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青春ユニゾン  作者: せんこう
番外・美奈編
184/444

三 「こんな世界で生きるくらいなら」

 扉を開けて入ってきたのは、元子と同年代の女だった。

 仕事の制服らしきものを着ているが、手ぶらで鞄類は何も持っていない。


 随分と容姿の整った人だ、と元子は思った。背はそれほど高くはないが、すらりとしていて、鎖骨の辺りまで伸びた、綺麗な黒髪が印象的である。

 ただ、頬が赤く腫れているのが気になった。誰かに叩かれたような腫れ具合だ。


「いらっしゃい」

「え」

「そんなところに立ってないで、まあ入って」

「あ……はい」

 

 女は扉の外に一度目をやり、それからゆっくりと閉めた。


「あの、ここは……お店、なんですか?」

「そう。とりあえず、座って」


 カウンタ―の前の椅子を示すと、女は遠慮がちに歩いてきて、そこに腰を下ろした。きょろきょろと、店内を見回している。

 向かい合いながら、女をさりげなく観察した。随分、暗い顔をしている。生きていることに、何の希望も感じていない、とでもいうような様子だ。生気を失った表情のせいで、せっかくの整った容姿も、どこか陰を感じる。


「私はこの店の店主で、山口元子。あなたの名前は?」

「あ、大村……美奈です」

「大村さんね」


 聞き覚えの無い名前だった。

 ミケは、過去に元子と関わりのあった人物の知り合いが来ると言っていた。誰と関わりがあるのか、興味はある。


「あなたが入ってきた扉は、空き地にあったでしょう」

「はい。扉を開けたら、ここに繋がってて……塀だったはずなのに」

「戸惑うのも無理はないね。ここは、日常とは半歩ズレた空間なの。普通の人には、決して来ることの出来ない場所。あなたは、この店を求めた。そして、この店と商品が、あなたを求めた。だから、扉が繋がった」

「仰る意味が……分かりません」

「まあ、そうでしょうね。とにかく、あなたはこの店にたどり着いた。それが事実」

「私はたまたま海を見に行こうと思って、この町に来たんです。こんな店のこと、知らなかった。なのに求めたなんて」

「意識的に求めたかどうかではないの。その辺のことは、私にも詳しくは分からない。ここにある商品も、私が集めたわけではなく、勝手に集まってくる。そして、勝手に客のもとへ旅立っていく」

「あなたのお店なのに?」

「私はただこの店を維持して、客と商品を繋ぐ仲介人みたいなものだから」


 この店の仕組みを一般人の美奈に話しても、理解はしづらいだろうし、話す気もない。


「ところで、あなたが求めたものは、これね」

 

 そう言って、カウンターの下から小箱を取り出し、美奈に渡した。

 軽く、ざらりとした質感の小さな紙の箱である。封はされておらず、箱には何も書かれていない。

 これが店に届いた時には、心底驚いた。遠くにいる父にも確認して、同じものだと判明している。この店に、同じものが二度もやってくることは、滅多にないことだった。

 

「薬、ですか?」

 

 中身を確認して、美奈が言った。


「ええ。それは、時間を渡る薬」

 

 勢いよく、美奈が顔をあげた。その目が、大きく見開かれている。


「正確には、あなたの意識だけを過去に渡らせる薬。いつの時代かは、分からない。似ているけど、微妙に異なる時間軸の過去へと渡ることになる」

「……そんなもの」


 信じられない。震える声で、美奈が呟いた。


「信じようと信じまいと、それは現にそこにある。そして、あなたの手に渡った。もうあなたの物だから、使っても使わなくても、自由だけど」

「時間を戻るなんて、ありえない」

「戻るというのは、正確な言い方ではないかな。確かに渡った先はあなたがかつて過ごした時代だけど、そこから先はまったく別の未来になっていく。同じようで、違う時間軸なの」

「時間軸?」

「あー、何て説明すべきかな」

 

 椅子の背もたれにもたれ、元子は腕を組んだ。


「……無数に存在する世界のこと、かな。例えば、今あなたが生きている時間軸。ここをAだとするなら、あなたが薬を飲むことで渡る先は、Bという時間軸。あなたが飛んだ時点では、Aと全く一緒と言っても良いけれど、そこからあなたの行動が変わることで、未来も変わっていく。だから似ているようで違う。分かるかな」

