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青春ユニゾン  作者: せんこう
番外・美奈編
219/444

五 「夏祭り」

 水の弾ける音と、こどものはしゃぐ声。近くの樹に止まっているのであろう蝉の、盛大な鳴き声。

 小学校のプール開放日で、美奈は、誘われて泳ぎに来ていた。

 低学年の子も高学年の子も、皆楽しそうに泳いでいる。


 毎年夏休みになると、小学校では決まった日にプールが開放され、生徒は自由に泳げるのだ。この近くには小学生の足で行ける市民プールは無いから、必然的に多くの生徒が集まる。

 

 この歳になってスクール水着を着るのには、はじめは抵抗があったが、今は十一歳の身体なのだから、別におかしなことではないのだ、とすぐに思い直した。

 どうせ、周りも皆スクール水着だ。違和感はないはずである。

 

 プールサイドに腰かけてぼんやりとしていると、水の中から勢いよく誰かが飛び出してきた。


「美奈!」


 笑顔の女の子が、こちらを見ている。


「泳がないの?」


 智美だった。


「せっかく来たのに」


 水の中から上がり、智美が隣へ座る。

 美奈をここへ誘ってくれたのは、智美だった。


 智美は、母と祖母の死後、連絡を絶ってしまった最後の友人だった。あの時間軸で智美がどうしているのか、美奈は知らない。

 薬を飲んだことで、智美も美奈の存在を忘れ去ったのだろう。

 失ったはずの友人が、今、目の前にいる。無邪気な頃の姿で。


 智美は、ずっと美奈を気にかけて、こちらが連絡を返さなくても、メールや手紙を送り続けてくれていた。

 母と祖母の死をきっかけに、それを明確に拒絶したのは、美奈だった。

 あの時は、智美の優しさすらも不快だった。


「……もうちょっとしたら、また泳ごうかな」

「うん! 一緒に泳ごうよ」


 にこりと笑いかけられて、美奈も笑い返した。


「何、その顔。変顔?」

「えっ、笑ったんだけど……」

「えー!? 笑顔になってないよ!?」


 腹を抱えて、智美が笑いだした。

 自分では笑顔を作ったつもりだったが、そんなにおかしかっただろうか。


「もっとにっこり笑わなきゃ!」

 

