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青春ユニゾン  作者: せんこう
高校二年生・オーディション編
211/444

十ノ二十五 「コウキと久也」

 雨が降っている。深夜から降り出したようで、窓から見える中庭には、ところどころ水たまりが出来ていた。

 六月の雨は、湿気が強い。六組の教室内は蒸し暑く、どこかねっとりとした空気を蓄えていて不快感を抱かせる。

 プラスチック製の下敷きで身体を扇ぎながら、コウキは口を開いた。


「もうすぐ梅雨か」


 クラスメイトの一人が、生返事をする。顔を向けると、クラスメイトはだらしなく地面に座り込んで携帯をいじっている。

 後ろを振り返り、教室内を見回した。不快な空気のせいか、他のクラスメイト達もだらけて締まりのない様子を見せ、しゃきっとしている子は一人も居ない。


「早く夏になって欲しいな」


 また、生返事。

 コウキはため息をついて、近くの席を借りて座った。

 教室にはクーラーも扇風機も設置されていない。にも拘わらず、雨の日は窓も開けられないせいで、こんなにもこもった空気と湿気を感じさせるのだ。

 公立の田舎校に贅沢な設備を求めるのは無駄だと分かっているが、この環境の悪さが生徒の意欲の低下につながっているのは間違いないだろう、とコウキは思った。

 

「コウキ君、今良い?」

「おう、モッチー。どうした」


 久也は、二年生になって同じ六組になった。あだ名が部内で定着して、コウキも久也のことをあだ名で呼ぶようになっていた。


「あのさあ、『たなばた』のソロなんだけど、ちょっと練習見て欲しいんだよな」

「ん。良いよ」

「今日の昼放課とかどう?」

「おっけー」


 二年生になってから、昼は個人練習に切り替えていた。一年生の頃は同期の初心者七人と一緒に練習していたが、彼女達はもう自分で考えて吹けるようになっていたし、元々強制していたものでもないから、進級と同時に、集まって練習するのはやめたのだ。

 

 空いた時間で一年生の初心者を見てあげたい気持ちはあったが、それも強制はしたくなくて、頼まれない限り、コウキから声をかけるつもりはなかった。

 今、昼の練習に来る子は日によってバラバラで、毎日来るのは万里と智美と夕くらいだ。

 

「そういえば、よしみ先輩って何かあったの?」


 立ち去ろうとしていた久也が、足を止めた。


「なんで?」

「ん、いや。ソロ、モッチーが吹いてるじゃん。いつもならよしみ先輩が吹いてるのに、何でだろうって気になって」


 久也の目が一瞬、不自然に揺れたのをコウキは見逃さなかった。


「良かったら、聞かせてほしいんだけど。力になれるかもしれないし」

「……ごめん、考えとく」

「……そっか、分かった」


 頷いて、久也は自分の席に戻っていった。

 先日、『たなばた』の合奏で初めてよしみがソロを吹いた。よしみらしからぬ演奏で、違和感を感じた。調子が悪いのかとも思ったが、他の箇所では問題はなかった。ただ、どことなく、普段のよしみより暗い雰囲気ではあった。

 それは勘違いでは無かったらしい。


 久也の様子から察するに、ユーフォニアムパートだけなのか、トロンボーンパートもなのかは分からないが、一部の部員だけが事情を知っているのだろう。

 頼られていない以上、今はこちらから動くべきではないのかもしれない。

 窓の外に目を向けると、相変わらず雨は降り続けていた。











 昼放課になると、部室で智美と昼食を食べる。部について意見を交わしながら食べ、それが終わる頃に万里と夕が来て、個人練習が始まる。

 夕は同じ六組だったが、友人と昼食を食べてから来るため、いつも別行動をしていた。


「今日モッチー来るんだって?」


 クラリネットを組み立てながら、夕が言った。


「聞こえてたの?」

「うん」

「ソロ見て欲しいらしい」

「私も吹きたいなあ、ソロ」

「焦らなくても、そのうち吹けるさ」

「だと良いけど」


 部室の扉が開かれた音がして、そちらを見た。


「おう、モッチー」

「お待たせ」

「いや、俺も今から練習するところ。総合学習室でやろう」

「分かった」


 ユーフォニアムの棚から、久也が楽器ケースを取り出す。二人で部室を出て、総合学習室に移動した。

 久也が楽器を出し、音出しを始める。それが済む間、コウキもトランペットを吹いた。


 『たなばた』にはトランペットソロが二回ある。逸乃と月音という格上の存在がいるとはいえ、コウキもソロを狙うつもりでいた。二人がいない昼練習は、絶好のソロの練習時間である。

