八ノ十三 「やっぱ、地下室あったんだな」
二年二組の文化祭での出し物は喫茶店だ。逸乃は、衣装係を任されていた。
吹奏楽部は、授業後、部活動に来る前に四十五分間はクラスの手伝いをして良いことになっている。だから衣装係で集まって、出し物に使うものを縫っているところだった。
当日は教室内を小物で飾り付けたり、制服の上に白いエプロンをつけて接客をする。既製品は高いから、予算が足りなくなる。それで、布を買ってきてそれらを作っている。裁縫などしたこともなかったのに、衣装係になってしまった。仕方なく手芸部の子に教わりながら、少しずつ縫っている。
「逸乃、ずれてるよ」
指摘されて、慌てて手を止める。コースターを塗っていた。縫い目がかなり斜めになってしまっている。
「やり直し、だね」
「っげえ……」
エプロンなどの凝ったものは、手芸部の子や裁縫経験者の子がやる。逸乃は、小物担当だった。
学校の備品のミシンは全学年で奪い合いになっていて、中々順番が回ってこない。だから手芸部の子が持ってきてくれた自前の物しか使えず、他の子は全員手縫いだった。
「考え事?」
「……うん、ごめん」
「良いよ。まだ時間あるから、ゆっくりね」
「うん」
月音が、部に戻ってくるかもしれない。三日間の行事が終わった後の九月三十日に、コウキとのデュエットを部員と丘の前で披露するのだという。それで全員が納得したら、という話になったらしい。そのことが、気になっていた。
月音は、同期のトランペットだった。花田高に入学した時点で、逸乃よりはるかに上手かった。すぐに三年生と一緒にファーストを任されるくらい、パートでも飛び抜けた技量を持っていて、同期なのにその圧倒的な差が悔しくて、悩んだりもした。
仲は、悪くなかった。月音は明るい子で、練習の仕方を逸乃に隠すことなく教えてくれたし、爽やかな性格のおかげで上手くやれていたからだ。時折、あまりの力の差に泣きたくなる時もあったけれど、そういう時は、まこが励ましてくれた。
月音は、二個上の上級生と馬が合わなかった。月音の技術力を妬む上級生に、陰口を言われていた。月音も、上級生を嫌っていた。
そういうことがあったからなのか、今年の二月頃に、月音が部に来なくなった。それから間もなくして、喫煙をして停学になったという噂が流れた。そして、丘が月音を退部させた。
月音が部を去る時、本当に吸ったのか、と聞いた。月音は、答えてくれず、そのままいなくなった。
それ以来、月音とは話していない。
コウキが月音と知り合いだったことには、驚いた。コウキは本気らしい。本気で、全員を納得させようとしている。
最初、月音が戻ってくるかもしれないと聞いて、逸乃は動揺を隠せなかった。嫌いな子ではなかったけれど、そばにいると自分の下手さを嫌というほど自覚させられるのが、辛い時もあった。
また、そういう風になったら、という考えが頭をよぎったのだ。ただ、それは一瞬の話で、今は月音が戻ってくるのは良いと思っている。
上手い人と比べて落ち込む自分は、もういない。自分がどう吹きたいか、なぜ吹きたいか。そちらの方が大事なのだと、スランプに陥った時、コウキが気づかせてくれた。だから、月音がそばにいても、大丈夫だと思う。
月音が戻ってきたら、吹奏楽部はもっと強くなる、トランペットパートも、各段にレベルが上がる。それは、来年こそは全国大会に、と思っている吹奏楽部にとって、良いことのはずだ。
「古谷」
ぽん、と肩を叩かれた。一緒に小物を縫っていた、男子だ。
「またずれてるぞ」
「……げえ」
「へたくそだなあ」
「うるさい」
笑った男子を、小突いた。
「いって」
「あんただって、ぐちゃぐちゃじゃん」
「味があるって言うんだよ」
「私のだって、味がある」
「古谷のは、残念ながらコースターには見えねぇな」
「もう!」
肩を叩いた。また笑ってくる。
