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青春ユニゾン  作者: せんこう
高校二年生・オーディション編
217/444

十ノ三十一 「五十五人」

 延期となったトランペットパートのオーディションも終わり、一日が過ぎていた。

 最初のオーディションで心菜がわざと手を抜いていたことは、聴いていて気がついたが、丘は何も言わなかった。

 やる気のない生徒は、落とせば良いだけだ。万里が止めなければ、心菜はメンバーから外れていただろう。


 入部してからの三ヶ月弱の間、心菜という生徒は、丘の中であまり良い印象ではなかった。

 一見、真面目な生徒に見えた。しかし、音は誤魔化せない。心菜の音は音楽に対する想いを何も感じない無機質なもので、わざとそう吹いているようにすら感じていた。


 万里との言い合いを聞いている中で、中学生時代に心菜に何かがあったのだということは察せられた。その出来事が、心菜をああいう風にしたのだろう。

 だがそれについても、丘は何も言わないことに決めた。丘がこうしろああしろと言ってやらせても、それは心菜の本心とは違うものになる可能性がある。

 心菜の問題は、心菜自身で解決すべきことだ。


 今から発表するオーディションの結果も、生徒達の心に何かをもたらすだろう。

 それが良い方向になるかは、本人達次第である。


 音楽室の扉を開けて中に入ると、練習をしていた生徒達が一斉に音を止めた。生徒の間を通って、指揮台まで向かう。

 

「おはようございます」

「おはようございます!」

 

 全体を見回す。

 生徒は皆、緊張の面持ちで丘を見ている。

 

「余計な言葉は不要でしょう。メンバーを決定しましたので、早速発表します」


 持ってきた書類を譜面台に置く。


「パート毎に、一人ずつ名前を読み上げていきます」


 涼子の意見も取り入れて考え抜いた、現時点での最適解である。

  

「まずはクラリネットから……杉田梨奈、鈴木夕、朝野和、近藤綾、木下七海、木下睦美、佐藤絵里、森ののか、西名ゆあ」

「アルトサックス、緒川正孝、河名栞、中村智美、長谷川奈美、竹本浩子」

「テナーサックス、市川幸、中西美知留」

「バリトンサックス、山口元子」

「ファゴット、中野ゆか、川口京子」

「バスクラリネット、杉崎由菜」

「フルート、溝口牧絵、尾山佐奈、二岡メイ」

「オーボエ、佐方ひまり、紺野星子」


 ひなたが肩を落とす。

 彼女はまだ発展途上で、今のままでは力不足だからメンバーから外した。

 しかし、プロの個人レッスンも受けだしたというから、今後は分からないだろう。

 高校からオーボエを始めるのは、困難が伴う。すぐにさらりと吹きこなせるほど簡単な楽器ではないからだ。

 

 だが彼女自身がオーボエへの配属を強く望んでいたから、丘はその気持ちに応えた。

 どうなっていくかは、ひなたの努力次第である。


「次に、トランペット、古谷逸乃、山口月音、三木コウキ、沖田莉子、金川心菜」


 万里の表情が固まり、心菜が目を見開いた。


 丘が一番悩んだのは、トランペットパートだった。再オーディションに臨んだ七人は、全員がメンバーになるに相応しい演奏だったからである。

 

 初心者のみかもそうで、最初のオーディションの時、みかは完全に蚊帳の外のような扱いで、みか自身もそれを快くは思っていない様子だった。

 再オーディションのみかの演奏には、自分の存在を示そうとするような気迫を感じた。


 だがそれは万里や心菜も同じであり、特に心菜に関しては、これまでの彼女は何だったのだろう、という程の演奏を見せた。

 初めから彼女にはそれだけの演奏が出来る力があったということであり、わざと隠していたことになる。

 それは好ましい行為ではないが、再オーディションに臨んだ心菜の真剣な姿勢を、丘は評価した。

  

「トロンボーン、遠山理絵、岸田美喜、橘咲、内藤真二、本庄このは」

「ユーフォニアム、池内よしみ、元口久也、磯貝真澄」

「ホルン、加藤武夫、伊東園未、前田桃子、矢作柚子、北川海」

「チューバ、清水由紀、江上隆、保坂まゆこ」

「コントラバス、白井勇一、細野太郎」

「最後に打楽器、星野摩耶、織田純也、成端陸、丸井千奈、小峯沙也、海老原まさき、大原だいご」

 

 外れたのは、一年生のバリトンサックスの山崎にいな、フルートの谷地かおる、オーボエの一ツ橋ひなた、トランペットの橋本万里と金原みか、トロンボーンの渥美ねね、ホルンの落合あさかだ。

