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青春ユニゾン  作者: せんこう
高校二年生・オーディション編
200/444

十ノ十四 「幡野美代 二」

 クラリネットの練習室の窓から見える景色が、好きだ。

 ちょうどマーチングチームの使う運動場が見える場所にあって、練習に励む萌の姿が見える。萌はこちらに気がつくと、いつも手を振ってくる。

 東中出身の同期は陽介と萌だけで、二人の仲は良い。萌がどう思っているかは分からないが、陽介は萌のことを好いてもいた。


 春から、萌はマーチングチームのメンバーに選ばれている。空間を把握する優れた能力があったようで、重たいスーザフォンを抱えながらでも、隊列から乱れずに動ける萌は、マーチングに向いていたのだろう。


 互いにメンバーを目指そうと交わした約束は、萌のほうが先に果たしてしまった。

 差をつけられたことに、引け目を感じないではない。だが、萌は全く気にした風もなく、変わらず接してくれる。それはありがたいが、同時にみじめにもなる。

 もやもやとした気持ちが晴れなくて誰かと話したくなり、久しぶりに同期のコウキと連絡を取って、互いの近況報告をした。


 東中の頃も、悩むとコウキと話していた。コウキの助言は、いつも的確だった。

 コウキには、今は自分の音楽と向き合うのが一番だ、と言われた。萌に気おくれを感じると、音に影響が出て、余計にメンバー入りは遠のくからと。

 コウキの言う通りだ。結局、吹き続けるしかない。吹かなくてはメンバーにはなれないし、萌に気持ちを告げることも出来ない。


 コウキが進学した花田高の吹奏楽部も、部員数が増えたことで、コンクールメンバーを選ぶオーディションが開催されるらしい。それはつまり、花田高がベストメンバーでコンクールに臨んでくるということだ。去年までよりも、ずっと手強い相手になるのだろう。

 

 コウキなら、きっとメンバーに選ばれるに違いない。中学校の頃から、トランペットの演奏技術は高かった。それに、底が知れない男で、常に何か力を隠しているという印象だった。

 東中の吹奏楽部時代、陽介を部長に推薦したのはコウキだ。陽介はてっきりコウキがやると思っていたのに、部長も副部長もやろうとはしなかった。一部員であろうとし続け、しかし、部にとっては誰よりも重要な存在だった。

 コウキの言葉で部員が動く。そういう時も、幾度もあった。


 今は、学生指導者という音楽面のリーダーの補佐をしているという。東中でリーダーをやろうとしなかったコウキが、どういう心変わりをしたのか。

 どう考えても、陽介よりもリーダーに相応しい男だった。もし東中の部長がコウキだったら、陽介達の代は県大会に行けたかもしれない、と思うくらいには。


「陽介。何か考え事か?」


 いつの間にか、隣に部長の畑中修斗がいた。部の頂点に立つ男で、陽介と同じクラリネットパートである。

 

「あ、はい、ちょっと」

「浮かない顔だが、悩みか?」

「いえ……そういう訳ではないです」

「話しにくいことでないなら、俺に言ってみろ」

「え、と……」


 安川高校吹奏楽部では、部員はコンクールチームとマーチングチームのどちらかに配属され、それぞれメンバー、補欠、練習生に分けられる。

 合同バンドに参加できるのは、コンクールチームのメンバーだけだから、まだ補欠に上がったばかりの陽介は参加出来ていないし、普段の練習も忙しいため、直接コウキとは会えていなかった。

 修斗にコウキのことを聞いてみたい、と陽介は思った。修斗なら、コウキのことをどう評すのか。


「先輩は、合同バンドに参加してる花田高の三木コウキって分かりますか? 俺と同期のトランペットなんですけど」

「トランペット……ああ、あいつか。分かるぞ」

「先輩から見て、コウキってどんな奴ですか?」


 修斗が、腕を組んだ。


「どんな、と言われてもな。話してないから、特に印象は無い。トランペットの腕は良い方だろう。だが、三年の古谷や山口の方が上手い。まあ、際立ったものは持っていない普通の男という感じだが」