「……例えば、私が過去と全く寸分違わない行動をしたら?」

「Bという時間軸だけど、Aと全く同じ未来に繋がっていくでしょうね」

「私の行動次第で時間軸というものが変わるなんて、都合が良すぎませんか?」

「別にあなた次第というわけじゃなくて、この世界は、そういう風に出来ているの。誰かが常に選択をしてきた結果、その時間軸になっている。一方で、もう一つの選択肢を選んだ時間軸も、確かに存在している。そうやって、この世界は無数に存在するの。その薬みたいな特別なものがないと、私達には認識も移動もできないけど」

「つまり、平行世界みたいなもの、ですか?」

「まあ、そんな感じ。残念だけど、私にも時間軸について正確なことは分からない。この世界のことは、私達人間が理解するには複雑すぎる」


 客にとって不利にならないように、嘘と本当を混ぜて話す。そうすると、相手は真実にたどり着くことはない。客を相手にする時は、こういう話し方をするのが、元子の癖になっていた。


 本当は、元子は時間軸を移動することが出来る。

 この店は、扉を通じて、全ての時間軸に移動することが可能なのだ。訪れる客も、様々な時間軸から来る。だから、こちらから行こうと思えば、好きな時間軸に行けるし、実際に仕事で赴くこともある。

 ただ、それは、この店を守る人間である、元子と先代の父にだけ許されたことであって、他の人間が時間軸を渡ることは出来ない。

 

「……意識だけが過去に渡ると仰いましたが、私のこの身体はどうなるんですか?」

「消えてなくなる。それだけじゃない。あなたという存在そのものが、今の時間軸から消え去る」

「存在そのものが?」

「その薬を飲む代償や対価みたいなものだね。あなたと関わった全ての人の記憶からも、あなたの存在は無くなる」

「薬を飲むだけで、他の人の意識にまで影響を及ぼすんですか?」

「それ、私達には薬に見えているだけで、実際は薬じゃないの。人智を超えたものだから、私達が認識しやすい形になっているだけで。理屈じゃない」

「……でも、私が生きた痕跡は残るんですよね? 例えば、今住んでいる家とか」

「世界が再構築されるわけじゃないから、そうだね。でも、誰もあなたが住んでいたとは認識出来ない。まあ、あなた一人がこの世界から消えたところで、世界という視点から見れば、些細なことだから、気にすることではないよ。問題なく、世界は動く」


 薬に目を落としながら、美奈は沈黙している。

 戸惑うのも無理はない。だが、美奈はすでにこれが本物だと感じているはずだ。


「他に聞いておきたいことがあれば、今のうちに」

「……意識だけ、ということは、私はどうやって過去で肉体を得るんですか?」


 薬を飲んだ場合の想定を、様々、頭の中で巡らせているのだろう。

 賢い人だ、と元子は思った。

 元子は客を相手にする時、基本的には商品の使い方を教えるだけで、問われない限り、それ以上の情報を出すことはない。逆に言えば、問われれば、答えられる範囲は答える。

 美奈のような客は、相手にしていて面白い。


「別の時間軸のあなたの肉体を得ることになる。つまり、元々その肉体と繋がっていた別のあなたの意識が消え、今のあなたの意識に置き換わる」

「そんな……人の肉体を奪うなんてこと、許されるんですか?」

「さあ。それはあなたがどう感じるか。同一人物なんだから良いという考えもあるし、同一人物でも別の存在だから奪ってはいけないと考えもある」


 しばらく黙ってうつむいていた美奈が、ぽつりと呟く。


「……私は、別の時間軸の私は、幸せになっているんでしょうか」


 まるで、今の自分は不幸だとでも言うような言い方だ、と元子は思った。


「さっきも言ったように、こことほとんど似ている時間軸だから、多少の差はあっても、同じような結果になっていくはずだよ」

「……そう、ですか」

「ところであなた、出身は?」

「え? 愛知、です」

「そう、やっぱり」


 何となく、そうだろうという気はしていた。元子がこの店を継ぐまで、主に過ごしてきたのは愛知県だ。元子と関りがあるとすれば、そこで出会った人なのだろう。


「やっぱり?」

「いいえ、こちらの話。さて、他に聞きたいことは?」

「……突拍子もない話で、信じがたいことです。でも……何となく、本当なんだろうな、って、感じます」

「それで良い。飲むも飲まないも、あなたの自由。ただし、他人には渡さないで」


 静かに、美奈は頷いた。


「話すことがないなら終わりにしましょう。あなたのことは気に入ったから、もし縁があれば、また会いましょう。それに、私は人の相談に乗るのも、結構好きだから」

「え、でも、この店に気軽に来られるんでしょうか」

「さあ、それは、あなたがこの店を求め、この店があなたを求めないと、無理でしょうね」


 美奈を立たせる。そのまま、扉まで案内した。


「あ、お代は?」

「要らないよ。ここは、そういう店じゃないから」

「え、でも」

「いいの。ほら、扉を開けて」


 そっと、美奈の背を押す。困惑した表情を見せたまま、美奈は扉に手をかけた。

 扉が開いた先には、暗い空き地が見えている。


「さようなら、また」


 扉を抜けた美奈の背に、そう声をかけ、元子は静かに扉を閉じた。

 


