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青春ユニゾン  作者: せんこう
高校二年生・オーディション編
195/444

十ノ九 「自由曲」

 新入生が入って、東中吹奏楽部は六十人ほどの部員を抱えることになった。

 層が厚くなって、より高次元の音楽が追求できる、と喜んでばかりもいられない。吹奏楽コンクールの中学生の部における一団体の出場定員は五十人であり、東中が舞台に上がるためには、オーディションという選別作業が必須になるのだ。


 選ばれた子と選ばれなかった子と、部を二つに分けてしまう出来事であり、慎重にやらなくてはオーディションが原因で部が崩壊する、ということにもなりかねない。それは最悪の展開であり、そうならないように、部の今後については、顧問の山田と何度も話し合っている。


 しかし、その対策は未だ思いついていない。

 時間だけが、過ぎてゆく。


 今は、とにかく新入生に楽器へ慣れさせ、操作に手一杯の状態から、音楽を奏でられる状態へ持って行こうとしている。どんなに音楽的な要求を華や山田が伝えたとしても、楽器を鳴らすことにしか意識を向けられない状態では、応えようがないからだ。


 どれだけ早く個人の力量を上げられるかに、今年のコンクールはかかっている。そのため、日々の練習は、パート練習を中心として組んでいた。合奏をすると、どうしてもひとり一人の吹く時間が減るし、個人練習では身になる練習を一年生一人でやれるとは限らない。個々人の演奏量を確保しつつ中身のある練習をするには、パート練習しかないのだ。

  

 懸念は、各パートがそれぞれ別の場所で練習するから、だらける部員が現れやすいことである。もしそれがパートリーダーであったら、パートの子はだらけることを拒否しづらい。

 気づくのが遅れると、バンドにとって致命的となる。


 出来る限りサボりを防ぐため、パート練習の時間は山田と華と洋子が各パートを見回ることにしていた。あくまで監視という雰囲気は出さず、練習を指導したり話を聞くような体で、だ。

 どこまで効果があるかは分からない。ただ、今はこうして地道にやっていくしかないと思っている。


 まだ四月で、どうしても危機感の薄い子もいるのは仕方がない。華や洋子のようにコウキと接した時間の多い部員なら、今の時期にどれだけ努力出来るかが重要だということは、教わって理解している。そうでない部員は、その重要性に気づけず、まだ時間はあるからと気を抜いてしまうのだ。

 華から上手く伝えられれば良いのだけれど、中々思い通りにはいかない。

 

「ほんとは、時間なんて無いのに」


 呟いて、ため息をつく。

 あと一週間もすれば五月になり、ゴールデンウィークにはフレッシュコンクールがある。そのすぐ後には合同バンドの本番であるさわやかフェスティバルで、そこから二ヶ月もすれば地区大会だ。

 たった二ヶ月で、課題曲も自由曲も仕上げなくてはいけない。その事実を、どれだけの部員が認識出来ているのか。

 

「華ちゃん、先生呼んできたよ」


 音楽準備室の扉を開けて、洋子が顔を覗かせた。

 考えに集中したくて、音楽室を抜け出して一人で準備室にいたところだった。


「ありがとう、行くね」

「ん」


 微笑んで、洋子が扉を閉めた。

 ゆっくりと、細く息を吐き出す。それから、自分の頬を勢いよく叩いた。


「よし、行こう」


 音楽準備室の扉を開けて、音楽室へ移った。部員は合奏隊形に座って、思い思いに楽器を吹き鳴らしている。華が自分の席に着くと、山田も音楽室へ入ってきた。すぐに、楽器の音が静まる。


「おはよう」

「おはようございます!」


 山田が指揮台に上がって座り、手に持っていた楽譜を譜面台に置いた。


「やっと、自由曲を決めた」


 山田が言った。


「待たせたなあ。毎年、これが一番悩むんだよ。うちに合う曲は何かって。でも、やっと決まった」


 いよいよ発表なのだ、と華は思った。

 華も、自由曲が何になったのかは、まだ聞かされていなかった。

 山田が、楽譜の表紙を部員に見えるように掲げる。

 

「『マゼランの未知なる大陸への挑戦』。今年は、これにする」


 題名を聞いた瞬間、身体が震えた。華が、いつか演奏したいと思っていた曲だった。

 自身が率いる艦隊が世界一周を成し遂げたことで有名な、マゼランの大航海をイメージした曲である。

 思わず、華は拳に力を込めていた。

 