 とはいえ、ソロはまだ納得のいく形にはなっていない。


「お待たせ」


 五分ほど吹いた後、久也が声をかけてきた。


「ん。それで、ソロの何を見て欲しい感じ?」

「いっつも丘先生に音が固いって言われるんだよな。自分でもその自覚はあるから、もう少し滑らかに吹けると良いんだけど」

「うん、じゃあ一回吹いてみて」


 頷いて、久也がソロを吹いた。

 丘の指摘は的確だ。久也は音色は良い。楽器を鳴らせているし、音の出るツボも捉えている。それでも固く聞こえるのは、楽譜をなぞるように吹いていて、フレーズの流れが殺されているのが原因だろう。


「このソロを吹く時、モッチーは何を考えてる?」

「んー、楽譜通り吹くこと、かな。あとは合奏中なら、アルトサックスの音を聴く、とか」

「なるほど。じゃあ今、モッチーとしては楽譜通り吹けてると感じてる?」

「……いや」


 楽器を下ろして、久也が顔をしかめた。


「吹けてない」

「どうしてそう思う?」

「自分でも、フレーズ感が無いような気はする。昔から表現力が足りないって言われてるし……でも、どうすれば表現力がつくのかは分からない」

「うん。俺も同じようなことを感じたから、モッチー自身が自分の演奏を客観的に判断出来てるのは、凄く良いと思う。そうだな……じゃあ、まずは頭の中にフレーズを思い浮かべて、メトロノームも無しで、自分の感覚でソロを吹いてみて」


 頷いて、久也がもう一度ソロを吹く。

 先ほどの演奏よりは、滑らかだった。


「自分で聞いて、どう?」

「少し、良くなった気はする」

「俺もそう思う。頭の中にイメージを作るのは大切だ。それともう少し強弱とかもはっきりさせてみようか」


 一つの旋律には、必ずと言って良いほど山になる部分がある。そこを意識するだけでも、フレーズ感は良くなる。

 旋律の盛り上がる部分や抑える部分などを指摘しながら、ソロを何度か吹かせた。

 その間、久也は吹くたびに楽譜に目をやっていた。


「モッチー、もしかして暗譜は苦手か?」

「苦手だなあ。楽譜見ながらじゃないと吹けない」

「んー。とすると、多分だけど、固さの原因の一つはそれかもな」

「え?」

「楽譜通り吹くのは大切だけど、それは楽譜を眺めていれば出来るわけじゃない。楽譜を見てると、つい小節ごとの区切りとか音の並びを気にしちゃって、音楽性が失われやすいんだ」

「……なるほど」

「まずは一つの箇所で良いから、楽譜を見ずに何度も吹くことを試すと良いよ。何度も吹けば自然と覚えるから、覚えたら次の箇所に移る。そうやって少しずつ吹ける箇所を増やしていけば、暗譜で吹ける。楽譜を見ることに意識を割くと、その分演奏へ向ける意識が減るから、楽譜は頭の中に暗記することだね」

「分かった。やってみる」


 久也は基礎練習を苦だと思わないのか、一人で吹いている時には曲よりもリップスラーやロングトーンを吹いているほうが多い。黙々と基礎練習を反復する姿はコウキには真似できないし、その成果なのか、一年生の頃に比べて技量は各段に向上している。

 ただ、基礎に重点を置いているということは、曲を吹くとか旋律を奏でるといった経験が不足しているとも言える。久也には、ソロ曲の練習なども取り入れさせた方が良いのかもしれない。

 久也が表現力を身に着けることができれば、優秀な奏者になるはずだ。


「……去年さ、紺野さんが東海大会でソロ吹いただろ、コウキ君」


 久也が言った。


「ん、うん」

「直前になって、紺野さんのソロが良くなったじゃん」

「ああ」

「ひまり先輩のために吹こうとしたから、紺野さんの表現力が上がったんだよな」

「多分ね。皆そうだったけど、星子さんは特にそれが強かったんだろうな」

「だとしたら、俺も強く誰かのためを想えば、表現力が身に着くのか?」


 独り言のように、久也が呟く。


「俺もあの時、ひまり先輩のことを想って吹こうとした。けど、そんなに大きく変わった気はしない。気持ちが足りないのか? 俺が、ソロを吹かなきゃいけないのに……」


 久也の表情が、切羽詰まったような雰囲気を見せている。

 なおもぶつぶつと呟く久也を止めるため、コウキは久也の肩を掴んだ。


「落ち着けよ、モッチー。何を気負ってるのかは知らないけど、何々しなきゃいけない、何々すべきだっていう気持ちで吹き続けていると、表現力の獲得からは離れていくと俺は思うぞ」


