八ノ二十四 「深まる気持ち」
さすがに地域で人気の音楽イベントだけあって、会館の中は人で溢れている。聴きに来た客だけでなく、中高生も大勢集まるから、これだけの人の数になるのだろう。千人は軽く超えているはずだ。ホールの客席数が千五百人ほどで、それが毎年満席になるのだから、間違いない。
ここからコウキを探すのは厳しいから、あらかじめ落ち合う場所を決めていた。会館を出たところにあるモニュメントの前。すぐに、コウキの姿は見つかった。
「先輩!」
「華ちゃん!」
人の波を避けながら駆け寄って、ハイタッチした。
「こんにちは!」
「こんにちは。演奏聴いたよ。レベル上がってたな」
「ほんとですか、嬉しいです! 生徒合奏も、やりかたを色々と変えてみてるんです。少しずつ、良くなっていってる気がします」
「そうか、頑張ってるんだな」
コウキに頭を撫でられて、くすぐったさと嬉しさを感じた。コウキとは、先週家で会った。洋子と拓也も来て、姉の智美と五人で夕飯を食べた。その時も色々と話してはいたが、実際に演奏を聴いてもらったのは、合同練習以来だった。
「一歩ずつ、確実にな」
「はいっ」
「洋子ちゃんは?」
「片付けをしてるので、それが終わったら来ると思います」
東中はすでに出番が終わって、後は閉会まで会場内で自由に過ごして良いことになっている。演奏を聴いても良いし、他校との交流を楽しんでも良い。華は、コウキと会いたくて、東中の皆とは離れてきた。
花田高の出番は、一番最後を飾る安川高校の前だ。コウキも、今は自由時間らしい。二人で、会館から少し離れた芝生のエリアに腰を下ろした。
「メールで貰ってた合同練習の件だけど」
「もう一度、やれそうですか?」
「丘先生も良いって言ってた。顧問同士で連絡を取り合うことになると思う」
「やった! 説得してくれたんですか?」
「うん。でも、東中だけじゃなくて、今日は他の学校にも合同練習の誘いをかけようと思ってるんだ」
「そうなんですか? なんでそんなに中学生と?」
「花田高は、来年こそ全国へ行こうって言ってる。そのためには、人が必要だから」
「人が?」
「そう。今は一、二年生を合わせて三十三人。コンクールの定員の五十五人に達するためには、少なくとも来年の新入生が二十二人はいる。本気で目指すなら、オーディションも必要になると思う。だから、欲を言うなら三十人から四十人は来てもらいたい」
「そんなに」
「オーディションは、コンクールに出られる子と出られない子を作り出してしまうから、あまり好きじゃない。でも、オーディションがあるから部員同士で高め合えるのも、事実だ」
「はい」
「そのために、今から中学生で花田高に呼びたいと思える子を引き込みたくて。合同練習は、そういう子を見つけるのに最適かな、って。勿論、それだけが理由じゃなくて、地域のレベルアップのためには他校同士の交流は必要だとも思うからだけど」
「丘先生も、乗り気なんですか?」
「どうかな。丘先生も考えていることはあるみたいだけど……他の学校はこれからだしね」
先を読んで、コウキは動いている。やはり、華にはない視点だ。来年を見据えて今から後輩に声をかけるなど、考えたこともない。毎年、新年度になってからコンクールに向けて動くのと、前年から準備して動くのとでは、その差は大きな違いとなるだろう。そういうところまで目を向けられるのが、コウキの凄いところだ。
「声をかけたからといって来てくれるとは限らないけど、それでも、かけてみないと。この地域は、上手い子は安川高校や他の強豪校に流れやすいから、何とか花田にも来て欲しい」
「東海大会、金賞でしたよね」
「ああ。その効果も、あると良いけどな」
華は、心の中ではすでに行く高校は決めている。それは、まだ誰にも明かしたことはない。再来年の話だし、今口にしても余計な面倒が起きるだけだと思って、秘密にしている。
「来年だけじゃない。再来年だって全国へ行きたい。上手い子は、どんどん欲しい。華ちゃんがうちに来てくれたら最高なんだけどな」
言って、コウキが笑った。
「考えときますよ」
「はは、よろしく」
コウキの携帯が、メールの着信を知らせる音を立てた。
「洋子ちゃんだ」
「来ます?」
