八ノ十一 「理絵の反対」
理絵が、強硬に反対するとは思わなかった。絶対に駄目だ、月音を部に戻すなんてありえない、と言った。その剣幕に、コウキだけでなく、リーダー会議に出席する他のリーダーもあっけに取られていた。
普段、理絵がこれほど自分の意思を主張することはない。意見を言わない訳ではないが、こんなに強気の態度を見せられるのは初めてで、少し意外だった。
「なんで、駄目なの、理絵」
梨奈が聞いた。
「喫煙で停学だよ? そんな子がいたら、私達まで、活動できなくなる」
「それは違います、理絵先輩。月音さんは、喫煙はしてない。ただ、そばにいただけです」
「同じだよ。停学になったっていう事実は事実じゃん」
丘と、同じことを言う。理絵は、人一倍この部に思い入れがある人だ。以前の時間軸でも、この部の素晴らしさと、そこに居られる誇りを、コウキに語ってくれた。それだけ熱意があるからこそ、部を危険に晒したくない、ということなのかもしれない。
だが、ここで引き下がれない。部員に認めてもらわなければ、月音は部に復帰出来ないのだ。
「俺は、過去は過去だと思う。前にどんな失敗や過ちを犯したとしても、それでその後の人生全てを決められてしまうなんて、間違ってる。月音さんはやり直そうとしてるのに、拒絶するなんて駄目だ。理絵先輩は……月音さんが、なんで喫煙する子と一緒にいたのか、なぜ退部を受け入れたのか、退部した後どうしていたのか、知ってますか?」
「……知らない。知る必要も無かった」
「知らずに、ただ相手を拒絶するだけじゃ、何も生まれない。決めつけだけで自分達の視野を狭めたって、良いことはありません」
「私にとっては部が一番大事なの。部を守るためなら、いくらでも狭める。月音一人くらい、切り捨てる」
「そんな風に仲間を見捨てて、仲間を信じないで……何が部活ですか。部を守る? 違う、自分達が吹ける環境を壊したくなかっただけでしょう。そんなの、違う。仲間がいるから、俺達は吹けるんだ」
他のリーダーは、誰も、何も言わない。コウキと理絵しか、話していなかった。コウキですら、理絵の剣幕には押し切られそうになるのだから、口を挟めなくても無理はない。ただ、こういう時に一人でも賛同してくれる子がいると、風向きは大きく変わるのに、とコウキは思った。
月音の問題は、二、三年生にとっては複雑な感情があるだろうし、一年生にとっては誰かも分からない人物の話をされているのだから、仕方ないだろう。
「困ってたら助ける。間違ってたら、正しい道に引き戻す。仲間は誰一人見捨てない。それで、初めて俺達は俺達なりの音楽が出来る。間違ったことをした人は仲間じゃないとか、迷惑をかける人は部にいらないとか、そんな風に切り捨ててたら、いつまで経っても本当の音楽なんてできませんよ」
「私達は、したよ。東海大会で。本物の演奏だったよ、あれは」
「仲間を切り捨てて、です。月音さんがもしあそこに入ってたら、もっと凄い演奏になってたかもしれない」
「逆に、壊れてたかもしれない。停学者がいるっていうことで、部の雰囲気が崩れて」
「それは、皆がどう思うか次第だ。そういう風に思わなければ、壊れたりしない」
理絵が、鼻で笑った。
「他の人の考えを、強制したりできないよ」
話の方向が、ズレてきていた。
理絵は、頑なになっている。言葉では、その心の壁を崩せそうにもない。
「話を戻します。とにかく、丘先生は、部全員と丘先生を、納得させてみろって言いました。言葉で納得してもらえないなら、演奏で納得してもらいます。俺と月音さんで、デュエットを披露しますよ。それを聴いてもらえば、月音さんのことも分かってもらえるはずだ。納得したら、月音さんに部に戻ってもらう。どうですか」
「私達が聴くメリットが無い」
理絵が言った。
「あります。月音さんが戻ってきたら、うちの部は、もっと上へ行ける」
「そんなの」
「理絵ちゃん」
それまで腕を組んで目を閉じていた奏馬が、静かに言った。
理絵が口を閉じて、奏馬を見る。
「それくらいで」
短い一言。それだけで、理絵が黙った。奏馬には、時々、有無を言わさない迫力がある。
