九ノ四 「差」
活動報告にてお知らせさせていただきましたが、
かねてより計画していた「第五章・五ノ十六」までの修正作業を開始いたしました。
五ノ十六までは主にコウキ視点の一人称で書かれていましたが、今後は六章以降と同様の三人称に修正し、他の登場人物視点の話も新たに挿入する予定です。
それに伴って九章の新話更新より修正作業のほうが優先されて更新頻度が落ちるかもしれませんが、
改めて皆さんに読み返していただいても楽しんでいただけるような修正作業にするつもりですので、
お待たせと混乱をさせてしまう事と思いますが、
お付き合いくださるとうれしいです。
せんこう
二部のミュージカルで使用する背景幕は、総合学習室の床に広げると、面積のほとんどを占めるくらい大きい。これを、ホールでは上から吊るして、舞台の背景として利用するのだ。
時折広げては、絵がおかしくなっていないか確認し、塗る時はその場所以外はたたんで、出来るだけ場所を取り過ぎないようにする。
ようやく、半分ほど塗り終わったところだった。塗ったところは乾くまで、広げたままにしておく。
今回演じる作品は、二度目の公開だという。初演の時に使った大道具や背景幕などは、残っていない。
そもそも保管する場所が無いし、その時の部員の創造力によって、演じるたびに違う良さが生まれるようにするためだ。
過去の定期演奏会のDVDで、大道具や幕、衣装などは確かめてある。それとは、また違ったものにしよう、という意見で一致した。主要な登場人物の衣装は残っていて、使えるものは使うらしいが、その他の人物の衣装などは一から用意している。
太は、美術班として、背景幕に色を塗る作業を担当している。絵心は皆無のため、それは同期のバストロンボーンの瑠美と、二年生のホルンの園未、一年生の打楽器の陸に任せた。他の子は、太同様、塗る係だ。
瑠美達の線画はすでに終わっていて、全員で塗る段階に入っている。
「お腹減ったねぇ」
瑠美が言った。
「もうすぐ、お昼じゃない?」
「待てないねぇ」
「まあなぁ」
一、二年生が授業を受けている間、二人で幕に色を塗っていた。
塗り間違えるとすべてが台無しになるから、全員で絵の完成形は共有していて、塗る時も、必ず複数人で合っているか確認してから塗るようにしている。手間がかかるが、間違えた時の修正に費やす時間を考えると、この方が確実だった。
「受験勉強は大丈夫なの、太君」
「うん、夜は全部勉強に使ってる」
「無理しないでねぇ。私がやるから」
「でも、こっちもやりたいし」
最後の定期演奏会なのだ。出来る限り、役に立ちたい。
リーダーではなかった。ただの一部員として、ずっと晴子や奏馬達に引っ張られてきた。美術班の責任者としてぐらい、きちんと動きたい。
「大学、何処狙ってるっけ」
「名古屋の方。受かるか、分かんないけどさ」
「受かるよぉ、太君なら。成績、良いじゃん」
「そこそこ難しい大学だから」
「吹奏楽は、続けるの?」
「いや、高校まで。大学では勉強に集中する」
「私も、高校までかなぁ」
「俺達、楽器ないしね」
「高いもん、だって」
親は、太を大学に通わせるために、貯金してくれている。高価なチューバまで買ってくれとは、言える訳が無かった。中学時代から、ずっと学校の備品で吹いてきた。
「それに、花田高以外で吹きたいと思わないよねぇ」
「それはな」
卒部生が入るOBOGバンドもある。だが、そこには一つ上の代も何人か入っている。太達は、一つ上の代とは仲が悪いから、また一緒に演奏したいとは思わない。
「良い、メンバーだもんねぇ」
「ほんと。今までで、一番良いと思う」
晴子と奏馬の打ち出した、上下関係に縛られない部という方針も、良かったのだろう。互いの意思を尊重しあう、良い部になったと思う。
下級生だろうと上級生だろうと、言いたいことは言える雰囲気が、今の部にはある。それは、太の好きな雰囲気だった。
「卒業したら、私達会えるのかなぁ。離れちゃって、会わなくなっちゃうかな」
「九人が?」
「うん。皆、進路バラバラだし」
「……もし卒業したとしても、俺達九人は、なんだかんだ集まりそうな気がするけど」
瑠美が目を丸くした。それから、ちょっと笑った。
「やっぱり? 私もそう思う」
一つ上の代との諍いで、同期が何人も辞めた。残った九人は、全員で最後まで続けようと誓った。だから三年生の結束は、固い。
去年の秋頃、未来が受験のために親に辞めさせられそうになった。未来はそれを跳ね除けて、部に残った。このまま、九人で最後まで駆け抜けるだろう。
ただの仲間以上の絆が九人にはあるように、太は感じている。
「でも、たとえ皆で集まれなくなったとしても、私は太君とは会いたいなぁ」
「俺とは?」
