表示調整
閉じる
挿絵表示切替ボタン
▼配色
▼行間
▼文字サイズ
▼メニューバー
×閉じる

ブックマークに追加しました

設定
0/400
設定を保存しました
エラーが発生しました
※文字以内
ブックマークを解除しました。

エラーが発生しました。

エラーの原因がわからない場合はヘルプセンターをご確認ください。

ブックマーク機能を使うにはログインしてください。
青春ユニゾン  作者: せんこう
高校一年生・冬編
175/444

九ノ十七 「華と洋子」

 雀の鳴き声が聞こえて、目を開けた。


 夢を、見た。それは、覚えている。

 目が覚めると、内容は忘れてしまっていた。


 目からこぼれ落ちる涙が、何か大切なことを忘れてしまったのだ、と気づかせた。

 手で目元の涙を拭い、かざす。甲についた水滴が、朝日で輝いている。


 何を、忘れたのだろう。

 思い出せない。


 決して、忘れてはいけなかったことのような気がする。

 こと、なのか。

 人、なのか。


 分からない。

 思い出そうとしても、何も思い出せない。

 

 夢なのだろうか。

 夢ではないのかもしれない。

 ただ、心にぽっかりと大きな穴が空いたような気分がする。


 ゆっくりと、智美は顔を横に向けた。

 時計が、六時半を示している。


 寝過ごしてしまったのだと気がついた。慌ててベッドから跳ね起き、寝間着から制服に着替える。前の晩に、次の日の用意をしておく癖をつけておいて良かった。


 コウキとの待ち合わせの時間はとうに過ぎているから、先に学校へ行ってしまったかもしれない。

 吹奏楽部に入ってから、寝坊をしたのは初めてだった。

 

 家を飛び出す頃には、夢のことなど、忘れていた。
















「あれっ、コウキ!」

 

 念のため待ち合わせ場所に顔を出すと、コウキが待っていた。


「ごめん、寝坊したのに待っててくれたの?」

「いや、俺も寝坊した」

「うそ、コウキも?」

「ああ、何でかな。昨日は早く寝たのに」

「私もだよ。いつも通り寝たのに……」

「何となく、智美も来るかもと思って待ってた。とりあえず、行くか」

「あ、うん」


 自転車で一列になって、走り出した。

 この時間でも、まだ道路を走る車は少ないようだ。もう少し経つと、通勤の車も増えるのかもしれない。


「何で、二人して寝坊したんだろう」


 前を走るコウキに聞こえるように、少し声を大きめにして言った。


「分からない。でも、夢を見てた気がする」


 その言葉に、驚いた。そして、自分もそうだったのだと思いだした。


「コウキも?」

「も、って……智美もか?」


 信号待ちで、隣に並んだ。互いに、顔を見合わせる。


「どんな夢だった?」

「わかんない。覚えてないんだ」

「……俺もだ」

「でも……そう……なんか、大事な夢だった気がする」

「それも、同じだ」


 信号が青になって、また一列になって走りだした。

 二人して、夢を見ていた。そして、内容を覚えていない。

 そんな偶然が、あるのだろうか。


「思い出そうとしても、全然思い出せない」

「うん」

「そもそも、本当に夢を見ていたのかな」


 コウキの返事は、無かった。

 重い空気のまま、自転車を走らせ続けた。花田町に入り、田園地帯を抜けて五分ほどすると、花田高が見えてきた。

 敷地内に入ると、職員棟の四階から、楽器の音が聞こえてくる。グラウンドでは、運動部が走る姿が見えた。駐輪場に自転車を止めた後も、コウキとは特に会話をすることもなく、部室へと向かった。


