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青春ユニゾン  作者: せんこう
高校二年生・オーディション編
214/444

十ノ二十八 「劣等感」

 目の前に座る正孝は、丘に呼び出された理由が分からないようで、困惑した表情を浮かべていた。

 部活動後の職員室で、もう他の教師は誰も残っていない。広い空間に、丘と正孝の二人だけだった。


「もうひと月もすれば、オーディションですね」

「そうですね」


 正孝が応えた。


「学生指導者として、緒川は今の部の状況をどう見ていますか?」

「全体的には、問題なく進んでるとは思います。皆オーディションは初めてなんで、ちょっとピリッとしてるかなとは思いますけど」

「隣の人を敵だと思うようになったら、私達の演奏は花田の演奏ではなくなります。そこは、気をつけなくてはなりません」

「はい。でも、やっぱり皆自分がコンクールで吹きたいって気持ちはあると思うから、どうしてもライバル視しあう子もいるみたいで」

「難しいところですね……絶対にステージに乗れる生徒と乗れない生徒が生まれてしまうのは」

「皆で、吹けたら良いのに」

「たとえステージに乗れなくても、自分という存在が関わることで、部に影響が与えられている、と知ってもらうしかないでしょう。ステージに乗る者も乗らない者も、一人一人が花田の音を作っているのですから」

「はい……あの、ところで、俺が呼び出された理由は」

「そうでしたね」

 

 丘は一度話を切り、カップのコーヒーを飲んだ。


「緒川は、何か悩んでいることがありますね?」


 ぴくりと、正孝の眉が動いた。


「同じ部員同士では話しづらいこともあるでしょう。私に言ってみなさい」

「そんな、悩みなんて」

「一人で抱え込むのは良くない。自分の頭の中だけで考えていると、心に負担がかかり、潰れてしまいますよ」


 正孝が、ゆっくりと顔を下げる。腿の上に置いた両手を、落ち着きなく動かしだした。

 職員室に、沈黙が広がる。


 こういう時は、言葉が出るまで待った方が良い。長年の教師としての経験だった。

 十分か、ニ十分か。丘は、目を逸らさず待った。

 やがて、正孝が口を開いた。


「俺……学生指導者を辞めたい、です」


 丘は思わず、椅子の背もたれから身体を離していた。


「なぜ?」

「……コウキ君の方が、正学生指導者に相応しい、と思います」


 目を上げないまま、正孝が言う。

 正孝の口から、辞めたいという言葉が出るとは思っていなかった。丘は、正孝の学生指導者としての資質に、疑問を抱いたことはなかったのだ。


「俺だって今まで頑張ってきたし……奏馬先輩がくれたノートを見ながら、色々工夫してきました。でも、コウキ君はそれを使ってないし、俺より学生指導者の経験は少ないのに、ずっと上手く人に教えられるんです」


 確かに、コウキの指導の才能は確かなものだった。部員のノートにも度々、コウキの指導について書かれている。


「昨日も……基礎合奏はコウキ君が見てて、一年生が、コウキ君の合奏の方が楽しいって言ってました。多分、皆も思ってます」

「それで、辞めたい、と?」

「はい。俺は、奏者として集中したほうが、絶対良いと思ってます。全国大会にだって行きたいし……俺が皆を見るより、コウキ君が見たほうが良いんです。コウキ君なら、二年生でも皆をまとめられます」


 丘はふと、自身が現役だった頃、一つ上の代の部長だった進藤のことを思い出した。当時の顧問であった王子は、進藤のことを、強烈な光、部の主柱と評した。実際、進藤が花田高を二度の全国大会へ導いたようなものだった。


 丘も、コウキのことは注目していた。優秀な生徒だ。コウキの動きによって、部が良い方向へ動いてきた事実は否定できないし、まるでかつての進藤を思い起こさせるような存在である。

 正孝の言うように、今コウキが正学生指導者になったとしても、十分に部を引っ張っていくだろう。


 だが、それで良いとは思えない。かつて丘の代は、進藤という存在に頼りきっていた。進藤の卒業後、残った丘達は心を一つにすることが出来ず、三度目の全国大会を逃した。その次の代も、その次の代も、丘が顧問となってからも、ずっとだ。


 もしコウキが、今から正学生指導者になったとして、それで全国大会に行けたとしても、部員はコウキに頼りきるようになるだろう。そして、自ら動く力を失っていくかもしれない。