 修斗は、そう思うのか。


「それがどうした?」

「コウキが、うちに来てたらなぁ、と思って」

「……何故だ?」

「コウキは何ていうか……周りの力を引き出すのが上手い奴なんです。あいつの言葉で、スランプに陥ってた子が抜け出すとか、沈んでた部員が一瞬で元気になるとかって場面が何度もあって。もしあいつが安川にいたら、俺も今とは違ったかな、ってふと思って」

「陽介がそこまで評価する男なのか、三木という奴は」

「つかみどころのない男でしたけど」


 ふむ、と修斗が呟いた。


「まあ、三木という奴がいてもいなくても、お前がやることは変わらず努力するだけだ。他者には頼るな。お前の成長はお前にしか出来ない。なげく暇があれば練習しろ、陽介」

「……そうですね」

「お前はいずれメンバーになれる」

「……だと良いですけど」

「俺が言うのだから、間違いないさ。頑張れよ」


 そう言って、修斗は去って行った。

 修斗は、顧問の鬼頭が誰よりも優れたリーダーの器である、と評した程の男だ。中学校は吹奏楽の名門の海原中出身で、当時からトップの成績だったという。今は部長職と同時に、コンクールチームのリーダーであるコンサートマスターも兼任している。

 圧倒的なカリスマ性を持つ男で、修斗の背中を見て部員は安心感を覚え、修斗の言葉で鼓舞される。

 今の吹奏楽部が強固な結束を築き上げているのは、修斗の存在が大きい。

 

 だが、と陽介は思った。

 もしコウキが安川高校へ来ていたら。修斗とコウキの、どちらが部長に相応しかっただろうか。


 修斗は、確かに頼りになる男だが、優しいわけではない。練習についてこられない者に救いの手を差し伸べたりはしないし、辞めた者はもう仲間ではないとすら考えている節がある。


 誰もが、修斗についていけるわけではない。

 陽介と共に練習生として頑張っていた仲間は、すでに数人が退部している。彼らはもう戻ってこない。いずれも、中学時代はトップを担う奏者だった子達だ。

 コウキだったら、きっと彼らを見捨てはしなかっただろう。そして、今とは違う部の姿が、あったはずだ。

 

 

 

  











「さわやかフェスティバルの動きなどの連絡は以上です。配布した紙は頭に叩き込んで明日を迎えてください。合同バンドの初舞台です。成功させれば、今後も合同バンドが活躍する場は増えるかもしれませんから、皆さん頑張りましょう」


 指揮台の横に立つ丘の言葉に、バンドのメンバーが元気に返事をする。

 満足そうに頷いた丘は、指揮台に座る鬼頭に何か話しかけ、それから全体を見回した。


「では、今日はこれで終わり、昼食にしましょう。午後以降は各学校の顧問の指示に従ってください。お疲れさまでした」

「起立!」


 クラリネットパートの一番右端に座る男の人が、よく通る声で言った。安川高校の部長だという人だ。

 すぐに、全員が立ち上がる。


「ありがとうございました!」

「ありがとうございました!」


 解散となった。

 美代は、トロンボーンの中に息を吹き入れて、溜まった水分を水抜きから抜いた。滑らかな布で丁寧に管を拭い、それからケースへ仕舞う。

 

「美代ちゃん、ご飯行こう」


 ケースの鍵を閉じて立てかけたところで、東中の華が話しかけてきた。隣に、真紀もいる。


「うん、行く。芝生だよね」

「そう、他の子もすぐ来ると思う」

「分かった」


 椅子の下に置いていた鞄を手に取り、華と真紀と共に講堂を出た。

 眩しい日差しが降り注いできて、一瞬、目を細める。もう、すっかり暑い時期になった。陽に当たっていると、しっとりと汗ばんでくる程だ。美代の苦手な、夏が近い。

 

「明日楽しみだねー」

「うん。でも私、さわやかフェスティバルって行ったことないんだよね。華ちゃんと真紀ちゃんはある?」

「あるよー」

「私も」

「どんなイベント?」

「んー、結構大きいお祭りで、道路が歩行者天国になるの。大道芸人とかバンドとか色々来るし、屋台も出るよ。商店街が主催してるってお母さんは言ってたかなあ」


 華が言った。


「へえ、そうなんだ」

「私達が明日演奏する公園には毎年ステージが組まれて、そこでバンドとかの演技が披露されるんだよ」


 芝生の適当な所に移動して、腰を下ろす。柔らかな草が肌に当たってくすぐったいけれど、それが美代は好きだった。コンクリートや土のザラついて熱い感触よりも、ずっと優しい。


