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青春ユニゾン  作者: せんこう
小学六年生・美奈編
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一 「戻った代償」

 夢でも幻でもなく、コウキは子ども時代に戻っていた。

 懐かしい実家のマンションで、身体は十二歳の頃のもの。

 一人暮らしになってから顔をあまり合わせていなかった母親も父親も、若返っていた。

 

 ちょうど夏休みだったため、まだ学校はなかったが、間違いなく、かつてコウキが過ごした子ども時代だ。

 テレビからは夏休みになると放送する昭和の特撮ヒーローの番組が流れていたし、中学生の時に壁につけてしまった傷もなくなっていた。


 家の周りも、少しうろついた。景色が、だいぶ違っていた。

 そういえばこんな家があっただとか、あの家の犬がまだ生きてるではないかとか、昔の思い出がどんどんと蘇り、懐かしくなった。

 近所のマンション併設型のスーパーが無くて、まだ一つ前の古いスーパーのままだった。ここのフードコートの大判焼きが、好きだった。


 動き回っていて驚いたのは、自分の身体が嘘のように軽い事だ。

 中学生くらいから吹奏楽部に入った関係で、運動をしなくなった。それ以来、大人になってもずっと運動は苦手だった。

 ところが、この身体は、自由自在に動き回れる。


 小学生の頃は長距離走が得意で、クラスで3番目くらいの足の速さだったのだ。

 小さいこどもは、こんなに身体が軽いのか、というのが正直な感想だ。特別、運動をしていた方では無かったはずだが、それでもこの身体の解放感である。

 走るのが、全く苦ではないどころか、楽しい。

 

 一通り近所を回り、今の状況を把握したところで、一度帰宅した。

 朝まで家にいた母親は、パチンコに出ていた。

 母親と父親は、暇があればパチンコに行く人達だった。実家を離れてから、すっかり忘れていた事だ。


 ただ、いないならいないで自由に動けるから、今はちょうど良い。

 昼食代として、千円が置いてある。

 貴重な金だ。無駄遣いせず、家の中にある食材と炊飯器の中の冷ご飯で、簡単に炒飯を作って昼食は済ませた。置かれていた千円は、まるまるいただいておいた。


「これから、どうするか」


 自室の床に座り込んで、腕を組む。

 まずは最も大切な事として、今後、どう生きていくかを考えなくてはならない。

 そもそも、あの薬を飲んでどの年代に戻るのかも不明であったし、勢いで飲んだために、過去に戻ってからの事に思いを巡らせていなかった。

 薬をもらった時、あの店員は言っていた。


「この時間軸の過去ではない。ほとんど同じだが、微妙にズレた時間軸の過去へと渡ることになる」


 彼の言葉の通りなら、ここは自分が昔経験してきた時間軸というものと、少し違っているのだろう。

 今後起きる出来事が、かつての記憶と微妙に違ってくるのなら、対応の仕方も変わる。

 どの程度ズレた世界なのか、知っておきたい。


 考えた末、もう一度、あの店に行く事にした。

 この時代、この時間軸にもあの店はあるのか。なかったらどうするか。

 不安はあるが、行ってみるしかない。

 あの店員に会えたら、様々な事がわかるはずだ。


 母親が置いていった昼食代の千円と、菓子の缶を利用した貯金箱の中に入っていた千五百円を握りしめ、コウキは駅へ向かった。

 実家から名古屋だと、地下鉄代を合わせても二千五百円あれば十分だ。


 たどり着いた最寄りの駅は、古いままだった。

 未来では、高校生の頃辺りから、改修工事が始まった。整備され、ホームも増えたり周辺が小綺麗になった。

 この頃は、まだ古びた昔の街並みが残っている。思わず、懐かしさがこみあげてきた。


 未来では、駅の改修に合わせて町並みが随分変わった。どこにでもあるような、他の町の駅と代わり映えしない、つまらない町並みだ。

 コウキは、この古臭い空気感の方が、好きだった。

 