 

 

 



 















 あの不思議な店を出た後は、色々と頭で考えていた気がするが、はっきりとはしない。

 気がつくと、自宅に帰り着いていた。

 

 自室のベッドの端に腰を下ろし、手の中の小箱を眺める。

 何の変哲もない、ただの箱だ。軽く振ると、中で錠剤が転がる音がする。

 元子は、美奈が求めたからあの店にたどり着いた、と言っていた。


「私が、過去をやり直したいと思ってるってこと?」


 呟いていた。

 確かに今まで、過去を後悔してきた。

 ああしていれば良かった、こうしていれば良かったと、何度そう思ったか分からない。

 父が亡くなった時。私立中学を選んだ時。母が亡くなった時。祖母が亡くなった時。後悔した場面は、山ほどある。

 あれら全てを、無かったことに出来るのだろうか。

 

「いつの時代かは分からない。似ているけど、微妙に異なる時間軸の過去へと渡ることになる」


 元子はそう言っていた。

 母の胎内かもしれないし、十歳頃かもしれないし、去年かもしれないのだろう。

 いつに跳ぶか分からないのは、リスクが高い。


 だが、いつも、考えてきたことだった。

 自分の生きてきた二十八年間は、何だったのだろう、と

 ずっと、母のために生きてきた。父を亡くして、一人で美奈を育ててくれた母の想いに応えるために、母が喜ぶ選択をしてきた。それが自分自身の意志だと、誤魔化しながら。


 そうして歩んできた結果が、今の自分だ。

 人生に、何の喜びも感じていない。

 なぜ生きているのかも、分からない。

 生きていると言えるのかすら、疑わしい。


 母が嫌いだったわけではない。むしろ、母は好きだった。好きだったからこそ、母の想いに応えようとした。

 それでも、後悔はある。

 母の願う通りにやってきた結果、今、確かに一人でも生きていけている。


 だが、満ち足りた幸せは無い。

 生きているとも言えないような人生を歩むこと。母が美奈に望んでいたのは、そうではないはずだ。

 こんなことになるのなら、自らの意志で全てを決めてくるべきだったのではないか。

 そんな風に思ったのは、一度や二度ではない。

 それをやり直す機会が、この手の中にある。


「本当に?」


 怪しい薬かもしれない。過去に渡るなど嘘で、危険なドラッグかもしれない。

 そう考えてみても、結局、これは本物なのだと、心が認めてしまっている。


 薬をベッドに置き、立ち上がる。

 台所へ向かい、冷蔵庫から茶を取り出して、コップに注いだ。ゆっくりと、口に含む。

 茶の甘味が口内に広がり、冷たい感触が喉を通った。


 その後も、何時間も薬を眺めながら考え続けたものの、結局考えはまとまらず、飲むか飲まないか、決められないまま、夜は明けていた。


 洗って乾燥させていた制服は、乾いている。

 それに着替え、予備の鞄を持って、出社した。頬を冷やすのを忘れていたから、少し、腫れは残っている。隠すのも馬鹿らしくて、そのままだ。


 職場に入ると、佐伯が真っ先に近づいてきた。


「お、大村さん。頬は大丈夫?」

「平気です」

「心配したよ、昨日は。良かった」

「もう、始業の時間ですよ。戻られては?」

「でも、大村さんが心配でね」


 わずらわしさを感じる。


「平気ですから」

「あ、あ、うん。そうだね、ごめん」

「席に戻ってください」

「あ、うん」


 へこへこと頭を下げ、佐伯が去っていく。

 そばに座っていたあの女の舌打ちが、耳にまで届いた。


 やがて、上司も職場にやってきて、業務が始まった。

 つまらない仕事だ。やりがいも、何もない。ただ、金を稼ぐためだけの仕事。

 いつも通りこなしていると、上司が近づいて声をかけてきた。


「大村君、頬はどうだね」

「平気です」

「腫れたままじゃないか。昨日は冷やしたのか?」

「忘れてました」

「何をやっているんだ、君は。その顔で出社して、周りに何か言われたらどうするんだ」


 上司の顔が曇っていく。


「はあ」

「厄介事ばかり持ち込むなぁ、君は。もう少し人間関係を良くしようとは思わんのか?」

「しているつもりですが」

「ですが、じゃない。現状なっとらんだろうが。全く、これだから良いとこの出は」

 

