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青春ユニゾン  作者: せんこう
高校一年生・冬編
172/444

九ノ十四 「武夫と園未 三」

「あら、園未ちゃん、いらっしゃい」

「こんにちは、おばさん。武夫君と遊びに来ました」

「部屋にいるわよ、上がってちょうだい」

「お邪魔します」

「あとでおやつ持っていくわね」

「ありがとうございます」


 礼をして、武夫の部屋へ向かう。扉の前に立つと、中からゲームの電子音が聞こえてきた。静かに扉を開け、中を覗く。


「武夫君」

「おう、遅いよ、園未。もう先にやってる」

「ごめんね、宿題が難しくて」


 部屋に足を踏み入れ、扉を閉める。こちらに背を向けて、武夫がテレビ画面を見ている。画面には、桃色の丸い生物が横に進んでいくゲームが映し出されている。

 武夫の隣に移動して、腰を下ろした。


「箱の中にコントローラーあるから、繋げて出てきてよ」

「分かった」


 言われた通りに箱からコントローラ―を出し、灰色のゲーム機に差し込む。ボタンを押すと、画面上に桃色の生物とは別の生物が現れた。黙々と、二人でゲームを進めていく。

 

 学校が終わって宿題を済ませると、隣の武夫の家に遊びに行くのが、小学生の頃の日課だった。ゲームが好きな武夫に付き合って、大抵は一緒にやっていた。園未はあまり上手くないから、いつも武夫にはドジだと言われて、それでも、武夫と一緒に何かをするのは楽しいから、嫌ではなかった。


「おやつ、置いておくわね」


 武夫の母親の声に、二人して曖昧に返事をする。それも、いつもの光景だった。やり始めると、二人でゲームに夢中になっていた。


 武夫の家では、ゲームは一日一時間半まで、と決められていたから、それが終わった後は、一緒に漫画を読んだり、話をして過ごす。何でもない時間なのに、それが、心地良かった。


 あの頃の園未は、武夫以外の男の子とは、ほとんど話すことができなかった。何故かは分からない。別に、いじめられていた訳ではない。


 武夫はそんな園未に、いつも優しかった。男の子の友達に、遊びに誘われることもあっただろう。けれど、必ず学校の後は園未と一緒にいてくれた。


 いつもそばにいてくれる優しい人。そんな風に、武夫のことを見ていた。男の子の中で唯一信頼できるのが武夫で、困ったことがあれば、武夫に頼っていた。そして、武夫は必ずそれに応えてくれた。


 中学生になって、二人とも吹奏楽部に入った。顧問は、厳しい人だった。園未も武夫もホルンに配属されたけれど、あまり上手い方ではなかったから、よく叱られていた。


 一学年上の奏馬は、二人の練習に、よく付き合ってくれた。他の上級生からは下手だと疎まれていたのに、奏馬だけは、見捨てないでいてくれた。


 二年生になると、柚子が入ってきた。活発な子で、あまり部員と関わろうとしていなかった園未にも、柚子は積極的に話しかけてきた。


 ホルンパートでは、奏馬と園未と武夫と柚子の四人で過ごすことが多かった。奏馬の同期の、もう一人の上級生とは、四人とも、あまり上手くいっていなかったのだ。

 

 奏馬が卒業すると、パートリーダーを園未と武夫、どちらがやるかで問題になった。

 園未は、人と話すのが得意ではなく、とてもやれる気がしなかった。けれど、それを口にすることも出来ずにいた。武夫が、園未の気持ちを察して、自ら名乗りを上げて、パートリーダーになってくれた。

 

 新しい体制になってから、ホルンパートは苦労した。園未も武夫も柚子も、新しく入った一年生二人も、飛び抜けた技術力は持っていなかったのだ。合奏でホルンパートが指摘されることが増え、その責任は武夫にあると、顧問に叱られることが増えた。


 武夫は、耐えていた。けれど、園未は知っていた。陰では、泣いていたことを。

 パートリーダーも、やりたくなかったに違いない。でも、やらざるを得なかった。学年が上がるほどに、武夫の背負うものは増えていった。それに比例して、武夫は物静かな子になっていった。


