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青春ユニゾン  作者: せんこう
高校二年生・オーディション編
213/444

十ノ二十七 「自分に人を教える才能は無いのに」

 三年生の進学クラスが進路関係で行事に出席しているらしく、夕練への参加が遅れている。正孝も進学クラスで、すでに活動開始時刻は過ぎていたため、基礎合奏はコウキが担当することになった。


 学生指導者サブになってから、コウキが基礎合奏を担当した回数はそう多くはない。一年生までは奏馬も正孝も不在ということは滅多になかったし、二年生になってからも正孝の不在は数えるほどだった。

 

 せっかくの機会だ。貴重なこの時間に、全体指導の勘は取り戻しておきたい、とコウキは思った。


「それじゃあ、まずはロングトーンからいきましょうか。でも、今日はちょっと趣向を変えたいと思います」


 指揮台に立ち、部員を見回す。多くの部員の頭に、疑問符が浮かんでいるであろうことが、指揮台からだとよく見えた。


「いつも互いの音を聴きながら吹いてるけど、実際隣に居る人と離れてる人だと、音の聞こえやすさって違いますよね。だから、今日は皆に席を移動してもらいます。いつもとは違う人の隣で、その人の音を聴いて吹いてもらいます。場所はどこでも良いです。金管が前に来ても良いし、木管が後ろに行っても良い。打楽器も小型は中に入っても良いですよ。いつもとは違う場所で、違う景色で、演奏してもらいます」


 面白そう、と誰かが言った。


「この人が隣にいると、こんな風に聴こえるんだ。この場所にいると、こんな風に聴こえるんだ。そうやって、普段と違う感覚に耳を傾けてみてください。新しい感覚に触れることで、より深くバンドの音について知ってもらえると思います」


 わいわいと部員が騒ぐのを、コウキは微笑みながら眺めた。


「それじゃ、移動して」

「私一番後ろ行きたい!」


 クラリネットの梨奈が言った。私も、と絵里がついていく。

 月音が最前列のクラリネットの席に来て、コウキの目の前に座った。にこりと笑う月音に、苦笑いを返す。

 勇一まで最前列の端に来て、不敵な笑みを浮かべている。

 やがて、全員が希望の席についた。

 

「それじゃあ、ロングトーンをいつも通り。聴こえ方がいつもと違うはずだから、互いの音をよく聴いてください」


 ハーモニーディレクターからリズム音を鳴らし、合図をする。

 全員で、同じ音を伸ばしていく。

 演奏しながら、部員達の頬が緩んでいるのがうかがえた。音も揺れている。

 一旦、演奏を止める。


「面白いのは分かるけど、笑ってたら良い演奏にならないんで。頬、引き締めてください」

「はーい」

 

 部員達の返事に頷き、再び合図する。

 音の出だしが、ぴたりと揃った。音程のズレもなく、豊かな倍音が響く。

 最近では、基礎合奏は随分と揃うようになってきていた。基礎を重視した練習が、功を奏しているのだろう。

 

「うん、良いですね。いつもと響きの聴こえ方とかが違うでしょ?」

「確かにねー」

 

 月音が言った。他の部員も、同意して頷いている。


「こうやって前に立ってると、目を瞑っていてもどの音が誰の音かって、良く分かるんですよ。でもバンドの中で吹いてると、分かりづらくないですか? いつどこでも、誰の音でも聞き分けられるようになると、俺達の音はもっと良くなると思います。たまには、こういう練習もしたいですね」


 言いながら、教則本のページをめくる。


「じゃあ、今日はこのままの席で、続きもやっていきましょう」

「はい!」


 基礎合奏の時間は一時間だ。短い時間で、最大限の効果を出す。それを常にできれば、このバンドはもっと上達していく。

 そのためにも、試せることはどんどん試していこう、とコウキは思った。













 進学に関する特別講話なるつまらない行事があって、終礼が一時間も遅くなった。一般の大学を受けるわけではない正孝にとってはどうでも良い話だったのだが、強制参加で抜けられなかった。