部室に沈黙が広がり、奏馬が、小さくため息をついた。
「良いじゃん、聴いてみようよ。自信があるんでしょ、コウキ君は」
「はい」
「じゃあ、全員を納得させる演奏、してみな。一人でも納得しなかったら、月音ちゃんは戻らない。それで良いだろ。理絵ちゃんだって、本当に戻したくないなら、納得してても納得してないって言えば良い。コウキ君と月音ちゃんは、そんな理絵ちゃんですら納得したと言わせてしまうような演奏をすれば良い。簡単な話だ」
理絵が、渋々といった様子で頷く。
「コウキ君は?」
明らかに、こちらが不利な条件である。だが、どんな形であれ、全員を納得させるというのは最初から決まっていた。であれば、やるしかない。
「やります」
「ってことで、どう、晴子」
それまで黙って話を聞いていた晴子が、大きく頷いた。
「そうしよっか。文化祭と祭典の練習もあるし、コウキ君は、月音ちゃんとの練習は活動時間以外でやってね」
「はい」
「じゃあ披露は文化祭が終わった後の九月三十日で、どう?」
「大丈夫です」
「じゃ……そういうことで、各パートリーダーはパートの子に事情を説明してね。丘先生には私から言う」
「はい」
それで、解散となった。
結局、理絵の強烈な反対があったため、他のリーダー達が月音を戻す件についてどう思ったのかは、聞けなかった。
何人が、理絵と同じように反対の気持ちを持っているのか。多ければ多いほど、月音が戻ってくることは難しくなる。
時間は限られている。すぐにでも月音と話を始めたほうが良い。対策を練り、演奏する曲も選ばなくてはならない。
部室を出て、コウキは携帯で月音に連絡を取った。
昨日、コウキから呼び出されて話を聞いた。月音が部に戻る条件は、月末にコウキとのデュエットを披露し、その演奏で全員を納得させることになったという。
月音一人ではなくコウキも一緒に吹く案は、コウキが出したらしい。一人でも、部員の中から月音に協力する人間がいる姿を見せるのは、重要だ、とコウキは言った。
今の月音は、吹奏楽部にとって部外者である。そこで一人で吹くよりは、内部の関係者から一緒に吹いてくれる人がいる方が、心強いのは間違いない。
コウキの実力ははっきりと知っているわけではないが、東海大会では逸乃の隣でセカンドを吹いていた。なら、それなりの力はあるのだろう。
コウキに出会ってから、あっという間に話が進んだのは、いまだに信じられない。元々、もう吹奏楽部に戻れるとは思っていなかった。それが、コウキのおかげで、わずかでも可能性が生まれた。
それで、十分だった。
言葉を尽くすのは、苦手だ。上手く、自分の気持ちを伝えられない。けれど、演奏なら、伝えられる。
小学生の時から、トランペットを吹き続けてきた。自分の、手足のようなものだ。
とにかく、当日までに、やれるだけのことをやる。結果がどうなるかを考えても仕方がない。
月音が戻ることに、猛烈な反対をしている子もいるらしい。きっと、理絵か逸乃だろう。そういう子を納得させるのは難しいが、それでも、やるしかない、という気に月音はなっていた。
授業後、田園地帯にある線路の下のトンネルに来ていた。
コウキの練習が終わるまで待たなくてはならないので、その間にここで練習する。人の気配も民家も無く、反響もする。それなりに練習しやすい所として、目を付けてあった場所だ。
背負ってきたケースから、トランペットを取り出す。塗装がはげてくすみ、ところどころに小さなへこみもある。中古屋で置物と化していたこれを、三万円で買った。新品なら、三十万円はする、良い型だ。ただ、その面影は無い。
トランペットを新品で買おうとすれば、どんなに安くても三万円以上する。出せる金額で手に入れるには、これしかなかった。
軽くマウスピースだけで音を出す。それから、楽器に着けて、鳴らした。
ガタはあるが、音は出る。三番のスライドが動かなかったり、ピストンが時々固まったりするけれど、無いよりはマシだ。
軽い音出しをしてから、『You raise me up』の楽譜を取り出した。様々な歌手にカバーされることも多い名曲で、月音が好きな曲だ。昨日、徹夜で書き上げた。