 この曲の最大の見せ場は、後半にあるトランペットのソロだ。希望に満ち溢れた旋律をトランペットが奏で、そこに他の楽器が次々に加わっていく構成になっていて、吹く者も聴く者も感動する名曲である。

 吹きたい。あのソロを、大勢の聴衆の前で奏でたい。


「先生!」


 思わず、立ち上がっていた。


「ありがとうございます。最高の選曲です。私達、頑張ります」

「ああ。これから、忙しくなるぞ」

「皆、頑張ろう」


 華の言葉に、部員達が大きな返事を返した。

 やれる、と華は思った。この曲なら、東中は、高みを目指せるはずだ。

 握りしめていた拳は、熱を帯びて白くなっていた。















 ラジカセから『マゼランの未知なる大陸への挑戦』の音源が流れ終えると、智美が感嘆の息をもらした。


「すっごい良い曲だね」

「ああ。物語性があるというか、聴きやすいよな」

「うん。それに、何と言ってもトランペットのソロが良いね」


 自宅に洋子とコウキを招いて、華と智美と四人で夕飯を共にしていた。

 東中吹奏楽部の自由曲が決まったことをコウキに伝えたくて、誘ったのだ。

 

「この曲をやるってことは、山田先生は華ちゃんに期待してるな」

「はい。絶対に、完璧なソロにしてみせます」


 部活動が終わって帰る時に、山田に呼び止められた。山田は、華にソロを頼む、と言った。トランペットパートの皆も、絶対に華がソロを吹いてくれ、と言った。自分達は吹きたくないのかと聞いたら、最高の演奏をするなら、華が吹くのが適任だ、と返された。

 まだ曲の練習すら始まっていないのに、もうソロを任せたいと思ってもらえるほど、信頼されている。それが何より嬉しいし、期待に、応えたい。


「それにしても今年はかなり早い段階で決めてきたな、山田先生は」

「初心者が多いからかなぁ。練習期間長い方が良いもんね」

「打楽器は何人入った、洋子ちゃん?」

「三人だよ。だから今打楽器八人になった」

「なら、マゼランの編成にも足りそうだね」

「うん。早いところ楽器分け決めなきゃ」 

「難しいってほど難しい曲ではないと思うけど、それでも気は抜けないな。二人とも、頑張って」

「はい!」


 母親がキッチンから出てきて、シチューの鍋を食卓に置いた。湯気と共に、甘い香りが漂ってくる。


「はい、出来たよ。自分達で好きなだけついで食べて」

「ありがとうございます、いただきます」

「いつもすみません」

「良いの良いの。二人が来てくれると、賑やかで嬉しいわ」


 笑いながら、母親はキッチンに戻っていった。

 中央に置かれていた木のトレーに載っている切り分けられたパンを、手元の皿に移す。中村家ではシチューと言えばパンだ。これは、譲れない。しかも食パンなどでは駄目で、フランスパンが良い。シチューと合うのは、あの固いフランスパンなのだ。

 シチューが四人に行き渡り、手を合わせた。


「では、いただきます」


 早速一口食べて、洋子が目を輝かせた。


「何これ、美味しいっ」

「でしょ? うちのシチューは最高だからね」


 何度も頷いて、洋子がさらにシチューを口に運んでいく。


「何でお姉ちゃんが得意気なの。お母さんが作ったのに」

「中村家のシチューだから、私が得意気になって当然でしょ」

「意味分かんないし」


 美味しいのは、間違いないけれど。

 母親のシチューは、市販のルウではなく小麦粉とバターと牛乳で一から作られる。丁寧に小麦粉とバターを火にかけて、牛乳で伸ばすのだ。

 昔、一度だけ市販のルウで作ってもらったことがある。それは母親の手作りと比べると美味しさが天と地の差で、とてもシチューとは呼べないことが分かった。以来、中村家のシチューは、絶対に母親の手作りルウである。


「ところでさあ、うちはいつになったら自由曲決まるの、コウキ?」

「ん、んー……丘先生の中ではいくつか候補は決まってるみたいだけど、最終決定は悩んでるみたいだ。遅くとも、ゴールデンウィークが終わるまでには決めるつもりらしいけど」

