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青春ユニゾン  作者: せんこう
高校一年生・秋編
132/444

八ノ十 「条件」

 土曜日で丘が学校にいたから、活動時間の後、すぐに丘の元へ向かった。月音の話を聞くためだ。

 職員室で、コーヒーをすすりながら、丘が身体をこちらに向けている。


「今日は何ですか、三木」

「二年の、山口月音さんについてです」


 丘が、固まった。ゆっくりとコーヒーカップを机に戻し、腕を組んで見つめてきた。


「山口が何か?」

「部に、戻したいです」

「……何があったか、知っていて言っていますか?」

「はい。月音さんは、喫煙をしていた訳ではなく、一緒にいただけだったと、生徒指導の松田先生に聞きました」

「それで?」

「なのに、月音さんが辞めなくちゃいけない理由が、俺には分かりません」

「部のためです」


 丘が言った。


「定期演奏会が中止になったり、活動自粛にならないため、ですよね」

「そうです。山口は未成年でありながら喫煙している友人と一緒にいた。それが公になれば、他の生徒まで巻き込むことになりかねませんでした」

「ただ、一緒にいただけです。それに、もう半年以上も前の話です」

「関係ありません。事実は事実です」

「問題を起こした生徒を、切る。それで、他の生徒は助かる。そんなやり方が、正しいとは思えません」


 丘は、何も言わない。


「盆休みの時に、月音さんと偶然楽器店で会いました。彼女がトランペットを試奏していて、その音が、綺麗でした。部をやめても、月音さんはトランペットを吹き続けてたんだと思います。あの人の音は、今の吹部に必要です」


 今の吹奏楽部は、決して優れた奏者に恵まれているわけではない。ひまりや逸乃など、突出した技術力を持つ部員は何人かいるが、全体で見ると、ほとんどの部員は平均的な技術力だ。一人でも多く、優れた奏者は必要である。


「お願いします」

 

 腕を組んだまま、丘は目線を下に落として、黙っている。


「月音さんが問題を起こした事実は消せません。だけど、一度の過ちで、その人の全てが決め付けられるなんて、おかしいです。やり直す機会を、こどもに与える。それも、学校の役目ではないのですか?」


 丘の眉がぴくりと動いた。


「一度間違えたら、もう戻れない。そんな世界は、認めちゃいけない」


 真っすぐに、丘を見つめる。丘が顔を上げ、視線がぶつかりあった。

 丘の取った判断を、間違いだと言い切ることは出来ない。今でさえ、誤解が広まっているのだ。当時、もし月音の問題が世間に知られていたら、誤解されたまま、部にも影響が及んだかもしれない。だが、月音は本当に吸っていないのだ。それなら、もう問題はない。つつかれたとしても、誤解だったからで済む。

 沈黙の後、丘がため息をついた。


「……山口が部に戻ることについて、部員全員を納得させてみなさい。そして、私も。それから、山口本人も本当に戻りたいのなら、一度ここへ来なさい。そうしたら、考えましょう」


