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青春ユニゾン  作者: せんこう
高校二年生・オーディション編
192/444

十ノ六 「智美を智美として」

 誠は、絵で自分の内側を表現するだとか、世界を変えるだとか、そんな高尚な想いがあって描いているわけではなかった。

 ただ描くことが好きなだけで、深い理由など何も無く、将来は漠然とイラストレーターにでもなれたら良いという程度の夢しかない。


 学校でも絵を描くのは、人と話すのは苦手だからだ。話そうとすると緊張して言葉が出なくなる。そのせいで周りに友達と呼べる人間はおらず、小学校も中学校も、去年も、ずっと一人だった。

 平気なわけではないが、もう、慣れてしまっている。

 うつむいてノートに向かっていれば、時間は過ぎるのだ。


「山田く~ん、何それ、美少女キャラ?」


 人影が差して、誠は身体が固くなるのを感じた。

 手が伸びてきて、腕の下に隠したノートを取り上げられる。


「あっ」


 クラスメイトの、いかにも上位グループに所属していそうな男。汚い物を触るような手つきで、誠のノートの端をつかんでいる。

 誠の絵を見た男は、醜く顔を歪めた。


「……うわ、キッツ。高校生でこんな絵描いてんのかよ」


 投げかけられた言葉に、心が一瞬にして冷える。

 下卑た嗤い声。

 

「キモ」


 ノートが無造作に放られ、地面に落ちた。

 黙ってそれを拾い上げ、胸に抱えた。

 手に、力がこもる。


 誠の絵を嗤ったクラスメイトは、黒板の前に数人で集まり、こちらを指さしてにやついている。

 胃が、ぎゅっとなる感覚。


 恥ずかしい。

 気持ち悪い。

 苦しい。

 

 不快な感情が胸に満ちてきて、誠は目を瞑った。

 

 いつものことだ。どうせすぐ無視されるようになる。それまで耐えていれば良い。


 自分を誤魔化す言葉を、無理やり頭に浮かべていく。平気だと、自分に言い聞かせる。

 ずっと、そうしてきた。 

 彼らに言い返すことなど出来ないのだから、ただ耐えるしかないのだ。 


「山田、見せて」


 不意に、横から声をかけられて、はっとした。

 

「ん」


 手が、差し出される。

 隣の席の、中村智美だった。


「ノート、見せてよ」


 挨拶をされはするが、話したことは一度も無い。その智美が、今は誠を見ている。

 息苦しさを感じた。

 何故、声をかけてきたのだろう。

 智美も多分、上位グループの人間だ。誠とは住む世界が違う。


 見せたくない。だが、抵抗すれば何をされるか分からない。

 逆らわないほうが、良い。

 

 諦めて、ノートを智美に差し出した。 

 すぐに、ぱらぱらとノートをめくる音が聞こえはじめる。

 誠は、うつむいて机の染みを見ていることしか出来なかった。


 きっと、智美も誠の絵を嗤うのだろう。

 今か。もうすぐか。まだか。

 智美が嗤う声を待っていた。早く、解放されたい。

 嗤われて終わりなら、マシなのだ。それだけで済ませたい。

 

 時間が、ゆっくりと進んでいるような感覚。

 いつまで経っても、智美は何も言わない。

 

 ちらりと、横に目を向けた。

 智美は、真剣な表情で誠の絵を見ていた。


「ふーん」


 智美の声に驚き、身体が跳ねた。慌てて、目を逸らす。

 ノートをとじる音。椅子がずれる音。そして机の上に、ノートが置かれる。

 誠は、恐る恐る顔をあげた。


「山田、絵上手いね」


 目を細めて、智美が笑いかけてくる。

 それは、今まで誠が見せられてきた醜い笑みとは、全く別のものだった。


「私は、山田の絵、良いと思った。恥ずかしがんなくていーよ。自信持ちな」

「……嗤わないの?」


 思わず、問いかけていた。


「山田が真剣に描いた絵だもん、嗤わないよ」


 そんな。


「う、嘘だ」

「嘘じゃない。山田が何を描きたいのかが、ぼんやりとだけど伝わってきた。プロの絵みたいに上手いかって言われたら、そんなことない。でも、山田にしか描けない熱が、その絵にはあるよ」