 上司が言った。

 この男は、自分の保身のために言っているのだ。美奈の心配など、一切していない。自分の管理する職場で、問題が起きていると上に思われて、評価を下げたくないだけだ。


 なおも小言を言い続ける上司の話を聞き流しながら、ふと視線を感じて横を見ると、あの女がまた、下品な笑みを浮かべていた。

 良く見ると、周りの同僚のほとんどが、美奈を見て嗤っている。


 そうか。ここにいるほとんどの人間が、美奈を疎ましく思っているのだ。改めてそれに気がついた瞬間、美奈は、急速に心が冷えていくのを感じた。

 真面目に会社に出てきたのが、馬鹿らしくなった。


 何を、悩んでいたのだろう。


 気がつくと、椅子から立ち上がっていた。上司が、怪訝な顔をする。


「帰ります」

「は?」

「お疲れさまでした」

「お、おい、待ちなさい、大村君」


 上司の制止を振り切って、美奈は会社を出た。


 自分が生きているこの世界は、何の価値も無かったのだ。

 他人を蹴落とそうとする人間。自分の感情を優先する人間。上にこびへつらうことしか考えていない人間。他人を嗤い、傷つけることが生きがいの人間。

 ろくな人間がいないではないか。


 母もいない。祖母もいない。美奈にとって大切な人は、もう誰もいない。

 この世界に、何の未練がある。

 何も、無いではないか。


 怒りもない。諦めもない。

 ただ、虚しい。

 これが、美奈の生きてきた人生だったのだ。


 家に着き、自室へ向かう。

 机の引き出しから小箱を取り出し、中から錠剤を手に出した。


「こんな世界で生きるくらいなら、過去をやり直す可能性に賭けたほうがマシだ」

 

 勢いで、錠剤を、口に入れた。そのまま、飲み込む。

 全ての人が美奈のことを忘れても、良い。どうせ、美奈が消えて困る人は誰もいない。

 元から、存在していないようなものだった。

 

 ベッドに横になり、天井を見上げる。

 

 どうせやり直すのなら、八歳の頃が良い。

 父が死ぬ歳だ。父を、助けたい。父が生きていれば、全てが違ったはずだ。


 それが駄目なら、十二歳か。

 私立中学へは、もう行きたくない。あそこは、虚しいだけだった。

 母に頼み込んで、公立へ通わせてもらう。

 

 もしくは、高校生だ。母は過労で死んだ。母だけに、苦労をさせたくない。美奈も働けば、楽になる。

 一人でも大切な人がそばにいてくれれば、それで良い。


 考え込んでいると、いつの間にか、身体の自由がきかなくなっていることに気がついた。

 いくら動かそうとしても、瞬きすら出来ない。


 やがて、視界が真っ白になった。強烈な眩さを感じるのに、目を閉じることもできない。

 それから、喉に痛みを感じた。それはすぐに強さを増し、全身へと広がっていった。

 肌に、火傷を負った時のような激しい痛みが生じ、同時に、かきむしりたくなるようなかゆみが襲ってくる。


 なおも、身体は動かせない。

 頭だけははっきりとしていて、まるで拷問を受けているような苦痛が、何十分と続いた。

 実際は数秒だったのかもしれないし、数分だったのかもしれない。

 美奈にとっては、永遠とも思われるような苦しみの中で、いつしか、気を失っていた。

昨日、操作で間違えて物語自体を完結済みにしてしまっていたようです。


ご感想をいただいて気がつきました。


驚かせてしまって、大変失礼しました汗


全然終わらないです!!!


完璧なまでの操作ミスです。


ご心配おかけしました。


すでに連載中に戻してあります。


これからは気を付けます……


せんこう

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― 新着の感想 ―
[一言] ビックリした 最近一気読みしてブクマ入れたばかりだったので打ち切りかと焦りました。 楽しく読ませて頂いてます。
[一言] 完結済になってたの見てちょっと不安だったから表示が消えて安心した。 なろう受けが厳しい内容(非俺TUEEE・非ファンタジー)でなかなかポイントは増えないだろうけど、青春群像劇的な面白さはな…
[気になる点] 完結となってるのは本当!? 3月末の作者コメントで今後の展開について書いてたから操作ミスかな? と思いたいところ。
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