十ノ二 「部長への期待」
四月になり、部の体制は大きく変わった。これまでサブリーダーであった摩耶、正孝、理絵、梨奈が各役職の正リーダーとなり、理絵が副部長と兼任していた金管セクションリーダーには、月音が就いた。
理絵はパートリーダーも兼任していたし、ホームページの管理などが始まったことで、副部長としての仕事量が増えている。理絵の負担が大きすぎると問題になり、新たに金管セクションリーダーを立てることになったのだ。
月音が金管セクションリーダーに就くことは、理絵が主張し、それであっさりと通った。月音自身も、金管セクションリーダーになることを拒みはしなかった。
各パートリーダーも、去年から務めている理絵、摩耶、牧絵以外は一新している。
花田高吹奏楽部には、リーダー以外にも楽譜の管理をする係や部費を管理する係など多様な係があり、全部員は何かしらに就いている。その各係の長も二、三年生の中から新たに就任して、新体制での活動は本格的に始まっていた。
「リーダー会議を始めます」
英語室に集まった全リーダーとパートリーダーを前に、摩耶は告げた。雑談に興じていた一同が黙る。
「今日が部活動体験期間の初日だったわけですが。皆、それぞれ感じたことや明日以降の動きについて、意見を貰いたいと思います」
「じゃあ、私から」
「どうぞ、理絵」
「今日、生徒玄関前で行った楽器体験に来た人数は、二十五人でした。経験者は二人で、途中から四階の楽器体験に移動してもらいました。他の子は、生徒玄関前の係だった子達から受けた報告では、ふらっと立ち寄ってちょっと触ってみたって感じの子が多かったから、入部に繋がりそうな子は少ない、とのことです」
「それについて俺から一つ。金原みかって子が、また来ますって言ってたんで、その子は脈ありかもです」
「なら、明日以降もその子が来たらコウキ君に任せるから、必ず入部させて」
「分かりました、摩耶先輩」
初心者との接し方に関しては、コウキが部内で一番上手い、と摩耶は考えている。実際、この一年間で初心者だった陸達がここまで上達し、部活動説明会も成功に導くことが出来たのは、コウキが自主的に取り組んでいた七人に対する練習指導が、大きく影響しているはずだ。
五月初めのフレッシュコンクールまでの期間に、今年から実施する予定の初心者だけでの合奏練習も、コウキが指導係を担当することが決まっている。本人が志願したのだという。
初心者の合奏指導に回ると、裏で行われる丘の合奏練習に参参加出来ないことになるのだから、普通は誰もやりたがらない。けれど、コウキはそれも理解したうえで志願している。
現状、演奏技量と指導力のどちらも両立出来ている部員となると、まず名が上がるのは正孝とコウキだ。そういう意味でも、コウキが指導係となるのは、必然とも言える。
損な役回りを押し付けることになってしまっているのが心苦しいけれど、当の本人は喜んでやろうとしているのが、不思議である。
「経験者は何人来た、摩耶?」
梨奈が言った。
「十五人、だね。ちなみに新入生全体で吹奏楽部経験者は二十人だから、五人来てない」
「体験期間の一週間の間、どこかでは来てくれると良いけど」
「来てくれた十五人の反応に関しては、それぞれ対応した人達からは、良かったって聞いてる。でも、レベル的にはどうだった?」
「俺は全体を見て回ってたんだけど」
正孝が手を挙げながら言った。
「正直に言うと、去年のコウキ君や勇一君みたいに、はっきり上手いと言える子は多くは無かった。飛び抜けて上手かったのは、打楽器の丸井千奈さん。あの子はやばいな。マジで上手い。他だと、トロンボーンの内藤真二君くらい。他の子は、上手いんだけどもう一つ、っていう感じがした」
「そっか、厳しいね」
「今時点でそのレベルでも、コンクールまでの三ヶ月で、きっと上手くなりますよ」
コウキの言葉に、正孝が頷く。
「それは勿論。あと、美喜ちゃんや紺野さん、中野さんみたいに、体験期間にも歓迎コンサートにも来なかったけど上手いって子もいるかもしれないしな」
端に座っていたファゴットの中野ゆかが、恥ずかしそうに俯いた。
