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青春ユニゾン  作者: せんこう
高校二年生・オーディション編
205/444

十ノ十九 「星子とひなた」

 花田高は演奏会や本番の数が多いという。少なくても月に一度はあり、その回数の多さが、部員の舞台慣れに繋がり、質の高い演奏を可能にするらしい。


 五月だけでも、フレッシュコンクールとさわやかフェスティバルと今日のミニコンサートの三つだ。 

 ひなたは、フレッシュコンクールには出なかったから、さわやかフェスティバルの合同バンド演奏が初舞台だった。といっても、楽譜をほとんどさらえていないせいで、吹く真似をするだけの箇所ばかりだった。

 今日のミニコンサートは、吹き真似は出来ない。丘の方針でそうなっていて、吹けなければ、その箇所は休みにさせられてしまう。


「私が教えてるのに、本番までに指を覚えなかったら、どうなるか分かってるよね?」


 ペア練習で、星子に凄まれた。本当にどうかされてしまいそうな表情だったから、ひなたは寝る間も惜しんで、演奏する曲の指使いを完璧にしてきた。音程だとかフレーズ感だとかは、後回しだ。とにかく楽譜をひととおり吹けるようになることに、全力を注いだ。


 部員は今、花田町のとある小学校に来ている。そこの音楽室を借りて、楽器の準備をしていた。

 小学生に音楽に触れる機会を与えたいという校長の希望で、新学期の初め頃に依頼があったらしい。丘の母校でもあるそうだ。


 コンサートの時間は三十分ほどで、小学生に受けの良いアニメなどの曲を三曲と、花田高の持ち曲である『アルセナール』を演奏する。

 曲数が多いから、覚えるのに苦労した。


「何とか、当日に間に合って良かったです」


 楽器を組み立てながら、ひなたは言った。


「さすがチロちゃん、私が仕込んだだけはあるね、よしよし」


 星子が頭を撫でてくる。

 いつの間にか、あだ名をつけられていた。星子が昔飼っていた犬の名前で、ひなたがまるで子犬のように可愛くて、見ているとチロを思い出すから、という理由らしい。

 あだ名をつけてもらえたのは初めてだから、嬉しい気持ちはあるけれど、良いあだ名なのかといえば、複雑なところだ。


「ほんと偉いね。初心者なのに四曲も吹けるようになったのは、大きな進歩だよ」

「ひ、ひまり先輩……!」

「一緒に頑張ろうね」

「はい! 私、全力で吹きます!」


 ひまりが微笑みかけてくる。その笑顔を見て、ひなたは気持ちが高揚するのを感じた。


「チロちゃん……何か私が褒めた時と、反応違くない?」

「えっ、そ、そんなことないですよ、星子先輩」

「怪しい」

「は、ははは」

「チロちゃん、ほんとすごーい。私、結局連符のところとか練習間に合わなくて、休みが多いよ」


 フルートの同期のかおるが言った。


「良いなぁ、全部吹けるの」

「むふふ、頑張ったもん」

「私も早く全部吹きたいなぁ」

「かおるちゃんにはかおるちゃんのペースがあるから、慌てなくて大丈夫だよ」

「牧絵先輩」

「フルートはまずはちゃんと音を安定して出せるようになることからスタートだから。ゆっくり頑張ろう」

「……はーい」


 同期の初心者は、十二人だ。その中で、かおるとひなたが一番出遅れていた。ひまりや牧絵には、オーボエもフルートも楽器自体が難しいから焦るな、とは言われている。

 しかし、コンクールのメンバーに選ばれるために早く上達したくて、つい二人とも気持ちがはやってしまうのだった。


 十二人の中で抜けているのは、みかとののかだ。ののかは元々アルトサックスで吹奏楽を経験しているし、みかも合唱部だった。二人とも音楽の経験があるから、飲み込みが早いのだろう。