「うん。場所教える」
「先輩は、花田の皆さんと居なくて良いんですか?」
「今日は皆俺と同じ感じさ。他校との交流や演奏を聴くために、リハまでは自由に動いてる」
「こうやって皆が集まって楽しめるのって、音楽の祭典くらいですもんね」
「そう。もっと関りあいたいんだけどね。それがお互いの刺激にもなるし」
華も、そう思う。夏の花田高との合同練習で、逸乃の存在や高校生とのレベルの違いを思い知った。それが、今に繋がっている。他校との交流は、あんな経験が山ほどあるだろう。コウキとの会話も、そうだ。
それが、自分を更に上へ押し上げる。
「あ、洋子ちゃん」
小走りで、洋子がやってきた。手を振っている。
「じゃあ、私は行きます」
「良いのか?」
「はい、洋子ちゃんとゆっくり過ごしてください」
立ち上がり、洋子と入れ替わるようにして、華は会場の中へと戻った。一度振り返ると、華には見せたことのないような笑顔を、コウキが浮かべていた。
「やっぱ好きなんだねえ」
呟いて、笑っている自分に、華は気がついた。早くくっついてしまえば良いのに。洋子にはずっとそう言っているのに、高校に上がるまで待つと言い続けている。洋子らしい。
コウキも、そうなのだろうか。二人の様子を見る限り、洋子が猛アタックを続ければ、コウキは洋子を選びそうな気もする。今一つ押し切れないのが、洋子の弱点だろう。華だったら、もっと強引にでも会う機会を増やす。奥手なところも、洋子の良さではあるのだが。
会館の中に入ると、すぐに喧噪に包まれた。
二人のことは、華が立ち入る問題でもない。なるようにしかならないだろう。パートの皆のところにでも行こうか、と思い、その姿を探すため、華は人の波の中に入っていった。
この会館は、大ホールと中ホールの二つに分かれている。大ホールの客席数が約千五百人、中ホールが八百人程度だ。
地域の中では比較的大きい会館で、ホールの音響設備も悪くなく、敷地も広いため、大きなイベントが開催されることも多い。会館から少し離れた芝生のエリアは、一休みする客や、散歩に来た周辺住民の憩いの場となっている。
この時期だと、日差しが暖かく、寝転がっていると気持ちよくて眠りそうになる。隣に、洋子も寝転がっている。出演と片付けが終わって、会いに来てくれていた。
「東中の演奏、聴いてくれた?」
「聴いたよ、良かった。洋子ちゃんのドラム、更に上手くなったんじゃないか?」
「頑張ったんだー」
「多分、今のうちの打楽器パートの人達より、ドラムに関しては洋子ちゃんのほうが上手いよ」
「ほんと?」
「ああ。自信持って良いと思う」
洋子が、嬉しそうに頬を染めている。
「今年は、文化祭でまたバンドに参加するの?」
「あ、うん、ドラムが足りないっていうバンドがいたから、頼まれて出るよ」
「洋子ちゃんが参加か、贅沢なバンドになるな。行けたら、聴きに行くよ」
「うん、待ってる」
東中の文化祭は、近隣住民にも開かれる。コウキはその日に練習を抜け出せるかは、微妙なところだ。
「ねえ……コウキ君」
「うん?」
洋子が横向きになり、こちらを見てきた。顔だけ向け、目を合わせる。
「浜松の楽器店の丸山さん、文化祭に招待したほうが良いかな?」
「ん、ああ」
盆休みに、洋子と二人で浜松市の楽器店に行った。そこの店員の丸山雄太という人が、洋子のドラムを気に入っていた。名刺も、洋子に渡していたはずだ。演奏会があるなら教えてくれとも言っていた気がする。
「良いんじゃない? 喜ぶと思う」
「そうかな」
「楽器店の人とは、仲良くなっておいて損はないと思うよ。誘うだけ、誘ってみたら?」
少し考える様子を見せ、それから洋子が頷いた。
「そうしてみる」
微笑むと、洋子も微笑みを返してきた。
二人でゆっくりと話すのは、久しぶりだった。華が気を使ってくれたおかげだ。本当は会館の中で他の学校の演奏を聴いたり、交流を図らねばならない。だが、少しくらいサボっても、誰も何も言わないだろう。こういう時くらいしか、洋子と二人になる時間はないのだ。
「コウキ君、葉っぱがついてる」
言って、洋子がコウキの髪に触れる。小さな枯れ葉を、洋子の指がつまんで取り上げた。
「ありがと」
「髪、少し伸びたね」
