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青春ユニゾン  作者: せんこう
高校一年生・冬編
178/444

九ノ二十 「ホール練習 三」

「明日は、ついに定期演奏会です」


 ホール練習二日目のリハーサルを終えて、舞台で生徒達と向き合っている。静かだし、広いホールに人が数十人しかいないから、丘の声が良く響く。客席には、手伝いの卒部生達が座っていた。


「皆さん、緊張していますか」

「してます」


 一番前のクラリネットの席に座る晴子が、笑って言った。


「私もしています。けれど、同時に楽しみです」


 頷く、生徒達。一人一人の顔を、じっくりと見ていく。

 去年の四月までは、まだ三年生ですら幼い顔だったのに、この一年で、見違えるように良い顔をするようになった。丘がいなくとも自分達で練習を組み立て成長していくし、問題が起きたら、丘に頼ることなく解決していく。

 確実に、自分達の力で歩むことが出来るようになっている。


「皆さんは、良い演奏が出来る。それだけの、力を持っています」


 明日の本番のためにやれることは、すべてやってきた。


「お客さんは、大勢来るでしょう。その全ての人達に、自分達の音楽を伝えようと意識してください。上手くやろう、失敗しないようにしようなどと、考える必要はありません。今の自分は、何を奏でたいか? 何を表現したいか? それを考えてください」

「はい!」

「部訓は、覚えていますね。調和。この言葉を、明日は心に刻み付けておいてください。皆さんで、一つになって良い音楽を届けましょう」


 多くの言葉は、要らないだろう。練習を通して、生徒達とは心を通わせてきた自信がある。

 後は、明日を迎えるだけだ。


 晴子が前に立ち、終わりのミーティングを始めた。丘は舞台袖に移動し、そこにいた香耶の隣に立った。


「結局、進藤先輩から連絡は無かったんだね」

「ええ。ですが、意外とこっそり聴きに来るかもしれませんよ」

「どうかな。あんまり、そんな気はしないや」


 香耶の、力のない笑み。


「……待つのは、疲れますね」

「うん、ほんとに」


 香耶は、もうずっと待ち続けている。そこまで気持ちが保てるのは、凄いことだ。丘だったら、とうに諦めているだろう。

 香耶の気持ちが、叶って欲しい。友人として、心からそう思う。 


「三年生は、明日で最後です。ですが、一、二年生がいる。あの子達と、私は全国へ行って見せますよ」

「……うん?」


 首を傾げる香耶。まっすぐに、その瞳を見つめる。


「小野田には感謝しています。毎年、定期演奏会を手伝ってくださって。仕事を三日も続けて休むのは、良い顔はされないでしょう」

「それは……好きでやってることだから、良いんだよ」

「それでも、私は感謝しています。だから、貴方と進藤先輩が会えるようにしてあげたい。花田が全国大会の舞台に立てば、きっと進藤先輩の耳にも届くでしょう。だから、期待していてください」


 少し目を見開いて、それから、香耶は小さく笑った。


「信じる」

「はい」


 視線を、舞台に戻す。晴子の放った軽口に、部員が笑いを返している。以前は、あんな風に軽口を叩いて、場を和ませるような話し方はしない子だった。

 晴子は、三年生の中で、一番成長した子だ。吹奏楽コンクールの東海大会。あの日が、晴子を変えたのだろう。


 吹奏楽部の顧問をしていて良かったと思うのは、生徒の成長する姿を見られることだ。部活動を通して立派になって、社会へ出て行く。そして、いつかまた部やOBOGバンドにふらりとやって来て、更に成長した姿を見せてくれる。


 それが、何よりも嬉しいのだ。


「丘君、何かしんみりしてない?」

「そうですか?」

「顔が、そんな感じ」

「分かるんですか。さすが、副部長ですね」

「何年の付き合いだと思ってるの」


 互いの顔を見て、笑っていた。

 



 