「そっか。見るだけでも楽しそう」

「だね。ねえ、明日は本番終わったら自由行動だし、美代ちゃんも私達と一緒に回ろうよ」

「え」 

「私、もっと美代ちゃんと仲良くなりたいと思ってたんだ。ね、真紀」

「うん」

「どうかな?」

「……うん、私で良ければ」

「やった」


 に、と華が笑った。

 曖昧に、美代も笑い返した。


「おっつかれー」


 ひらひらと手を振りながら、東中のクラリネットのかなが近づいてきた。後ろから、他の木管セクションの子達も歩いてきている。


「いやいやはやはや、疲れたねぇ。金管は片付けが早くて羨ましいですなあ」


 どさっと音を立てて、かなが座る。

 楽器の片付けは、金管は水抜きと空拭きをして仕舞うだけで済むけれど、木管は管内の水分を丁寧に取ってから、分解して仕舞うため、時間がかかるのだ。

 かなは恥ずかし気も無く胡坐をかき、芝生の上に置いた弁当を開いた。


「おっ唐揚げじゃーん、やったね」


 唐揚げを手でつかんで、口に放り込む。


「かな、行儀悪いよ」


 トランペットの真紀が、眉をひそめて言った。


「何言ってんの。インドでは手でつかんで食べるんだから、行儀悪くなんてないよ。知らないの、真紀?」

「手食する人は、左手では食べないけどね」

「む……細かい、細かいよ、真紀! 右も左も一緒でしょ! 差別は可愛そうだぞ。ねえ、左手ちゃん」


 左手に口づけをするかなを見て、真紀がため息をついた。

 二人のやり取りに、くすりと笑ってしまう。


「仲が良いねえ、二人は」

「えっ、うちらのこと、そう見えるの、美代ちゃんには?」

「うん、え、違うの?」

「んー……真紀とは幼稚園から一緒だから、仲良いとかそういう風に考えたことなかったなあ」

「私も」

「何でも言い合える関係って、仲が良い証拠なのかなって思ってた」

「確かに、何でも言い合うけど」

「言われてみればね」

「そうかー、真紀と私は仲が良いのか……」


 にやりと、かなが笑う。


「どう、嬉しいか、真紀?」


 真紀が、眉を歪めた。


「はあ? 別に嬉しくない。私はしょうがないから、かなに付き合ってあげてるだけだし」

「かーっ! 可愛くないねぇ。真紀ちゃんは気持ちを素直に言えない反抗期ですか~?」

「……アホ」

「あ?! アホって言うな!」


 ぎゃあぎゃあと、二人が言い合いを始める。

 

「私……のせいかな?」

「放っておいて良いよ、美代ちゃん」


 華が肩をすくめる。

 言い合うかなと真紀を見て、喧嘩するほど仲が良いというのは、本当のことなのかもしれない、と美代は思った。

 美代には、喧嘩が出来るような親しい友人はいない。海原中の部内には、一緒に弁当を食べる子はいても、かなと真紀のような関係性ではない。

 部全体で、自分以外の部員は競争相手という風潮なのだ。馴れあうとか、仲間とか、そういうのを顧問は好んでいない。

 それは、酷く息苦しい。けれど、海原中の強さの秘訣でもある。


「ところでさ」


 華がおにぎりを頬張りながら言った。

 飲み込み、美代の顔を覗き込んでくる。

 

「美代ちゃん、進学先決めた?」

「あ……ううん。まだ悩んでる」

「そっか。でも、北高は選択肢から外すんだよね?」

「……そうだね。あそこは、もう駄目かな」


 北高は予想していた通り、今年で顧問が変わった。新しく来た女教師は、合同バンドへの参加を快く思っていないのだという。そのせいか練習に来ていないから、まだ姿を見たことはない。