 涙目になりながら、智美が歯を見せてくる。

 よく考えれば、笑顔というものを、随分長い間作ったことがなかった気がする。

 笑い方を忘れてしまっているのか、と美奈は思った。


「難しい顔して、どうしたの、美奈? 何か元気ない?」

「……そんなことないよ。それより、今日は誘ってくれてありがとね、智ちゃん」

「ううん。夏休み入ってから、三日間連絡取れなかったから、心配してたんだ」

「宿題やってた。もう全部終わらせたよ」

「えっ!? はっや! 私、まだ一個もやってない」

「後に回すと、面倒だからね」


 新しい人生を歩むのだ。時間の使い方は、大切にしたかった。 


「はあ~、さすが美奈だなあ……頭良いと、違うね~」

「智ちゃんだって、悪くないじゃん」

「でも私、勉強嫌いだし」

「……私も、嫌いだよ、勉強」


 智美が驚いた顔を見せた。


「嘘でしょ、美奈、勉強好きって言ってたじゃん」 

「ふふ、それ、嘘。本当は勉強なんて嫌い」

「ええ~……」

「……勉強なんて、要らないんだよ」


 その言葉を口にした瞬間、ふと、心が軽くなった気がした。

 そうだ。

 勉強なんて、必要ない。


 誰よりも頑張ってきた。頑張って、頑張って、得たものは何も無かった。

 むしろ、母と祖母を失った。

 勉強が出来ても、それだけで人生が幸せになったりはしなかった。


「うん。私……もう勉強しない。しなくても良いんだ」

「え、え、でも、お母さんのために頑張るって言ってたじゃん」

「ううん。お母さんのために、勉強しないの」


 母は、勉強をさせようとしてくるだろう。だが、それが最悪の未来に繋がると、美奈は知ってしまった。

 あの未来は、自分の意思を捨てて生きることを選んだ、美奈が引き起こしたのだ。

 二度も、繰り返しはしない。


 訳が分からないといった様子で、智美が首を傾げる。


「ごめんね、こっちの話」

「……美奈、大丈夫? 終業式の日、頭打ったとこが悪かった?」

「何それ。どこもおかしくないよ」

「だって……美奈が勉強しないって言うなんて」


 昔からの美奈を知っている智美からすると、異常事態に感じるのかもしれない。


「誰よりも勉強したから、勉強なんて意味が無いって気がついたんだ。勉強するだけじゃ、お母さんのためにはならないの」

「じゃあ、これからどうするの?」

「……夏休み、智ちゃんは親戚の家とかに行く?」

「え、う、ううん。行かない……」

「なら、いっぱい遊ぼう。せっかくの夏休みだもん」


 呆然とする智美に笑いかける。上手く笑えたかは、分からない。


「沢山遊んで、今を楽しむ。まずは、それからかな」

「美奈」

「智ちゃん、泳ご。せっかくの時間は、楽しまなきゃだもんね」


 言って、美奈はプールに降りた。水しぶきが跳ね、顔にかかる。

 そのまま、美奈は水中へと潜った。

 こども達の足の間を、泳いで抜けていく。久しぶりでも、上手く泳げた。


 せっかく手に入れた新しい人生だ。

 また、母と祖母を失いたくない。

 また、自分を殺したくない。

 また、友人を失いたくない。

 

 やりたいことをやろう。

 生きたいように生きよう。


 それで、母と祖母を救うのだ。

 そして、美奈は美奈の人生を生きる。

 積み重ねてきた後悔を、やり直す。


 今度こそ、幸せを手に入れるのだ。


 美奈の中で、確かな目標が生まれた瞬間だった。

 

 


















 夏休みの間は、母と出かけたり、智美や友人達と遊んだりで忙しく過ごした。

 毎日が、楽しかった。

 失ったものを取り戻すかのように、美奈は夏休みを謳歌した。


 家では母に目いっぱい甘え、楽をさせるために家事も手伝った。

 最近では、美奈が料理をしている。母の負担が少しでも軽くなればと思ったのだ。


 美奈は、大人になってから睡眠不足で悩んでいた。仕事で遅くに帰宅し、日付が変わってから寝て、早朝には起きる生活だった。

 その辛さを知っているから、母にも休んでほしかった。

 効果はあったのか、母は眠る時間が増えたようで、いつも疲れた表情をしていたのが嘘のように元気な顔になっていた。


 美奈自身も、この身体になってから、睡眠不足が解消されている。

 不思議なもので、こどもの身体は、夜遅くまで起きていようとしても、どうしても眠くなってしまう。気がつくと、もう朝なのだ。

 よく眠るようになったおかげなのか、それともこの身体だからなのかは分からないが、あれほど悩んでいた日中の眠気も、消え去った。


 家の呼び鈴が鳴った。


「美奈ー!」

 

 智美だ。


「今行く!」


 鞄をつかみ、外へ出る。玄関で靴を履き、扉を開けた。


「お待たせ、おはよう」

「おはよう、美奈!」

「美奈ちゃん、おはよう!」

 

 智美の隣には、里保がいた。


「里保ちゃん、おはよう」


 今日は、三人で遊ぶ約束をしていた。

 夏休みも三週間が過ぎ、八月の中旬になっている。近所の神社で夏祭りが開かれるから、そこへ行くのだ。


「もう始まってると思うよ、行こう!」

 

 智美が、手を握ってくる。

 頷いて、三人で走り出した。


「妹達は先に神社に行ってるんだけどさ、帰りは面倒見て帰ってこいって言われてるんだぁ」

「華ちゃんと、茜ちゃん?」

「そー。良い?」

「勿論」


 この身体になって、すぐに夏休みに入った。三日間宿題に集中して、四日目に、智美と一緒に学校のプールへ行った。

 その帰りに、突然、頭の中に小学生時代の記憶が押し寄せてきた。忘れていたような記憶まで、全てだ。

 おかげで、華と茜のことも、顔や声まで思い出せる。


 そんな現象が起きたのは、薬の効果なのか、それともこの身体の元の持ち主であった、十一歳の美奈の記憶が復活したからなのか、正確なことは分からない。

 喜びや楽しいといった、失ったはずの正の感情まで取り戻していた。それは、十一歳の美奈の持っていた感情だったのかもしれない。


 自分は、確かに二十八歳の美奈であるはずなのに、同時に十一歳の美奈でもあるかのような感覚に陥った。

 心が錆びてしまった自分と、清い頃の自分とが混在する、あやふやな感覚。

 その負荷が大きかったのか、プールから帰った後、二日寝込んでしまった。


 母の看病を受けて、三日目にはまた動けるようになった。

 元気になったら、智美に笑顔を笑われることも無くなっていた。






「着いた!」


 神社の境内は、賑やかで楽しげな雰囲気が満ちている。

 