「早く吹きたいなあ」

「そうだなあ。何になるんだろうな」

「マゼランみたいな楽しい曲が良い」

「去年のトゥーランドットだって、楽しかっただろ?」

「まあね。でも、私はマゼランみたいなのの方が好きかな」

「分かりやすさは、そうだよな」


 コンクールでは、代表に選ばれやすい曲、選ばれにくい曲というのは漠然とあるようで、毎年必ずどこかの団体が演奏するようなコンクール定番曲は存在する。そうした曲は確かに曲作りがやりやすい面はあるだろうけれど、過去に何度も演奏されてきただけに、昔の名演と比べられてしまう可能性もある。それを避けるために、あえてあまり演奏されたことの無い曲や新曲を選ぶ学校もあったりする。


 花田高の力量なら、それなりに難易度の高い曲でもいけそうな気がするけれど、丘はどういう基準で決めるのだろう、と華は思った。

 吹奏楽コンクールにおける自由曲の選曲方針は、各指導者によって随分違ってくる。過去の花田高の選曲を調べた限りでは、丘は手堅くコンクール向けの曲を選ぶ傾向にある気がする。


「花田も定員マックスで出られるようになったから、選べる曲は沢山ある。でも、今の俺達に向いてる曲、向いてない曲ってのもあるからな。難しいんだろう」

「コウキなら、どういう曲を選ぶ?」

「俺? 俺は、指揮者じゃないからなあ……まあ、あえて言うなら、今年の花田は金管セクションのレベルが高いから、金管が映えるような曲から絞り込むかな」

「へえ。丘先生も、やっぱりそうなのかな」

「いや、丘先生はどうだろう。先生の今の音作りの目標は、自然な音楽だから」

「自然な音楽?」


 智美が首を傾げる。


「どういうこと?」

「俺も詳しくは聞いてない。そのうち先生も語ってくれるんじゃないかな」

「ふぅん……」

「そういえば、合同バンドは東中の一年生も入るの?」


 唐突に話を切り替えて、コウキが言った。洋子が頷く。


「入るよ。高校生の演奏を間近で聴ける機会だから、一年生は初めは全員参加ってことになった」

「そうか。うちは自由参加だけど、初心者の子は全員入るだろうな」

「新しく入った人も、さわやかフェスティバルは出られるのかな?」

「まあ、初心者とかだと吹き真似する箇所も多くなるとは思うけど、入ったら出られるだろうね」

「合同バンドのメンバー、また増えるね」


 洋子が言うと、コウキが首を捻った。


「いや、実はそうでもないかもしれないんだよな」

「どういうこと?」

「北高が結構揉めてて、合同バンドから抜けるかもしれないらしい」

「えっ、何でですか、コウキ先輩?」


 反射的に、華は尋ねていた。


「北高の顧問、今年から変わったんだよ」

「あ、聞きました」

 

 北高の前任の顧問は、勤続年数が十五年近く経っていた関係で、異動の噂が毎年のように流れていた。そして今年、それが現実となった。

 新しくやってきたのは若い女性の教師らしい。


「前の顧問は吹奏楽一筋の人だったけど、新しい人はどうもそうじゃないらしくて。学業優先って方針を打ち出してて、合同バンドへの参加を快く思っていないらしい」

「えぇ、そんな勝手な」

「まあ、北高は進学校だからね。今までは前任の顧問の実績があったから特別だったのかもな」

「抜けないでほしいです」


 北高の人達にも、合同バンドの時には随分世話になっている。いなくなるのは寂しい。


「そうだな。こればっかりは北高の子達に頑張ってもらうしかないけど」

「先生に勝手に部の方針を決められるなんて、最悪。当事者は、私達なのに」


 華が言うと、コウキが唸った。


「そうだなあ……でも、俺達はその先生に守られてるおかげで、好き勝手に部活をやれてるのも、事実だからな」

「だけど……」

「勿論、だからって先生にあれこれ指図されるべきじゃないとは俺も思ってる。生徒も先生も学校も、皆が納得した活動が出来るのが、理想だと思うんだ」

「そんなの、可能なんでしょうか」

「分からない。でも、分からないからって諦めてしまったら、北高の子達は自分達が望むような活動が出来なくなるし、俺達も、北高の子達と一緒に演奏出来なくなる」

「そう、ですね」


 東中も、華達が本気でコンクールに挑戦したいという想いを山田にぶつけなかったら、今の状況にはなっていなかっただろう。動いたから、環境を変えられたのだ。

 やりたいことがあるのなら、正解かどうかは分からなくても、あがくしかないということかもしれない、と華は思った。

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