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青春ユニゾン  作者: せんこう
高校一年生・冬編
177/444

九ノ十九 「ホール練習 二」

 初日のホール練習が終わって、幸はホールの搬入口で携帯を触っていた。

 練習後の自主練も終えて、母親の迎えを待っているのだ。三月後半ともなると、夜でも少し肌寒いという程度で、冬ほどの厳しさを感じなくなってきた。それでも、念のためにマフラーはまだ着けている。

 

 携帯が音を立てた。メールの画面を開く。母親があと十分ほどで着くという報せだった。

 ぎい、という金属音がして、搬入口の扉が開く。中から出てきたのは星子だった。


「幸ちゃん、お母さん待ち?」

「そだよー。星子ちゃんも?」

「私はもう来たって連絡あったから。あ、あれ」


 星子が指を指した方向で、車のエンジン音が鳴ってライトが点灯し、こちらへ向かって動き出した。


「じゃあねー」


 星子が車の助手席に乗り込み、窓から手を振ってくる。


「ばいばーい」


 見えなくなるまで見送って、幸は息を吐いた。

 朝の九時に集合して、今が二十時半だから、半日近くホールに詰めていたことになる。いつもの学校での練習ですら八時が最終下校時刻なのに、ホール練習では九時までだ。

 中学校では、これほど大きな演奏会は経験したことが無かった。ホールを三日間も貸切って練習するというのも驚きで、本番に向けた熱意が、段違いである。


 このホール自体は、中学生の頃から利用してきたから慣れているけれど、ミュージカルや舞台転換などは、初めての経験だった。

 舞台の幕や反響板が舞台の上部へ収納されていくのは、見ていて面白かった。大きいホールだからこその設備だろう。


 また、ぎい、と音を立てて、搬入口の扉が開いた。


「市川さん。お疲れ」

「コウキ君!」

 

 そばに駆け寄る。

 

「もうコウキ君も帰るの?」

「いや、この後リーダー会議があるから、それが終わったらかな。ちょっと休憩に外の空気吸いに来た」

「そっか、お疲れ様。リーダー会議、頑張ってね」

「ありがと」


 コウキが微笑む。その顔を見て、幸は心が満たされるのを感じた。


「嬉しそうだね。良いことあった?」


 コウキが、顔を覗き込んでくる。

 

「え、うん。コウキ君と話せた」

「何だそれ」

「最近、あんまり話せてなかったもん」

「あー、確かに、そうだね。言われてみれば、二人で話すの大分久々かも?」

「でしょ。忙しそうだったし、パートが違うと、中々話せないし」


 いつも、月音がそばにいる。

 

「もっと話しかけてきてくれて良いんだよ?」

「う、うん。何か、緊張しちゃって」

「はは、何で同期なのに緊張するのさ」


 くしゃっと笑って、コウキが冗談めかして肩をぶつけてきた。それだけで、心臓の鼓動が早くなる。

 去年の球技大会の時に、二人で非常階段でサボった。今までコウキとはまともに話せなかったのが、あの日をきかっけに打ち解けられた。それで、話しやすくなったはずだった。けれど、月音が部に戻ってきて、コウキの隣にはいつも彼女がいた。


 月音は、コウキへの好意を全く隠していない。二人の間に割り込みづらくて、話す頻度が減るうちに、また、コウキには話しかけられなくなっていた。


「そ、そうだよね。何かおかしいね」

「遠慮するなよ。友達だろ」


 友達。胸の奥が、ちくりとした。


「うん、そうだね」


 笑って、誤魔化す。

 今は友達でも良い。自分に、言い聞かせる。また少しずつ仲良くなっていけたら、きっと大丈夫だ。

 一台の車が搬入口の傍にやってきた。母親の車だ。


「お母さん来た」

「じゃあ、気を付けてね。お疲れ」


 コウキが手のひらを差し出してくる。その手に自分の手を合わせて、ハイタッチをした。


 車に乗り込み、窓から顔を出す。

 車が動き出しても、見えなくなるまで、コウキは手を振ってくれていた。


「コウキ君と、仲良さそうだったじゃない」

 

