十ノ十五 「コウキ先輩の好きな人」
祭りの喧噪。こども達のはしゃぎまわる声。ステージで演奏するバンドの音が、会場を盛り上げている。
まだ五月中旬なのに、夏かと思うような気温だ。しかも、ただでさえ暑いのに、ずっと月音が腕にしがみついてきている。おかげで、月音に掴まれた腕がしっとりと汗ばんでいた。
「月音さん、いい加減離れてくださいよ」
「やだ。一緒にお祭り回ってくれなきゃ離れない」
「だからぁ、俺は他の子と回るんですって。月音さんとは回れません」
「うー、なんでだよぉ」
月音が、頬を膨らませる。
「私とは回りたくないの?」
「っ……そういうことじゃないんだって」
「私は、コウキ君と回りたいよ。一緒に出店で食べ物買ったり、ステージを見たりしたい。一年に一度しかないお祭りだもん。好きな人と回りたいよ」
「月音さん……」
「月音、いい加減にしなよ。コウキ君困ってんじゃん」
逸乃が呆れながら、月音の肩を掴む。
「私達と回ろうよ、ね、月音」
理絵もそばに来て、月音の身体をコウキから引き離した。
「私達と回るのだって初めてじゃん。楽しもうよ、月音」
「それとこれとは、別だもん」
「駄々をこねるこどもみたいだよ、月音。そんなことしてもコウキ君喜ばないと思うけど」
「うー……」
はっとした。
月音が、涙目になっている。
そういう顔をしないでくれ、とコウキは思った。
自分の思い通りにならないと、女の子はすぐそういう顔をする。それがコウキを傷つけるとも知らずに。
「もういい……」
月音が肩を落としながら、コウキに背を向けた。そのまま、どこかへ歩き去っていく。
「あ、月音!」
逸乃と理絵が追いかけていくのを、コウキは黙って見送った。
「……人の気も知らないで」
舌打ちをした。女の子の誘いを断るのに、どれだけ勇気が要ると思っているのだ。
あんな風に悲しませたい訳がない。だが、無理なものは無理だと、分かってほしい。
「コウキ君も、大変だなあ」
正孝がそばに来て言った。
「月音って、あんな奴だったか? 最近ますますコウキ君にベタベタじゃないか」
「俺も、分かりませんよ」
「モテるなあ」
「……モテたくないです」
「なんで? 嬉しくないのか?」
「……モテたって、選べる女の子は一人ですよ。他の女の子は、全員泣かせることになる。告白されて断ると泣かれるってのを経験したら、辛さが分かりますよ」
「それも、そうか」
「先輩は良いですね、摩耶先輩がいて」
「……コウキ君は、好きな子はいないのか?」
おや、とコウキは思った。
正孝に話をはぐらかされた気がした。横を向いて、正孝の顔を見る。どこか表情がぎこちない。摩耶と、何かあったのかもしれない。
「まあ、いますよ」
「えっ、いるんだ」
「そりゃいますよ」
「へえ。まあ……月音、ではないんだろうな」
「……ノーコメントで」
「なんでその子と付き合わないんだ? コウキ君なら、オーケーしてもらえるだろ」
「……今付き合うと、その子を利用してる気がして、嫌なんです」
正孝が、首を傾げる。
「どういう意味……」
「合同バンドの皆さん、良いですか」
丘の声が響いて、正孝が会話を止めた。
「そろそろ動く準備をしましょう。今この場に居ないパートの人がいたら、呼びに行ってください」
集まっていたメンバーが返事をする。
「まあ、この話はまた今度な、コウキ君」
「……はあ」
「じゃ、本番頑張ろう」
「はい」
月音は、戻ってくるだろうか。さすがに本番をすっぽかすようなことはしないとは思うが、隣で吹くから、気まずさはある。
心の中で、灰色の何かが渦巻いている。もやもやとした、すっきりしない何かが。
