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青春ユニゾン  作者: せんこう
高校一年生・秋編
130/444

八ノ八 「丘の決意」

 今日は、宿にもう一泊することになっている。

 学校へ戻っても、トラックから楽器おろしを出来る時間ではないし、帰宅時間も遅くなるからという、学校側の配慮だった。

 ミーティングは、すぐにでもしたほうが良かった。だから、宿側に頼んで、宴会用の大広間を使わせてもらった。


 悲しみと泣き疲れで、集まった生徒は皆静かだ。誰も彼もが、背を丸めて、座り込んでいる。

 丘も、畳に腰を下ろした。


「皆さん、お疲れさまでした」


 覇気のない声で、お疲れさまでした、と返ってくる。


「疲れていると思いますので、なるべく手短に話そうと思います。姿勢はそのままで結構です」


 晴子が、背筋を伸ばして、丘を見ている。その顔は、もう涙に濡れていない。

 バスに乗る前に、会場の外で晴子が見せた姿は、生徒の心に大きな何かを残した。生徒全員で泣き崩れる姿を見たのは、丘が花田高の顧問となってから、初めてだった。


「まずは、審査結果を、発表します。私たちの順位は、四位でした」


 生徒から、驚きの声が上がる。


「三位との点差は、一点でした」

「そんなっ嘘っ」


 誰かが言った。

 事実だった。わずか、一点。それが、明暗を分けた。

 

「一人ずつ、審査員の講評を読み上げます。一人目。素晴らしい演奏でした。高校生で、これほどの演奏が出来るのかと、私は驚きました。心に訴えかけてくる演奏でした。ブラボー。二人目。見事な演奏。文句なし。人数の少なさを感じさせない、美しいハーモニーでした。オーボエのソロ、美しかったです。感動しました」


 七人の審査員の誰もが、花田高の演奏を称賛していた。

 全て読み終えて、審査用紙を閉じた。


「会場で、私は一人のお客さんに声をかけられました」


 本番が終わって、生徒と一旦離れて控室へ向かおうとしていた時だった。


「その方は、私の手を握って、こう仰いました。貴方がたの演奏は、本当に素晴らしかった。こんなに素晴らしい演奏を聴いたのは、初めてだった。思わず涙が出ました、と。私達は、人を感動させたのです。音楽で、人の心を動かしたのです」


 また、すすり泣きがかすかに聞こえはじめた。


「実を言うと……私は、ずっとコンクールに対して壁を感じてきました。東海大会を超えることが出来ない。銀賞より先に行くことが出来ない。全国大会へ至る道が見えない。どう頑張っても、生徒を先へ導くことが出来ない、と」


 この話は、妻と王子以外に打ち明けたことはなかった。だが、丘も心をさらけ出すことにした。この子達の涙に、応えようと思った。


「ですが、今日、私達は金賞を得た。皆さんは、私が感じていた壁を、超えてくれました。大きな、大きな前進です。三年生にとっては……最後のコンクールでした。その事実は、変えられません。ですが……貴方達九人は、後輩に向けて、バトンを繋いだのです。貴方達の努力が、想いが受け継がれ、後輩はさらに先を目指すでしょう。今日の演奏は、私も、本当に素晴らしいと思った。過去最高の演奏でした。私達は、人を感動させる演奏が出来た。それも、また事実です」


 三年生九人が、まっすぐに丘を見つめてくる。


「涙は、悲しいものではありません。私達が全力を尽くしたからこそ、流れるのです。流しきりましょう。そして、次へ向かいましょう。コンクールは終わっても、私達の活動は終わりません。先を目指して、進み続けましょう。今日は、本当にお疲れさまでした」

「お疲れさまでした」


 明日の日程を手短に伝え、ミーティングは終了した。生徒が部屋に散っていき、涼子も下がった。丘は、すぐに部屋には戻らず、宿の外に出た。


 周りに街灯も何も無い場所だからか、空に浮かぶ星が、よく見える。

 

「こども達に、申し訳ない」


 一人、呟いた。

 審査員は全員が称賛していた。それなのに、代表になれなかった。あれだけの演奏を花田高が奏でても、他の三校は、それを上回る演奏をした。

 

 ついに、東海大会金賞を実現した。超えられなかった壁を、超えた。だが、もう一歩だけ、先へ進みたかった。そうすれば、全国大会だった。生徒を、あの舞台へ連れていけた。

 決して、届かない夢ではなかった。たった、一点だった。その一点という差が、代表になった学校と花田高とを、分けた。


 生徒の差ではなかっただろう。生徒は、皆頑張った。自分の能力以上の音を生みだしていた。

 丘だ。丘の力不足が、この点差を生みだした。より良い音の追求。それが、他の三校の顧問に、負けたのだ。丘が、生徒をもっと高みへ導けていたら、その土台があったら、今日の結果は、まるで違うものになったはずだ。