 母親がにやにやしながら言った。


「もー、茶化さないでよ」

「あんたが全然コウキ君と話せないって言ってたから、どんなもんかと思ってたけど、良い雰囲気だったわよ」

「お母さんの言葉は当てにならないよっ。だってさっき、友達だろ、って言われたもん」


 マフラーを首から外して、膝の上に置いた。


「友達になれてるなら、良いじゃない」


 母親の言葉に、幸は返事をしなかった。

 友達というのは、恋愛対象とイコールなのか。コウキの中で、幸は恋愛対象として見てもらえているのか。そうではないただの友達なら、芽は無い、ということだ。

 窓の外を流れていく景色を眺めながら、幸は、小さくため息をついた。





















 男子用の楽屋に、リーダー会議のためにリーダーが集まっていた。

 すでにコウキ以外は全員集まっていて、円を描くようにして座っている。

 遅れて入ったコウキは、入り口の傍の椅子に腰を下ろした。


「よし、じゃあ会議を始めよっか」

 

 晴子が全体を見回す。


「今日のホール練、何か感じたことはあった人」

「はい」


 摩耶が手をあげた。


「一部から二部への舞台転換の時、ミュージカルメンバーの着替えが遅かったですね。本番でもあの調子では良くないと思います。実際、香耶先輩も良い顔をしていませんでした。口には出されなかったけど」

「俺から言っておこう」

「お願いします、奏馬先輩」

「他は?」

「トイレにお菓子のゴミが落ちてた。多分先輩達からの差し入れのお菓子。誰が落としたかは分かんないけど、注意したほうが良いと思う」

「うん、じゃあ都から明日言って」

「分かった」


 リーダー達から、次々に意見が上がっていく。

 一年生の智美、勇一、美喜、夕も、最近では意見を言うことが増えた。良い傾向だろう。ただ座っているだけでは、居ないも同然である。様々な意見が飛び交うことで、より洗練された選択肢が見えるようになるのだ。

 意見を言うようになったのは、もうすぐ三年生がいなくなるという実感が増したのと、自分達が上級生になるという意識が芽生えてきたからだろうか。

 

 大体の意見が出尽くした後、晴子が表情を改めて口を開いた。


「いよいよ、あと二日だね」


 晴子の言葉に、全員が頷く。

 

「定期演奏会が終わったらすぐに新体制になるけど。一、二年の皆、心の準備はどう?」


 正孝と摩耶が、顔を見合わせる。


「私達の真似をしなくて、良いからね。摩耶ちゃんと正孝君なりの部を作っていってほしい」

「……はい」

「それ以前に、手本になれてたか、分かんないけど」

「なってましたよ」


 正孝が言った。摩耶が頷く。


「先輩達みたいに、後輩を引っ張れるか分かりませんよ、俺は」

「引っ張ると思わなくて良いさ。皆、一緒に頑張る仲間なんだから」

「奏馬の言う通りだよ。私だって、初めは晴子が部長なんて、って思ってる人達もいた。でも、結局皆、最後まで付いて来てくれた。頑張る姿を見せれば、きっと認めてくれるよ」

