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青春ユニゾン  作者: せんこう
高校一年生・秋編
137/444

八ノ十五 「月音の助言」

 音を合わせる。言葉にするのは簡単でも、実際にやると難しい。息の吐き方、発音のタイミングと強さ、感情表現の度合い、音程。考えることは山ほどある。

 月音が思うさま吹けるように、神経を集中させて、月音の癖を覚えていく。月音がどういう風に吹きたいと思っているか。実際に、どう吹いているか。それらを感覚で捉えて、合わせる。

 コウキの目指す音と月音の持つ音は、よく似ている。それだけに、二人のユニゾンは、良い音が鳴った。


「吹いてて、気持ちが良いよ」

 

 月音が言った。


「音色が似てるね、私達」

「そうですね。他の人より断然合わせやすいです」

「誰か、理想の音の人がいる?」

「俺はティム・モリソンっていう人の音を目指して吹いてます」

「マジ? 私もだよ」

「やっぱり!」


 予想はしていたが、やはり月音も同じ目標だった。月音の音は、彼の音に近い。輝くような、明るい音。ただ、それだけではなく、しっとりとした滑らかな音や、パリッとした乾き気味の音まで、多彩な音色を持っている。高校生とは思えない幅の広さだ。


「初めて聴いた時から、似てるなって思ってました」

「良いよね、あの人の音」

「はい。でも、目標にして吹いてても、俺は全然近づけません」


 あの明快で突き抜けの良い深い音が、どうしても出せない。


「そうかな。良い音だと思うけど」

「音に深みが足りないっていうか」


 月音が、腕を組んで唸った。


「あのさ。ずっと一緒に練習してて気になってたことがあるんだけど」

「何ですか?」

「コウキ君、自分の音に自信なさすぎじゃない?」

「え」

「いや、言葉が悪いかな。自信が無いと言うか、満足してなさすぎ。自己肯定感が低い」

「自己、肯定感」

「うん。明確に目指してる音があるのは良いと思う。けど、話してると、そこに到達出来てない自分に対して、否定的すぎる気がする。それって、音に出るよ」


 ぎくりとした。今まで、確かに自分の音に対して、満足をしたことは無かった。もっと出せるはずだ、これでは違う、といった意識が多かった。


「自分では納得いかないところがあって当然だけど、客観的に聴けば、コウキ君の音は凄く良い音なんだからね。ティムさんの音を正解として聴き比べたら、そりゃあコウキ君の音はまだまだってなるかもしれない。でも、音に正解なんて無いんだよ。他人と全く同一の音を出せる訳ないの。ティムさんはティムさんの音。私は私の音。コウキ君はコウキ君の音。自分の音を自分が認めないと、先は無いよ」


 それは、以前、東中との合同練習の時に、逸乃と華に対してコウキが言ったことと、ほとんど同じだった。

 うつむいて、手元のトランペットを見た。いつの間にか、自分自身が、そういう思考に陥っていたのか。


「自分に満足したら、成長は止まる。けど、満足しなさすぎも、成長を止める。今ある自分を認めて、そこから始めなよ。私はそうしてきた」

「……はい」


 肩に手を置かれて、月音を見た。


「コウキ君は、上手い。表現力もある。後は、自分を認めて、もっと自分を音に出して。私に合わせてくれるのは、嬉しい。でも、私はコウキ君の素の音とぶつかりたい」


 澄んだ力強い目をしている。


「ただ綺麗にまとまった演奏をするんじゃ、つまらないでしょ。私達の目標は、部員と丘先生に認めてもらうことだけど、そのために吹いたって、良い演奏にはならない。私達の奏でたい音楽を生んだ結果、良い演奏になる。そして、認めてもらう。そうでなきゃ」


 その言葉を聞いて、月音の優れた演奏技術は、この強い意志と音楽に対する欲求から作り出されているのかもしれない、とコウキは思った。

 

「月音さんの言う通りですね。分かってたはずなのに、練習に夢中になってるうちに、忘れてました」


 月音がふ、と笑った。


「そんなもんだよ。悩んで、気づいて、また悩んで。繰り返して、少しずつ進歩してく」

「そうですね」


 やはり、月音との出会いは、コウキにとって幸運なことだった。自分で無意識にしてしまっていたことに気づかされる。

 楽器演奏は、息を吐くとか、指を動かすとか、舌を使うとか、そうした身体の動き以上に、頭の中で何を考えているかが重要だ。息を吐く行為一つとっても、どうやって吸うのか、どうやって吐くのか、吐く瞬間の唇の形はどうしておくのか、と様々なことに意識を向けなくてはいけない。だが、一つ一つを意識しすぎると、他の部分がおろそかになって、結局良い音が出せなくなる。


 だから、思考をクリアにして、余計なことを考えず、余計な動作もしないことが必須になる。いかに自然な状態で吹くことが出来るか大切なのだ。分かっていたし、初心者の子達に教える時もそうして指導していたのに、自分のことになると、頭の中であれこれと考えてしまっていた。


「もっかい、合わせませんか?」

「ん、良いよ」

 