 話は終わりだとでも言うように、丘が目線を外した。

 一礼して、コウキは職員室を出た。


 月曜日になって、再び図書室で月音と落ち合った。土曜日に丘と話した内容を聞かせると、月音は目を丸くして驚いた。

 授業後の図書室は人がまばらで、司書の先生と数人しかいない。開いた窓からは、昨日と同じように、吹奏楽部の音が聞こえてくる。


「絶対無理だと思ってた」


 月音が言った。


「絶対なんて無いですよ」

「……そうだね。で、これからどうするの?」

「皆を納得させるっていうのが難しい。どうしたら、皆が月音さんに戻ってほしいと思うのか」


 二人して、唸った。喫煙の事実は無かったと言えば、それで皆が納得するだろうか。どうも、そう単純な話ではない気がする。


「やっぱ、音楽で、ですかね」

「音楽で?」

「月音さんの演奏を聴いたら、皆、戻ってきて欲しいと思うかも」

「そんな簡単に行くかな」

「普通に吹いただけじゃ無理でしょう。皆を感動させないと」

「難しいね。万人が感動する演奏って、無いよ。それに、聴く側が心を閉ざしてたら、届かない」

「知ってます」


 ひまりがそうだった。東海大会前日の最後の通しを聴かせるまで、ひまりは完全に心が厚い壁に覆われていた。何度演奏を聴いていても、ひまりは心を動かさなかった。

 聴く側が聴こうという気持ちを持っていなかったら、どんな名演をしても、届かない。


「そこは、おいおい考えていきましょう。ところで……月音さんて、自分の楽器は持ってるんですか?」

「うん。あるよ」

「じゃあ、楽器店で試奏してたのは、買い替えのため?」

「違う違う。私の持ってる楽器は、三万円で買った中古のボロいトランペットなんだ。いろんなところにガタが来てて、まともに音も出せないような。それでも無いよりはマシだから、退部させられた後、頑張ってお金を集めて買った」


 吹奏楽部は、金がかかる。一番手に入れやすいトランペットでも、通常モデルは十五万から三十万程度はするし、定期的に買う消耗品もある。普通の家庭では、おいそれと手が出せるものではないのだ。だから、学校の備品を使う部員が多い。


「でも……そういう楽器で吹き続けてると悪い癖がつく。一度ついた癖は、直しにくい。だから、時には良い楽器を吹いて感覚を忘れないようにしようと思ってたの。それで、いろんな楽器店で、試奏させてもらってた。買う気も無いのに試奏させてもらうのは、申し訳ない気持ちだったけど、そうするしか無かった。うち、お金ないから。この辺りの楽器屋は全部行っちゃったから、あの時はお金出して浜松まで行ったんだ」

「そうだったんですね」

「私は、トランペットを一生続けたい。だから、何とかして吹ける環境を作るしかなかった」

「好きなんですね、トランペット」


 月音が、微笑んだ。


「まあ、ね」


 一瞬、月音の表情に陰が差した気がした。それは、すぐに見えなくなった。


「ところで、部活、行かなくて良いの。今日も遅刻だけど」

「友達に事情は言ってあるので、大丈夫です」

「そっか。ごめんね、私のために」

「気にしないでください。全員のためになることですから」


 風が吹いて、カーテンがまくれあがった。日光とともに爽やかな風が入ってきて、月音の髪の毛をさらさらと揺らした。












 二学期が始まると、リーダーとして動く機会が増えた。晴子と摩耶は進学クラスだ。そのため、平日の夕練の始まりに居ないことが多い。そういう時は、部長サブである智美が、始まりの進行をする。

 進行と言っても、出欠確認や練習予定の発表など、簡単な仕事ではあるが、前に立って視線を一身に受けるのは、まだ慣れない。別に、部員が智美を品定めしようとしているわけではないが、それでも、見られるのが得意というわけではない。


 堂々としていないと、部員の信頼を失う。分かっていても、まだ、緊張は続いた。副部長の都や理絵がサポートしてくれるおかげで、何とかなっている。


 今日は、ペア練習の日だった。九月の行事で吹く曲のさらいを、各自で行う。

 二学期に入ってすぐにペア替えが行われ、智美は、新たに岬と組むことになった。ずっと同じペアでは、練習法なども固定化されてしまうし、部員同士の関係性の向上のためという意味もあっての、ペア替えらしい。


 岬はテナーサックス担当で、サックスパートのリーダーだ。智美から見ても、技術的には正孝のほうが優れているところが多い。それでも、岬だから正孝も栞も大人しく従っているところがあるように思える。

 その岬と、総合学習室に居た。


「『イン・ザ・ムード』はジャズなの。聴いたことある?」

「あります」


 スウィング・ジャズの名曲で、アルトサックスとテナーサックスの掛け合いのソロやトランペットのソロ、ラストのハイトーンなど、聴きごたえのある箇所も多い、吹奏楽の定番曲である。コウキに、聴かされていた。


「ジャズだから、普段吹いてる曲と約束事が違うんだよね」


 そう言って、岬は軽くフレーズを吹いた。クラシックのようにかっちりした感じではなく、思わず身体を動かしたくなるような、軽快なリズム感だ。


「楽譜に書かれていることが全てじゃないから、その意識をすり合わせないと、ただめちゃくちゃに吹いてるだけになるし、気を付けようね。意外とこの曲、難しいから」

「はい」

 