 開け広げていた口が乾いていることに気がつき、唾を飲み込んだ。

 今まで、そんな風に言われたことはない。

 誰もが誠の絵を嗤い、気持ち悪いと言った。


 智美はどこまで本気で言っているのだ。


 不意に、智美が肩に手を置いてきた。

 心臓が、跳ねる。


「今度山田の絵を嗤うやつがいたら、言って。私が許さない」


 呆然として、言葉を理解するのに時間がかかった。

 はっとした時には、もう、目の前に智美の姿は無かった。

 


 


 














 美術部の活動は週に二回あり、美術室と部室である美術準備室を使う。

 美術室は、普段は吹奏楽部が練習に使うが、美術部の活動がある日だけは空けてくれる。

 だから、美術部員は伸び伸びと創作に集中できるのだ。


 美術部では創作物の指定も無く、秋の文化祭時期以外は、自由に好きなことをして良い。

 おかげで、活動時間にじっくりと絵をかける。


 部員は誠以外に五人いるものの、全員女子だから自分から話かけることはできない。

 結局、ここでも一人だ。ただ、誠を馬鹿にする人間はいないため、落ち着いて過ごせる。

 誠にとって、学校で唯一くつろげるのが、部活動の時間だった。


 鉛筆を動かしながら、ふと、智美のことを思い出す。

 不思議な子だ。

 二年生に上がり、同じ四組になって、席は隣だった。


 最初に抱いたのは、友人が多そうな子という印象だ。男女構わず、誰とでも話している。

 返したことはないが、誠にも挨拶をしてきた。

 授業中は寝ていることが多く、時々、学校には来ているはずなのに授業に出ていないこともあるし、昼食の時間には必ずどこかへ消える。


 よく分からない、近づかないほうが良い人間。

 それが、誠が出した智美に関する結論だった。

 

 だが、智美から声をかけてきた。

 誠の絵を見て、良いと言ってくれた。

 あれは、誠を嗤うクラスメイトから、守ってくれたのだろうか。あれから、クラスメイトに絵のことで馬鹿にされたりはしていない。


「……まさか」


 首を振って、浮かんだ考えを振り払う。

 

「そんなはずがない」


 そんなことをしても、智美に何もメリットがない。 

 下手をすれば智美も目をつけられかねないのだから、普通なら見て見ぬ振りをする。今まで周りにいた人間は、皆そうだった。


「山田、何か言ったー?」

「あっ、いえ……」


 声に出ていたと気がついて、顔が熱くなった。

 考えるのは、やめよう。

 考えても、仕方がないことだ。


「お、山田」


 廊下から声をかけられて、顔をあげた。

 楽器を持った智美が、顔を覗かせていた。


「あ……」

「絵描いてるの?」


 手元を覗き込まれて、慌てて腕で隠した。


「隠さなくても良いじゃん。そっか、美術部だったんだね」

「……うん」

「新しい絵が描けたらさ、また見せてよ」

「え、い、いや」

「楽しみにしてるから」


 笑いかけられて、鼓動が早くなった。

 笑顔が、眩しい。


「……何で、僕に構うの?」

「え?」

「僕と話したって、面白くないのに」


 智美が首を傾げる。


「理由なんて無いよ。話したいから話すだけ」

「……分からないよ」

「話しかけられたく、ないの?」

「……そうじゃ、ないけど」

「じゃ、良いじゃん。せっかくクラスメイトになったんだもん。仲良くしよ」


 また、智美が笑った。

 誠は、答えられずにいた。

 ただ、智美の笑顔が綺麗だという思いが、頭の中にぼんやりと浮かんでいた。

 


















