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青春ユニゾン  作者: せんこう
番外・美奈編
218/444

四 「夏の保健室」

 音がする。

 何の音かは、分からない。

 視界は暗闇だ。


 次第に、音がはっきりとしてくる。

 蝉の鳴き声だった。

 次いで、誰かの声。

 ざわめき。

 そして、身体を触られる感覚。

 

「……しっかりしろ、大村! おい!」


 はっとして、目を見開いた。いくつもの足が、視界に映っている。

 冷たい床の感触。

 目を動かし、美奈を覗き込んでいる顔を認識した。

 小学生の時の担任だ。確か、六年四組だった。


「起きたか!」


 身体を起こそうとして、止められた。


「倒れたんだ、大村。無理に起きるな」

「いえ」


 感覚に、異常はない。

 身体を起こし、素早く周囲に目を向ける。

 体育館らしい。周りを同級生達が囲んでいる。懐かしい顔ぶれだ。

 皆、こどもだ、と美奈は思った。


 何かの集会の最中だったのか。体育館中が騒然となっているらしい。

 美奈は自分の身体に目をやって、小さくなっていることに気がついた。着ている服にも、見覚えがある。小学生の頃に気に入って着ていたシャツだ。


 あまりにもはっきりとしすぎている。夢ではないのだろう。


「保健室に行こう、大村」

「え、いや」

「良いから。抱えるぞ」


 そう言って担任は美奈を抱きかかえると、生徒の間を抜けて体育館を出た。

 外は晴れていた。大きな雲が、空に浮かんでいる。


「驚いたぞ、急に倒れて」

「ごめんなさい」

「謝らなくて良い。目が覚めて良かった」


 自室で全身を襲った苦痛は、今は何もない。頭痛や、めまいなどの症状も感じない。

 

「何があった?」

「……分かりません。でも、無理をしているわけではなく、平気ですので……先生、おろしてくれませんか。自分で歩きます」


 足を止め、担任が目を見開きながら美奈を凝視した。

 ゆっくりと、地面に下ろされる。

 自分の足で立ち、異常が無いことを確信した。


「もう大丈夫です、先生。ご心配をおかけしました」

「あ、ああ」

「……? 何でしょう」

「え、いや、お前、そんなにハキハキと喋る子だったか?」


 そうか、と美奈は思った。

 この頃の自分と今の自分では、性格も大きく変わっているだろう。周りには、急に人が変わったように感じるかもしれない。


「倒れた時に頭でも打ったんですかね、ふふ」


 冗談をかますと、担任が何度か瞬きをして、豪快に笑った。


「……大丈夫そうだな。だが無理はさせられないから、とりあえず保健室で休め」

「分かりました」


 担任の後について歩き、保健室へたどり着いた。


「ゆっくり寝ていなさい」


 窓を開けながら、担任が言った。


「はい」


 美奈がベッドで横になったことを確認すると、担任は保健室を出て行った。

 足音が遠ざかったのを確認して、身体を起こす。 


 開け放たれた窓から吹き込む風が、カーテンを揺らしている。

 蝉の声が、騒がしい。

 夏か、と美奈は思った。


 自分の手を見つめ、何度か握っては開いてを繰り返す。

 感覚が、生々しい。

 音も触覚も、匂いすらも、全てがはっきりと感じられる。


「本当に、戻れたんだ」


 脱いだ体育館シューズに目をやった。つま先に、六年四組と書かれている。 

 夏ということは誕生日前だから、十一歳か。

 父は、死んでいる。


 拳を握りしめた。

 出来ることなら、救いたかった。

 話したいことも、沢山あった。一番戻りたかったのは、あの時だ。


 吹き込む風が、美奈の頬を撫でていった。


 息を、ゆっくりと吐き出す。

 過ぎてしまったことは、仕方がない。

 元々、どこに戻るかは未確定だったのだ。中学生に上がる前の年代に戻れただけでも、幸運といえる。


「これから、どうしようか」


 呟いて、ベッドに倒れこむ。

 勢いで薬を飲んだは良いが、何も考えずに戻ってきてしまった。

 

 元子は何も言っていなかったが、恐らく、もう元の時間軸には戻れないだろう。

 今後、この時間軸で生きていかなくてはならないのであれば、何をやるべきか。

 