 少しでも、園未がその重荷を一緒に背負えていたら、武夫は、今でも明るい子だったかもしれない。頼り切って、甘えていた園未が、武夫をこんな風にしてしまったのだ。


 自分さえ、しっかりしていれば。何度、そう思ったか分からない。

 自分が周囲からどう思われているのか、考えると、怖かった。人の目が、嫌だった。噂されているのではないかと気になったり、嫌な気持ちを抱かれているのではないかと、不安になったりした。


 それが嫌で、前髪を伸ばすようになった。顔を下げていれば、前髪のおかげで視界が覆われる。手元の本に目を落としていれば、外の世界を知らなくて済む。気休めでも、それで安心していられた。

 

 その逃げるような弱い気持ちが、いけなかったのだ。武夫は優しいから、弱い園未を守ろうと、もっと頑張るようになった。そして、もっと暗くなっていった。

 園未が、武夫を辛い目に合わせてしまった。


 もう、武夫に甘えるのは、やめなくてはならない。

 怖い。怖くて、嫌になる。今更変えて、周りから何を言われるかと思うと、胃が痛くなる。胸が締め付けられる。頭がくらくらする。身体が、震える。

 それでも、もう、駄目なのだ。これ以上、武夫一人に背負わせるわけにはいかない。園未が、変わらなくてはならない。
















「え、園未、イメチェン?」


 朝、部活動のために登校すると、自転車置き場から出てきた月音に声をかけられた。


「うん、そんなところ」

「ふーん。良いじゃん、すっごく可愛いよ。てか、園未ってそんな顔してたんだね」


 月音が、前髪にそっと触れてくる。

 目を隠すのをやめるために、美容院で、おまかせで切ってもらった。自分では、似合っているのか、よく分からない。


「奥二重だね」


 まじまじと月音に見つめられ、顔を背けてしまう。人と目を合わせるのは、あまり慣れていない。


「もっと早くそうしてれば良かったのに。これからモテるかもよ、園未」

「別に、モテたくない」

「そっか。行こ、朝練」

「うん」


 隣を歩く月音を、ちらりと盗み見る。園未が、月音のように明るい性格だったら、武夫を傷つけなくて済んだのだろうか。


「武夫は、今日は来るかな?」

「分からない。最近、一緒に登校、してないから」

「来ると良いね」

「……うん」

「私にも、出来ることはある?」

「……分からない」

「……だよね。でも、何か頼りたいことがあったら、言って。仲間じゃん」

「うん……ありがとう」


 総合学習室で、それぞれの定位置に別れた。鞄を机の上に置いて、窓の外に目をやる。薄く雲が広がっているせいで、景色全体が灰色を帯びている。ここ最近は、晴れ間が少ない。


 昨日、音楽準備室の武夫のところに行った。武夫は涙を流し、気持ちを表に出した。今までは陰で泣いていたのに、園未の前で泣いてしまうほどに、武夫の心は疲れ、傷ついていたのだろう。


 園未は、武夫に声をかけてやることが出来なかった。帰りも、別だった。

 鞄を、握りしめる。固い持ち手が手のひらに食い込んで、痛みを感じた。



















 吹奏楽コンクール以降、生徒の力をもっと引き出すことを、目標にしてきた。全国大会にたどり着けなかったのは、生徒の力量差ではなく、丘の指導力のせいだった、という結論に至ったからだ。

 もっと上手く導いてやれていたら、悔し涙を流させないで済んだかもしれない。その反省から、自分が変わらなくてはならない、と思うようになった。


 だが、迷いも、戸惑いも、相変わらずある。本当に今の自分がしていることは正解なのか、模索しながらの日々だ。

 それでも、前に進むしかないから、迷いも戸惑いも、生徒に悟られないように行動しなくてはならなかった。

 