何も悪くないはずなのに、まるでコウキのせいで月音が泣いたような気がする。
なぜ、こんな気持ちにならければいけないのだ。
こんな気持ちで、良い音楽など出来るわけもない。
早く本番など終わってしまえ。いや、いっそコウキが本番をすっぽかそうか。そんな考えが頭に浮かんだが、すぐに首を振ってかき消した。
周囲を見回して、洋子の姿を探す。洋子と、話したい。だが、合同バンドのメンバーが多すぎて、洋子の姿は見えない。
「くそ……」
また、舌打ちをしていた。
分かってはいたことだけれど、やはりコウキは人気があるのだ、とみかは思った。
合同バンドの中には、コウキのファンが大勢いた。他校生なのにだ。
同じトランペットパートとしてそばにいるから、コウキへの視線は分かりやすい。そして、その多さに驚く。
今も、合同バンドのティーシャツを着た他校生がコウキの噂をしながら、ベンチに座るみかの前を通り過ぎていった。
「コウキ先輩、モテるんだね」
チョコバナナの刺さった割りばしをくるくると回しながら、隣に座るののかが言った。
「まあ、確かにカッコいいけど」
「うん、カッコいいよね」
「みかもそう思う?」
「思うよ、そりゃ。正直、話すの緊張するもん」
「好きなの?」
「すっ……違うよ、好きとかじゃないけど」
「そっか」
「ののかも、コウキ先輩に練習見てもらってるでしょ。緊張しない?」
「私は別に、かな。コウキ先輩は優しいし、緊張しないように気を使ってくれてるし」
「分かる。優しい。でも私は緊張しちゃう」
「あはは」
みかも、手に持っていたチョコバナナを一口かじった。チョコレートのぱりっとした食感と、バナナのねっとりとした食感が同時に口の中にやってきて、甘さが広がる。
祭りと言えば、チョコバナナだ。特に、ピンク色のチョコバナナが好きだ。カラフルなチョコスプレーがかかっていて、派手な色合い。絶対に身体には良くないけれど、こんな時くらい食べたくなる。
小学生くらいの小さな男の子が、わたあめで顔を汚しながら、幸せそうな表情で二人の前を通り過ぎる。親らしき夫婦が、その姿を愛おしそうに眺めながら、後に続いて通り過ぎていった。
さすがに町の大きな祭りだけあって、人が多い。こどもから老人まで、大勢の人が楽しそうに歩いている。
合同バンドの本番も、大勢の観客がいた。多分、二、三百人はいたかもしれない。立ち見や遠くで聴いている人も含めたら、もっといただろう。
「さっき、月音先輩が口を尖らせながら歩いてたの見かけたよ」
「え、私気がつかなかった」
「逸乃先輩と理絵先輩が頭撫でてた」
「あー、なんかさっき、コウキ先輩と祭り回りたいって言って断られてたからかも」
「そうなの?」
「うん。コウキ先輩、別の人と回るからって」
「誰だろ?」
「さあ……彼女、かなあ」
コウキなら居てもおかしくない。むしろ、居なかったら月音のような可愛い人の誘いを断るわけがない。
「むふ。コウキ先輩に彼女はいないよ、お二人さん」
「うわっ!?」
突然耳元で声がして、ベンチから腰を浮かした。振り返ると、テナーサックスの同期の美知留が立っていた。にこにこと笑みを浮かべている。
「美知留……びっくりしたよ」
「いやあ、失礼。コウキ先輩の噂話が聞こえた気がして飛んできました」
「この騒がしさで聞こえたの? 地獄耳?」
「ふふふ。コウキ先輩のことなら私に任せなさい」
よっこいせ、と言って美知留がベンチに座る。手でベンチを叩いて、みかにも着席を促してくる。
ドキドキと音を立てている心臓を抑えながら、みかも腰を下ろした。
「コウキ先輩に彼女が居ないって、なんで美知留が知ってるの?」