 頭も身体も軽くなった気がする。良い音が出せそうだ、とコウキは思った。
















 

 

 あっという間に時間が過ぎて、もう明日が文化祭だった。前日ということで、学校は一日文化祭の準備にあてられている。各教室で作業が進み、生徒会率いる有志と教師陣がグラウンドで、体育祭の準備も進めている。


 明日から三日間は、天気予報も晴れとなっていて、開催は確実だろう。

 高校生になってから初めての大型の学校行事だけに、幸は胸の高まりが抑えられずにいた。学校全体も、浮ついた雰囲気を放っているように感じられる。


 窓の外に目をやると、中庭で、テントの設営が進められている。テントの下から、咲と元子が出てきたのが見えた。二人のクラスは、中庭で飲食をやるようだ。


「ちょっと幸、サボんないでよ」


 幸の後ろに座って作業をしていた夕に、尻を叩かれて声を上げた。


「サボってないよ!」

「良いから、そっち持って」

「はーい……」


 一年六組は、ミニゲームコーナーをやる。ダーツや輪投げなど、ミニゲームをクリアした人に景品をプレゼントする出し物だ。

 今は、ダーツの台をクラスメイトと作っていた。夕に言われた通りに、台を抑える。金槌を持ったクラスメイトが、釘を打ち付けていく。


「ところで、一緒に回る人、決まった?」


 夕が言った。


「決まってない」

「コウキ君は?」

「誘えてない……」

「十日位前から誘う誘うって言ってなかったっけ」

「言ってたけど」

「え、何、市川、回りたい男がいるの?」


 釘を打っていたクラスメイトが、目を見開いて聞いてくる。


「そりゃいるよ、青木君」

「マジか。何人も男子から誘われたのに、全部断ったっていう噂は、だからか」

「何その噂」

「撃沈した奴が多いって、男子の間で有名だぜ」


 数日前から、五、六人の男友達に一緒に文化祭を回ろうと誘われた。ただ、幸はコウキと回りたかったから、全員断ったのだ。


「何、好きな奴?」

「青木君には関係ないじゃん」

「いやいや気になるでしょ、市川の相手なら」

「教えないよ」

「ちぇっ」

「青木、いいから早く打って。地味に疲れるんだから、この体勢」

「あ、わりぃ」


 明日の幸の仕事は、看板を持って校内を歩く宣伝係だ。校内を回っていれば何をしていても良いらしいから、ほぼ自由時間と言っても良い。だから、どうにかコウキと回る時間を作りたかった。


 コウキと出会って、もう半年近く経った。初めは、誰にでも優しい良い子なのだろう、くらいにしか思っていなかった。育ちが良いのか、女の子にはさんづけで呼ぶし、仕草の一つ一つも落ち着いていて丁寧で。会話の内容も、考えさせられるようなものが多かった。他の男の子とは、どこか違って見えた。

 少しずつ仲良くなっていくうちに、コウキの色々な所に魅かれて、好きになっていた。

 

 本当はもっと仲良くなりたいのに、意識するようになってから、普通に接することが出来なくなった。以前、夏の合宿の帰りに、元子に、コウキは脈無しだとはっきりと言い切られた。しかも、コウキは幸の好意に気づいていて、あえて距離をとっているとも言われた。

 実際、その通りなのだろう。智美には、意識せず普通に接するべきだとアドバイスされていたけれど、結局、まだうまく話せないでいる。


 今まで、誰かを好きになったことが無かった。女の子の友達が、彼氏といちゃいちゃとしているのを見ても、自分はそういう相手は出来そうにもないと思っていたし、男の子と付き合ったことは何度かあるけれど、結局、誰一人恋愛対象として見ることが出来なかった。

 

 コウキだけは違った。いつからか、自然と目で追うようになっていた。ある日突然、これが好きということなのだ、と気がついた。

 初めてのことで、自分でもどうすれば良いのか、全く分からなかった。コウキを前にすると、緊張で素の自分を出せなくなってしまうのだ。


「幸って、コウキ君の前だけではめちゃくちゃしおらしくなるよね」

「ええーっ!? 市川がぁ!?」

「青木、声でかい!」


 夕に怒られて、青木が小さくなっている。


「なりたくてなってるわけじゃないよ」

「意識するからいけないんだよ」

「むしろ、なんで夕はコウキ君といて平気でいられるの?」

「えーなんでだろ。好きとかじゃないから?」

「あー……」

「なあ、そのコウキって奴、何組?」


 青木が言った。ダーツ台が、どんどん形を為していく。


「四組」

「ふーん。あとで見に行ってみよ」

「は? 余計なことするなよ、青木」


 急に、夕の声色が冷たくなった。驚いて、幸も青木も、夕を凝視する。


「な、何でだよ、別に良いだろ」

「そういうことされると、コウキ君は勘づくんだよ。あんたみたいな鈍感と違って。幸に迷惑がかかるから、やったら二度と口きかないよ」

「……分かったよ」

 