「あれ、おはよー。二人がこの時間に来るの、初めてじゃない?」


 音楽室からちょうど出てきた星子が、声をかけてきた。


「おはよー。うん、寝坊しちゃって」

「え、二人とも?」

「そう」

「はあ、仲良いね、ほんと」

「そういうんじゃないって」

「どうだか」


 にやにやとしながら、星子が部室へと入っていった。ため息をついて、総合学習室へ向かう。すでに他の部員が大体登校してきていて、個人練習が始まっている。


「智美」

「ん?」


 自分の席に向かおうとしたところで、コウキが呼び止めてきた。


「何か、思い出したら教えてくれ」

「分かった。そっちも、教えて」 

「……ああ」


 去って行くコウキの顔は、どこか冴えなかった。

















 ベランダに座り込み、空を見上げていた。

 鳥の群れが、視界の端から端へと飛び去って行く。今日は、澄んでいて良い空だ。 

 校舎のベランダは南向きになっているおかげで、陽の光が直に届く。三月中旬ともなると、空気の冷たさも和らぎだしていて、暖かく感じるほどだった。


 手に、少し力を込める。繋いだ洋子の手から、力が返ってきた。

 心が、落ち着く。


「二年生、終わっちゃったね、華ちゃん」


 洋子が言った。


「うん」


 終業式が終わり、クラスは解散している。すでにクラスメイトもほとんど教室内にはいない。

 一年間は、あっけないほどすぐに終わる。もう、来月には三年生になるのだ。


「この一年、楽しかった?」

「うん。華ちゃんがいてくれたおかげでね」

「私も、楽しかったよ。洋子ちゃんがいたから」

「えへへ」

 

 洋子がこちらを向いて嬉しそうに笑ったから、つられて、華も笑っていた。

 スプリングコンサートが週末に控えているため、午後からは練習だ。東中の近くに出来た五百人規模の小ホールで開催するコンサートで、三年生が抜けた後にやる、最初の本番である。新生東中吹奏楽部の実力を見せる良い機会として、部員は皆やる気になっている。


 ただ、今日くらいは、洋子とゆっくりとこうしていたい、と華は思った。何もかも忘れて、ひたすら空を眺めていたい。何かあったわけではないけれど、二年生が終わるという事実が、そんな気分を起こさせたのかもしれない。

 実際に、気持ちを言葉には出したりしない。部長として、してはならないことだからだ。部員の手本にならなくてはならないのに、さぼりたいなどという気持ちは、見せてはいけない。

 

「来年は、同じクラスになれるかなあ」


 少し顔を曇らせて、洋子が言った。


「どうかな。でも、もしなれたら、四年間同じクラスってことになるね」

「六年生の時からだもんね。そう考えると、三年間同じだったってだけでも、凄いことだよね」

「ずっと、一緒が良いね」

「うん、ほんとに」


 洋子と話すようになったのは、小学四年生の頃だ。洋子が、コウキとコウキの親友の拓也と、三人で小学校の石像の移設について、署名活動をしていた。

 石像の存在は、華も知っていた。何故こんなところにこんなものが、と思ってはいたけれど、大した興味も無くて、半分忘れかけていた。

 署名活動でチラシも配っていて、そこに書かれていた内容を読んで、華も署名をした。

 暗い感じの子なのに、何か凄いことをしている、と気になった。思い切って話しかけてみて、そんなに暗い子ではないのだと分かった。人と話すことに慣れていないからおどおどとしているだけで、根は明るい子なのだろう、と感じた。


 六年生で、同じクラスになった。段々と深い話をするようになって、昔から男子にいじめられていたのだと知った。誰がいじめてきていたのか、洋子から名前を聞き出した。その男子の洋子に向ける眼差しが、好意から来るものだと、華には分かった。


 男子特有の、好きな子にいじわるをする、あれなのだろう、と思った。洋子には分からないように、男子達に釘を刺しておいた。それでも洋子に手を出そうとする子は、締めあげた。


 男子にとっては好きな子と接触するための手段だとしても、からかわれる本人からすれば、苦痛以外の何物でもない。洋子は多分、今でも男子は苦手だとは思っているはずだ。

 一年生の時に出た文化祭のバンド演奏以降、洋子は東中男子の中で憧れの対象になっていて、言い寄る男子が増えた。当時に比べて減ったとはいえ、今も洋子を狙う男子は学年問わず一定数存在していて、それを、洋子自身は苦痛に感じている。


 どうにかしてあげたいが、他人の気持ちを操作することは出来ない。なるべくそばにいて、男子が近づいてこないようにしてあげるくらいしか、華には出来なかった。そばにいれば、奥手な男子だけでも近寄ってこなくなる。