 夜空を見上げていると、感覚が麻痺してくる。自分という存在が置き去りになって、ただただ、視界を覆う星空だけが、全てになる。

 頭上で輝く、小さな光。あの星は、なんという名だろうか。


「武夫」


 名前を呼ばれて、急速に感覚が戻ってきた。

 ずっと上を向いていたせいで、首が痛い。手を首に添えて、頭を戻す。

 園未が、目の前に立っていた。


「何だ?」

「一緒に帰ろ」

「最初からそのつもりだ」


 もうすぐ、仕事終わりにそのまま父親が迎えに来る。家が隣同士だから、園未も父親の車に乗せていくつもりだった。


「星を、見てたの?」

「うん」

「好きだっけ」

「別に。ただ、見てると何もかも忘れられるからさ。外で暇な時は、見てる」

「そっか」


 頷いて、園未が星空を見上げた。さらりと、髪が垂れる。

 少し前まで、園未は前髪で顔を隠していた。人の視線が、嫌だったかららしい。それが、急に前髪を切って顔を出すようになった。

 武夫は、園未の顔をじっと見つめた。前髪を切ったのは、心境の変化だろうか。


「あのね、武夫」

「うん?」

「私、パートリーダーやるよ」

「……え?」


 星を見続けたまま、園未が声を発する。


「武夫は、ホルンに集中してほしい。他のことは、全部引き受けるから。武夫は、一つのことに集中したほうが、絶対に伸びる。だから」

「でも、園未……人前に立つの、嫌いじゃないか」

「うん。嫌い」


 園未が、顔を戻した。

 痛いね、首。小さく、園未が言った。そして、笑った。


「嫌いだけど、嫌いなことから逃げてたら、逃げた自分の代わりに、誰かが苦しむ。私の場合は、武夫が。それは、もう嫌だなって思った」


 園未と、視線が交わる。


「だから、私がやる」

「良い、のか?」

「うん」


 夜風が吹いて、園未の髪が揺れた。


「武夫はね、本当なら、奏馬先輩だって超えられる力があると、私は思う。でも、私を守るために、無理してた。ううん、私が、無理させてた」

「奏馬先輩を? あり得ないだろ」

「ううん。本当に、そう思ってる。武夫は……ホルンが好きでしょ」

「……ああ」

「好きなことに、夢中になってほしい。そしたらきっと、武夫はもっと上手くなる。今まで、逃げる私の代わりに、武夫が嫌なことと戦ってくれた。でももう、私も自分で戦うから。武夫は、やりたいこと、好きなことに集中してほしい。最後の一年くらい、そうしてほしい」


 言葉に詰まる。園未を見ていられなくて、身体を後ろに向けた。目元が、熱い。それを、見られたくないという気持ちもあった。


「今まで、ありがとね、武夫」

「何で、今言うんだよ」

「今だから。明日で、奏馬先輩はいなくなっちゃうから。だから、言っておきたかった」


 園未は、いつもはこんなに言葉を発したりしない。武夫と居る時ですら、ほとんど話さないのだ。

 園未なりに、想いを伝えようとしてくれていることが、はっきりと分かる。


「明日の定期演奏会、頑張ろうね、武夫。ミュージカル、楽しみにしてるから。私は、武夫のマルが好きだよ」


 熱いものが、胸に満ちてくる。後ろで、園未は微笑んでいるのだろう、と武夫は思った。

 













 


 アルトサックスから抜けていく音を、しっかりと耳でとらえる。一音一音、正確に、丁寧に、美しく。ゆっくりと、確実に音を変化させていく。違和感が生じないよう、神経を研ぎ澄ます。

 決めた目標の音まで上がったら、同じ要領で、今度は音を下げていく。豊かで、心を震わせる音。それを意識して、響かせる。

 

 ホールの中で、正孝の放つ音が反響している。良いホールだ。音を綺麗に響かせてくれる。

 吹き終えて、マウスピースから口を離し、大きく息をついた。同じことを音階の調を変えて繰り返していたから、十五分ほどは連続して吹いていた。


 ホール練習だからとか本番だからとかは、関係ない。いつでも基礎を重視するのが、正孝なりの練習法だった。基礎の積み上げが、曲で活きる。基礎が出来ていないのに曲だけ吹いていても、上手くはならない。

 