 一年生は全員初心者で、二年生は万里だけである。

 その意味は、重い。


「以上、五十五人のメンバーです。佐原先生と議論を重ねて、公平に決めました」


 うつむく者、頬を火照らせている者、唇を噛んでいる者。それぞれが、それぞれの表情を浮かべている。


「次に……ソロ奏者の発表です。アルトサックス、緒川正孝。ユーフォニアム、元口久也。トランペット、山口月音。トロンボーン、遠山理絵」


 丘は全て発表し終えると、書類を折りたたんで息を吐いた。


「各々思う所はあるでしょうが……これだけは伝えておきます。例えメンバーとしてコンクールの舞台に上がらないとしても、自分は不要な人間であるとは思わないでください。花田は、部員ひとり一人の存在によって成り立っている。不要な人間などいません」


 頭では分かっていても、納得するのは難しいだろう。それでも、言っておかなくてはならない。


「また、選ばれた人はよく覚えておきなさい。自分がメンバーとして演奏出来るのは、他の誰かがメンバーになれなかったからだということを。あなた方はメンバーになれなかった者の分まで吹き、上位大会進出という結果を手に入れる必要があります。手を抜くことは許されません。それは、選ばれなかった者へ失礼です」


 頬を緩ませていた者達の表情が、さっと引き締まった。

 

「県大会と県代表選考会には、このメンバーで臨みます。その後、八月中旬に東海大会のメンバーオーディションを行います。今回選ばれなかった人は、そこで選ばれるように努力してください。以上です」


 この後は個人練習となっているから、そこで生徒達は自分の心と向き合うだろう。

 摩耶が指示を出し、素早く生徒達が動きだした。


 酷く身体が重い、と丘は思った。特に、肩や頭に鈍い疲れを感じる。

 自分で考えていた以上に、丘もオーディションに精神的な負荷を感じていたようだ。

 だが、本番はここからである。五十五人での練習が始まり、合奏の密度は更に増していく。県大会を突破すれば、再びオーディションもある。

 まだしばらく、この重さは感じ続けなくてはならないだろう。


 丘がちらりと目をやると 他の部員が音楽室を出て行く中、万里はその場に座ったままだった。 

 両手を握りしめて俯いている。

 

 万里をメンバーに選ばなかったのは、今後を見据えた賭けのようなものだった。 

 元々万里にはトランペットの才能があり、この一年で初心者とは思えないほど上達していた。その才能を更に伸ばしてほしくて、この選択を取った。

 これまでは遥か先を行く逸乃達についていくだけだった万里に、心菜という追い越すべき存在が生まれた。それが、万里にとって起爆剤になるはずである。


 また、心菜も万里に追いかけられることで、自分の中の苦しみと向き合い、乗り越える必要が生まれる。

 そうして生徒が高め合って、一人では到達できない地点へとたどり着く。

 丘が望んでいるのは、それだ。


 一歩間違えれば万里も心菜も立ち止まってしまうかもしれない、危険の大きい選択ではある。

 安定を取るのなら、トランペットの枠を六人にして、万里も選ぶべきだっただろう。


 だが、花田高が目指しているのは全国大会である。無難に生徒が傷つかない道だけを進んでいて、そこへ至ることが出来るとは思えない。

 今までとは違う進み方が必要なのだ。


 それに、万里をメンバーに選んでいたら、また別の誰かがメンバーから外れていた。

 誰を選んだとしても、誰かは悔しい想いをする。

 それなら、部にとって、より進化する可能性の高い選択を取るべきだと思った。

 今は、丘の選択が上手く作用することを、願うしかない。

 

 不安はあるが、決して無謀な賭けではないと丘は思っている。

 トランペットパートには、コウキがいるからだ。コウキなら、万里と心菜を導いてくれる気がする。


 一生徒に過大に期待するなど、教師としてあるまじき行為かもしれない。

 だが 大人であり教師である丘の言葉では伝わらない部分というものがある。そこを、コウキがカバーしてくれるのではないかと感じるのだ。

 コウキはそういう大人が手を差し伸べるべき場所と、こども達同士で支え合うべき場所の区別が、分かっている節がある。

 それを、信じてみたい。


 万里が立ち上がった。袖で、目元を拭う。

 一度大きく深呼吸して、万里は音楽室を出て行った。

 

 丘も、ここにいる意味はない。

 職員室に戻る為、ゆっくりと腰を上げた。

 

 



















 コウキは個人練習のために、職員棟の三階東端の第二理科室に入った。普段の授業後は将棋部が部室として使っているのだが、今日は活動していないらしく無人だ。

 普通の教室二つ分ほどの広さがあり、理科室特有の大きい机と木製の椅子が並んでいる。


 第二理科室を部室にしている将棋部は神出鬼没で、使う日と使わない日がはっきりしない。わざわざやってきて将棋部がいたら無駄足になるから、それが嫌で他の吹奏楽部員はあまり利用したがらない。

 おかげで、将棋部がいない日は広い教室を独り占め出来る。

 静かに練習するにはうってつけの穴場だ。


 コウキは窓辺に椅子を持っていって座り、目の前に置いた譜面台を眺めた。

 『たなばた』の楽譜を広げてある。丘から指摘を受けた重要な点が、ところどころ小さく書きこんであり、ぱっと見て大切な場所が分かりやすいようになっている。


 他の子は楽譜が見えなくなるほど書き込む子が多いが、コウキはほとんど書き込まない。

 楽譜は一見すると音符が並んでいるだけで、作曲者の細かな意図は分かりにくいように見える。だが実際は、強弱や速度記号、発想標語といった書かれている内容を全て読み込むと、きちんと伝わるように出来ているのだ。