逸乃だけ、まだ一枚もコースターを完成させていない。このままでは、足を引っ張るだけで終わってしまう。
「慣れればすぐ出来るようになるから!」
「おう、期待しないでおくわ」
軽口をたたく男子に舌を見せて、再びコースターに取り掛かる。せめて、一枚くらいは完成させたい。
この憎たらしい奴を見返さないと気が済まない、と逸乃は思った。
「真君~、一組が使ってるミシン、そろそろ時間だから借りてきてくれないかなあ」
陸が言った。
「分かった」
学校の備品であるミシンは、今、各学年に二台ずつ貸し出されている。それを、各クラスで使いまわす。その段取りは、生徒会が仕切っている。
一年一組の後は、真の一年三組が使う予定だった。
陸とは同じクラスだから、吹奏楽部を辞めた後も話す仲だ。男子なのに裁縫や料理が得意で、アニメは女児向けが好きで、可愛い小物も好きという、女子みたいな趣味をしている。やはり男子より女子との方が仲が良いらしく、クラスでもそちらといることが多い。文化祭の仕事は裁縫係のリーダーを任されていて、使用する布物を次々と仕上げている。
真は、パソコンでのポップの制作係を任されていた。それは家でやる。学校ではやることがないので、各係の雑用をこなしている。
「じゃあ、行ってくる」
「お願いね」
陸に手を振られながら三組の教室を出て、一組へ向かった。一年生の教室は一階と二階に分かれていて、一組と三組は二階にある。生徒棟二階の西端が一組の教室だ。
「おーい、白井」
「おお、井口」
一組の教室で金槌をふるっていた勇一に声をかけた。手を挙げながら、勇一が近づいてくる。
「どうした、久しぶりだな?」
「ミシン、そろそろ交代の時間だから、受け取りにきた」
「お、わかった」
勇一が女子からミシンを受け取ってくるのを、扉の前で待った。一組の出し物は何だろうか。ぱっと見では、よく分からない。
三組は焼きそば屋だ。飲食系は中庭のスペースをくじ引きで取り合うのだが、三組は取れなかった。それで、教室内で焼きそば屋をするから、店構えを良くするためのテーブルクロスやらなんやらを作るためにミシンを使うらしい。
「ほい、お待たせ」
「サンキュー」
ミシンを受け取って、立ち去ろうとした。
「あ、ちょうどいいや、井口」
「ん?」
呼び止められて、振り向く。
「井口、パソコン得意だったよな」
「ああ、うん」
「今さ、吹部のホームページを作らないかって話が出てるんだけど、井口、ホームページの作り方とか分かる?」
「ああ、分かるよ。自分で作ったのもある」
「マジか。あのさ、今度教えてくれね?」
「え」
言葉に詰まった。辞める時に、吹奏楽部の為には、もう自分は関わらないほうが良いと思っていた。
「しょぼいホームページ作っても仕方ないからさ。ちゃんとしたのを作りたいんだ。三月の定期演奏会をお客さんいっぱいにしたいから、宣伝も兼ねてホームページを持ちたいってなってるんだよ」
「……でも俺、辞めた人間だぜ」
「元吹奏楽部員だろ、なら、問題ない。誰も井口が協力して嫌な顔はしないよ。ちゃんと分かる人に教えてもらいたくて」
「河名先輩とか、嫌がるだろ」
二年生のアルトサックスの栞とは、馬が合わなかった。あの人は、井口を今も嫌っているだろう。
「大丈夫。うちの部、変わったんだ」
勇一は、何がどう変わったのか、具体的なことは言わなかった。
「……まあ、暇な時なら」
「サンキュー! また詳しいことメールするな」
「分かった」
手を上げて、一組を離れた。三組に戻り、ミシンを陸へと渡した。
「ありがと~」
「なあ、白井から、吹部のホームページ作るから教えてくれって言われたんだけど」
「あー、そんな話も聞いたかも。真君が手伝ってくれるなら良いホームページ出来そうだねぇ」
「いや、俺、辞めた人間なのに、良いの?」
「どういうこと? 辞めたとか関係なくない?」
