二ノ三 「友達は意外と鈍感」
「おい、拓也、おせぇぞ! さっさと仕舞っとけ!」
三年生の上田は、事ある毎に、拓也に突っかかるような態度を取ってくる。
ボールを拾え、片付けろ、グラウンドを整備しろ、生意気言うな。些細な事に文句を言って、拓也を不快にさせてくるのだ。
何故、そんなにもきつく当たられるのか、思い当たる節がないのだが、いつ頃からか目の敵にされている。
二学期には、三年は引退だ。
それまでの辛抱だとは分かっているが、たまに言い返したくなる時もあった。
だが、これはコウキの影響だろう、怒っても解決できる事は少ないと、理解していた。それで、むっとしても、言い返したりはしなかった。
同級生は皆拓也の事を分かってくれているし、上田以外の三年生もフォローしてくれる。
だから我慢できた。
下校を促す音楽が鳴っている。
上田に押し付けられたボールを倉庫に仕舞い、部室へ戻って急いで着替える。
音楽が鳴り終わるまでに校門を出ないと、生徒指導の先生に怒られる。
ボタンやベルトは止める暇もなく、とりあえず制服を着るだけ着て、校門を出た。
「拓也、なんだその恰好」
校門で待っていたコウキと、一緒にいた女子達に笑われる。
「上田氏のせいですよ」
「ああ……お疲れ」
拓也と仲の良いコウキも、サッカー部ではないのに上田に目をつけられているらしかった。名前を出すだけで、お互い何があったかを察する。
コウキが睨まれているのは、多分拓也と友達だからだろう。コウキにとっては、とばっちりも良いところだ。申し訳ない気持ちで満たされるが、コウキは何をされても気にしていないらしい。
「拓也のせいじゃないよ」
以前そう言って笑っていた。
コウキの、その広い心は密かに尊敬している。中々、そうはなれない。
「お待たせ、帰ろう」
制服を整え、コウキに声をかける。
「おう。じゃあね」
吹奏楽部の人だろうか。コウキは話していた女子達に別れを告げ、歩き出した。
「相変わらずモテるんだな」
「いや、悩みを聞いてただけだよ」
本人はそう言っても、彼女達の顔は、どう見ても気がある感じだった。何となく、そういうのは分かるようにはなってきた。
コウキは面倒見が良いし、人に気遣いも出来る。だから頼られる事も多い。必然、好意を寄せられるようにもなるのだろう。
「コウキってさあ、誰かと付き合ったりしないの?」
その気になればコウキなら選び放題だ。
なぜコウキは一度も彼女を作らないのか不思議だった。
「いや……本気で好きじゃないのに付き合えんって」
「ふーん」
小学生の時、一人だけコウキと仲の良かった子がいた。
大村美奈。一度か二度しか遊んだ事がないし、クラスも違ったのでよく知らない子だったが、周りが二人の仲を噂していたのを覚えている。
あの時も、コウキは付き合ったり告白したりという事はしなかったらしい。
拓也のように、恋愛に興味が無いという感じではなさそうなのにだ。
「今好きな子いないの?」
「ええっ? 何急に。拓也、普段そういう話しないじゃん」
真っ暗な路地を並んで帰る。
夏はお互い遅くまで部活があるので帰り道は真っ暗だ。街灯を頼りに、ゆっくりとした足取りで歩いていく。
「いや、気になって。そういう事言うなら好きな子いるのかと思って」
実際は違う理由だ。あえて、コウキに言う事ではない。
「うーん……まあ、いるようないないような」
「曖昧だなぁ」
自分の事になると、コウキははぐらかす時が多い。はぐらかされたら、しつこく聞いても答えてもらえないので、コウキが自分からそのうち話すのを待つしかない。
「拓也はいないの?」
「俺? いるわけないじゃん」
「まあ、だよね」
今はサッカー部と家でのゲームで忙しいし、女子とああだこうだとする気は拓也にはない。
コウキのように、女子と上手に接する自信もない。
「ていうかさ、なんでコウキってそんな女子の扱い上手いの?」
常日頃から疑問に思っていた事だった。コウキは男子にも人気だが、女子からの人気は圧倒的だ。一緒に歩いていれば、大抵誰かに声を掛けられる。
小学五年生くらいまでは、そういう感じの子ではなかったが、六年生の二学期くらいから、コウキは人が変わったように、周りから好かれる人間になった。
「別に上手くないし。ちゃんと相手の表情とか見て、思ってる事を想像しながら接してるだけだ」
「それが上手いって言うんだよ」
誰にでも出来る芸当ではないだろう。
拓也は、女子と話していても、相手が何を考えているのかなど、全く分からない。まるで別の生き物と話しているようで、会話すらも面倒に感じてしまう。まともに話せるのは洋子くらいだ。
「そりゃモテるわけだ」
「もういいって、この話。やめよ」
珍しくコウキが嫌そうな顔をして、手を振った。
その様子が珍しかったので、問いかけてみる。
「どうしたの?」
「え……いや、なんでもないけどさ」
コウキが不快そうな顔をする事は滅多にない。
何か隠してる時の態度だ。