 学生時代に励んでいた指導や教育に関する書籍の分析や、指揮者向けの講習などにも、また手を出すようになった。そこから様々、得たものはあり、日々の部活動の中で実践しながら、見極めているところだ。

 やってみなくては実際に効果があるのかどうかは分からないし、やってすぐに判断できるものばかりでもないから、焦らず、一つ一つじっくり取り組むしかない、と思い定めてはいる。

 

 生徒と接する中で、武夫への指導は、特に悩みだった。同学年の正孝や純也とも違う繊細な子で、どうしたら武夫の素質を伸ばせるのか、見えてこなかった。

 強く自分の意見を主張したりはしないし、何を考えているのかすら、あまり言わない子だ。進学クラスにいるだけあって成績は悪くないし、真面目で、他の教師からの評判は良いが、そういう子ほど、実は扱いに気を使う。間違った指導をすれば、陰での反発につながるからだ。


 丘の見立てでは、武夫は、難しい仕事を達成することで伸びる子だと感じた。だから、ミュージカルの主役に武夫を選んだ。

 責任のある仕事をすることで、武夫が一皮剥けるのではないかと思ったのだ。


 武夫が自ら難題に対して考え、成長するようにと、あえて演技について細かな指摘はしてこなかった。それが、良くなかったのかもしれない。

 考えるのは、慣れていないと上手く出来ない。なのに、いきなり高い次元の思考を求め過ぎていた。音楽でなら、良かったかもしれない。演技という未知の分野だったから、余計に武夫は混乱したのだろう。

 武夫に関するリーダー達からの話で、ぼんやりと浮かび上がった予想だ。


 椅子の背もたれにもたれた拍子に、ぎぃ、と鈍い音が鳴った。

 天井を仰ぎ、ため息をつく。


「お疲れですか、丘先生」

 

 副顧問の涼子が、コーヒーの注がれたカップを差し出してくる。


「ありがとうございます」


 受け取って、一口すすった。飲みなれた苦味と焙煎香に、ほっと息を漏らした。


「……加藤のことです」

「ああ……武夫君は、学校には来てるんですか?」

「ええ。朝練には、出たようです」

「ミュージカルは、どうなるんでしょうか」

「分かりません。一度、加藤と話そうと思っています」

「もう、定期演奏会まで、時間がないですもんね」

「そうですね。卒業式も近いですし」

「上手く、行くと良いです」

「私も、そう思います」


 頭を下げて、涼子が去った。

 テーブルの上にカップを置き、腕を組む。


 加藤の件は、先延ばしにすべきではない。最悪の展開は、加藤が主役を降りるだけでなく、吹奏楽部まで辞めてしまうことだ。ホルンパートにとって加藤の存在は重要であり、欠けてはならない部員である。いなくなってしまえば他の生徒の心にまで影響しかねないし、定期演奏会の成功にも関わる。


 また、ため息をついていた。本当はもっと早く加藤の異変に気づくべきだったのだ。だが、気づかなかった。

 見ているつもりで、生徒を見れていなかったのかもしれない。


 授業の時間になっても、武夫のことが頭にちらついて、丘は集中出来なかった。一日の授業が終わった後、職員室に来た晴子に、加藤を呼ぶように伝えた。


 程なくして、晴子と共に武夫がやってきた。晴子は下がらせ、武夫と向き合う。

 目を合わせようとせず、武夫は口をきゅっと閉じている。


「座りなさい」


 隣の教師の机から椅子を引き出し、武夫に差し出す。遠慮がちに座った武夫を、まっすぐに見据える。


「今まで、私がなぜ加藤に演技の細かな指摘をしてこなかったか、お話します」


 一瞬、目が合う。

 

「貴方は、決して下手な生徒ではない。普段から真面目で、練習にもついてきていた。私は、そんな貴方を評価していましたよ。ただ、いつも何か抑え込んでいるような気がする、とも思っていました。そのせいで、突き抜けられていない、とも。だから、難しい仕事を与え、自ら考えて演じることで、一皮剥けてくれれば良いと思い、ミュージカルの主役に選び、あえて私から演技について言わなかったのです」