「うん。太君は、一番特別」
「何で俺?」
「私とも普通に話してくれるし」
「どういうこと?」
「男子は、皆私に遠慮するもん。太君だけ。私を普通に扱ってくれるのは」
「だから特別? 変なの」
「本気にしてないなぁ?」
「そりゃあ」
「ほんとなのに」
笑って、手を振った。
瑠美は、軽い所がある。一年生の頃から、仲は良かった。部が休みの日に、一緒に遊んだこともあるが、瑠美は必要以上に部員と関わろうとはしていなかった。太が特別というのは、信じられない。
「鈍い男だねぇ、太君は」
「はいはい」
「もうっ」
瑠美が、腹をつまんでくる。くすぐったくて、身をよじった。
「あのね……卒業したら、私、車買うんだぁ」
「うん? そうなんだ」
「そしたらデートしようよ」
「デート?!」
「そ、デート」
「俺と?」
「太君と」
「何で」
「……嫌なの?」
「嫌、じゃないけど」
「じゃあ、決定ね。遊園地とか行こうよ」
「まあ、良いけど……バイトして、お金貯まったらね」
「うん!」
嬉しそうに笑う瑠美を見て、胸の辺りにおかしな感じを受けた。顔を逸らして、色塗りの作業に戻る。
瑠美は、遊び相手が欲しくて言っているだけだ。今まで遊んだ時も、暇だから、とか、遊び相手がいないから、といった理由で誘われていた。
太も友達作りが得意な方ではない。瑠美と遊ぶ方が、気楽だ。理由は、それだけで良い。
ミュージカルで演じる作品の舞台は、森の中がメインとなる。そこにある主人公達の住処や樹木、岩といった物体を大道具として用意するのが、修の率いる舞台班の仕事だった。
木材や合板を設計図通りに切って、組み立てていく。組み立てたものに絵を描き、色を塗っていく。
男子が工作で、女子が絵と塗装を担当する形で、舞台班の仕事は分担している。
昨日までは順調に進んでいたが、設計図に間違いがあって、大道具の一部を作り直す羽目になった。今は、それを修正しているところだ。
家が遠いため、本当は早めに帰りたい。だが、自分達のミスで定期演奏会に間に合わない事態があってはならない。だから、計画の遅れを解消できるまでは、修も最後まで残るつもりでいた。
「どうせ作り直すならもっと形にこだわりましょうよ」
「いや、時間なくない?」
「時間を言い訳にしてると良いものは出来ないから、やるなら徹底的にやりたいです」
「そもそも前の樹は、形が適当すぎた」
「えぇ、自信あったんですよ」
「もっと森っぽくさあ」
舞台班の後輩達が、作り直す大道具の形について、ああでもないこうでもないと言いあっている。
舞台班の三年生は、修だけだ。他は全員後輩で、だったら今のうちから後輩達に仕事を覚えさせた方が良いと思い、デザインについては、全て任せていた。
来年は、二年生の純也と正孝が舞台班を率いる。今のうちから連携が取れるようになっていた方が良い。それに、修はデザインなどは苦手で、工作をしているだけのほうが気が楽だった。
いつまでも議論が終わらないため、後輩の間に入り、長めの休憩を言い渡した。各々が散っていく。
「純也、正孝、コンビニ行かねえ?」
「あー、いっすよ」
純也が言った。正孝も頷く。
「久也君は?」
「俺は良いです」
使っていた道具などをまとめ、三人でコンビニへ向かった。
高校からは、数分の距離だ。夜の暗闇に慣れた目には、店内の明かりが眩しい。
買い食いは、よくしていた。大抵は部活動が終わった後の帰宅中に、自転車で走りながら食べられるパンや菓子だが、久しぶりに、カップ麺を選んだ。レジで購入したそれに湯を入れ、純也と正孝を待つ。
菓子の棚で、正孝がどれにするか悩んでいるのを、純也が急かしている。
二人は、去年も舞台班だった。仲は悪くないようで、協力してやっている。純也の我の強さを、正孝が受け流しているような感じだ。意外と相性が良いのかもしれない。
「お待たせっす」
買い物を済ませた二人が傍にやってくる。頷いて、建物の外の横手で座って食べることにした。
「カップ麺っすかぁ。修先輩、重いもん食べますね。夜飯は?」
「食うよ、勿論。けど今日は最後まで残るつもりだから、帰ったら九時過ぎるしよ。これくらい食べとかないと」
「大食いっすね」
「太みたいなやつを言うんだよ、大食いってのは」
携帯の時間を見て、カップ麺の蓋を開けた。勢いよく湯気が噴きあがり、食欲をそそる香りが鼻を刺激してくる。
箸を割って、麺を一気につまみ、すすり上げた。濃厚な旨味が口の中へと満ちる。
「樹のデザインさあ、どうするよ、正孝」
かじりかけのフライドチキンを見つめながら、純也が言った。
「んー……話し合っても結論出ないしなぁ。いっそ綾ちゃん達に任せちゃって良いんじゃないか」
「だけどよ」