あっけらかんとした様子で、陸が言った。
「そっか」
呟いて、陸から離れた。
パソコンが、真にとって一番大切だった。映像を作ってホームページに載せるのが趣味で、今はそれに時間を使えている。だから、毎日が充実している。吹奏楽部にいた頃は、ほとんど作業が出来なくなっていた。サックスも思うほど上達せず、栞ともうまくやれず、ストレスが溜まっていた。
逃げるようにして、部を辞めた。吹奏楽は、真にとって一番にはならなかった。辞めて、間違いではなかったと思っている。ただ、申し訳ないことをしたという気持ちはあった。だから、向こうから関わってきたのが、少し意外だった。
自分の得意な事で役に立てるのなら、協力しても良い、という気になりだしていることに、真は気がついた。迷惑をかけた分くらいは、返すのも悪くない。
ノンアルコールバーの準備は順調だ。コウキが率いるメニュー担当が、次々とメニューを開発している。クラス内でも味は評判で、家庭科部の子が飾り付けなどを担当して、見た目もお洒落に仕上げていた。
桃子と橋田と智美は、店のレイアウトを決める係を任されている。桃子と橋田はクラス委員長として、文化祭の実行委員会にも参加することになっているため、軽い仕事だけを割り振ってもらえた。
しかし、軽いからといって、簡単なわけでもない。どんなカウンターや椅子にするか、配置や使う小物はどうするかなど、デザインも含めて細かなことを決め、それを各担当者に割り振っていく。意外と頭を使う係だった。
DIY係が、すでに渡したカウンターや椅子、棚の設計図の通りに、木材を集めて切ったりしている。文化祭の前日から始まる準備の時に一気に組み立てられるように、木材をあらかじめ切断しておくのだ。
衣装係は、店の飾りやバーテンダーが着るベストなどを作ってくれている。ただ、手芸部の子がいないので、衣装係が一番苦戦していた。人数も、一番多く割いている。
「お、使用許可出たか、桃子?」
四組の教室に戻ると、橋田が声をかけてきた。
「駄目だったー。危ないからって」
「マジかぁ。どうするかなあ」
「蛍光灯じゃ、雰囲気ぶち壊しだよねぇ」
文化祭当日は、暗幕のようなものを使って、廊下側も外側も窓を覆う。灯りはキャンドルを使って、暗めの雰囲気を演出する予定だったけれど、許可が下りなかった。
「何、駄目だったの?」
コウキが傍に来た。
「うん、危ないから駄目って」
「なら、間接照明だな」
橋田と顔を見合わせる。
「何、それ?」
「お洒落な店とかでさ、オレンジの照明が壁に向けて光ってたりするの、見たことない?」
「あー、ある、かも」
「ああいうの。反射光で部屋を明るくするから、明るくなりすぎないし、お洒落に見えるから」
「なるほどねぇ。三木君って、何でも知ってるね」
「ほんとだよなぁ。どこでそういう知識手に入れるわけ?」
「インテリア見るのが好きだから、たまたまな、たまたま」
ははは、と言って、コウキが離れていった。
「……じゃあそっちの方向でレイアウト直してみよ。ライトは、家にある子に借りてきてもらうとか」
「だな。延長コードもいるな」
「電池式のとかがあれば最高だけどね。ねえ、智美ちゃん」
衣装係を手伝っていた智美を呼んだ。
「何~」
「レイアウト見直すから、一緒にやろ」
「あー、んー。私、ちょっと衣装係手伝ってるから、橋田と二人でお願いして良い?」
「え」
「頼んだよ、橋田」
「お、おう」
にやにやと、智美が笑っている。
「じゃ、お願いね」
「えー、智美ちゃん手伝ってくれないのぉ」
「良いじゃん、二人でやろうぜ、な?」
「うん……」
いつもならすぐ手伝ってくれるのに、どうしたのだろうか。衣装係のところへ戻った智美は、そのまま、また裁縫に取り掛かっていた。
手伝ってくれないのなら、仕方がない。二人でやるしかないだろう。