 ようやく解放されて部室に来てみると、丁度基礎合奏が終わったところらしく、パート練習へ移る部員達が部室の扉の前を次々と通り過ぎていく。

 コウキが基礎合奏を見てくれたのだろう。


「今日の基礎合奏面白かったねー」


 一年生の声がした。フルートのかおるだ。

 楽器ケースを持って部室を出ようとしていた正孝は、咄嗟に扉の陰に身を隠した。


「コウキ先輩の基礎合奏の方が、私好きだなー。楽しいし」

「そだね」


 話し相手は、ひなたか。

 正孝は、胸の辺りに何かが突き刺さったのを感じた。


「またやって欲しいなぁ」

「かおるちゃん誰が隣だった?」

「奈美ちゃんと桃子先輩ー」

「私は万里先輩と夕先輩だった」

「万里先輩の隣良いなぁ、お話した?」

「したよ!」


 笑い声が遠のいていく。

 何か、またコウキが新しい試みでもしたのだろう、と正孝は思った。

 心なしか、通り過ぎていく他の部員達の話し声も、普段より明るい気がする。


 コウキは、いつも意表を突くようなことをする。それが単なる思いつきではなく、きっちりと部員の士気を高めたりするから、驚かされることばかりだった。

 

「何だかな」


 口に出していた。

 コウキには、指導者としての才能がある。個人に対する指導でも、全体指導でも、間違いなく成果を出す。

 正孝は、奏馬に貰ったノートを活用していても上手く出来ていない。もっと良くできることがあるはずなのに、それが分からず、迷いながら指導をしている。

 

 コウキはどうだろう、と正孝は思った。

 コウキなら、自信を持ってやっていそうである。というよりも、コウキが自信を無くしている姿を、正孝は見たことがなかった。


「同じ高校生かよ、ほんとに」


 呟きは、空しく消えていった。


「わ、正孝、おったの」

「栞」

「何してんの、そんなとこで」


 部室に入ってきた栞にじろじろと見られて、正孝は目を逸らした。


「いや……別に」

「来てたなら、さっさと楽器だしなよ」

「……わり」

「サックスは部室でパー練だから。準備したら来なよ?」

「ああ、分かった」

「正孝先輩! こんにちは」


 智美が部室に入ってきて、頭を下げた。


「こんにちは、智美ちゃん」


 正孝は智美の横を抜けて、部室を出た。隣の総合学習室に移ると、クラリネットパートが部屋の後方で椅子を並べていた。

 正孝はいつもの自分の席に向かい、楽器の準備を始めた。


「コウキ先輩の基礎合奏の方が、私好きだなー」


 かおるの言葉が、頭の中で再生される。胸がぎゅっと締め付けられた。

 きっと、そう感じているのはかおるだけではないだろう。言葉にはしなくても、何人もそう思っている部員はいるはずだ。


 自分でも、コウキの方が正学生指導者に相応しいと思う。

 正孝にはコウキほどの人望はないし、元々前に立つ人間ではなかった。ただの奏者でいるほうが楽なのだ。

 一年生の時に学生指導者に選ばれたから、続けているだけだ。


「正孝! 遅い!」


 はっとした。

 入口から、栞が顔を覗かせていた。


「早く来な!」

「今行く」


 組み立てたアルトサックスをストラップにつけ、正孝は立ち上がった。

 パート練習は、気乗りがしない。サックスパートのパートリーダーは栞だが、練習は正孝が見ているのだ。

 自分に人を教える才能は無いのに、と正孝は思った。

 

 











 丘は担任を持っている。授業に関する仕事もあるし、中堅どころの教師として、何かと動かねばならないこともある。そのため、常に吹奏楽部の活動に顔を出してはいられなかった。

 だからこそ部長と学生指導者の日々の報告を重要視しているし、部員一人一人に書かせているノートがある。それらを使って部の雰囲気を感じ取ったり、生徒の動きを把握するのだ。


