「だって、逸乃先輩はいつもギリギリに来るイメージだから!」

「私だってたまには早く来ますぅ。悪いんですかぁ?」

「雪が降っちゃうかも!?」

「~っ、このぉ!」


 逸乃が心菜に抱きついて、暴れ出した。横腹をくすぐられた心菜が笑い声を上げ、それを見て万里が笑っている。

 

「橋本さんは、この時間に来るの珍しいね」

「あ、うん。ちょっと寝坊しちゃった。コウキ君は、やっぱり早いね」


 部員の中で、朝練に積極的でいつも早く来るのは、万里、智美、ひまり、星子、ひなた、海くらいだ。他の部員は早い時もあれば遅い時もあったりとまちまちである。

 コウキが知る限り、万里がこの時間に来るのは久しぶりだった。


「なんか表情が疲れてない、橋本さん?」

「寝不足、かな。昨日、レッスンで貰った曲の指練習とかしてたら、寝るの遅くなっちゃって」

「熱心だね」

「もっと上手くなりたいから」


 そう言って微笑んだ万里の笑顔は力強く、鬱屈とした暗さを感じさせないものだった。

 メンバー外となった時に落ち込んでいた様子は、もう万里のどこにも見当たらない。


「さて、じゃ、せっかく早く来たから練習するかな」


 心菜を解放して、逸乃が言った。身体をまさぐられて笑い苦しんでいた心菜は、息を荒くして地面にへたり込んでいる。


「心菜ちゃん……立てる?」

「は、はい……」

「行こ」


 万里が手を貸し、心菜が立ち上がる。そのまま二人は部室へ移動していった。

 今の二人を見ていると、オーディションの時にぶつかりあいがあったとは思えない。結果に関しては、互いに思うところはあったはずだが、それも乗り越えたということだろう、とコウキは思った。


「まったく……何してんすか、逸乃先輩」

「生意気な後輩をちょっとこらしめたのさ」

「月音さんかっての」

「月音ほどじゃないよ。月音のはもっと」

「私が何ー?」

「ひっ」

「おわっ!?」


 月音の不意打ちの声に驚いて、コウキは大きく飛び退った。

 いつの間にか、後ろに立たれていた。逸乃と二人して、全く気が付かなかった。


「月音さん!?」

「あっ!?」


 次の瞬間には、逸乃の身体に、月音が絡みついていた。


「私はもっと、何だって、逸乃?」


 月音の手が、逸乃の身体をまさぐっていく。


「んっ……やぁ……!?」


 逸乃の顔がみるみる赤くなっていき、吐息が熱を帯びだす。

 大事な部分には触れていないのに、何故こうもなまめかしい雰囲気になるのだろう。

 逸乃の弱いところを、的確に月音の手が撫でていく。その度に逸乃の口からは声が漏れ、熱っぽさが増していった。


「月音さん……周りに人いるんですよ?」

「んー、でも逸乃がやってほしそうだったからさ。ね、逸乃?」

「っ!?」


 耳元で月音にささやかれ、逸乃の身体がびくりと震える。

 これは、まずいだろう、とコウキは思った。


 総合学習室にいた他の部員達も、ある者は興味深々といった様子で、ある者は困惑した表情で、逸乃と月音を見ている。

 ため息をついて、コウキは無理やり月音を逸乃から引きはがした。


「もう終わり!」

「あっ、まだ途中だったのに」

「何が途中ですか。月音さんのは冗談になってないですよ」


 先ほどの地面にへたりこんでいた心菜の様子が、まだ可愛く思えてくる。

 逸乃は、完全にやられていた。


「じゃあ……次はコウキ君?」


 瞳を輝かせながら小首をかしげる月音の頭に、コウキは軽く手刀を落とした。

 カエルの鳴き声のような潰れた声が、月音の喉から飛び出る。


「何すんのー」

「何が、じゃあ、ないんだよ。アホなこと言ってないで練習しますよ」

「アホって言うなぁ」


 月音が頭をさすりながら、唇を尖らせる。


 騒がしい朝だが、トランペットパートは大体いつもこんな調子だった。

 全員仲が良いからこそなのかもしれないが、ツッコミ役がコウキしかいないのでは、忙しすぎて疲れるではないか、とコウキは肩を落とした。

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