都が卒業して、木管低音パートには新三年生がいないため、新二年生のゆかがパートリーダーを務めている。内気な子ではあるものの、ファゴットの演奏技術は優れていた。
「てか、技術だけが全てじゃないしね。上手くても協調性が無かったらやっていけないし」
「梨奈先輩、それ、私気になることがあって。今日体験に来てたクラの子からちらっと聞いたんですけど」
「何、夕ちゃん?」
「なんか新入生の間で、すでに険悪な仲の子達がいるらしいです。詳しくは分かってないけど、言い争うような声を聞いたって」
「マジか。誰か他に聞いた人いる?」
梨奈の問いかけに、答える者はいない。
「うーん……まあ、気が合う合わないは、絶対にある。今はとりあえず様子見だね、夕ちゃん」
「……はい」
気が合わなくてもやっていくのが部活動だ。摩耶も、同じ打楽器パートである純也とは犬猿の仲である。
根本的に生き方が違う人種で、出来ることなら同じ空間にいたくないとすら思ってしまう。それでも、純也の技術力と音楽に対する熱意は理解しているから、演奏で険悪さを出したりはしないし、むしろ純也とのセッションは自分でも驚くほど上手くいく。
嫌なところがあっても、別の部分で認め合うことはできる。その新入生達も、そうなってくれれば、問題はない。
「歓迎コンサートに向けた準備で大変だけど、この一週間が今後の部にとってもの凄く重要です。今日来てくれた子達の気持ちを掴むこと。それから、まだ来てない子達が来たくなるような何かも必要。各自、しっかり考えておいてほしいです」
「はい」
「それじゃあ、正孝。明日以降の予定について話して」
「分かった」
正孝が立ち上がったのと入れ替わるように、摩耶は椅子に座る。それから、誰にも気づかれないようにそっと息を吐いた。
自分が部をまとめる立場になって、いかに晴子が凄かったのかが分かる。晴子は、間違いなく優れた部長だった。
自分が、そうなれるのか。
部長という職務の重大さを、正リーダーになってから、より一層強く感じている。自分の一挙手一投足を、部員に見られている気がするのだ。意識してかは別として、摩耶が部長として前に立つに相応しいか、見定められている。
一年生の時のリーダー決めでは、摩耶は満場一致で部長サブになることを認められた。それはあくまで部長サブの話で、正部長として摩耶を認めてくれるかは、また別だろう。
摩耶が部長として相応しい姿を見せなければ、部はまとまりを欠く。そうならないためにも、、気を抜くことは出来ない。晴子のように、部長として先頭に立たねばならないのだ。
正孝の話を聞きながら、摩耶は自然と拳を握りしめていた。
新体制になってから、リーダー会議は三十分以内で終わるようになっている。
だらだらと話していれば、良い案が浮かぶわけではない。短い時間でも、確実に意志の疎通は図りながら、リーダー達の練習時間を確保する。
吹奏楽コンクールで全国大会を目指すのなら、削れる無駄は削ろうという意見で一致したことで、そうなった。
会議が長引かないように、議題が残っていても次に持ち越すようになったし、そもそも持ち越さなくて済むように、話は簡潔に分かりやすく話すことを、各リーダーが徹底するように変わりだしている。慣れるのには時間がかかるだろうが、今のリーダー達なら、すぐに出来るようになるはずだ。
コウキが英語室を出て部室に向かうと、中から月音と万里が出てきた。楽し気に会話をしている。
「あ、コウキ君」
こちらに気がついた万里が、小さく手を振ってくる。
「お疲れ。練習?」
二人の手には、トランペットが持たれている。
「うん。ちょっと月音先輩に高音の出し方を教えてもらいたいたくて」
「へぇ」
「まー、私なりのやり方だけどね」
「俺も行って良いですか、月音さん?」
「良いよ」
「じゃあ、楽器持ってきます」
「美術室ね」
入れ替わるようにして部室へ入り、トランペットの棚に置いていたトランペットを持って出る。
美術室では、月音と万里が談笑しながら待っていた。
「じゃあ、高音の出し方についてだよね」
「はい、月音先輩」
「ちなみに今、万里ちゃんの最高音は?」
「highB♭です」