他の係の邪魔にならないよう、教卓で作業をすることにした。ノートのレイアウト図を広げて眺める。キャンドルは各テーブルやカウンターに置く予定だったが、間接照明だと場所が変わる。どういう風に設置すれば良いか、コウキにもアドバイスを貰ったほうが良いだろうか。
橋田の意見を聞こうと顔を上げたら、妙に嬉しそうにしていることに気がついた。
「なににやけてるの、橋田。気持ち悪いよ?」
「に、にやけてねーよ! 気持ち悪いって言うなよな!」
「うっそだよー」
顔を赤くした橋田を見て、桃子は思わず笑っていた。
コウキと、二人で音を出す。鋭い息ではなく、あたたかさを感じさせるような息を使う。そうして出した音は、心地よいやわらかな音色になる。二本のトランペットから出される音が溶け合い、豊かな倍音が鳴り響く。
今は、互いの吹き方を揃えるために、感覚のすり合わせをしていた。『You raise me up』の譜読みは互いに進めていて、コウキからも、譜面について大きな注文は無かった。本格的に合わせる前に、二人の吹き方の特徴をつかんでおくのだ。
一緒に吹いてみて、コウキは合わせやすい子だ、と月音は思った。メインパートを吹く月音に、ぴったりと音を寄り添わせてくる。一緒に吹くようになってどれだけも経っていないのに、コウキとなら、すんなり音を混ぜ合わせられた。それだけ、確かな技術力があるということだ。
これで一年生というのは、将来が有望だろう。月音や逸乃ほどではないにしても、十分ファーストを担える力も持っている。
「はあ、やっぱ、この楽器じゃたまにトチる」
音を止め、ピストンをかちかちと動かしながら月音は言った。通常なら滑らかに上下するものなのに、時々、動きが止まってしまう。
「でも、三番ピストンですよね。なら、この曲ほとんど使わないから、大丈夫でしょう。なるべく、オイル多めに塗って」
「それしか、ないよね」
お金がもっとあれば良い楽器が買えた。けれど、親に出してもらう余裕はなかったし、自分でやりくりして用意するしかなかった。中古屋で買った楽器だから、問題があるのは承知の上だった。ただ、三番ピストンが動かないのは、曲中で発生すると困る。
トランペットは、三つのピストンを操作して管の長さを変えることで、音が上下する楽器だ。ピストンが途中で止まったり起き上がってこないと、息がスムーズに流れなかったり、正しい音が出ない原因となる。
滑らかにピストンが動くことはトランペットにとって不可欠ではあるものの、現状では修理に出す金も無いし、根本的な解決は出来ない。ピストン専用の油を多めに塗ると多少はマシになるから、それで誤魔化すしか無い。
「そろそろ、時間ですね」
時計を見ると、最終下校時刻の八時になろうとしていた。平日の吹奏楽部の活動は、九月いっぱいは十八時までで、そこから二時間弱しかコウキと練習できないのは、厳しいものがある。
「時間、足りないね」
この調子で、良いデュエットになるのか、不安だ。
「それなんですけど、月音さんって、夜遅くなっても怒られません?」
「まあ、極端に遅くならなければ」
「……実は、友達に一人、防音室持ってる子がいて、相談したら使わせてくれる話になったんですよ。他校の子なんですけど」
「え、ほんとに?」
「はい。今から、行きません?」
「行く行く! 凄いね、そんな友達いるなんて。ていうか、親御さんがよく許してくれたね」
「まあ、借りがあるからですかね」
笑って、コウキがトランペットを片付けだした。月音も片づけを済ませ、二人で学校を出た。コウキの友人の家は、隣町だという。月音の家も隣町だから、ちょうど良かった。
到着すると、その家は立派な塀に囲まれていて、普通の家の二つ分以上はあるのではというくらい大きな、三階建ての家だった。
「でっか」
「でかいですよね。友達は、これをたいしたことないとか言うんですよ。感覚違いすぎて」
「マジか……」