 何かをしたくて、薬を飲むことを選んだわけではない。

 といって無為に過ごせば、また、前と同じ結果になってしまう。


 考えながら、天井の汚れが気になってぼんやりと眺めた。

 なぜ天井なのに汚れているのか。掃除係が雑巾でも投げつけて汚したか。


 そういえば、天井が低い。この学校はこんなに小さかっただろうか。世界全体が、縮んだような気すらする。

 

 思考はだんだんまとまらなくなり、雑念で満たされていく。

 そのうちに、美奈は瞼が重くなるのを感じ、眠りについていた。









 

 

 




「美奈、起きて。美奈」


 揺すり起こされて、目を開けた。

 霞む視界。汚れた天井。

 女の人の顔。


「あ……」


 母だった。

 仕事着のまま、ベッドの隣に座っていた。


「お母さん」


 慌てて、身体を起こす。

 元の時間軸で最後に見た母の顔は、やせ衰えて皴だらけだった。動かなくなった母の頬に触れた時、その冷たさに涙をこぼした。


 目の前の母は、若く美しい姿をしている。

 手を伸ばし、恐る恐る母の頬に触れる。あたたかく、滑らかな肌触り。

 

 生きている。

 母が、生きている。


 自然と、涙が溢れていた。


「どうしたの、美奈?」


 美奈の手を取りながら、母が心配そうに顔を覗き込んでくる。


「会いたかった、お母さん」


 母の身体を抱きしめる。

 もう、二度と会えないはずの人だった。

 今、目の前にいる。美奈の腕の中に、存在している。


「お母さん」


 声を上げて、泣いた。

 母の手が、美奈の背をさすってくる。その手の大きさと優しさが、母が確かに生きていることを感じさせてくれる。


 父の死後、保険金があったとはいえ、ずっとそれだけで暮らすのは不可能だった。

 だから、母は朝から晩まで仕事をしていた。

 高校生の頃には美奈もバイトをしようとしたのに、母は決して許そうとはしなかった。


 少しは休んでほしかった。なのに、ずっと働いていた。

 無理をし続けて、母の身体は、少しずつ壊れていった。

 そして、死んだ。


 仕事着。今も、仕事だったのだろう。この頃から、すでに働きづめだった。

 母を抱きしめる腕に力を込め、美奈は泣き続けた。

 何も問うことなく、母は抱きしめ返してくれていた。


 母の教えは、一人でも生きていけるようになりなさい、だった。

 だから母が死に、祖母が死んでも、美奈は生き続けた。どんな目に合おうとも。


 だが、本当は、最高峰の大学に入れなくても、一流の企業に入らなくても、美奈は構わなかった。一人で生きていけなくても、良かった。

 母と祖母が傍に居てくれれば良かったのだ。そうすれば、どんな苦難だって乗り越えられたはずだった。

 

 その気持ちを、母にも祖母にも伝えたことはない。

 母は、美奈に厳しく勉強を押し付けたし、祖母は、そんな美奈と母を黙って見ていた。


 美奈が、自分の気持ちを押し殺しつづけた結果、二人の命を縮めたのだ。別の道を選んでいれば、二人はもっと長く生きたかもしれない。


「落ち着いた、美奈?」


 しばらくしてから、母が言った。


「うん。ごめんね、お母さん」

「先生に聞いて、仕事を早退してきたの。倒れたって聞いたから」

「それは、もう大丈夫だよ。平気」

「そう。でも、無理しないように今日は大人しくしてなさい。クラスももう終わったって。先生から夏休みの日程表も貰ったから」

「夏休み?」

「そう。明日から夏休みでしょ。登校日とか、プール開放の日とかが載ってるプリント」

「あ、うん」


 ならば、先ほどの集会は、終業式だったのか。

 

「もう動ける?」

「大丈夫」

「じゃあ、先生に挨拶して、帰りましょう」

「うん」


 布団から出て、いつの間にか体育館シューズと入れ替わっている上靴を履いた。

 立ち上がった母の手を握る。やはり、あたたかい。

 母がそばにいる。その実感が、また、美奈の目を潤ませた。

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― 新着の感想 ―
[良い点] >美奈が渡った時間軸Cでもコウキは精神が入れ替わることになります これを聞いて安心しました。リアル子供で経験値のないコウキでは、美奈の支えにも助けにもならないって思ってたので。人格的にも…
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