 そうなれば、コウキの卒業後、花田はまた前に進めなくなる。


 たった一つの強烈な光のおかげで輝いていた部は、それが失われた途端、輝きを失う。

 例えひとつ一つは小さな光だとしても、複数のリーダーが支え合って部をまとめること。それが、部を永続的に光り輝かせるために、必要なことなのだ。

 正孝が今、学生指導者を辞めることは、部のためにならない。


「緒川は、もう学生指導者を務めることに、耐えられないのですか?」

「……そういう、わけでは」

「なら、私は辞めるのは反対です、緒川」

「でもっ」

「私は、緒川に学生指導者としての資質が無いとは思っていません。それとも、誰かが緒川は学生指導者に相応しくないと言ってきましたか?」

「それは……言われてない、ですけど」

「他者と自分を比較するのは、やめなさい。緒川には緒川なりの学生指導者の姿があり、三木には三木なりの姿がある。人にはそれぞれ、出来ることと出来ないことがあるのですから、学生指導者としてどちらが優れているとかは、無いのですよ」

「だけど、コウキ君がやった方が、全国大会に行ける可能性は高まると思います!」


 丘は、まっすぐに正孝を見つめた。


「よく考えなさい、緒川。仮に、緒川が辞めて、三木が学生指導者になったとしましょう。たとえ事情を説明したとしても、部員の中で戸惑う者が現れるとは思いませんか。また、三木は緒川を辞めさせてしまったという負い目を感じながら、仕事をすることになるでしょう。それで、三木は力を出せると思いますか。楽になるのは、あなただけではないですか?」


 正孝が、大きく目を見開き、口を震わせた。それからぎゅっと唇を噛み、俯いた。


「そう、かもしれないです」

「正学生指導者が自分で良いのか、と迷うこともあるでしょう。ですが、それはあなたが、真剣に部に向き合っているから生じる迷いです。それで良いのです。自分は正しいなどと思っている人間に、人を導くことは出来ません」

「でも……俺のせいで全国大会に行けなかったら……」

「あなたは、一人で部を背負っているのではない。星野や遠山、杉田、山口が共にいるではないですか。三木や中村達二年生のリーダーもいる。一人で思い詰めるのは、やめなさい」


 正孝の中で自分の葛藤に答えを出すのは、まだ先だろう。

 すぐには飲み込めないはずだ。


「迷いながらでも良い。もう少し、やってみませんか?」


 数分の沈黙の後、正孝は、静かに、はい、と呟いた。


「潰れそうになったら、もう一度私に言いなさい。その時には、あなたが正学生指導者を降りることを、止めません。ですがその時まで、共に頑張りましょう」


 かすかな頷きを、正孝が見せた。 

 今は、それで充分だった。














 雨の降り続ける季節がやってきた。もう、二週間も降り続けている。

 メイは、梅雨が嫌いだった。生まれつきのくせ毛だから、湿気のせいで髪が暴れるのだ。ただでさえ毎朝ヘアセットに苦戦しているというのに、梅雨は何十分かけようと、髪型が決まることはない。

 だから梅雨になると、メイは決まってポニーテールだった。結んでおけば、ひとまずは周囲の目を誤魔化せる。


 黒板を叩くようにチョークを走らせる教師。白い文字が、壁に次々と書き表されていく。書き終えた拍子に、チョークで鋭い音を立てた。教師が振り向き、拳で黒板を小突く。


「ここ、テスト出るからな。写しとけよ。良いか、テストに出るからな。こうやって言っても、絶対に間違える奴がいるんだ。ボーナス問題だぞ、覚えろよ」


 テストに出る、とノートに記し、赤丸で囲む。黒板の内容を写し終えたところで、ちょうど鐘が鳴った。


「よし、終わりだ。まだ書いてないやつは、絶対書いとけよ」

「きりーつ」


 委員長が挨拶をして、昼放課になった。授業から解放されたクラスメイトが、途端に騒ぎ出す。

 シャープペンシルを筆箱に仕舞って、メイはぐ、と伸びをした。弛緩し、息を吐く。

 昼食だ。


「メイちゃん、食べよ」

「うん」


 かおると奈美が傍に来て、近くのクラスメイトの机をくっつけてきた。同じ五組の吹奏楽部員は、他に浩子がいる。けれど、浩子は昼放課になるとどこかへ行く。どうせ、海のところにでも行っているのだろう。あの二人は同じ中学校出身らしく、部でもいつも一緒にいる。


 メイは、浩子とはあまり良い関係ではなかった。陰口を言う浩子のことが好きになれず、メイから近寄らないようにしているのだ。

 浩子は、大してアルトサックスが上手いわけではない。なのに、口だけは達者なところが気に食わない。かおるも、一度浩子に陰口を言われたと言って、凹んでいたことがあった。それ以来、浩子のことが許せない。


「ねえねえ、奈美ちゃん」

 