 生徒の力が育つのを待つだけでなく、丘自身が成長しなくてはならない。ここ数年、自分が学ぶ行為は、してこなかった。それは、停滞だったのだろう。そのしわ寄せが、今日の結果に表れたのだ。


 中学校高校の吹奏楽部は、顧問の力の影響が大きい。どんな弱小校でも、顧問が変わったその年に全国大会へ行ってしまうということも、珍しくはない。要は、顧問が生徒の力を急激に引き出してしまうのだ。

 

 元々、子どもには優れた力が眠っている。それが表れるのを待つのではなく、引き出してあげられる顧問が、部を全国大会常連校へと押し上げるのだろう。

 丘も、そうならなくてはならない。その力があれば、今の生徒達は、もっと才能を発揮するはずだ。そうでなくては、全国大会へは届かない。生徒達を笑顔に出来ない。


 コンクールが全てではないとは、常に言ってきた。それでも、今日、夢を見てしまった。ついに全国大会に行けるかもしれないという、夢を。

 あの子達に、普門館の舞台で吹かせてあげたい。その気持ちが、丘の中で大きく膨れ上がっていた。


「私が、変わらねば」


 丘の決意が、夜空に浮かぶ星の輝きを、一層強く見せた。













 九月になっても、まだ夏らしさが残る日が続いている。一時に比べて少なくなったにしても、相変わらず蝉の鳴き声は聞こえていた。


 窓から差し込む熱と光を防ぐために、真っ白なカーテンを全て閉めきっているせいで、教室は少し薄暗い。

 それでも、時折吹く風によってカーテンがまくれあがり、明るさと共に外の景色がコウキの目に飛び込んでくるのだった。


「三木。聞いてるか」


 ごん、という鈍い音と衝撃を感じて、慌てて顔を横に向けた。担任の大川の巨体が目の前にあり、怖い顔でコウキを見下ろしている。


「……えーっと、聞いてたような聞いてないような」


 もう一度頭に衝撃が来て、クラスメイトが笑い声をあげた。


「花田高は、九月の平日最後の三日間で、文化祭、体育祭、球技大会を行う。その出し物などを今日は決めてもらう」


 教卓の前に戻りながら、大川が言った。


「橋田と前田が中心となって決めなさい」

「はーい」

 

 四組のクラス委員は、男子がコウキの友人の橋田で、女子が桃子だった。橋田は意外とリーダーシップがあり、四組の中心的な存在だ。桃子は吹奏楽部では目立つ子ではないが、クラスでは女の子から何かと頼られている。


「じゃ、文化祭から決めますか。何か良い案ある人」


 前に立つ橋田が言った。しかし、クラスメイトはざわつくだけで、案は一つも出てこない。


「何かないのか?」

「橋田が決めてくれよ」

「いや、皆で決めるんだよ!」


 って言ってもなあ。どうするー。

 クラスメイトが、顔を見合わせる。こういう場で、積極的に意見を言える子は少ない。このままでは議論が進まなそうだと思い、コウキは手を挙げて言った。


「先生、例年だとどんな出し物があるんですか」

「そうだな。喫茶店、展示、ゲーム、お化け屋敷……まあ、色々だな。予算の範囲内で出来る、公序良俗に反しないものであれば認められる」


 公序良俗、ときたか。


「簡単なのが良いよな」


 クラスメイトの一人が言った。


「えー、せっかくなら面白いのやりたいよ」

「めんどいじゃん」

「何、枯れたこと言ってんのー? おっさんじゃーん」

「はあ、うるせーし」

「展示で良いじゃん、展示で。花田町の歴史展示会」

「それ、展示会という名の休憩スペースじゃん。誰も来ねー」

「そういういい加減な出し物なら認めないぞ」


 大川が言った。


「えー、先生さっき、展示もあるって言ったじゃん」

「もっと人を集められる展示にしろ」


 ぼけっと天井を眺めていたら、智美が、こちらを向いて机を叩いてきた。


「何か良い案ないの、コウキ」

「んー。そういう智美は?」

「私は、喫茶店やりたいなぁ」

「喫茶店なあ」

「お店、楽しそうじゃん。やってみたかったんだよね」


 喫茶店は、おそらく他のクラスも考えるだろう。予算の範囲内という制約がある以上、どこも似たり寄ったりになる。どうせやるなら、客の集まる出し物のほうがやりがいがある。

 喫茶店のような飲食系で、教室でやれること。一つ、思い浮かんだ。


「バーとか、どう」


 クラスメイトの視線が集まる。

 大川が渋い顔をした。


「駄目に決まってるだろう」

「いやお酒は出さないですよ。ノンアルバー。カクテルみたいなので、それっぽく」

「何それ、面白そう」

「メニュー誰が考えんの? 酒詳しい奴いないっしょ」

「じゃあ、俺、メニュー開発の担当するよ」

「待て待て、三木。バーで決まりなのか?」


 立ち上がって、大川が言った。

 クラスメイトが、どうする、と口々に言いあっている。


「ただの喫茶店だと、他のクラスと被るだろ。同じことしててもつまんないじゃん。近所で廃材とか集めて簡単なカウンターと椅子を作って、教室を仕切ってさ、暗幕とかキャンドル使って暗めの雰囲気にして、そしたら、バーっぽくなって、お客も集まって楽しいと思うけど」