「コウキ」


 昼練に行くために迎えに来てくれたコウキに向かって、両手を顔の前で合わせ、謝罪を示す姿勢を取った。


「ん?」

「ごめん、今日は昼練休む」

「珍しいな」

「ちょっと用があって」

「良いよ。じゃあ、また後で」

「ん」


 二年生になって、コウキとは別のクラスになってしまった。最近は帰りも常に他の誰かがいて、二人きりで帰ることは少ない。

 だから、普段は弁当を部室に持っていって二人で食べ、それから昼練をしている。そうしないと、二人でゆっくりと話す時間がないからだ。


 二人で協力してやっていく。智美が入部した時からの約束で、そのためにコウキとは部のことで、いつも意見をすりあわせている。

 そういう貴重な時間だけに、よほどのことが無いかぎり、智美は昼練を休んだりしてこなかった。


 コウキからすれば、事情を詮索したくなってもおかしくない。けれど、こういう時のコウキは黙って流してくれる。だからありがたい。

 コウキが去って行く後ろ姿を見送って、智美は自分の席に戻った。


「山田」

「……何?」

「ご飯一緒に食べようよ」

「……え?」

「今日は昼の用事ないから。嫌?」


 少しの間のあと、誠がゆっくりと首を振った。


「良かった。弁当何持ってきた?」

「コンビニの」

「えー。体力つかないよ、それじゃ」

「僕、料理出来ないから」

「親は?」

「忙し、くて」

「ふーん」


 自分の弁当の包みを開く。

 おにぎりと、具がパンパンに詰まった揚げ春巻きだ。


「春巻き一個あげるよ」

「え? い、いいよ」

「代わりにその唐揚げちょうだい」

「あっ」


 言った時には、もう誠の唐揚げを口に含んでいた。


「あげるって言ってないのに……」

「へっへっへ。もう遅いなー。ま、ほら、春巻き食べてよ」


 眉間に皴を寄せながら、誠が春巻きを取る。

 そのままかじりついて、パリッとした皮が砕ける小気味良い音が鳴った。

 ちょっと、誠の目が見開かれた。


「どう、美味しいでしょ」

「……うん」

 

 顔を赤くする誠を見て、智美は思わず微笑んでいた。

 ここ数日で、誠は大分言葉を交わしてくれるようになっている。

 まだ目はあまり合わせてくれないけれど、数日前に初めて話した時よりも、智美に心を許してくれている気がする。

 それまでは、挨拶すら返してくれなかったのだ。


 誠に話しかけたのは、クラスの男子が誠を馬鹿にしていたのが、不快だったからだ。

 誠は友達がいないのか、いつも一人で絵を描いている。

 そういうところが、男子はからかいたくなるのだろう。

 こどもじみた嫌がらせ。けれど、誠を傷つけるには充分すぎる。


 目の前でそういうことをされるのは、嫌だった。

 男子を注意しても、やめない。むしろ、見えないところで誠へのいじめが始まる可能性もある。

 だったら、誠を一人にしなければ良いと思った。


「山田、クラス以外に友達は?」

「……いないよ」

「作んないの?」

「人と話すのは、苦手だから」

「私とも?」


 誠の箸が止まる。


「まだ、ちょっと」

「そっか」


 沈黙。

 

「……じゃ、私と友達になろう」

「え?」

「私が最初の友達。少しずつ、仲良くなっていこう」


 誠が、ぽかんとした表情をしている。


「嫌?」


 慌てて、誠が首を振る。


「じゃあ、よろしくね」


 笑いかけると、誠は目を逸らしてしまった。


「ゆっくりで良いから」


 スピーカーから、放送部による昼の放送が流れ始める。最近流行りの歌だ。

 それに耳を傾けながら、智美はおにぎりを頬張った。


















 