 それに、二人ともコウキの指導を受けている。


 一年生の間で、コウキの指導を受けると上達が早いという噂が流れている。上級生の中にコウキの指導を受けたことのある人達がいて、噂の出どころは、その人達からだった。

 ひなたも一週間ほど前に、コウキに練習を見てもらえそうな機会はあった。けれど、星子が見てくれることになって、流れてしまった。


 噂を聞いたのはあの後だったから、見てもらっておけば良かったという後悔が押し寄せてきた。コウキは忙しいようで、あれ以来、機会はやってきていない。


「はい、注目」


 正孝が手を叩きながら言った。部員が静まる。


「皆、楽器の準備は出来たな。じゃあ、本番前の音出しとチューニングを始めます。まずはいつも通りロングトーンから。吹いてる最中にも音程聞いて合わせて」

「はい!」

「じゃ構えて。イチ、ニ、サン、シ」


 全員で同じ音を伸ばしていく。花田高の音出しの始まりは、いつもロングトーンだ。吹いている最中に、互いに聞きあって音を寄せていく。


 ひなたは、まだ音程の掴みが下手だった。合わせようとしてもどうしてもずれてしまい、前に立つ正孝や丘には、何度も指摘されている。

 正孝と目が合う。耳に指を当てる仕草をされて、音程を聴けと指示されたことを理解した。


 隣の星子とひまりが、オーボエのベル部分を少しだけこちらに向けて、音が聴こえやすいようにしてくれる。二人の音程を聞き取ろうと、耳に意識を集中する。

 本番は、もう目前だ。今さらぴったり音程が合わせられるようになるわけでもないけれど、少しでも良くしたい。

 自分の出している音と、他の人の音。同時に聴くのは、難しい。今、自分の音程は合っているのだろうか、とひなたは思った。

 













 小学校でのミニコンサートが終わって、部員は徒歩で花田高へ戻っていた。皆、すがすがしい顔をしている。小学生の受けは良かったし、終わった後に丘が褒めてくれたからというのもあるのかもしれない。


 ひなたも、どうにか吹き終えられて満足していた。音を間違えたり入るタイミングをズラしてしまったり、ミスは多かったけれど、自分なりに頑張ったといえる。


 小学生は、小さかった。今のひなたも大して背が高いとは言えないけれど、やはり比べると、とても小さかった。

 自分にもあんな頃はあったのだ、とひなたは思った。


 もし自分が小学生の時に、あの子達のように花田高の演奏を聴いていたとしたら、もっと早く音楽に夢中になっただろうか。

 小さいうちからひまりのソロを聴けたあの子達は、幸運だ。もしかしたら将来、あの子達の中から、ひまりのような名奏者が生まれるかもしれない。

 想像して、ひなたは一人でくすりと笑った。


「何笑ってんの、ひなた?」


 隣を歩く絵里が言った。クラリネットの入ったケースを大事そうに抱えている。大物の楽器や打楽器以外のパートは、皆手持ちで楽器を運んでいた。木管楽器は日に当たって熱くなると、木が割れる可能性がある。ケースに入っているとはいえ万が一を考えて、抱えているのだ。ひなたもそうして歩いている。


「将来のひまり先輩が、あの中から生まれるのかもって想像してた」

「なんじゃそら、ひなた、ほんとにひまり先輩ラブだね」


 絵里はひなたのことをあだ名ではなく、中学校の頃と変わらず名前で呼んでいる。


「ラブじゃないよ。尊敬してんの」

「はいはい」

「絵里ちゃんは、尊敬してる人とかいないのー?」


 七海が言った。


「んー、いないなぁ。そういうの良く分かんないや。七海と睦美はいるの?」

「いるよー。元子先輩!」

「バリトンサックスの? 関わりあったの、二人?」

「うん、色々お世話になってる。すっごく良い人だよ。相談にも乗ってくれるし」

「へー、知らんかった。何か近づきにくくて、私話したことないや」

「話すと優しい人だよ。ね、睦美」

「うん」


 ひなたも、元子とは挨拶くらいしかしたことが無い。ちょっとお洒落とは言い難い黒縁眼鏡をかけていて、いつも髪型をおさげにしている、ひと昔前の女学生といった見た目の人だ。バリトンサックスの腕が良いのかはよく分からないけれど、元子個人が丘に指摘を受けているところは見かけたことが無いし、それなりに上手いのかもしれない。

 

 話しながら歩いていると、ふと足元に目がいった。


「あ、靴紐ほどけてる。結ぶから先に行ってて」

「はいよー」


 歩道の端に寄ってしゃがみ、楽器ケースを足と腹の間に落ちないように挟み込む。それから、靴紐を結び直す。蝶々結びにしてから、出来た輪っかをもう一度結ぶと、ほどけにくい気がして、スニーカ―を履く時は必ずしていた。そのために、わざわざ既製の紐から、買った長めの紐につけかえている。今まさにほどけているのだから意味が無い気もしないではないけれど、癖のようなものだ。