 客席で話している一年生達の笑い声が届いてきた。二十分ほど前までは、彼女達も舞台の自分の席で吹いていたが、今は正孝だけだった。もうすぐリーダー会議だから、他のリーダーは楽屋に居るのだろうし、他の部員は、明日に備えて帰ったのだろう。

 

 もっと吹きたい気持ちはあるが、正孝も会議に出るから、片付けを始めなくてはならない。それに、あまり吹きすぎると、疲労が原因で明日の調子が崩れる可能性もある。


 譜面の入ったファイルを閉じて抱え、椅子から立ち上がったところで、名前を呼ばれた。振り返ると、奏馬だった。


「お疲れ様です」

「おう。終わりか?」

「はい、もうすぐ会議だし片付けようかと」

「そうか。なあ、正孝」

「何ですか?」


 奏馬が、手に持っていたノートを差し出してきた。


「これを、やるよ」

「……これは?」


 受け取って、表紙を見る。指導法。短く、鋭い筆跡でそう書かれていた。


「俺なりの指導法をまとめたノートだ。役に立つかは分からないけど、お前に渡す」

「そんなの、いいんですか? 大事じゃないですか」


 奏馬が、こつん、と自分の頭を指さした。


「俺は頭の中に入ってるから良いよ。お前のために書いた」


 表紙をめくる。中には、奏馬の字でびっしりと指導法が記されている。頁をめくっていくと、想定され得る様々な状況に応じた練習法まで書かれていた。


「凄い……ありがとうございます。読み込みます」

「俺は、そこに書いてあるようなことをしてきた。でも、そこに書ききれなかったこともあるから。正孝も、正孝なりにやれば良い。分かんない時に、ちょっと参考にするくらいにしとけ」

「……はい、分かりました」

「じゃあ、後でな」

「先輩」


 呼び止めると、奏馬が振り向いた。


「何だ?」

「あ、いえ……明日は、頑張りましょう」


 頷いて、奏馬は舞台から出て行った。

 

 手に持ったノートに、目を落とす。奏馬はこれを書くのに、どれくらいの時間がかかったのだろう。音楽大学の受験に、ミュージカルの主役に、学生指導者の仕事。やることは山ほどあったはずで、その合間に、正孝のために書いてくれたということである。

 どこまで大きい人なのだ、と正孝は思った。

 

 正孝が花田高に入学して、初めて奏馬を見たのは、部活動説明会だった。木管五重奏を披露していて、奏馬だけ飛び抜けて上手いことは、聴いてすぐに分かった。入部してから、奏馬以外は全員三年生だったことも分かった。


 楽器は違っても、奏馬がいつも気になった。奏馬を超えたい、と思った。 

 同期全員から後押しを受けて、学生指導者に立候補した。必然的に、奏馬と接する機会が増えた。そして、次第に尊敬するようにもなっていた。


 奏馬は、いつも正孝の意見も拾って考えてくれた。決して自分ひとりで決めたりせず、正孝と意見を交わすことを大切にしてくれていた。だから、臆さずに物を言えるようになった。

 奏馬が上下関係にうるさい人間だったら、きっと正孝は反発していただろう。そうでなく、正孝を一人の仲間として扱ってくれたから、学生指導者をやってこれた。


 基礎合奏は、通常は正学生指導者が見るが、不在の時は学生指導者サブが代わりに見ることになっている。奏馬は進学クラスだったから、三年生になるといない日がよくあって、そう言う時は正孝が基礎合奏を見ていた。


 それまでは、完全に奏者としてしか音楽に向き合って来なかったから、自分なりの指導法など正孝の中には存在しなかった。だから、奏馬ならどうするか、という考えでやった。

 それが上手くはまると、嬉しかった。自分でもやれるのだ、と思った。前に立つ自信が、少しずつ付いた。


 今、自分がこうしてリーダーとしてやっていられるのは、全て奏馬のおかげだった。奏馬が様々な面で手本を見せてくれていたから、安心してやってこれた。そのうえ、この、ノートだ。自分がいなくなった後のことまで考えて、このノートを残したのだろう。


 正孝だったら、コウキのために、こんなことを思いついただろうか。きっと、思いつかなかった。

 大きい。大きすぎる人だ。

 正孝は心の中で、ありがとうございます、と呟いた。

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