「あ、いかん」


 電車が近づいている報せが駅から聞こえてくる。

 あまりゆっくりしていると、夕方までに帰ってこられなくなる可能性もある。懐かしむのは後回しにして、コウキは名古屋へ向かう電車に乗り込んだ。

 夏休みの昼時で、乗客は少なく、小学生一人で乗っているコウキを疑問に思う者はいない。


 名古屋駅で電車を地下鉄に乗り換え、栄で降りた。

 ここからの道はうろ覚えだったが、わずかな記憶を頼りに歩いた。しかし、この時代の名古屋には来た事が無かったし、やはり未来とは風景も全く違っている。


 苦労して歩き回って、どうにかあの路地を見つけた。前回と同様、どうやってたどり着いたのかは、はっきりしない。

 思い出そうとすると、頭にもやがかかったようになる。

 そういう場所、なのだろうか、とコウキは思った。


 足を前に動かして、路地を奥へ進んでいく。

 ここだけは、未来と全く変わっていない。

 並んでいる店は扉を閉めきっているし、ビルの陰で薄暗い。コウキ以外には誰もいないし、室外機の音や車の音だけが響いている。

 そして、一番奥には、あの店があった。


「よかった、ある」


 なかったらどうすべきか、と思っていた。

 この世界では、この店だけが、前の世界との唯一のつながりだ。

 あって、良かった。

 

 扉の横の椅子には、また灰色の猫が座っている。こちらを、じっと見ている。

 深呼吸して、扉を開けた。

 

「こんにちは」


 声をかけて、中を覗く。


「いらっしゃい」


 未来で訪れた時と同じように、店員は変わらぬ姿でそこにいた。まったく若返った風もない。

 よく見ると、店の中の商品も、コウキが訪れたときと変わっていない。あの薬の入った小箱だけは無くなって、置いてあった場所には別のものが置かれている。


「おや? 貴方はもしかして昨日来た、薬の若者かな?」


 店員は立ち上がってこちらへやって来たかと思うと、まじまじと見つめてきた。

 子供姿のコウキと比べると、まるで巨人のようだ。見上げなければ、顔が見えない。


「は、はい。薬、飲みました」


 気圧されながら答えると、店員はにっこりと笑ってコウキを店内へ招き入れた。


「ちゃんと飲んだんだね。おめでとう。どうかな、新しい人生は?」


 店員は、コウキを椅子に座らせ、ポットに入ったコーヒーをカップに注ぎ始めた。カップから、白い湯気が消え入るように立ち上る。

 店内に、香ばしい香りが満ちた。

 

「まだ今日過去に戻ってきたばかりでして……。それより、あの、昨日ってさっき言いませんでしたか……?」

「ん? ああ。ここは時間の流れから外れている空間だからね。いつの時代、どこの時間軸でも、この店は一つ。だから、私にとっては貴方が来たのは昨日だ」

「はあ、そうなんですか……あの、実は色々お聞きしたくて、お邪魔しました」

「うん、分かっているよ。何が聞きたい。言葉にしてみなさい」

「あ、はい……それじゃ、昨日来た時に、ここは前の時間軸とは微妙にズレているっておっしゃってましたが、具体的にどう違うんでしょう?」


 コーヒーを差し出されたので、受け取る。

 店員もカウンターを挟んで椅子に座り、コーヒーを一口すすった。染み入るような息の吐き方をして、コウキを見つめてくる。


「まあ、貴方が過去に戻ってきたという事実が前の時間軸と違うくらいで、今の時点では、かつて貴方が過ごした時間とほとんど一緒だと思うよ」

「なんだ、そうなんですか?」

 

 朗報だ、とコウキは思った。大きな違いが無いのなら、安心して生活できる。


「ただ」


 店員が人差し指を立てた。


「すでに以前の時間軸とは、少しずつ変わってきているのは間違いない。なぜなら、貴方はかつて子ども時代に此処へやってきたことはない。貴方の行動が変わったんだ。それによってそのほかの出来事も変わったはずだよ」


 言われて、はっとした。

 確かに、かつての子ども時代に、この店はおろか、名古屋に来た事もなかった。


「ということは、これから先、俺が過去と違う生き方をしたら未来もどんどん変わっていく、という事ですか?」

「そうなる。だから微妙にズレている、と言ったんだ。貴方が大きく動くほど、この時間軸は前の時間軸と違う未来になるだろう」

 

 なら、うかつに動かないほうが良いのだろうか、とコウキは思った。

 店員が、ふ、と笑った。


「まああまり気にすることはない。この時間軸はこの時間軸だ。あえて前の時間軸と同じにしようとする必要はないだろう。そうなら、わざわざ薬を飲んだ意味がないんだからね」