 口をとがらせながら青木が頷く。ふん、と夕が鼻を鳴らす。

 何となく気まずくなって、黙々と三人でダーツ台を仕上げた。


「ま、頑張りなよ、幸。勇気出さないと幸せは掴めないと思うよ」

「うん、ありがと」


 分かってはいる。けれど、一緒に回ろう、の一言が言い出せない。幸を誘ってくれた男の子達も、こんな気持ちだったのだろうか。皆、同じように緊張して、それでも幸を誘ってくれたのだろうか。


 申し訳ないような気持ちになって、幸は小さくため息をついた。





















 吹奏楽部の練習が終わるまで、暇だ。クラスの準備も終了している。いつものように線路下で練習をしても良かったけれど、何となくその気になれなかった。 

 職員棟の東端にある非常階段で、座っている。人が来ないので、一人になるのに良い。


 空が青い。雲が、視界を流れていく。穏やかな風が気持ちよくて、心を穏やかにしてくれる。


 コウキとのデュエットは、上手くいきそうだ、と月音は思った。

 奈々が毎日防音室を使わせてくれたおかげで、練習が捗っているし、月音の助言が効いたのか、コウキの音もこの二週間ほどで随分と変わっている。二人の混ざり合った音が、さらに良質なものになってきた。


 文化祭、体育祭、球技大会。明日からの三日間が終わったら、デュエットの発表の日だ。

 瞬く間に、日々が過ぎた。月音は、こんな風に、また音楽に夢中になれる日が来るとは思いもしていなかった。


 今年の二月、喫煙中の友人といたところを生徒指導の松田に見られて、停学になった。

 部の上級生と折り合いがつかず、部に行きたくなかった。それで、仲の良い友達に誘われて部活動をさぼり、遊びに出かけた。ゲームセンターの裏で、突然、友達が煙草を吸いだした。やめなよ、と言おうとしたところで、生徒指導の松田に見つかった。


 言い逃れは、出来なかった。ただ、月音は吸っていなかった。それは松田が見ていた。おかげで、停学で済んだ。友達は、退学処分になってしまった。

 ほんの少し、さぼろうと思っただけだった。友達は、巻き込んでごめん、と謝ってくれた。けれど、謝りたいのは月音だった。守ってあげられなくて、ごめん、と。

 

 停学が明けて、丘に事情を聞かれた。本当のことを答えた。信じては、貰えなかった。丘は、部のために辞めてもらう、と言った。

 仕方が無かった。月音が残れば、部に危険が及んだかもしれない。それは、自分でも分かっていた。


 二個上の上級生は、嫌いだった。けれど、同期と一個上の皆は、好きだった。丘も、尊敬していた。その好きな人達に、迷惑をかけたくなかった。

 

 逸乃と理絵が、別々に月音のところに来て、本当のことを教えて欲しいと言ってきた。あの時は、丘に信じてもらえなかった悲しみで、他の人に話す気力が無かった。

 黙って部を去ったのは、申し訳なかったとは思う。あれ以来、逸乃や理絵とは会話をしていない。


 四日後のデュエットで、月音の想いを知ってもらうしかない。コウキが言うには、理絵が猛反対しているらしい。それでも、心を動かしてみせる。きっと、届けられるはずだ。

 

 また、空に目をやった。雲が、流れ続けている。明日は晴れるだろう。


 体育館から、吹奏楽部のリハーサルの演奏が聞こえてくる。『エル・クンバンチェロ』だ。プエルトリコの作曲家が作った陽気なラテン音楽で、吹奏楽の定番曲の一つである。ノリの良いサウンドで、聴く人も吹く人も気分が高揚する名曲と言える。

 

 耳をすませて、音を聴いた。ドラムが、少しテンポが走る。純也のドラムだろう。摩耶は、もっと丁寧に静かに叩く。ピッコロのソロは、牧絵の音だ。もう一本のフルートは、東海大会で隣に座っていた一年生の子か。トランペットの高音が突き抜けて聞こえる。逸乃というよりは、コウキである。

 

 こうして聴いていると、それぞれの顔が浮かんでくる。知らない音もあり、それはきっと一年生の子達だろう。コンクールと違って、文化祭を盛り上げるために吹く曲だけに、皆自由に吹いている。溶け合った一体感のある演奏というより、それぞれが感情を爆発させているかのような尖った演奏だ。

 

 こういう演奏も、月音は好きだった。いつも楽しく吹く。楽しく吹くためには、土台をしっかりと。丘がよく言うことだった。その考えが、月音には心地よかった。

 音楽は、奏者も楽しんで吹いていなければ、本当の音楽にはならない。楽しんで吹いているから、聴く人も楽しくなるし、感動するし、涙する。


 花田高の吹奏楽部は、いつも音楽の本質を追う部だった。だからこそ、またあそこで吹きたかった。


 『エル・クンバンチェロ』が終わった。間髪入れず、『アルセナール』の輝くようなメロディが鳴り響き、スピーカーから出る晴子の声が聞こえた。アンコール用だろう。

 そして、すぐに音が止んだ。お楽しみは当日、ということか。


 体育館にいなくても、吹奏楽部の動きが、音が、感情が、伝わってくる。


「やっぱ、好きだなあ」


 戻りたい。ぽつりと、月音は呟いていた。

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