 久也が、はっとした顔を見せた。


「音楽はもっと自由なものだろ? 確かに心は音楽に大きな影響を及ぼすと俺も思う。気持ちの乗ってない演奏はつまらない。でも、音に気持ちを乗せられるようになるには、練習が必要だ。このフレーズを自分はどう吹きたいか、何を表現したいか。それをイメージしながら音にしていく。地道だけど、その積み重ねじゃないか?」

「けど……時間がない。もうあとふた月くらいで、県大会だ」

「焦るのは分かる。でも、焦れば音が良くなるわけじゃないだろ?」

「……そう、だけど」

「大丈夫。モッチーはすでに高いレベルにある。自分の中の表現したいものを形にする練習をしていけば、きっと出来るようになるさ」


 予鈴が鳴った。片付けて、掃除の時間だ。


「俺はいつも昼練してるから、またいつでも声かけてくれ。一緒に探っていこう」

「……ありがとう、コウキ君」

「いつでも頼ってくれ。じゃ、部室で片付けようか」

「ああ」


 二人で部室へ戻った。


「あーあ、ソロ良いなあ」


 部室に入ると、楽器を片付けていた夕が声を上げた。


「てかさあ、よしみ先輩ってソロ吹かないの、モッチー?」


 夕の問いかけに、久也の動きが止まる。


「いや、どうだろう」

「だって、よしみ先輩、全然合奏で吹かないじゃん。せっかく最後の年のコンクールなのに、勿体ない」

「それ、私も思った」


 万里が言った。 

 久也は答えず、ケースを開けて楽器を仕舞いだす。コウキも会話に耳を傾けながら、ケースに楽器を仕舞った。


「それに、最近のよしみ先輩、元気ない……よね」


 万里の言葉に、久也が振り返る。


「分かるの?」

「う、うん。何となくだけど、そうかなって」

「へー、万里ちゃん、よく見てるんだね」

「たまたまだよ、夕ちゃん」

「いや、私全く気付かんかったし」

「何かあるんなら、私らも聞くけど、モッチー?」


 智美の言葉に、久也は答えない。

 よほど言いにくい話なのか、とコウキは思った。


 これまで、よしみに何か問題があるようには見えなかった。小学校でのミニコンサートでは、よしみは短いがソロを吹いていたし、合奏でもソロ以外は良い音で吹いていた。

 急にソロだけ吹けなくなるような事情とは何だろうか。部員と喧嘩などの騒ぎがあったとは思えない。部内でよしみとそういう関係になった子がいるようには見えないからだ。

 ならば、なぜ。

 考えを巡らせて、一つの予想に至った。


「……もしかしてさ、よしみ先輩って、コンクールのソロに何かトラウマがある?」


 久也に問いかけた瞬間、大きくその目が見開かれた。

 

「やっぱり、そうか」

 

 それなら納得がいく。

 

「そうなの、モッチー?」


 智美が尋ねると、少し間があって、静かに久也が頷いた。


「……他の部員には、言わないでくれ。多分、よしみ先輩も知られたくない」

「それは勿論、言わないけど」


 万里と夕も頷く。


「中学の時に、ちょっとな。でも、それは俺がソロを吹けば良い話だ。俺がソロ奏者に選ばれれば、よしみ先輩はソロの悩みから解放される」


 言って、久也がコウキを見た。


「コウキ君、また一緒に練習頼むよ」

「……ああ」

「ありがとう」


 呟いて、久也は部室を出て行った。

 部室に残った四人は、何となく顔を見合わせて、黙るしかなかった。

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― 新着の感想 ―
[一言] なんかすごく難しい話に挑戦していますね(作者様が) 他の演奏会で成功させて自信をつけさせるってこともできないし。 よしみがトラウマから解放されるには、自力でコンクールのソロを成功するしかない…
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