「わぁ……懐かしい……」


 綿あめ、いか焼き、りんご飴、焼きとうもろこし。立ち並ぶ屋台の名前を、読み上げていく。

 祭りに来たのは、いつぶりだろう。いや、この身体の記憶では去年も来ているのか。

 二十八歳の美奈にとっては十何年ぶりなのに、頭では去年も来たと感じている。不思議な感覚だ。


「私、チョコバナナ食べたいなあ」

「私はたこ焼き! 里保は?」

「私もたこ焼きかな~」

「なら、混んでるし分かれて買おうよ」

「分かった。買ったらここで待ち合わせよ、美奈」

「良いよ」


 手を振って、智美と里保は奥へと走っていった。


「チョコバナナは……」


 辺りを見渡して、屋台を見つける。

 近づくと、店員が威勢の良い声を上げた。


「お嬢ちゃん、どう、チョコバナナ? 一本二百五十円!」


 店員に微笑みで答え、並んでいる商品を眺める。

 茶色や桃色のチョコでコーティングされたバナナに、色とりどりのチョコスプレーがかけられている。


 小さい頃から、美奈は祭りに来ると、必ずチョコバナナを食べていた。父親がまだ生きていた頃、よく買ってくれていたからだ。

 亡くなってからも、これを食べると父親との思い出が蘇って、懐かしい気持ちになっていた。


 しばらく迷った後、一本選び、手に取ろうとしたその時だった。


「あっ、ごめんなさい」


 横から誰かの手が伸びてきて、ぶつかった。

 相手の顔を見て、美奈は言葉を失った。

 どくん、と心臓が音を立てる。


 瞬間的に、かつての記憶が頭の中を駆け巡る。

 三木コウキ。

 美奈の、初恋の相手だった。

 

「あ……」


 美奈に気がついたコウキが、さっと目を逸らす。

 数秒の、沈黙。

 コウキは何も言わず、そのまま後ろを向いて歩き去ろうとした。


「待って!」


 思わず、呼び止めていた。しかし、コウキは止まろうとしない。


「お嬢ちゃん、買わないの?」

「あっ、か、買います」


 美奈は慌てて店員に金を渡し、チョコバナナをつかんだ。


「まいど!」


 すぐに、コウキの後を追う。


「コウキ君、待って!」

 

 追いついて、その手をつかむ。

 コウキは驚いたのか、急な動作で振り向き、美奈の手を振りほどいた。


「なっ何!?」


 顔を赤くして、睨みつけてくる。


「え、いや」

「何か、用?」

「そういうわけじゃ」


 何か話さなくては、と美奈は思った。


「えと、チョコバナナ、譲ってくれてありがとう」

「……別に」

「これ、食べたかったんだよね」

「……良いよ、もう」

「でも、何か悪いし。あ……半分、食べる?」

「い、要らねぇ!」

「でも……」」

「もう、俺、行くから!」

「あっ、コウキ君!」


 手をつかむ暇もなく、コウキは駆けだした。その姿は、すぐに人垣に阻まれて見えなくなった。


 呆然と、コウキが去った方向を眺める。

 なぜ、あんなにそっけない態度だったのだろう。

 一度も、目を合わせてはくれなかった。記憶の中のコウキは、もっと。


「おーい、美奈ー」


 はっとした。

 呼ばれて振り返ると、智美と里保がこちらに近づいてきていた。


「チョコバナナ買えた?」

「……うん」

「? どしたの?」


 智美と里保が、顔を覗き込んでくる。

 

「何でもない」

「ほんとに?」

「うん……それより、どこかに座って食べよう」

「そだね!」


 二人が歩き出し、後に続く。

 一度だけ立ち止まり、美奈は後ろを振り返った。

 コウキの姿は、どこにも見当たらなかった。

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