「どうせ、来年も俺達は工作メインだろ。デザインは女子任せで良いと思うぞ」
「んー」
「任せるのが不安なのか、純也?」
「まあ……だって、一年っすよ、修先輩。良いんすかね」
「今年の一年は優秀だし、俺も良いと思うけどな。それに、最終的な許可を出すのは晴子の総括班と丘先生だし」
カップ麺の中身は、もうすでに、ほぼ汁のみになってしまっている。食べるのが早いとは、昔から言われていた。
「修先輩も良いって言うなら、まあ、良いけど」
「なんなら、純也がデザインするか?」
「俺はデザインは嫌だ。出来ねえの知ってるだろ、正孝」
「なら、口出ししなくても良いだろ。出来る子達に任せようぜ」
それもそうか。呟いて、純也が肉にかじりついた。
飲み干したカップ麺の容器を地面に置いて、純也を見る。不良と呼ぶほどではないが、吹奏楽部には似合わないような尖ったところが、純也にはあった。見た目も、ワックスで髪を逆立つほどセットし、制服を腰履きしている。気の荒い部分もあり、それが真面目な摩耶と馬が合わない原因なのだろう。
先輩への礼儀は欠かさないが、同期や後輩とは壁を作っているようなところが、純也にはある。その純也を、正孝は上手く扱っている気がした。二人が話す姿は、よく見かける。
「まあ、それは良いや。ところで、修先輩、神田先輩はどうするんすか」
言われた意味が、分からなかった。
「瑠美? どうするとは?」
「修先って神田先輩が好きなんじゃないんですか」
どきりとした。
「は、そんなこと、言った覚えないけど?」
「いやいや、はは、いやいや、見てればわかりますって。な、正孝」
「えー、俺は気づかなかったけどな」
「いや、ちげーし。そんなんじゃねぇよ。なんで急に瑠美の話なんだよ」
瑠美のことは、好きとかそういうのじゃない。はずだ。
「うわ、マジっすかぁ、修先輩。そういうこと言っちゃう?」
「関係ないだろ、お前らには」
「ま、そうなんすけど。このまま卒業すんのかなーって。告白ぐらいしないんすか?」
衝撃を受けて、しばらく固まってしまった。はっとして、首を振った。
「するわけないだろ。なんでそうなるんだよ」
「しないんすかぁ!?」
「しねえよ! 第一、したところで、瑠美と付き合える訳ないだろ。住む世界が違うんだよ」
「いや、意外と神田先輩ってコロッと落ちそうな気がするけど」
「な訳ねえだろ。つうか、良いよ、瑠美の話は。俺はそういうんじゃねえ」
「彼女出来ませんよ、そんなこと言ってたら」
「うるせえ。お前はいるのかよ、純也」
「そりゃ、いますよ。部外ですけど」
「はっ、マジか」
純也に女の気配を感じたことはなかった。それだけに、ちょっと意外だった。
「男が勇気出さないと、一生独身っすよ、修先輩」
「ちっ、知った風な」
正孝も、摩耶と付き合っている。いないのは、自分だけなのか。思って、修はため息をついた。
「正孝は。摩耶ちゃんとはうまくやってるのかよ」
「んー、まあやってるようなやってないような」
不意に、純也が笑い声をあげた。
「こいつ、まだキスもしてないんですよ」
「あっ、お前!」
「早くしろって言ってるんですけどね。愛想つかされるぞって」
「良いんだよ……摩耶とは、ゆっくり進むから」
「それ、摩耶もそう言ってるのか?」
ぐ、と正孝が言葉に詰まる。
「話し合ってるわけないよなぁ。女は意外と、待ってるもんだぞ。ちんたらしてると、女として見られてないんだと思って、振られるぞ」
「何でそんな女のことなら知ってますみたいな話しぶりなんだ、純也は」
純也がモテるという話は聞いたことが無い。どちらかというと吹奏楽部の女子には不人気のように感じていた。
胸を張って、純也が言った。
「俺、今まで付き合った女、五人っすよ」
「ごっ」
喉が詰まって、その先が出なかった。そんなに、付き合っていたのか。
「すげえな、お前」
「でしょ。恋愛相談なら、任せてくださいよ」
「ふん。誰とも長く続いてない、とも言えるだろ」
正孝が言った。途端に純也との言い合いが始まって、修は大きくため息をついた。恋愛の話になると、正孝も冷静ではなくなるらしい。しばらく、二人のくだらない喧嘩を眺めた。
誰と誰が付き合っているといった話に興味はなかったし、今の部内でそういう関係にあるのは正孝と摩耶以外だと、勇一と美喜くらいしか聞かない。
聞かないだけで、隠れて交際していたり、純也のように部外で付き合っている子も、いるのかもしれない。
高校生ともなれば、恋愛などあって当然だ。部内恋愛は禁止されていないし、上の代では当たり前に起きていたし、破局による仲違いもあった。
瑠美とは、緊張してうまく話せないだけだ。男と女の関係になりたいなどと、思ったことはない。
「うん、そうだ」
修は呟いて、自分に納得させた。