 授業が終わり、音楽室へ向かうところだった。


「智美ちゃん」


 星子が肩を叩いてきた。星子も、同じクラスだ。

 廊下を、並んで歩く。


「山田君に声かけるなんて、勇気あるねえ」

「え、何?」

「私、去年も山田君と同じクラスだったけど、あの子すっごい暗い子だよ。何考えてるか分かんないし」

「だから?」

「話してて楽しい?」


 むっとした。

 星子のこういうところは、あまり好きではない。

 オーボエは神がかった上手さなのに、人に対する思いやりが足りていない。


「楽しいよ。それに、山田の絵は素敵だし」

「絵描きって、なんか暗いじゃん。変わってるね、智美ちゃん」

「そういうの……聞きたくない。じゃあ星子ちゃんは、由菜やゆかのことも暗いと思うの? 二人も絵描くの好きだよ」


 う、と星子が身体をのけぞらせた。


「……由菜ちゃんとかゆかちゃんは、別に暗いとは思わないよ」

「何で?」

「ちゃんと話して良い子達って知ってるもん」

「なら、山田とも話してみれば良い子だって分かるよ。話さずに決めつけないでよ」

「何、智美ちゃん。何真剣になってるの? ごめんごめん、冗談だよ。山田君はほら、男の子だから、話しかけずらいんだよね」


 星子が笑いかけてくる。

 その顔を見たくなくて、前を向いた。


 人を肩書きや性別、見た目で判断するのは、智美は嫌いだ。

 そんなつまらない要素で決め付けたくないし、決め付けられたくない。

 

 昔から智美は、女の子として見られるのが何となく苦手だった。

 女の子らしいことをするのは、別に嫌いではない。

 けれどスカートを履くのは嫌で、本当は制服のスカートだって履きたくなかった。


 中学三年生頃までは、何故女の子として見られるのが苦手なのか、スカートが嫌なのか、自分でもはっきりと分からなかった。

 コウキと仲直りして、一緒に過ごす時間が増えて、ある時その理由が分かった。

 コウキは、智美を一人の人間として見てくれる。女の子扱いをされることもあるけれど、だから特別扱いをするとか、そういうことはしない。

 智美を、智美として見てくれる。


 その心地良さに気がついた時、自分は自分として見て欲しかったのだと理解した。

 スカートを履いたり足を出すと、異性の視線が集まることにも気がついた。

 智美を智美としてではなく、女の子という存在、性の対象として見ている人間が多いことが、不快感の理由だったのだ。

 

 だから自分以外の人にも、相手を一人の人間として接することを心がけるようになった。

 それが、相手への礼儀なのだと思った。

 きっとコウキはずっと前からそれに気がついていて、やってきていたから、誰といても自然体でいられるのだろう。


 万人に、コウキのような生き方は求められない。

 星子も、星子だ。星子はコウキにはなれない。

 星子の陰口を言う所は、好きではない。けれど、それだけで星子を見限ったりはしない。星子にも、良い所はあるのだ。


 変わってくれたら、とは思う。

 変わることを、強制は出来ない。


「私の前で陰口は言わないでよ、星子ちゃん。悲しくなるから」


 そう伝えることが、智美に出来る、せめてもの行いである。

 

「……ごめん」


 星子は、目線を落としながら、小さく言った。


 誠は、どこにでもいる普通の子だ。別に暗くない。大人しいだけで、それは誠の個性と言える。

 智美には誠のような絵は描けないし、誠は智美のようにサックスを吹けない。

 誰にだって、出来ることと出来ないことがある。

 だから、人は対等なのだ。


 今までは、コウキがそばにいた。

 コウキがいたら、誠のことを放っておかなかっただろう。

 コウキが動いて、きっと誠を嗤ったあの男子も、誠と仲良くなったに違いない。


 けれど、四組にコウキはいない。

 なら、智美がやるしかない。

 誰かがやってくれるのを待っていても、解決はしないのだ。

 望むことがあるのなら、自分で動く。


 少なくとも、コウキならそうするだろう。

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