「……はい」

「理絵ちゃんが副部長と金管セクションリーダーの掛け持ちだから、来年も正リーダーは四人だね。場合によっては、新しく誰かをリーダーにするのもアリだよ」


 未来が言った。


「え、急にリーダー増やして、良いんですか?」

「過去にはそういう例もあるよ、理絵ちゃん。私達が一年生の時は、部長が受験関係で辞めちゃったから、副部長が部長になって、別の先輩が副部長に新たに就任してた」

「でも、やりたがる人、いるかなあ……」

「月音ちゃんとか、良いと思うけど」


 理絵の眉が、ぴくりと動いた。


「途中入部なのに、皆が納得するでしょうか。確かに、相応しいとは思うけど」

「理絵ちゃんが相応しいと思うのなら、部員も納得させれば良い。それ以前に、月音ちゃんがやりたいと思うかだけどな」


 奏馬の言葉に、理絵は頷くだけだった。


「部活動説明会のアンサンブルの練習は、進んでる?」


 話を振られて、コウキは頷いた。


「曲はそれほど難しいものではないので、良いペースでさらえてます。暗譜で吹けるようになれば大分楽ですから、今は暗譜に必死ですよ」

「わざわざ暗譜までするの?」

「そうなんですよ、晴子先輩! 別に楽譜見れば良いですよね!? 私達に対して、高いハードル掲げすぎですよ、コウキは!」


 智美が言って、夕が首振り人形のように縦に首を動かす。その様子に、他のリーダー達が笑い声をあげた。


「発表時間が限られてるから、楽譜を運んだりセッティングする時間も勿体ないし、演奏中に楽譜を見ていると、細かな意思疎通がしづらくなるだろ。アンサンブルに慣れてないんだから、お互いを見て合わせることを大切にしてほしいんだよ」

「ま、それは一理あるな」


 奏馬が言った。


「今後は暗譜の機会も増えるかもしれないし、暗譜出来る力は鍛えておいた方が良いぞ」

「う~分かってますけどぉ!!」

 

 また笑い声があがって、楽屋が賑やかになった。

 

「沢山、新入生が入ると良いね」


 晴子が言った。


「はい。目標は、以前コウキ君も言ってましたけど、二十二人以上です」


 摩耶が答える。


「今、一、二年生で三十三人だもんね」

「私も、コンクールで本気で全国大会を目指すためには、オーディションが必須だと思ってます。メンバーに選ばれたいっていう気持ちが、きっと部員の力をもっと伸ばします。そのためには、定員の五十五人を超えたいんです」

「最近、二十人を超えたことってあったっけ、都」

「ここ数年は無いね。去年で二十人、途中で智美ちゃんが入って二十一人が最高。摩耶ちゃん達の代は十九人で、私達の代が十八人、その前が二十人だね」

「でも、やっと花田も東海大会金賞を取りました。確実に、知名度は上がったと思います。今年は、上手い子が沢山来る気がします」

「ここ数年、上手い子の多くは、北高校か安田高校に流れてたからな」

「そうなんです、奏馬先輩。でも、北高校の顧問はもうすぐ異動するんじゃないかっていうのは、かなり前から噂になってました」


 摩耶が言った。


「それは避けたいけど上を目指したいって子は、安川高校はそもそも学力が段違いに必要ですし、その他の高校は良くて県大会止まりだから、東海大会金賞の花田高の可能性に賭けて、やってくると思います」


 摩耶と、この地区の学校吹奏楽界について意見を交わしたことはない。自分で、分析したのだろう。


「そういう子が、入学はしたけど入部はやっぱり違うって思ってやめてしまう事態は避けたい。だから、智美ちゃんと夕ちゃんには期待してるよ。経験者も満足させる演奏を」

 

 急に話を振られて、二人が背筋を伸ばした。


「が、頑張ります」

「私も……」

「と言っても、私は、部活動説明会で初心者七人のアンサンブルは確かにインパクトがあると思ってるけど、それだけじゃ不十分だとも思っています」

「って言うと?」

「いくら経験者の入学が増えるかもと言っても、経験者だけで二十二人はまずありえません、晴子先輩。必ず初心者も必要になります。吹奏楽を知らない子達に、もっと部をアピールしないと、入部希望者は増えない気がしてます」

「それは、そうだね。具体的に何か考えてるの?」

「そこは、まだ。でも時間はあまりないので、先延ばしにはできません」


 ある程度先を見る目があるのは、摩耶が優れた部長の資質を持っている証拠だ。

 目の前のことに精いっぱいになっていると、全てにおいて後手に回ってしまう。それは、次第に部の動きが停滞していく原因となる。

 先を見越して動ける人物がリーダーとして存在していると、組織は優れた成果を出しやすくなるものである。


 実際、摩耶の代のリーダー決めの時、摩耶は満票で部長に選ばれたという。一年生の頃から、摩耶は優れた素質を感じさせる部分があったのだろう。コウキが入部して最初の頃は冷たさを感じるところもあったが、晴子との関係が改善されてから、少し丸くなったような印象を受ける。