「前に洋子ちゃんが言ってたじゃん、無理してる時があるって。今、それなんじゃないの?」
問い詰めると、コウキはため息をついた。
「……部活の子に告白されてさ」
「うん」
「断ったら泣いちゃって。だから告白とか嫌なんだよ。振らなきゃいけないこっちも辛いんだ」
「仲違いしたのか?」
「いや、そうはなってないけど……あの悲しそうな表情を見るのが嫌だ」
「ふーん……モテるのも、大変なんだな……」
「モテたくて生きてるわけじゃないし、あんまり好意を持たれないような接し方をしようとしてるんだけど……」
何を言っていいのか分からず、沈黙してしまう。
まだ、夜でも蒸し暑い。
街灯に虫がたかって飛び回っている。
コウキはなおも冴えない表情をしている。
今なら、聞けるかもしれない、と拓也は思った。
「ならさぁ、彼女作ればいいじゃん。例えば洋子ちゃんと付き合ったりすれば、誰も寄ってこなくなるんじゃない?」
「えっ」
「洋子ちゃん。一番仲良いじゃん」
「何で、そこで洋子ちゃんなんだよ」
「だって、お似合いだと思うけど」
洋子には、何度かコウキの事で相談されていた。
コウキを好きになったらしい。いつからそうなのかは聞いていないが、予兆はあったから不思議ではない。
それでかなり悩んでいて、最近はコウキと顔を合わせられないらしかったので、一度、拓也からコウキの気持ちを聞いてみてやろう、と思っていたところだった。
「うーん……まあ、確かにそれなら誰も寄ってこないかもしれないけど」
「だら? 良いじゃん」
コウキは顔の前で手を振って否定した。
「洋子ちゃんはまだ小学生だぞ。付き合うとかそんな段階じゃないって」
小学生でなければ、良いのだろうか。
「洋子ちゃんの事は好きなの?」
「えぇ……うーん……」
ひとしきり唸った後、コウキは黙り込んでしまった。
足元に目を落としながら歩いている。こういう時は考え込んでいるのだ。黙って待つ方が良い。
しばらく経って、コウキが口を開いた。
「好きは好きだけど、妹みたいな感じだよ」
「付き合うって感じではない?」
「かな。それに洋子ちゃんの気持ちもあるだろ」
洋子の気持ちには、気づいていないらしい。
妹のように見ているからだろうか。だが、案外洋子自身が気持ちを隠すのが上手いというのもあるのかもしれない。
拓也も、相談されるまでは気がつかなかった。
「でも、洋子ちゃん多分もっと可愛くなるよ」
「それは俺も思う。今でもかなり可愛くなってきたし」
「他の奴に取られたら?」
その問いに、急にコウキの足が止まった。
驚いたような、考え込むような、不安そうな、いろんな感情が混ざり合ったような表情をしている。
「どした?」
「えっ? いや……」
はっとしてこちらを見たかと思うと、コウキは頭を振った。それから、何とも言えない顔のまま、再び歩き出す。
大体分かった、と拓也は思った。
コウキは、洋子が好きだ。だが、付き合うとかそういう好きではなく、兄弟姉妹的な好きだ、と自分では思っている。
小学生と付き合う気はないけど、洋子が他の男と付き合うのは嫌だとも思っている。
それはつまり、ちゃんとした好き、という事なのではないか。
となれば、コウキに、本当に好きな人が他にいるのかどうかが重要だ。
今のままなら、コウキは誰とも付き合わない。洋子が大きくなったら、付き合える可能性は大きい。成長するにつれて、洋子の魅力は高まる。そうなった時、コウキも自分の気持ちに気がつくだろう。
だが、他に好きな人がいるのなら、洋子が悠長に構えていると、コウキはその人と交際してしまうかもしれない。
拓也からすれば、出来れば洋子とコウキが付き合ってくれるほうが、三人でずっと遊べるから良い。それに、応援するなら洋子だ。
どうやってコウキに本命がいるか聞こうか。
そんな事を考えていたら、お互い黙々と歩いていて、いつのまにか自分の家に着いていた。今日は、ここまでだ。
「じゃあ、また明日。おつかれ」
「うん……」
上の空といった様子で片手をあげ、コウキはとぼとぼと歩き去っていった。
先ほどの拓也の質問が効いてるのかもしれない。
思ってもみなかったのだろう。
意外と、コウキは自分の気持ちには鈍感なのかもしれない。
コウキが路地を曲がったのを確認して、家へ入る。
洋子には、どう伝えるべきか。ぬか喜びをさせても良くないし、脈無しというわけでもない。
出来れば洋子がコウキと付き合えるようにしてあげたいのだ。
ここは、しばらく慎重に行ったほうが良いかもしれない。
「ま、ゆっくり考えよう」
自分自身も、恋愛についてはど素人なのだ。下手に動いて状況を悪くするよりも、流れに任せておいて、動けそうな時に動いたほうが良い。
台所から、醤油と肉の混ざり合った香りが漂ってきた。少し、甘さも感じる。この香りは、肉じゃがだ。途端に腹が空腹の音を立てた。
焦っても、良い事は無い。のんびりと、構えていよう、と拓也は思った。