耳が良いのが取り柄だった。だから、音源を聴きながら五線譜に書き写して、それをトランペット二重奏に編曲した。自己流の編曲だ。部員に受け入れられるかは、分からない。後で、コウキにも見せることになっている。
吹奏楽部の活動時間の終了まで、一時間半はある。その後は、部員の邪魔にならない場所でなら、校内で吹いていいという許可は、丘に会いに行った時に、貰っていた。
それまでに、自分のパートをコウキに聴かせられるようにしておこう、と月音は思った。
今年卒業した子達は、良く言えば熱意に溢れる、悪く言えば我が強い子達だった。それゆえ、今の二、三年生に自分達の意見を押し付けるようなところがあった。それを、強烈なリーダーシップだと受け取るか、上級生の横暴だと受け取るかで、部の雰囲気は大きく変わる。
今の二、三年生は、横暴だと受け取った。生徒同士の対立について、丘は上手く立ち回ることが出来なかった。その後悔は今もある。
対立が原因で、二、三年生から退部者が続出した。月音も、その中の一人だった。ただ、月音は自ら辞めたのではなく、丘が辞めさせた。喫煙疑惑で、停学になったからだ。
はじめは信じられなかった。だが、発見した生徒指導の松田から事情を聴いて、それが真実なのだと知った。
月音の停学が明け、学校に来た時に、丘は問いただした。
月音は言った。
「先輩達のやっていることは、音楽を奏でる人間のすることじゃない。私は、耐えられませんでした」
喫煙をしていないことは、後から松田から聞いていた。ただ、なぜその場にいたのかが疑問だった。
「……部にいたくなくて、サボっていました。たまたま遊びに誘われただけで、その友達が、煙草を吸う子だとは知りませんでした」
あの時、丘は、月音のその言葉を信じてやることが出来なかった。たとえ月音が吸っていなくても、月音は喫煙グループの一員だと世間からは見られる。もしそれで吹奏楽部に目が向けられたら、連帯責任で、ひと月後に控えている定期演奏会が中止になる可能性があった。
だから、丘は月音を退部させた。停学の数日前から部に顔を出さなくなっていたため、実質その時から退部していたようなものだということで、月音の件に吹奏楽部が巻き込まれることはなかった。
あの時は、それが正しいと信じて取った行動だった。だが、コウキに月音の話をされた時、丘は自分の行いが実は間違いだったのではないかと思った。守るべき生徒を、部と他の生徒を守るという名目で、切り捨てた。
生徒達は、絶妙なバランスの中で互いに関わりあっている。技術力のある子、未熟な子、リーダーシップのある子、奥手な子、従順な子、反抗的な子。様々な生徒がいて、それぞれが見事な均衡を保って関わり合うことで、部を作り出している。
なのに、丘がそのバランスを崩した。だから、月音が戻ることについて、考えるべきだと思った。
しかし、月音が辞めてから、半年以上が経っている。一年生も入って、部は四月までとは違う姿になった。そこにまた月音が混ざると、もう一度バランスを崩すことになるかもしれない。
それで、条件を出した。生徒達が、月音を受け入れたいと思うかどうかが重要だと思ったからだ。
九月三十日に、月音とコウキの二人で、演奏を披露することになったらしい。
部員は、揺れている。特に、二年生の理絵は、月音が戻ることに反対しているようで、日誌にも書いていた。
どのような形であれ、生徒達自身が向き合って結論を出してほしい、と丘は思っている。月音に関しては、丘が決めるべきではないはずだ。
東海大会にしろ、月音の件にしろ、これまで丘が何気なくしていたことが、後になって響いてきている。一度取った行動は、取り消せない。未来にまで影響を及ぼす。だからこそ、常に全力であらねばならないのだろう。
正しいか正しくないかは別として、今出来る最良の選択を取る事。東海大会を終えて、丘はそのことに気がつかされた。
生徒をさらなる高みへ到達させるためには、丘自身がそれを実践しなくてはならない。それが、顧問として与えられた仕事なのだ。