 摩耶が先頭に立っていれば、部員はかなり良いまとまりを見せるだろう、とコウキは思った。


「うーん。何か、良い案がある子はいる?」


 晴子の問いかけに、コウキは手をあげた。


「毎年、部活動説明会と歓迎コンサートは絶対やってるんですよね」

「そうだよ」

「初心者で不安なのは、自分でも楽器を吹けるだろうか、ついていけるだろうか、っていう部分だと思います。だから、体験入部の期間に楽器体験会を開くのはどうでしょう。実際に吹いてみると、自分が吹奏楽部で楽器を吹いている姿を想像しやすくなります」

「確かにね。でも、それはいつも体験入部の期間にやってはいるよ」

「あくまで音楽室や総合学習室で、です。申請すれば、生徒玄関の外でもやらせてもらえるはずです。わざわざ職員棟の四階に行く気は起きない子も、帰り道にやっていたらちょっと覗いてみようと思うと思います」

「なるほど、良いかも」


 口元に手をやりながら、摩耶が言った。


「その場で、初心者で入った場合のフォローについて説明するのも有効だと思います。具体的なフォロー策は、初心者を対象とした合奏練習や個別練習を、正孝先輩と計画しています。経験者に混じっての練習も必要ですが、基礎から丁寧に教える時間も必要です。今年の初心者の子達は昼練でそれをやってましたが、部の活動として取り入れます。そうしたフォローがあると分かれば、初心者でも入部しやすくなると思います」

「そこについては、どうなの、正孝?」

「コウキ君が言った通りだよ。初心者を短期間でレベルアップさせるのは絶対に必要だ。全体合奏ばかりしていると、練習の軸を経験者に置くか初心者に置くかが難しくて、効率が悪くなる。初心者には、早い段階で合わせる力を身に着けてもらうために、例年のようにフレッシュコンまでの間個人練習をさせて放置するんじゃなくて、上級生がついて教える」

「誰が見る?」

 

 奏馬が言った。


「コウキ君です」

「正孝じゃないのか?」

「俺が志願しました。正孝先輩は正学生指導者だから、経験者組の練習に居た方が良いと思います。それに、俺は初心者に教えるのが得意なので、役割分担をしようと話し合って決めました」

「なるほどな。けど、初心者が十人以上になったら、コウキ君一人で見きれるのか?」

「その辺は実際の人数次第ですが、場合によっては誰かもう一人くらい志願者を募るかもしれません。でも、現状では俺一人のつもりです。さっき摩耶先輩も言ってましたが、コンクールに臨むにあたって、オーディションが行われる可能性があります。初心者を見ると、自分の練習時間が削れますし、あまり他の人に負担をかけたくはないです」

「そうか。まあ、良いと思う」

「ちょっと良いかな」


 岬が手をあげて言った。晴子が頷く。


「今の感じだと、初心者に向けた対応が多い気がする。部活動説明会も、メインターゲットは初心者だし。経験者が入りたいと思うこともしないとじゃないかな」

「そうですね。そこも、考えないと」

「考えることは、いっぱいだね、摩耶ちゃん」


 晴子が、優しい笑顔を摩耶に向ける。


「でも、きっと摩耶ちゃんなら皆をまとめられると思う。困ったことがあれば私達に連絡してね。卒業した後でも、協力できることは何でもするから」

「……はい」


 ぱん、と乾いた音が、晴子の手から発せられた。


「もっと話したいけど、会館が閉まる時間になるから、今日はここまで。また明日ね」

「はーい」

「じゃあ、お疲れさまでした。気を付けて帰ってね」


 ぞろぞろと、リーダー達が楽屋を出て行く。


 定期演奏会は、明後日だ。

 最後の本番が近づいている緊張と、三年生がいなくなる寂しさと、新しい体制が始まる期待と不安と。様々な感情が、押し寄せてくる。それは他のリーダーも同じで、だからこその活発な議論だったのだろう。

 楽屋の天井を見上げて、コウキは軽く息を吐いた。

 

「……帰ろう」


 誰に言うでもなく、呟いていた。

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