 武夫の視線が、かすかに揺れる。


「貴方からすれば、慣れない演劇で何をどう演じれば良いのか、分からなかったでしょう。そこは、私が反省すべき点でした。貴方に、いたずらに厳しい要求をしすぎていた」

「……反省なんて、先生が」

 

 武夫が、ぽつりと言った。


「いえ。私も、間違っている部分がありました。貴方に、演じるうえで何が大切かということくらいは、伝えておくべきでした」


 そっと、武夫の肩に触れる。


「上手く演じようと思わなくて良いのです。誰も、上手さなど求めていません。求められているのは、表現です」

「表、現」

「はい。私達は、私達の表現をすれば良いのです」

「でも……どうすれば正解の表現なのか、分かりません」

「正解などありません。あえて言うなら、自分がこうしたいと思うように表現することが正解です。それが、あまりにも不自然であったり、違和感を感じるものであれば、変える必要はあるでしょう。音楽にしろ演劇にしろ、ある程度の型は存在しますからね」


 一度言葉を切り、武夫の肩から手を離した。


「ですが、どんな表現であっても、こうしたいという気持ちから生まれるものなら、少なくとも間違いではありません。そして、こうしたいという気持ちを生み出し、より自然な表現をするために、我々は様々なことを学ぶのです」

「先生は、俺にどう演じて欲しかったんですか」


 武夫の心の底の疑問だ。明確な答えを、求められている、と丘は思った。

 

「加藤武夫ではなく、マルを見せて欲しい。臆病なマル、元気なマル、ずるがしこいマル。貴方が思い描いたのは、どんなマルですか。そのマルを、演じてほしいのです」

「俺は、してるつもりでした」

「……演技をしている時、恥ずかしいとか上手く出来なかったらどうしようという気持ちは、ありませんでしたか?」


 丘の言葉に、武夫が表情を硬くする。


「それが、演技の邪魔をしていました。お客さんが見るのは、加藤武夫ではなく、加藤武夫の演じる、マルです。恥ずかしさや迷いは、演技に出ます。そして、お客さんを物語の世界から現実へと引き戻してしまう。マイナスな感情は、忘れなさい。そうすれば、貴方の演技は、とても良いものになる」

「……俺は……センスが無いんです。だから自分に自信がなくて……演技だって、奏馬先輩みたいに出来ません」


 膝の上に置いた両手をきつく握りしめている。その拳が、小刻みに震えているのに、丘は気がついた。


「センスなど、大抵の人は持ち合わせていません。だから、自分を磨くのです。足りない部分を補うために、一生懸命にもがいて。皆、同じです。確かに、世の中にはセンスがあるのだろうという人達はいます。けれど、そうした人達も、生まれた時からセンスを持っていたわけではありません。成長する中で、磨かれてきたものなのです」


 返事はない。


「私も、そうですよ」

「え?」

「私だって、迷いながら、貴方達を指導しています。王子先生や安川の鬼頭先生のように、生徒を上手く導くセンスがありません。だから、少しでもそれを磨こうと、もがいている最中なのです」

「先生が……」

「ええ。ですが、私は王子先生や鬼頭先生ではありませんから、あの人達のようにやろうと思っても、出来はしません。だから、私なりにやるしかないのです。加藤。貴方にも、貴方にしか出来ないことがある。自信を持ちなさい。他者と比べなくて良い。貴方の表現を、私に、お客さんに、見せてください。今、貴方が吹いている、貴方が演じている。それだけで、貴方は立派な表現者なのですから」

「でも、俺は」

「はい」

「俺は、奏馬先輩みたいには、なれません」

「なる必要は、ありません。貴方は、貴方でありなさい。それで良いのです。自然な表現を、しようとしてみてください。私は、貴方が上手いか下手かで判断はしていませんから」

 

 武夫の顔から、涙が一滴垂れた。

 男が、泣いている。

 丘は、それを見ないことにした。

たまには新話の更新をしないとモチベーションが保てない!笑

ので、新話の更新をしました。

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