これは、金持ちの住む家ではないか、と月音は思った。立派な塀がある家など、入ったことがない。
コウキが呼び鈴を鳴らすと、女の子が出てきて、塀の中へ迎え入れてくれた。
「奈々さん、久しぶり!」
「ほんと、めっちゃ久しぶりだね、三木君。元気そうじゃん!」
「奈々さんも。拓也とはどう」
「順調だよ。拓也も三木君に会いたがってた」
「ああ、お盆しか会えなかったからなあ」
奈々と呼ばれた女の子は、満面の笑みを浮かべている。コウキの中学時代の友人という話は、道中で聞かされていた。垢抜けて、可愛らしい容姿の子だ。
「山口さんですよね、初めまして。桑野奈々です」
「あ、山口月音です。ありがとう、防音室を使わせてくれるって」
「三木君にはおっきい借りがありますから」
「今の彼氏と付き合うのに、ちょっとだけ協力したんですよ」
「そうなんだ」
コウキは、友達が多いのだろう、と月音は思った。
奈々とコウキに続いて家に入ると、玄関がやたらと広かった。高そうな絵画が飾られているし、余計なものが置かれていない。よく見ると、奈々の部屋着も、なかなか良さそうなものだ。やはり、裕福な家庭なのだろう。
「親御さんは、いる? お礼が言いたいんだけど」
「うん。入って入って」
靴を脱いで、リビングへ通された。声にならなかった。月音の家と、全然違う。まず、広さが違う。家具も、高そうなものばかりだ。なんなのだ、この大きくて分厚い一枚板のテーブルは。
言葉を失っていると、奈々の母親らしき女性が、にこにことしながらキッチンから現れた。
「お邪魔します」
「久しぶりね、三木君。そちらは山口さんね」
「初めまして」
「お久しぶりです。夜なのに無理言って、すみません」
「良いの良いの。話は聞いてるから。最近は奈々もピアノ触らなくなって、誰も防音室使ってなかったから、お役に立てるなら」
「ほんとに、助かります」
「好きなように使ってね」
「ありがとうございます、お世話になります」
「じゃ、案内するよ」
母親に頭を下げ、奈々の後についてリビングを出た。廊下の先にあった地下室へ続く階段を降りると、そこは中央にグランドピアノが鎮座する部屋だった。
防音室は、初めて入った。ピアノだけではなく、立派なスピーカーや再生機器まで置いてある。
「すっご……」
「やっぱ、地下室あったんだな」
「は?」
「いや、なんでもない」
「十一時までは使って良いからね」
「ほんと、ありがとな、奈々さん」
「良いよ。こんなんで役に立てるなら。毎日使うよね?」
「ああ、そうさせてもらえると助かる」
「そのうち拓也も連れてくるから、その時ゆっくり話そ」
「マジか、ありがとな」
「じゃあ、邪魔しないように私は出てくから。頑張って!」
手を振って、奈々は扉を閉めて出て行った。
「……お金持ちなんだね、奈々さん家」
「です。地下室がありそうな家だとは思ってたんですけど、マジでありましたね」
「はは……」
「よし、じゃあ時間も無いし、やりますか?」
「あ、うん」
トランペットは他の楽器に比べて騒音になりやすいから、基本的に夜に吹くことが出来ない。けれどここなら、思い切り吹けるだろう。練習時間がほとんど無い状況だったから、遅くまで吹ける場所を貸してもらえるのは、実にありがたい。
何から何まで、コウキに頼りっぱなしだ。月音一人では部に戻れるかもしれない日が来るなんて思えなかったし、こうして、練習出来る場所も用意できなかった。
退部させられてから、月音の時間は止まっていた。満足にトランペットを吹ける環境が無くなり、くすぶっていた。コウキのおかげで、また、思う様吹ける日がくるかもしれない。
何としても部に戻ってみせる。全員を、納得させてみせる。
「ありがとね、コウキ君。頑張るよ、私」
「俺も、頑張ります」
にっ、とコウキが笑いかけてくる。
ありがとう。
もう一度、月音は呟いた。