「ふふふ、コウキ先輩の情報は我々ファンクラブの間ではしっかりと共有されているのだ」
「ふぁ、ファンクラブ?」
「そうだよ、ののかちゃん」
「そんなのあるなんて、初耳なんだけど」
「元々東中にあったファンクラブだよ。でも私達の代が卒業して、他校にまで広がってるのだ。ファンクラブの中心は私達の代だからね」
「お、おぉ」
目を点のようにしながら、ののかが頷く。
「何、美知留も会員なの?」
「そうだよ、みかちゃん! 私はコウキ先輩の大ファンなのだ!」
右手でブイサインを作りながら、美知留が言った。
「好き、なの?」
「いやいや。好きとかじゃないんだよね。コウキ先輩は眺める対象。私はイケメンは見る専です」
ののかが、目頭を抑えている。みかも、引き笑いのような顔になっているかもしれない。
「お二人さんもどう、ファンクラブに入らない? 入ると、コウキ先輩の情報が沢山手に入るよ~」
「何それ、なんかストーカーみたい」
「し、失敬な! ちゃんとコウキ先輩にはファンクラブの存在は認められてるんだよ!」
「え、マジ?」
「嘘くさぁ」
「ほんとだって! 会長が前にコウキ先輩と話して、生活の邪魔さえしなければ好きにやってくれって言われてるんだもん」
「そう、なんだ」
まあ確かに、そういう人達は認めておかないと面倒な気はする。
多分、コウキも内心は嫌がっていそうな気はするけれど、確証は無いし、それを美知留に言っても理解はしないだろう。
「私は、入会はいいよ。ファンクラブって、何するのか分かんないし」
「私もいいかなぁ」
「ほほう、もったいない。なら、お二人はコウキ先輩の好きな人についても、知らなくて良いのかな?」
思わず、身体が反応してしまった。
ゆっくりと、美知留の方を向く。
「コウキ先輩の好きな人、知ってるの?」
「ふふふ、みかちゃん、興味がおありのようだね」
「べ、別に興味があるとかじゃないけど」
「隠さなくても良いよ良いよ。よーしじゃあ今からコウキ先輩を見に行こう!」
言って、美知留が立ち上がった。
「今行けば、分かると思う!」
「えっ」
手を引っ張られ、無理やり立たされる。
「ついて来て!」
「あ、ちょ」
ののかと顔を見合わせる。
「……行く?」
「……まあ、暇だし、行っても良いけど」
「おーい、早く!」
手を振る美知留。
正直、気にならないと言えば嘘になる。遠くから見るだけなら、良いだろうか。
「行ってみよっか」
「うん」
残っていたチョコバナナを全て口の中に片付け、みかは駆けだした。
美知留の感覚はどうなっているのだろう、とみかは思った。
全く迷うことなく祭り会場の中を移動し、あっという間にコウキの近くへたどり着いた。
まるでコウキがどこにいるのかが分かっているかのようで奇妙だけれど、美知留いわく、コウキの気配を感じる、ということらしい。
ファンクラブの会員は皆そうなのか、美知留が特殊なのか。
「凄いね、なんか」
美知留に聞こえないように、ののかが言った。
「ほら二人とも隠れてないで、見て」
出店の陰から顔を出していた美知留が、袖を引っ張ってくる。
みかとののかも、顔だけを出した。
「あそこ」
美知留が指をさした先に目をやる。人の波の中。コウキはすぐに分かった。隣に女の子が立っているが、後ろ姿で顔は見えない。
「こっち向け~」
美知留が念を送るような仕草をする。
それが届いたのか、女の子が振り向いて、顔が見えた。みかは、思わず感嘆の声をあげていた。
「マジ?」
儚げな雰囲気に、さらさらしていそうな艶のある黒髪、白く透き通るような肌に整った顔立ちで、自然とコウキを見上げる状態になるくらいの背丈。笑った顔が、みかですらきゅんとくる。
