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青春ユニゾン  作者: せんこう
高校二年生・オーディション編
210/444

十ノ二十四 「池内よしみ 二」

 薄暗い舞台裏で出番を待つ間、前の出演校の演奏を聴かされる。よしみがコンクールで一番嫌いな時間だった。上手い学校が直前だと、その迫力に圧倒されて、緊張が増すのだ。

 反響板の隙間から漏れる明かり。きらきらと輝く金管楽器達が見える。並ぶトランペットのベルから、強烈な高音が鳴り響いた。舞台裏にいてもその力強さをはっきりと感じる。


 海原中。この地区の中学校で最も強く、恐ろしい学校だ。全国大会常連校で、部員はまるで軍隊のように統率が取れている。

 その次に花田北中の演奏なんて、最悪だ、とよしみは思った。

 嫌でも比べられてしまう順番である。


 今年の花田北中の自由曲は『海の男達の歌』だ。ユーフォニアムの長いソロがある難曲で、ソロはよしみが任されている。

 自由曲が発表されてからの三ヶ月間、よしみはソロを吹かない日は無かった。より良いソロを目指して、試行錯誤を繰り返してきた。

 

「よしみちゃん、頑張ってね!」

「池内! 期待してるからな!」

「よしみ、頼むよー」

「よしみちゃん!」

「池内さん!」

「先輩!」


 皆が、よしみのソロに期待した。その期待を裏切らないよう、必死に練習した。

 けれど練習すればするほど、深い沼の底に沈んでいくように、正解が見えなくなった。

 それでも、抜け出すためにもがきつづけた。

 

 よしみのソロが、今年の部の行方を左右する。その責任の重さに、押し潰されそうだった。

 耐えて、続けてきた。

 納得のいくソロになったわけではない。それでも、もうあと数分で本番だ。

 深呼吸をしても胸の鼓動は早いままで、不安を煽ってくる。


「よしみちゃん」


 オーボエのソロを担当する子だった。


「ミス、絶対しないでね。私達のソロが大事だから。頑張ろう」


 どきりとした。その言葉が、一層よしみの不安をかきたてた。

 曖昧な返事しか出来ず、よしみは、抱えるユーフォに写る自分の歪んだ姿を見た。

 

「大丈夫、大丈夫、大丈夫」


 何度も呟く。言い聞かせるように、何度も、何度も。

 そのうちに海原中の演奏が終わって、拍手が鳴り響いていた。

 スタッフが反響板扉を開け、入場を促す。木管楽器から、順番に中へ入っていく。


「大丈夫……」


 もう一度、呟いた。気休めにもならないけれど、呟いていないと、不安で胸が爆発しそうだった。

 扉を抜け、舞台へ進む。


 その瞬間、よしみの緊張は極限に達した。

 前の方の客席に座っている人と、目が合った気がした。いや、絶対に合った。


「ああ……」


 客席に座っている全員が、よしみを見ていた。

 よしみの一挙手一投足を見逃すまいと、見つめられている。ソロがどんなものか、品定めしようとしている。


 一度、身体が震えた。

 手に汗がにじみ、額からは一筋の汗が流れ落ちた。


 全員が持ち場につき、顧問が壇に上がる。手があげられ、演奏が開始される。

 課題曲。どう吹いたのかも、覚えていなかった。

 気持ち悪い。心の中で、呟いた。

 吹けば吹くほど、吐き気が増す。

 もうすぐだ。自分のソロが、全てを決める。ああ、始まった。


 自由曲。波の音。船の出航を告げる鐘の音。

 楽器を構え、音を出す。出せているのか。自分の音は、正しく出ているのか。


 頭が焼けそうなほど熱く、吐き気は更に酷くなっていた。

 刻一刻と、ソロが近づいてくる。

 オーボエの子と、目が合った。

 

「間違えるなよ」


 そう言われた気がした。

 それで、よしみの思考は、真っ白になった。


「あれ」


 呟いた。

 気がつくと、曲の場面は変わっていた。

 ソロは、いつだ。

 違う。

 もう、終わっていた。よしみは、音を出していなかった。


 オーボエソロの音が、酷く揺れていた。いつものような伸びやかな音では無かった。

 何人もの部員が、よしみを見ていた。


 私、ソロを吹かなかったんだ、とよしみは思った。

 吐き気は引き、代わりに、恐ろしいほどの焦燥感がよしみの身体の中で暴れまわった。

 どうしよう。もう一度吹けないか。やり直しは。ソロは。結果はどうなる。

 頭の中は、ぐちゃぐちゃだった。





「っ!」

 