 今の北高生の表情の暗さと音の沈み具合を聴けば、いずれ北高が強豪校でなくなるであろうことは、簡単に想像がつく。

 顧問が変わることで実力が大きく落ちる学校は、珍しくない。北高もその一つとなるだろう。

 この地区の安川、花田、北の三強時代は終わるのだ。


 吹奏楽部が弱い学校へ行くつもりは、美代にはない。勉強も音楽も、どちらも全力で臨める場所へ行きたい。


「でも安川は……やっぱり学力が足りないかな。最悪、他の地区の高校も選択肢に入れようと思ってる。名古屋とかなら、良い学校も多いし。光陽とか」

「遠くない?」

「それは、そうなんだけどね……」

「あのね、花田高の人から聞いたんだけど、今年、あそこから名古屋のN大学に受かった人がいるみたいだよ」

「え、嘘、花田高から?」

「うん。しかも吹奏楽部だったって」


 N大は愛知県の大学の中でもトップクラスで、簡単に入れるような大学ではない。

 

「ちょっと、驚き」

「花田の進学クラスはちゃんとしてるっていうのは、本当なのかもね。本人の努力次第で、N大にも行けるんだもん」

「そう、だね」

「吹奏楽部もかなり強い。美代ちゃんの希望にぴったりだと思うけど」


 花田高の学力は地区でも最低レベルにある。ただそれは普通クラスの話で、美代が入るとしたら進学クラスだから、関係はないのかもしれない。

 

「ちょっと、揺らぐね」

「遠くの学力が高い学校を選ぶのも良いと思うけど、私だったら、通学の時間がもったいないなって思っちゃう。その時間を勉強や練習に充てたいもん。勉強は、どこの学校でも出来る。結局のところ自分次第かなって気がするし」

「それはそうかも」


 移動時間は、確かに不安の種ではあった。

 一度、花田高については教師に相談してみたほうが良いかもしれない。恐らくこのまま行けば、美代は安川高校には届かない。無理をして目指すのも悪くはないけれど、労力を割いてまであそこに行きたいわけではない。

 安川高校は、海原中ほどではないにしろ実力主義だ。しかし、レギュラーの争いは海原中以上に激しいという。そういうストレスは、高校では抱えたくない。


「考えてみる」

「うん。花田高なら、きっと全国大会まで行くよ」

「華ちゃんは、もう行く高校決めてるんだっけ」

「決めてるよ。まだ、誰にも言ってないけどね」

「そっか」


 ふと、もしかしたら華は花田高へ行くのではないか、という考えが頭をよぎった。美代に花田高を薦めてくる理由を考えると、それがしっくりくる。

 以前、周囲からあれこれ言われたくなくて志望校を隠している、と華は言っていた。それが学力の低い学校で周りに反対されるから、という意味なのだとしたら。

 かまをかけてみようか、と美代は思った。


「……華ちゃんと、同じ高校になれたら良いな」


 言うと、ぱっと華の顔が明るくなった。


「なりたい! 超なりたい!」


 華が、美代の手を握ってくる。やわらかな手の感触に包まれ、心臓が音を立てた。


「想像してみて、美代ちゃん! 普門館の、真っ黒な床。客席は満員。全国大会のステージ。そこで、私と美代ちゃんが雛壇の中央に並んでトップを吹いてる。絶対、楽しくない?」


 目を輝かせる華。その勢いに、思わず美代は頷いていた。


「……良いかも、ね」

「でしょ!」

 

 華が、満面の笑みを向けてくる。

 やっぱりそうなのかもしれない、と美代は思った。

 だから美代に花田高を薦めてきたのだと考えれば、自然だ。


 華とは、より高い次元で吹きたい、高度な音楽を奏でたい、という意見が合う。同期で美代と並ぶ実力を持つのも、華だ。

 確かに華と二人で金管セクションの中心を担えたら、心が躍るかもしれない。


「美代ちゃんと、もっと沢山一緒に吹きたいなあ」


 手を放して、華が言った。

 一緒に吹きたい相手。今まで、美代には居なかった。

 華には居る。それが、美代だという。

 自分でも分からない不思議な気持ちが、美代の心の中に生まれ始めていた。

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― 新着の感想 ―
[一言] 前の世界線の花田は北高以上に落ちぶれるのが早かったってことなんでしょうね。 なんせコウキが在籍した3年間は県大会にすら進めなかったという体たらく(その後は分からないけど)。 もしかしたら逆に…
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