美少女とはああいう子のことか、と言いたくなるような容姿だ。
「あれ、あの子、合同バンドのティーシャツ着てる」
ののかが言った。
「ほんとだ」
今日のためにバンドで作られた団名入りのティーシャツで、メンバーしか持っていないものだ。
あれだけ可愛ければ練習の時に気づきそうなものだけれど、あんな子いただろうか、とみかは思った。
「打楽器の子だよ。東中の洋子ちゃん」
「気がつかなかった」
「合同バンドは人が多いしねぇ。打楽器は最後列だし、洋子ちゃん、いつもすみっこにいるし」
「東中ってことは、コウキ先輩の後輩ってこと?」
「そう! 私達の一個下」
「めっちゃ可愛いんだけど」
「ふふふ、そうでしょ。あの子はね、東中の全校男子のアイドルなんだよ」
「あ、アイドル?」
「そう。洋子ちゃんをマジに狙う男子は、東中に百人はいると言われているよ」
絶句して、みかは天を仰いだ。
「ファンクラブに、アイドル……住む世界が違いすぎる」
ぽん、と美知留の手がみかの肩に置かれる。
「うんうん。分かるよ。ほとんどの女の子が、洋子ちゃんの存在を見て、自分達との次元の違いを自覚するんだよ」
「あの子が隣にいるってことは、コウキ先輩の好きな人は……」
「ののかちゃん、そういうこと。まあ、確証はないんだけど、ファンクラブの間では恐らくそうだろうって噂されてる」
「あんだけ可愛ければね」
「ていうか、コウキ先輩と洋子ちゃんは、小学校の頃から仲が良いらしいんだよね」
「そうなの?」
美知留が頷く。
「お互いの家にも行き来するらしいし。ちなみに洋子ちゃんはコウキ先輩超ラブで、他のどんなイケメンに告白されてもフッてしまう、超絶コウキ先輩一筋っ子だよ」
「は、はは」
「ファンクラブの会員の中には、コウキ先輩を本気で好きって子もいるんだけど、洋子ちゃんの存在を知ってるから諦めてる感じ」
「確かに、あの子がコウキ先輩の好きな子だとしたら、勝ち目ないだろうねぇ」
「そう思うでしょ、ののかちゃん。だから、ファンクラブの間では、もうコウキ先輩は眺めるだけの対象になってるんだよ」
「なるほどねえ」
幼い頃から仲が良くて、互いの家を行き来している間柄の女の子と、ぽっと出のその辺の人間では、勝負にすらならないだろう。
早くに諦めて正解だったのだ、とみかは思った。
ののかの言う通り、洋子には勝てる気がしないし、洋子になら負けても仕方ないと思えてしまう。
同性のみかから見ても、洋子はどきっとするような可愛さだ。
「どう、納得できた、お二人さん?」
「うん。まあ」
「そうだね」
「正直ね、私もなんでコウキ先輩は洋子ちゃんと付き合わないんだろうって疑問なんだよね。そこだけは誰にも分かんなくて」
「予想とかは、ないの?」
「んー……」
美知留が、腕を組む。
「まあ、ないことはないんだけど……もしかしたら、コウキ先輩は洋子ちゃん以外にも好きな人がいるのかなぁって」
「まさか」
「いや、それなら洋子ちゃんと付き合わないのも納得かなって。だって、選べるのは一人だけでしょ。二人もしくは三人好きな人がいたら、誰を選ぶか悩むじゃん?」
「……そう、かも」
「それが一番しっくりくるんだよねえ」
本当にそうなのだろうか。
みかは、もう一度二人の様子を見た。仲が良さそうだ。人の多さで、自然と距離が近くなっている。肩が触れて、洋子の顔が赤くなった。見つめ合い、それから、恥ずかしそうに二人が笑った。
それ以上見ていられなくて、みかは視線を逸らした。
間違いない。コウキは、洋子のことを好きだ。
心が、不快にざわついた。