 飛び起きて、真っ暗な部屋にいることを認識した。

 全身が滝に打たれたように濡れている。


「夢……」


 あの時の光景だった。

 コンクールの後、皆に詰られ、罵倒され、泣かれた。よしみは、ただ謝り続けることしか出来なかった。


「ああ……」


 また、あれを繰り返さなくてはいけないのか。

 嫌だ。


 気がつくと、朝になっていた。

 よしみは、布団から出ることが出来なかった。













「よしみ先輩、お休みですか?」

「みたい」

 

 職員室の前に設置されている電話で、よしみの自宅に電話をかけたところだった。

 久也が受話器を戻し、息を吐いた。


「珍しいですね、よしみ先輩が休みなんて」

「体調悪いのかもな。まあ、すぐ元気になるだろ」

「……何だか、心配です、モッチー先輩。今日夕練休みだし、よしみ先輩のお見舞いに行きませんか?」

「え?」

「体調が悪いだけなら良いですけど、ちょっと、やな感じがします」

「いやあ、俺男だし……女子の家に行くのは」


 真澄は舌打ちしそうになった。

 何をへたれたことを言っているのだ、この人は。


「モッチー先輩はよしみ先輩と長い付き合いでしょう? 平気ですよ。よしみ先輩だって、嫌がりません。私もいるし」

「んー……まあ、行くだけなら」

「じゃあ、授業後に生徒玄関で待ち合わせましょう」

「……分かった」

 

 思い違いならそれで良い。元気になれば、よしみはまた学校へ来る。けれど、そうでなかったら。

 

 音楽室へ戻り、リーダーにはよしみが欠席であることを伝え、朝練が始まった。

 朝練の後の授業も何事もなく過ぎ、授業後、真澄は手早く鞄に物を詰め込んで教室を出た。

 生徒玄関でローファーに履き替え、久也を待つ。


「あれ、磯貝さん、誰か待ってるの?」


 出ていこうとしたクラスメイトに声をかけられ、曖昧に笑った。


「うん、ちょっとねー」

「彼氏ー?」

「ち、違うよ!」

「アヤシー。へー、磯貝さんも意外とやるんだねー」

「違うってば!」


 にやにやしながら、クラスメイトは去っていった。

 熱くなった顔を、手で扇ぐ。


 無意識に、真澄は手鏡を鞄から取り出していた。前髪を整え、制服が乱れていないか確認する。

 そこまでしてから、何をしているのだ自分は、と思った。

 からかわれてしまったせいで、変に意識してしまったらしい。久也を異性として見たことはないのに。

 

「ばかみたい」


 よしみの見舞いに行くだけなのに、まるで久也を待ちわびているようではないか。

 自分の行動を否定したくて、真澄はわざと髪をかき乱した。


「何してんの、磯貝さん」

「ひゃいっ」


 いつの間にか、久也が横に立っていた。


「髪、ボサボサじゃん」

「あっ、ななな何でもないですっ。い、行きましょう!」

「あ、うん」


 並んで、歩き出す。

 気まずくて、真澄は黙っていた。久也も何も言わない。

 校門を出て、よしみの家の方角へ向かう。道路の端を二人で歩いていると、時折自動車が横を追い越していく。何人か、花田高生の乗る自転車も追い越していった。


 特に会話も無いまま、二人で歩き続けた。

 何か話してくれても良いのに、気まずいと思わないのかこの人は、と真澄は思った。

 コウキや勇一だったら、色々話を振ってくれるだろう。こういうところが、久也のモテない原因だ。昔から彼女が欲しいと呟いていたけれど、未だに一人も出来たことがないらしい。

 別に、容姿は悪くない。背は確かに低いかもしれないけれど、気にしない女の子の方が多いし、きりっとした目つきは人によっては好まれるかもしれない。

 もう少し女の子の扱いをちゃんとすれば、彼女くらい簡単に作れそうなものだ。


「着いた」

「あ、もう」


 学校から十分程度の距離だった。表札に池内と書かれてある。二階建ての何の変哲もない民家だ。新興住宅地といった地域で、似たような家がいくつも並んでいる。

 久也が、インターホンを押した。


「はい」


 機械から、よしみの声が聞こえた。


「こんにちは。花田高吹奏楽部の元口と磯貝です。池内先輩のお見舞いに来ました」

 