 岬は、ジャズが好きなのだろうか。普段より、活き活きとして吹いている。

 三年生の中でも、目立つ人ではなかった。突出した演奏技術があるわけではないし、五役職に就いている訳でもない。サックスパートや三年生以外と、親密になっているような様子も、ほとんど見たことが無い。

 

 あまり弾けた様子を見せる人でもなく、どちらかというと大人しめな印象だった。演奏も、自分を主張するというよりは、周りに合わせて吹くような、そういう吹き方だと智美は感じていた。

 今は、その見立てから大きく外れている。CDやTVで聴くような、ジャズのサックスの音になっている。


「何でそんなに普段と音が違うんですか?」

「ん?」

「なんか、すごくジャズっぽいです」

「あー、マウスピースとかリードを変えてるからかな」

「そうなんですか?」

「うん。マウスピースとかを変えると、結構音が変わるから。あと吹奏楽とジャズの曲で、ちょっとだけ吹き方も変えてる」

「へえ」


 智美は、初めの頃に正孝のアドバイスで、定番の型を買っていた。リードも、正孝に薦められたものを購入している。自分では、どれが良いか分からなかったからだ。


「お父さんがアマチュアのジャズバンドで吹いてた時期があるらしくて、色々教えてくれたんだ」

「アルトサックスでも、変わりますか?」

「変わるよ。良かったら、後で学校の備品のマウスピースとかで試してみる?」

「私に、分かりますかね」


 岬が笑った。


「今の智美ちゃんなら、ちゃんと違いも感じ取れると思うよ」

「……はい!」


 こうして岬の『イン・ザ・ムード』を聴いていると、正孝や栞の吹いていたそれと、全く違うことが分かる。二人の音は、どこかのっぺりとした感じだった。下手というわけではなく、ジャズではなく綺麗にまとまりすぎている、という印象だった。

 今の岬の音は、ジャズだ。それしか智美には言い表せられないが、明確に聴こえてくる音が違う。少し、岬のことを見誤っていたのかもしれない。


 テナーサックスのソロは、やはり岬だろうか。幸も上手いけれど、岬のこの音を聴いた後だと、断然、岬だと思う。複数の奏者がいる時、花田高は、どうやってソロを決めるのだろう。これまでアルトサックスのソロは、栞が吹きたがらないために全て正孝が吹いていた。


 今年の文化祭では、新曲を四曲やる。今練習している『イン・ザ・ムード』と、ラテン系の名曲『エル・クンバンチェロ』と、流行りのドラマの主題歌と、今年大流行した映画のサントラメドレーだ。さらう時間は、ひと月も無い。追い込みがかけられていた。


「岬先輩は、就職してもサックスを続けるんですか?」

「んー? どうかな。楽器、持ってないし」


 岬は、普通クラスで、就職組だった。


「でも、サックス好きなんですよね」

「好きだよー。でも、お金無いから」


 金銭問題は、音楽をやるには必ずついてくる。智美も、親に頼み込んで消耗品のリードなどを買ってもらっている状況だ。


「それに、高校でこれでもかってくらい吹いてるから、卒業したら、案外吹きたくなくなるかも」


 言って、岬は笑った。


「そういうものですかね?」

「続けたい人は、皆OBOGバンドに入っていくだろうけど、私は入りたくないしね」


 花田高の卒部生が立ち上げた社会人バンドが、花田町にはある。団員の六割は卒部生で構成されているのだという。


「何でですか?」

「一個上の先輩が、何人か入ってるから。私や栞ちゃんの代は、一個上との仲が、最悪だから」


 衝突があって、部員が何人も辞めたという話は、ちらりと聞いていた。


「他の社会人バンドに入って、馴染めるか、分かんないし」


 岬が寂しそうな表情を見せて、智美は少し胸が痛んだ。

 今の四十一人は、全員互いを尊重しあっている。仲間外れや、いじめというものは存在しない。吹奏楽部は、それが当たり前だと思っていた。


 けれど、中学で吹奏楽をやっていた子達は、吹奏楽部は、どろどろしていたとか、金管と木管の仲が悪かったとか、蹴落とし合いが当たり前だったと言う。


 なぜ、そうなってしまうのだろうか。今、こうして一緒に居る岬達でさえ、一個上の上級生とは、そういう関係だったのだ。

 人と人は、容易く反目しあう。それは、悲しいことだ、と智美は思った。

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