「小学校の時ね」


 洋子がぽつりと呟いた。


「コウキ君と拓也君が卒業しちゃって、凄く悲しかった。もう、学校に行きたくないって思った。でも、華ちゃんがいてくれたおかげで、学校が楽しくなったの」

「洋子ちゃん」

「去年もそうだよ。またコウキ君と拓也君が卒業しちゃって、寂しくなった。でも、華ちゃんが隣にいてくれた。いつも華ちゃんがいてくれたから、やってこれたよ」


 急に目元が熱くなって、洋子から目を逸らした。

 

「そんなの、私の方こそ、洋子ちゃんのおかげで、今がある」

「そうなの?」

「だって、部長になって、うまくいかなかった。全然駄目だった。私のせいで部が壊れそうだったのに、洋子ちゃんが、繋ぎとめてくれた。私こそ、洋子ちゃんがいてくれて良かった」


 昔から、自信に満ちていた。トランペットも、音楽も、人付き合いも、何もかも、上手くやれていた。自分は特別であるという気持ちが、少しはあった。

 実際は、そんなことはなかった。他の子と同じで、一人では何も出来ない人間だった。洋子が隣で支えてくれたから、やってこれたのだ。華にとって、洋子は誰よりも大切な存在だ。


「違うクラスに、なりたくないね」


 思わず、呟いていた。握られた手に力が込められたのを感じて、華も握り返した。


「うん」

 

 ずっと一緒にいられたら良いのに。不可能なことを思って、胸が痛くなった。


「お二人さんっ。やっぱここか!」


 急に頭を叩かれて、反射的に振り向いて見上げていた。クラリネットの同期のかなが、窓から身を乗り出して笑っている。


「痛いなあ」

「そんな強く叩いてないよ!」

「何の用?」

「なになになに、なんか華、怒ってるの?」

「頭叩かれて怒らない人はいないでしょ。それに、今は洋子ちゃんと話してたのっ」

「えぇ、良いじゃん~別に! ねえ、洋子?」

「え、えっと、かなちゃん、何か用事があったんじゃないの?」

「そうそう、あんね、花田高の定期演奏会、スプリングコンサートの翌日じゃん。真紀と一緒に行こうって話してたんだけど、二人もどうかなぁと思ってさ!」


 言われて、はっとした。忙しさで、すっかり忘れていた。智美からも、観に来いと言われていたのだった。


「私は、一人でも行くつもりだったよ」


 洋子が言った。


「ほんと? じゃあせっかくだから一緒に行こうよ!」

「うん!」

「華は?」

「うん、行く」

「決まり! 何気に四人でどっか行くの初めてじゃない?」

「確かに。楽しみだね」

 

 にこりと洋子が笑った。

 

「コウキ先輩に会えるの、超楽しみ~!」


 目を輝かせて語るかなの姿に、思わず笑ってしまった。


「ほんと、かなはコウキ先輩のことばっか」

「ったりまえでしょ。私の癒しだよ、癒し」

「あっそ。はあ、もーいいや、音楽室行こ。お昼ご飯食べなきゃ」

「あ、そだね」

 

 洋子と一緒に、ベランダから教室内に戻る。机の上に置いていた鞄を持って、三人で教室を出た。


 並んで話し合っている洋子とかなを眺めながら、華はため息をついた。もう少しだけ、洋子と二人で過ごしていたかった。もしかしたら、ああしてベランダで日向ぼっこを出来るのは、今日が最後かもしれなかったのだ。

 

 華にとって、あの時間は癒しだった。三年生でも洋子と同じクラスになれないと、ああして過ごす時間は取りにくくなるだろう。

 どうか、洋子と同じクラスになりますように。口の中で呟いて、華はまたため息をついていた。

評価をするにはログインしてください。
ブックマークに追加
ブックマーク機能を使うにはログインしてください。
― 新着の感想 ―
このエピソードに感想はまだ書かれていません。
感想一覧
+注意+

特に記載なき場合、掲載されている作品はすべてフィクションであり実在の人物・団体等とは一切関係ありません。
特に記載なき場合、掲載されている作品の著作権は作者にあります(一部作品除く)。
作者以外の方による作品の引用を超える無断転載は禁止しており、行った場合、著作権法の違反となります。

この作品はリンクフリーです。ご自由にリンク(紹介)してください。
この作品はスマートフォン対応です。スマートフォンかパソコンかを自動で判別し、適切なページを表示します。

↑ページトップへ