 久也が丁寧な口調で言う。よしみの声だと、気づいていないのかもしれない。


「……わざわざ来てくれたの?」

「あ、よしみ先輩ですか? いや、磯貝さんが心配だからって」

「よしみ先輩、こんにちは。様子どうかなって思って、来ちゃいました。急にすみません」

「……今行く」


 久也と顔を見合わせる。

 すぐに、玄関の鍵が開錠される音がして、よしみが姿を見せた。


「入って」

「お邪魔します」


 中に入ると、よしみが扉を閉め、鍵をかけた。


「上がって」


 促され、靴を脱ぐ。揃えて端に寄せると、久也の脱ぎ散らかした靴が目に入った。

 だらしない、と真澄は思った。

 仕方なく、久也の靴も揃えて真澄の靴の隣に置いた。


「私の部屋で」


 言って、よしみが階段を上がっていく。二階の端がよしみの部屋だった。よしみの後に続いて、部屋に入る。すぐに、扉のところで久也が立ち尽くしていることに気がついて、その袖を引っ張った。


「先輩、早く入って」

「あ、ああ」


 ぎこちない動作で、久也が足を踏み入れる。

 女の子の部屋に入るのは初めてなのかもしれない、と真澄は思った。

 ガチガチに固くなりながら、久也が正座する。真澄も隣に腰を下ろして、よしみを見た。

 ベッドに座ったよしみは、窓の外に目を向けている。


「よしみ先輩、大丈夫ですか?」

「ん……うん。ありがとね、真澄ちゃん」

「風邪、ですか?」

「違うよ」

「あ、何か、気分が乗らなかった、とか?」

「……」

「そ、ソロのこと、ですか?」


 ぴくりと、よしみの眉が動いた。

 やはりそうか、と真澄は思った。

 先日の合奏で丘から指示されて、よしみはソロを吹いた。あの時から、さらによしみの様子はおかしくなっていた。


 何と声をかければ良いのか、真澄には分からなかった。助け舟が欲しくて久也を見ると、挙動不審な顔で、冷や汗を垂らしていることに気がついた。

 こいつ。

 相手は上級生なのに、思わず顔をしかめてしまった。女の子に対して、免疫が無さすぎる。部屋に上がっただけでこの様子とは酷い。

 自分で、何とかするしかない。


「よしみ先輩……ソロ、吹きたくない感じ、ですか?」

「……なんで?」

「……あのことが、あったから……」


 よしみが、こちらを見る。

 真澄は唾を飲み込んだ。かける言葉を間違えてはいけない、と思った。


「……今朝ね」


 よしみが言った。


「夢を見たんだ。あのコンクールの夢。すっごいリアルだった。目が覚めるまで、夢って気がつかなかったもん」

「よしみ先輩……」

「……何で私、あの時、ソロ吹かなかったんだろう」


 また、よしみは窓の外に目を向けた。


「あの時、二人だけだったね。私に変わらず接してくれたの」

「当たり前です。私にとって、よしみ先輩は憧れですから。先輩の綺麗な音、私は好きです。一回失敗したくらいで、私はよしみ先輩を嫌いになりません」

「その一回が、とてつもなく大きな失敗だったんだよね」


 言って、よしみが自嘲するような笑みを浮かべる。


「おかしいよね。もう三年も経つのに。普通の演奏会ならソロを吹けるのに、コンクールのソロになると、吹けなくなる。おかしいよ、ほんと」


 普段のよしみは明るくて、気さくで、近所のおばさんのような親しみやすさがあった。それがよしみの良い所で、よしみ自身もそういう陽気なところを自分の長所として自覚していた節があった。

 今のよしみは、陽気とは正反対だ。声は低く、ぼそぼそと呟くようで、死んだ魚のような目をしている。


 どうしたら、よしみを助けられる。


「先輩」


 固まっていた久也が、声を出した。

 よしみの視線が、久也に向けられる。


「俺が、ソロ吹きますよ。そうすれば、先輩も気が楽でしょう? 俺じゃ表現力が足りてないかもしれないけど、それでも、ものにしてみせますよ」

「モッチー」

「別に、吹きたくないものを無理に吹く必要なんて無いと思います。でも俺は、ソロを吹きたい。吹きたい奴が吹けば、良くないですか?」


 よしみは答えない。


「俺、頑張りますから」


 久也の想いは、分かる。けれど、その言葉ではよしみは救われないだろう。

 きっと、よしみはソロを乗り越えることでしか、先に進めない。


 重苦しい空気が、部屋に漂い続けた。

近々、小説タイトルを変更いたします。


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― 新着の感想 ―
[良い点] 途切れないところ [一言] 久也君、良いですね。 女慣れしていない朴訥とした感じとか、ソロやりますとか。 これを機に一皮剥けて女の子の扱いに慣れたらコウキの負担も減る?
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