「それは、確かに……」

「あまり深く考えず、好きに過ごせば良い。貴方個人の動き一つで、世界全体が大きく変わったりはしない。せいぜい貴方に関係する人たちの人生が変わる程度だ。そこから派生する変化も、世界という視点から見ればそう大したものではない」

「じゃあ、過去を変えてしまって、何かペナルティのようなものが起きたりはしないのでしょうか? それとか、アニメや映画でよくあるような、過去を変えようと思っても結局は元の結果に戻ってしまう、というようなことが起きたり」

「うーん……そうだなぁ……」


 店員は背もたれにもたれかかると、黙り込んでしまった。

 考えているのだろう。邪魔をしないよう、黙って待つ。

 

 コーヒーを出された事を思い出し、一口飲んでみた。だが、口に含んだ瞬間、あまりの苦さに思わず顔を歪めてしまった。

 大人の時は、コーヒーは好きではないにしろ飲めないわけではなかった。今は、不味すぎて飲めたものではない。

 こどもと大人で、味覚も変わるのかもしれない。


 コーヒーカップをソーサーに戻し、脇にどけた。

 残すしかない。飲みきったら吐いてしまいそうだ。


「……ペナルティというのは、まあ無いとは言い切れないが……貴方が未来の情報を悪用したりしなければ大丈夫だろう。結果が変わるか変わらないかで言えば、変わるよ。ここはもう前の時間軸ではないのだからね。似ているけれど違う時間軸だから、未来は決まっていない」

「! そうですか」


 ほっとした。

 であれば、新しい人生を好きなように過ごせるという事だ。


 悪用するつもりは元からない。

 それに、大きく人生を変えたいとも思っていなかった。

 ただ、後悔している事をやり直したいのだ。


 満足のいく答えを貰えて、コウキは満足した。

 過去に戻ってきて不安だったが、これで心置きなく生きられる。

 今は、未来の知識と、大人になって得た経験がある。

 それを活かせば、この時間軸での人生を、前より良いものにできるはずだ。


「いろいろと教えていただいて、ありがとうございました。来て良かったです。薬も、ありがとうございました」

「どういたしまして。また来たくなったら来なさい。と言っても、貴方がこの店を求め、この店と商品が貴方を求めなければ、来ることはできないがね」


 そう言って店員は笑った。


 礼を言って、コウキは入ってきた扉まで歩いて行って、手をかけた。

 そこで、ふと思いついて振り返り、一つ質問を投げ掛ける。


「俺の意識がこの時間軸にきた事で、もともとこの身体に入ってたこどもの俺の意識は、どこに行ったんでしょう?」


 その質問に、店員は表情を曇らせた。


「……恐らく、消えただろう。もうどこにも存在しない。その肉体を、貴方が得たもう一つ代償だな。ただ、今の貴方の意識が入ったから、貴方という存在が忘れ去られたりはしていない。周りの人間には、変わらずこどもの貴方の事が認識されている。私も、そこまでは思い至らなかったよ」

 

 肺腑を衝かれたような気がした。

 薬を飲んで消えるのは、自分の肉体と、前の時間軸における三木コウキという存在だけだと思っていた。

 だからこそ薬を飲んだ。


 だが、この時間軸のこの身体に入っていた別の自分の意識は、この肉体を奪ったことで消えた。

 別の誰か——それが例え自分であっても——の命も奪って、コウキはこの世界へ来たという事になる。


 考えてみれば、当たり前だ。

 肉体ごと、過去に跳ぶわけではなかったのだから、別の時間軸で生きている自分の身体を奪う以外に、過去に跳べるわけがない。


 たとえ同じ自分とはいえ、厳密には同一人物とは言えない。その肉体を、こちらの勝手で奪った。

 なぜ、そこに考えが及ばなかったのか。


「ありがとう、ございました……」


 店員に礼だけ言って、コウキは呆然と帰宅した。

 寄り道する気にもなれなかった。

 ぼんやりとしたまま帰宅し、その日は食欲もわかなかったので、飯も食べずに部屋にこもった。

 母親と父親は心配していたが、夏バテと言い訳をしておいた。

  

 誰かを犠牲にして得た、新しい人生。

 生真面目に考えすぎているだけかもしれない。だが、知ってしまったら、もう気楽に生きていく事は、出来そうにない。


 この人生を、何か大切なことに使わなくてはならないだろう。

 その責任が、自分にはある。

 そうでなくては、消えてしまった別の自分に対して、申し訳が立たない。

 悶々と悩むうちに、夜は明けていた。 

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