「ああ、また切らなきゃ。でも、時間が無いんだよな」
「花田高って、全然休みないんだね」
「うん。盆と年末年始くらい」
「大変じゃない?」
「大変だと思ったことは、無いかな。でも、練習って多くやればやるほど良いってものでもないからね……今は言わないけど、三年になったら、もう少し休みを増やす提案をしようと思ってる」
「どうして?」
「ずっと楽器を吹き続けてると、見えなくなってしまうこともあるから。たまには楽器から離れて、違うことをするのも、奏者には必要だと思うんだ」
「でも、吹かないと腕が落ちるって言わない?」
「ただサボるだけなら、そうかも。そこが難しいところなんだよな。休日を、有意義なものにするにはどうすれば良いのか、今もまだ考えてるけど、良い案は浮かんでないんだ」
「ふーん……三年生になったら、コウキ君が練習予定を考えるんだよね?」
「一、二年のサブリーダーと一緒にね」
花田高の練習予定は、全て生徒主体で考える。当然丘とも相談はするが、丘は仕事が多く忙しい。手を煩わせないために、基本的には学生指導者の三人が中心になって決めるのだ。それは、生徒の主体性を大事にするという丘の意思でもある。
コウキとしても、自分の意見を反映させやすいため、花田高のこのシステムは好都合だった。
「大変だね。東中とは大違い」
「東中は、山田先生がほとんど仕切ってるからね」
「華ちゃんが、もう少し自由が欲しいって嘆いてた」
「うん。顧問が全てを管理すると、生徒の伸びも悪くなるしな。俺も、もっと東中は生徒に任せても良いとは思う。ただ、中学生だとまだ何をどうして良いか分からないことも多いから、さじ加減が難しいね」
「だよね……私も、パートリーダーって何してればいいのか、未だに分かんない」
洋子は、二年生ですでに打楽器パートのパートリーダーだった。顧問の山田が指名した。二年生でパートリーダーを務めているのは、洋子以外ではトランペットパートの華だけだ。去年まで初心者だった洋子がいきなりパートリーダーになって、戸惑うのは無理もない。
「常に、考えるんだ。そうすれば、だんだんと見えてくるものもあるよ。でも、無理はしないようにね」
洋子の頭を、軽く撫でた。嬉しそうに、洋子が目を細める。相変わらず、さらさらとして艶の良い髪だ。手入れを頑張っているのだろう。
ふと、数日前に智美に言われたことを思い出した。洋子との関係をはっきりさせろ、と智美は言った。
洋子とはコウキが中学二年生の時に、約束をした。二人はまだこどもだから、洋子が高校生になって、それでもまだコウキを好きでいてくれるのなら真剣に考える、と。
それから、色々とありすぎた。今は、洋子が好きだ。洋子も多分、まだコウキを好きでいてくれている。だから、コウキから伝えたら、あの時の約束など関係なく、洋子は受け入れてくれるだろう。ただ、今、洋子に気持ちを打ち明ける気になれない。
部内で、コウキを好きだという子が増えたらしい。その間で仲違いが起きないかと、不安になっている部員もいるのだという。だから、智美はコウキに態度をはっきりさせろと迫った。
事態を抑えるために、洋子を選ぶのか。洋子を利用するということではないか。コウキは、そんな風に洋子を選びたいわけではない。
つまらないことを考えている、と自分でも思う。それでも、洋子とは周りの問題を抜きにして関わりたいという想いがある。コウキにとって、最も大切な人間の一人なのだ。
万里、幸、月音のことは、どうにかしなくてはならないだろう。だが、それに洋子は巻き込みたくない。
「どうしたの、コウキ君。難しい顔してる」
洋子につつかれて、はっとした。
「考え事してた」
「部活のこと?」
「まあ、そんなとこ」
「偉いね」
今度は、洋子が頭を撫でてきた。
「何だよ」
「えへへ、いつも撫でてくれるから、お返し」
照れ臭そうに笑う洋子を見て、胸の辺りがくすぐったくなった。
洋子は、眩しい。コウキには、もったいないほどの子だ。こんな子が、自分を好きだと言ってくれている。その想いに、どう応えればいいのだろう。他の子も傷つけないように応えるには、どうすれば。考えても、相変わらずコウキの頭の中は、堂々巡りを繰り返すだけだった。