 近頃、丘は少し不穏な空気を感じていた。

 はっきりとはしなくても、部内で何かがくすぶっている。オーディションが近いからかとも思ったが、そうではない、と勘が言っていた。

 こういう感覚がある時は、大抵後から大きな問題が発生するのは、これまでの経験から分かっていた。

 何が起きているのか。それを、確かめなくてはならない。


 職員室の扉が開く音がして、生徒の入室の挨拶が聞こえてきた。


「丘先生」


 摩耶だった。


「待っていました。座りなさい」


 隣の教師の椅子を借りて、摩耶を座らせる。 

 向かい合い、丘は摩耶をじっと見つめた。


「ご用は何でしょうか」

「最近、部内で何か問題を感じてはいませんか」

「問題と言うと……」

「私もはっきりとは分からないのですが、何かある気がしてならないのです。星野は、心当たりは無いですか」 


 摩耶が下を向き、口元に手を当てる。

 部員を一番よく観察しているのは、部長である摩耶だ。冷静に周りに気を配り、些細な問題も見逃さないのが摩耶の長所であり、そうしたところが部員から厚い信頼を得ている理由だった。丘が分からないことにも、摩耶なら気づいているかもしれない。


「よしみが、最近ふさぎ込んでる気がします」


 顔をあげて、摩耶が言った。

 

「池内が?」

「はい。ほとんどの子は気づいてないと思いますけど、時々元気のない表情をしています」


 そういえば、と摩耶が呟く。


「よしみ、『たなばた』のソロを、吹こうとしませんよね」

「……確かに」

「丘先生は、何もお聞きになっていないですか?」

「そうですね。池内から相談などもされたことはありません」


 ノートでも、特に気になるようなことは書かれていなかった。


「でも、私は何かあると思います」

「池内ですか……星野がそう言うのなら、一度面談をしてみますか」

「お願いします」

「他に、気になることはありませんか」


 池内がソロに関して何かあるとしても、丘が感じた不穏な空気は、それが原因ではない気がしている。こういう時は、部全体に関わることが起きるのが常だった。

 摩耶はしばらく俯いていたが、意を決したように顔をあげて口を開いた。


「正孝が、不安定、です」

「不安定、とは?」

「……顔には出さないけど、正孝は何か悩んでます。本人に何度聞いても、教えてくれません。でも、絶対に何かあります」


 丘は正孝と毎日顔を合わせるが、何かあるようには全く感じていなかった。だが、摩耶が言うのなら、気のせいではないだろう。

 摩耶と正孝は、交際しているのだ。部長と学生指導者という関係だけでなく、恋人という関係だからこそ感じる何かがあったのかもしれない。


 二人が交際している事実は丘も知っていたし、三年生に上がる際に、その関係を続けるかどうかについて、摩耶が思い悩んでいる様子だったのも、何となくは察していた。

 だが、二人なら私情を挟まずにリーダーを務め、部を引っ張っていくだろうと信頼していたから、丘から何か言うことはなかった。


「受験に関して、悩んでいるのか」

「分かりません……でも、私には、話してくれません」


 摩耶の声が、少し震えている気がした。

 丘は摩耶の肩に手を置き、顔を上げさせた。


「緒川も、私が面談しましょう。他に気になることはないですか?」

「……今のところは」

「分かりました。では、また何か感じたことがあれば、教えてください」

「……はい」

「もうひと月もすれば、オーディションです。部内は揺れるでしょう。部長として、頼みますよ、星野」


 星野は頷いて席を立ち、一礼して職員室を去っていった。

 よしみと正孝。二人は一年生の頃も二年生の頃も、何か問題を起こしたことはなかった。練習にも懸命だし、確実に成長してきた生徒だ。

 今、その二人に何かあるというのか。

 しかも、自由曲の『たなばた』で、メインとなるソロを担当する楽器の二人だ。ソロの吹き手の有力候補でもある。


 一際大きなため息が聞こえた。丘は、それが自分の吐いたものだと気がついて、頭を振った。

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