 かおるが言った。サンドイッチにかぶりついていた奈美が、首を傾げる。


「奈美ちゃんって、智美先輩のこと好きだよね」


 口の中のサンドイッチを飲み込んでから、奈美が口を開く。


「うん。尊敬してる」

「なんでそんなに?」

「んー。智美先輩は、後輩の私にも平気で、分からないことを教えてって聞いてくれるんだよ。普通なら、後輩に教わるなんて嫌じゃん」

 

 奈美と智美は、ペア練習で組んでいる。奈美が教える側で、智美が教わる側だ。


「確かにちょっとキツイね、後輩に教わるっていうのは」

「でしょ、メイちゃん。でも智美先輩は、自分に出来ないことを出来る人が目の前にいるんだから、年齢なんて関係なく教わって自分も出来るようにしたい、って言ってた」

「へえ」


 そう、簡単に言えることではないだろう。


「一年の中には、初心者の智美先輩が何で部長を、って思ってる子もいるみたいだけど、智美先輩はそれだけでも凄い人だよ。それに、優しいし」

 

 二年生には、高校から吹奏楽を始めた人が七人いる。けれど、全員がとても初心者とは思えない技術力を持っている。中でも夕が飛び抜けているけれど、智美も下手なほうではない。

 多分、浩子と良い勝負だろう。それだけ、初心者という立場に甘えず、努力しているということだ。

 

 夕も木管セクションリーダーをしているから、二年生のリーダー五人のうち、二人は初心者ということで、それを、上級生は納得していることになる。

 初心者がリーダーをする部。そう考えると、不思議だ。


「オーディション、初心者でも選ばれるのかなあ」


 ぽつりと、かおるが言った。


「私、メンバーになれると思う、メイちゃん?」

「……正直に言って良いの?」

「……うん」

「ちょっと、厳しいかな」


 がくりと、かおるがうなだれた。


「人数が決まってるから、フルートは四人も乗せられないと思う。課題曲も自由曲もフルートが沢山要る曲じゃないし、配分的に、他のパートにいくと思う」

「そっかあ……」

「でも、絶対に無理ではないと思うよ」

「ほんと?」

「牧絵先輩がピッコロを吹くとして、フルートは多分二人は入れる。佐奈先輩は選ばれるだろうから、かおるちゃんが私よりバンドに相応しいと判断されれば良いんだよ」


 なるほど、とかおるが手を叩いた。


「でも、どういう基準で選ばれるんだろう?」

「それは、分からないなあ」


 審査は丘と涼子で行うらしい。二人の選考基準は、検討もつかない。 


「県大会でメンバーになれなかったとしても、東海大会や全国大会は分からないよ。大会の度にオーディションするって、丘先生言ってたし」

「そだね、奈美ちゃん。頑張らなきゃだ」

「うん」


 かおると奈美が、微笑み合う。メイは、関西から越してきたから、友達は一から作らなければならなかった。同じパートのかおるがクラスメイトで良かった。奈美も付き合いやすい子だし、二人のおかげで、学校で独りぼっちにならないで済んでいる。

 

 他の一年生とも、少しずつ話せるようになってきていた。ひなたやののか、絵里などの木管セクションの子と話すほうが多いけれど、金管や打楽器の子とも挨拶はする。


 上級生は、まだあまり話せていない。さすがに東海大会レベルの学校ともなると、どの先輩も迫力があるというか、気軽に話しかけづらい。フルートオーボエパートの上級生としか、話さない日もある。

 少しずつ慣れていくしか、ないだろう。


 気がつくと、奈美は二つ目のサンドイッチを開けて食べだしていた。


「相変わらずよく食べるね、奈美ちゃん」

「お腹減っちゃって」


 恥ずかしそうに、奈美が笑う。奈美は、女の子にしては背が高い。多分、百六十はあるだろう。いつもメイの二倍は昼食を食べているのに、体型はすらりとしている。胸も、ある。

 髪は艶々としたまっすぐな黒髪だし、メイとは正反対の容姿だ。正直、羨ましい。


 メイは、自分の爆ぜたポニーテールの尾を撫で、それから胸を見おろした。思わず、ため息をついていた。嫌な記憶が、思い出される。


「どうしたの、メイちゃん?」


 かおるに顔を覗き込まれていた。慌てて笑顔を顔に浮かべて、手を振る。


「な、何でもない」


 きょとんとした顔を浮かべながら、かおるが、そっか、と言った。

 先ほどまでしとしとと降っていた雨が、強風でも吹いたのか、窓に打ち付けられて音を立てた。三人の視線が、窓を向く。

 忌々しい雨だ。自分も、奈美のような整った容姿で生まれたかった、とメイは思った。

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