二ノ二 「私の気持ち」
いつごろからだろう。
気がつけば、コウキの事を兄のような存在とは思えなくなっていた。
では、どんな風に思ってるのかと聞かれると、うまく言葉には出来ない。
もっとそばにいたい。いつも一緒にいたい。
そんな気持ちが大きくなってきて、離れている時間が辛かった。
前までは、コウキのそばにいると安心して楽でいられた。弱い自分を、コウキが守ってくれる。いつも、笑って見てくれている。それが、洋子の胸を落ち着かせた。
最近は、安心するだけでなく、胸が高鳴る事が増えた。訳も分からず、ただ、胸が苦しい。
拓也だけの時は、こうはならない。コウキがいると、決まってそうなる。
学校は楽しい。
いつも一緒にいるような仲の良い子や友達もできたし、いじめられる事も無くなって、前とは比べ物にならないくらい幸せだ。
ただ、そこにコウキがいない分、やはり寂しさはあって、早くコウキと会える日が来ないか、と考えてしまう自分がいた。
拓也にその事を相談したら、
「それ、好きなんじゃない?」
と言われた。
今まで誰かを好きになるという経験がなかったので、ピンと来なかった。けれど、友達の女の子に相談しても、同じ事を言われた。
「触られた時にドキドキするなら、好きなんだよ」
とも友達は言っていた。
コウキは、よく洋子の頭を撫でてくれる。洋子は、それが大好きだ。
コウキも洋子のさらさらとした髪が好きだと言ってくれるから、髪はいつも綺麗な状態になるように、手入れを頑張っている。ただ、頭を撫でてもらった時は、胸の高鳴りよりも、安心するとか嬉しいという気持ちのほうが強い。
やはり、好きとは違うのではないかと思った。
ある日、いつものように、洋子の家で三人で話していた時に、それは起きた。
コウキと同じ部活に入って、そばにいたいと言う話をしていたら、コウキが今まで見せた事のないような優しい顔をして、洋子の額に自分の額を当ててきた。
コウキの体温や呼吸を感じて、心臓が飛び跳ねるように脈打った。
間近にコウキの顔があるのが、急に恥ずかしくなって、顔も熱くなって、誤魔化すように笑ってみたけれど、その後もしばらく、普通のふりをするのが大変だった。
これが友達の言っていた、触られてドキドキするなら好き、という事だったのだろうか。
やはりコウキの事が、好きなのか。
洋子の中でまた、好き、という事に対しての疑問が沸き上がった。
好きとは、なんだろう。
いつも一緒にいたいと思う事だろうか。
もっと触れてほしいと思う事だろうか。
自分を見てほしいと思う事だろうか。
よく分からなかった。
この気持ちが何なのか、分かる日は来るのだろう。
そんな風に考え込む日が増えていたものの、夏休みに入った頃、その答えは分かった。
夏休みになると、コウキの所属する東中の吹奏楽部は、吹奏楽コンクールに向けて忙しくなる。
会う機会が減るのは寂しいけれど、コウキが頑張っている姿や、本番で演奏する姿を見るのは好きだった。
だから、今年の夏の大会も応援に行くと約束して、大会当日は母と拓也と三人で聴きに行った。
音楽の事はまだよくわからなかったけれど、コウキの音ならすぐに分かった。
トランペットの、綺麗な音。まっすぐで、伸びやかな高音。
あの音が、好きだ。
東中の演奏が終わったあと、他校の演奏を聞きたがる母と拓也を置いて、ホールを出た。
コウキは楽器番をしていると聞いていたので、会うためだった。ロビーを歩いて探したら、すぐに見つかった。
けれど、近づいて声をかけようとした時、思わず足が止まってしまった。
コウキの隣に女の人がいて、二人は楽しそうに話し込んでいた。
知らない人だった。多分、部活の人だろう。小柄で可愛らしい人だ。
笑顔で女の人と話しているコウキを見たら、急に胸が苦しくなって、話しかけられなかった。
その場にいられず、洋子はホールの客席に慌てて戻った。
コウキと女の人が楽しそうにしていた姿が、ずっと頭に浮かび続けて、それが辛くて、演奏を聴いていられる状態ではなかった。コウキに会いたくなくて、母と拓也にはわがままを言って、その日はそのまま帰った。
本当は、コウキには会いたかった。けれど、会って平気でいられるか、分からなかった。
逃げるように帰ってきてしまってから、後悔した。気持ちはぐちゃぐちゃで、結局、次の日の会う約束も破ってしまった。
何故、あの光景を見た時に、あれ程にも、胸が痛くなったのだろう。
何故、あの光景がずっと頭に浮かぶのだろう。
友達に会って相談したら、
「好きな人が他の女の子と仲良くしてたら、誰だって嫌なんだよ」
と言われた。
それで、洋子にも、自分の気持ちがようやく理解できた。
やはり、コウキの事を好きになっていたのだ。
その気持ちに気がついてしまった以上、もう、前のようにコウキと接する事はできない。