「曲中で使えるのは?」
「highB♭の下のAがなんとか」
「なるほど。一年でそこまで出せてたら、十分だと思うけどね」
「もっと、出せるようになりたくて」
「目標は?」
「えっと、highDくらいまでは」
トランペットのhighDは、ミの音だ。通常チューニングで基準となるドの音の、一オクターブ上のドがhighB♭で、highDはその上のミということになる。
コンクールで演奏されるような曲では、ファーストトランペットの楽譜に当たり前に登場したりする。
「まあ、そこまで曲中で出せるようになったら、ほとんどの曲が吹けるね。コウキ君は今どれくらい?」
「俺はhighFまでで、曲中でhighDくらいですね」
「目標は?」
「ダブルhighB♭かな」
「ダブルの音域まで行ったら、もうジャズとかだね」
「高音が出れば良いってものじゃないのは分かってますけど、どんな音でも出せたら、それだけ無理のない演奏が出来るかなと」
「一理あるけど」
そう言って、月音がトランペットを構えて音を出した。音階で、チューニングのドから一音ずつ上がっていく。一定の音色で、滑らかな上昇。月音が最後に出した音は、highG、ラの音だった。
高音域は、音が細く弱い印象になりがちだ。だが、月音の出すそれは、しっかりと張りのある音をしている。
「タンギングの力を使って単発で高音が出せても、それは曲で使うのは難しいよ。音階、リップスラー、跳躍、どんな時でも出せるようになるのが重要だね」
「はい」
「とは言え単発ですら出せないとしたら、そもそも出し方が分かってないってことなんだよね。出し方が分からないと、永遠に吹けるようにはならない。どんな形でもまずは出せるようにして、その後に、滑らかに出せる練習をしていく感じが良いよ」
「リップスラーは、毎日やってるんですけど」
「じゃあ、吹いてみて、万里ちゃん」
今度は万里が構え、リップスラーを吹いた。チューニングのドから、倍音列に従ってhighB♭まで上がっていく。その上のhighCは、音がかすれて消えた。
「かすれた時に無理に出そうとすると、だんだん吹き方が癖になっていくから気を付けて。高音の練習は、一音ずつ確実にやること。今日はhighCが出た。次の日は出なかった。次の日はhighDまで出た。次の日はhighB♭までしかでなかった。そうやってムラがありながらも、だんだん一音ずつ吹けるようになっていくから」
「はい」
「月音さんは、誰かにそういう練習法を習ったんですか?」
「ん、うん。おばあちゃんの家の近所に、トランペットを吹いてる人がたまたまいてね。その人から教わった」
「プロだったんですか?」
「分かんない。もう会ってないし、小さい頃だったから。でも、私の練習の基本は、全部その人から教わったものかな」
かなり優れた人だったのだろう。月音に才能があったのは当然だが、その才能を伸ばす練習方法を教えた人がいたからこそ、今の月音がいる。
月音は音大生やプロの演奏家を目指してはいないらしいが、なろうと思えばなれるだけの力は、間違いなくある。
「あれ、三人で練習?」
廊下の窓から、逸乃が顔を覗かせて言った。
「逸乃も残ってたんだ、珍しい」
「まあねぇ。歓迎コンサートの曲、もうちょっとさらっとこうと思って」
「せっかくなら逸乃も一緒に練習しようよ」
「んー……良いよ」
言って、逸乃が美術室に入ってくる。
「高音の出し方について二人に教えてたの」
「え、何それ聞きたい。私も苦手だし」
「って言っても、今すぐ吹けるようになる方法なんてないよ?」
「分かってるよ。それで?」
椅子を引っ張ってきて、逸乃が隣に座ってくる。月音が、もう一度高音の説明を始めだした。
活動報告にも書きましたが、
コンクール自由曲を読者参加型で決めるのも面白いかなぁと思っています。
すでにストーリー的には決めてあるのですが、
もう一曲良い曲があって、そのどちらでもストーリーに大きな変更はないので。
反応が多ければ考えようと思っていますので(なければそのまま自分で決めた曲で書きます笑)、活動報告でコメントお待ちしています。
せんこう