 それらが見えなくなるほど文字を書き込むのが、効果的だとは思えない。

 別に他の子が楽譜をどう扱おうと自由だが、少なくともコウキは、音符や指示表記はきちんと見える状態を好んでいた。


 楽譜の右下に目をやる。

 邪魔にならない位置に、色とりどりのペンで、パートの六人からのメッセージが書かれている。

 月音の提案で、それぞれの楽譜に書きあったものだ。

 それを眺めていると、あたたかい気持ちが沸き上がってくる。


 前の時間軸ではこんな風に、互いに応援の言葉を書きあったりはしなかった。あの時は月音は部には戻っていなかったし、万里は花田高には来ていなくて、みかも入部していなかった。今とは全く違うパートだった。


 あの頃のパートも好きだった。だが、今のパートも好きだ。

 今はちょっとオーディションのことで心菜と万里が微妙な関係になっているが、パートの七人は、例えメンバーとメンバー外に分かれてしまっても、気持ちは一つにしていたい。

 それがトランペットパートの強みなのだ。


 七人で全国に行きましょう。

 心菜の文字。桃色のペンで、可愛らしい字体をしている。


 七人の力を合わせよう。

 万里の文字は水色で、細めのかっちりとした字体である。


 二人とも、想いは同じなのだ。

 今年のコンクールでは、ほぼ確実に七人全員がステージに上がることはない。

 それでも、七人で吹く。その気持ちが込められている。

 だから、きっと大丈夫だろう。

 二人なら、いや、七人なら乗り越えられるはずだ。


 目線を動かし、ソロの箇所に移した。

 数小節の短いソロが二つ。吹き手は、月音だ。


 オーディションの時、コウキも隣で月音の演奏を聴いていた。

 完璧なソロだった。濁りのない澄んだ音で、一つひとつの音がクリアに聞こえ、美しいフレーズ感で表現されていた。

 そして、逸乃もそれに負けていなかった。

 どちらが選ばれても、おかしくなかっただろう。


 だが、コウキも真剣に吹いた。例え技量に差があったとしても、表現力は負けていない自信があったし、ソロを得るつもりで努力もしてきた。

 それでも、かなわなかった。


 コウキの技量は、前の時間軸とは比較にならないほど上達している。セカンドやサードばかり担当していた自分が、今はファーストを安定して吹けるようになったのだ。

 なのに、逸乃と月音は、更にもう一段上にいる。

 

 追いついたように感じたら、また離されている。その繰り返しだった。

 二人とのあと一歩の差が、中々埋まらない。

 

「レッスン……考えてみるか」


 呟いた。


 この時間軸に来てから、プロの個人レッスンを受けるのは控えてきた。

 理由は二つある。

 一つは、前の時間軸で何人かプロの指導を受けても大きな成果は得られなかった思い出があること。

 もう一つは、今までは一人で練習していても確実に上達していたからだ。


 だがそれも、限界に近い。最近では次々に現れる壁を越えられなくなってきた。

 コウキは月音とは違う。月音のように、たった一人でどこまででも上達できるような才能はない。

 プロの指導でも何でも、使えるものは使って、壁を越えるしかない。


 前の時間軸で高校生だった時は、トランペットについても、音楽や身体の使い方についても、無知で未熟だった。その状態でレッスンを受けていたから、身にならなかった可能性は高い。

 今のコウキなら、プロの教えを以前よりも深く理解できるはずだ。


 全国大会まで、あと三ヶ月。

 それだけあれば、まだコウキにもソロを得られるくらい上達する可能性はある。


 レッスンをしてもらうプロの当てはある。

 連絡を取るだけだ。

 

「……とりあえず、今は練習だな」


 こうしている間にも、逸乃や月音は吹いているだろう。

 負けてはいられない。


 集中した練習。それを、一秒でも多く積み重ねる。

 二人を超えるにはそれしかない。

   

 コウキは背もたれから身体を離し、姿勢を整えた。

 腿の上に置いていたトランペットを持って構え、マウスピースを口に当てる。

 

 自分が今、どんな音を出したいのか、何を表現したいのか。

 頭の中に、それを強く思い浮かべる。


 静かに口から息を吐き出し、鼻からゆっくりと吸った。吸える限界まで吸い、身体の中に息の圧力を作り出す。

 ふ、と吹き込むと、トランペットから伸びやかな明るい音が飛び出した。

 良い音だ、とコウキは思った。

 

 それは、逸乃とも月音とも違う、コウキならではの音だった。 

オーディション編、終了です。

コンクール編へと移ります。花田高の暑い夏が、再びやってきます。


その前に、番外の美奈編が少し入ります。

楽しんでいただけましたら嬉しいです。


せんこう

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