 結び終えたところで、下を向いていたひなたに、影が差した。見上げると、同期の北川海と竹本浩子が立っていた。ひなたが、苦手な二人だった。

 海はひなたに目もくれていない。浩子だけが無表情で見下ろしていた。


「一ツ橋さん」

「な、何、竹本さん」

「今日の演奏さぁ、どうだった?」

「どう、って?」


 ひなたが立ち上がると、二人が歩き出した。慌てて横に並ぶ。


「あなたの演奏、自分ではどう感じた?」

「私? 私は、頑張れたと思う。完璧じゃないけど、全力で吹けたかなぁ」

「へえ」


 浩子が口元を抑えながら、静かに笑った。

 何となく、不快な笑い方だ、とひなたは思った。


「あのさ、正直に言って良い?」

「え、うん」

「一ツ橋さんの音さぁ……キッツイんだよね」

「え……」

「もうちょっとピアニッシモで吹いたほうが良いよ。音程合ってないし、アーティキュレーションもめちゃめちゃだしさ、目立たないように、小さな音で。ピアニッシモなら、居ても邪魔にならないし」


 言われた意味を理解して、かっと顔が熱くなった。


「ていうか、一ツ橋さんの音、何かに似てるんだよねぇ。なんだっけ、ほら、あのラーメン屋っぽい音」

「チャルメラ?」


 ずっと前を向いていた海が、ぽつりと呟いた。浩子が、大きな笑い声をあげる。


「それ! すっごいチャルメラっぽい!」


 呼吸を、止めた。唇を噛み、ケースを抱える手に力を込める。

 チャルメラを見たことはないけれど、何となく音の想像はつく。

 馬鹿にされたのだ。


「バンドの音を濁してるっていうかー……あっ、ごめぇん、傷ついた? 悪口のつもりはなかったんだよ? 気に障ったならごめんね?」


 浩子ににやついた顔を向けられて、嫌悪感と不快感を感じた。口だけの、謝罪の意思など微塵も感じない煽りの言葉。気持ちの悪い感情を、向けられている。


 言い返してやろう、とひなたは思った。 

 思っただけで、言い返すことは出来なかった。


「ま、皆の足引っ張らないように頑張って。今のままじゃ、メンバーになるのも無理そうだけど」


 それでもう、浩子はひなたに関心を失ったようだった。

 

 歩みを緩め、二人から離れる。

 息を吐き出して、また、唇を噛んだ。一粒涙がこぼれ、慌てて拭った。


 下手なのは、事実ではないか。浩子は本当のことを言っただけで、下手な自分が悪いのだ。

 泣いたら駄目だ、と自分に言い聞かせる。しかし、また涙が滲んできた。制服の袖で、強引に拭う。

 鼻水が垂れそうになり、思い切りすすった。

 泣いたら負けだ。嗤われないように、今は耐えて上手くなるしかないのだ。


「ふぐっ」


 抑えたはずの涙が、また溢れる。涙と共に、強がりがこぼれ落ち、弱音が顔を見せる。

 なぜ、浩子はあんな風に言うのだ。なぜ馬鹿にするのだ。同じ部の仲間ではないか。ひなたを傷つけて、楽しいのか。


「すっごいチャルメラっぽい!」


 浩子の笑い顔と言葉が頭の中で再生されて、またかっと顔が熱くなった。

 懸命に吹いたのに。せっかく、楽しい演奏会だったのに。

 思い出が、浩子の笑みと言葉に黒く塗りつぶされていく。

 自分の頑張りは、無意味だったのか。

 

「チロちゃん。どうしたの?」


 後ろから肩を叩かれて、はっとした。星子の声だ。

 涙を見られたくなくて、袖で拭った。鼻水をすすり、息を吐き出す。

 それから、笑顔を作って顔をあげた。


「星子先輩! 何がですか?」


 星子が、怪訝な表情を見せる。


「どうもしてないですよ?」

「……嘘つくの、下手だね。目が赤いよ」

「そんなこと、ないですよっ」


 袖を掴まれ、持ちあげられた。涙を拭いたところの染みが露わになる。


「……何があったの? 話して」


 星子の声色が、急に優しくなった。その声が、ひなたの中の張りつめたものを緩めた。 

 そういう声を聞くと、まずい。

 ほら、涙が出てきた。

 嗚咽が、ひなたの口から漏れ出していた。

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― 新着の感想 ―
[一言] チャルメラ…オーボエって音によってはチャルメラの音にも聞こえるんですけどね。 世界的に有名なオーボエ奏者のホリガーだって。リードの薄さ次第でそうなるらしいんですけど。 浩子って今まで花田の…
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