「やばーい、それ良い!」

「DIYなら俺得意だぜ!」

「俺も俺も」

「バーテンダーとかちょっと憧れるよなぁ」


 乗り気になってきたクラスメイト達が、どんなバーにするかで、盛り上がっている。


「んじゃ、皆、文化祭はノンアルコールバーで良いか?」


 橋田の言葉に、賛成、という声が口々に上がった。桃子が、黒板に書いていく。


「細かいことは、後で決めよ。次は体育祭と球技大会の種目決めしようよ」


 桃子の言葉に、橋田が頷く。コウキはまた、そよいでいるカーテンの外に目を向けた。窓の外からは、他のクラスの話し声も聞こえてくる。今は、どこのクラスもホームルーム中だろう。


「ノンアルバーかぁ、楽しそう」


 頬杖をつきながら、智美が言った。


「簡単に手作りできるのもあるから、意外と美味しいのが出来るかもな」

「へえ、詳しいね」

「まあ」


 以前は酒もそれなりには嗜む方だったからだ。口が裂けても言えないが。 

 それからとんとん拍子に種目決めは進み、コウキは体育大会では千五百メートルリレーの一人に、球技大会ではサッカーのメンバーになった。


 余った時間でノンアルコールバーの細かな打ち合わせに移り、行き詰まったところでは、少しだけコウキが助け舟を出す形で話は進んでいった。


 花田高の文化祭は、校内限定で行われるため、外部から客は来ない。それでも、全校生徒は六百人近くいるから、それなりに盛り上がる。各クラスの出し物を巡るだけでも、飽きない。以前は学校行事はそんなに好きではなかったが、今なら、思う存分楽しめる気がする。 


「じゃあ、部活のある子もいるから、分担して今日から作業進めて行こうね」


 いつの間にか時間になっており、授業の終了を告げるチャイムが鳴り響く中、桃子の言葉でホームルームは締められた。

 









 


 東海大会、金賞。今年の吹奏楽部が得た、最後の結果だ。

 部員にとっては悔しい結果だが、学校側は大盛り上がりだった。


 職員玄関の傍にある、各部活動が得たトロフィーを展示する棚。そこに、東海大会のトロフィーが飾られている。ガラス越しに眺めて、コウキはため息をついた。

 校門のそばには、道路から見えるように、『祝・全日本吹奏楽コンクール東海支部大会 金賞』という字が躍る白い横断幕もかけられている。


 部員は、皆、全国大会を目指していたのだ。めでたくなんてない。東海大会で終わってしまって、喜んでいる部員は一人もいない。

 部員の気持ちなど、学校側は知りもしないだろう。始業式の校長の挨拶でも、吹奏楽部をほめたたえていたし、文化祭の吹奏楽部のステージでは、課題曲と自由曲を披露することになった。


 だが、あの日の演奏は、再現できない。あの日、あの時だったから出来た演奏だった。全員の気持ちが、一つになっていた。本物の調和、一体感が、あの演奏にはあった。

 たとえ今後同じように吹いたとしても、それは、あの演奏とは別物だ。

 あの一瞬にかけて、全てを出し切った。もう一度吹けと言われて吹けるほど、簡単ではない。


 東海大会から、十日が過ぎた。二学期が始まって授業も再開されたこともあり、日常に追われるうちに、意気消沈していた部員も、少しずつ元の様子に戻りはじめていた。 

 変化と言えば、最近は、丘が練習に顔を見せない。授業後は学校にもいない日が多かった。そのため、一日の報告は、副顧問の涼子にする機会が増えた。


 今、丘は、他校の練習を観に行っているらしい。東海大会の結果は、丘にとっても自身を見つめ直すきっかけになったのかもしれない。他校の練習から、何かを学ぼうとしているのだろう。

 丘も、変わろうとしている。


 とはいえ、丘がいないと本格的な合奏が出来ないので、部員達は、九月の文化祭と、地区の音楽の祭典に向けての練習を始めていた。

 文化祭のステージでは、学校の希望である課題曲と自由曲に加えて、定番の『アルセナール』と新曲を四つ演奏する。その中から、音楽の祭典で演奏する二曲も選ぶ手はずになっている。


 どちらも、重要なイベントである。特に、音楽の祭典はこの地域の中学校高校の吹奏楽部が集まって、自慢の演奏を披露するので、地元の人に毎年楽しみにされている人気イベントだ。

 コンクールと違い、他校と一緒に盛り上げることになる。それは、普段無い交流も生まれるため、吹奏楽部員にとっても楽しみであったりする。

 

 熱い夏が終わりを見せ、秋が近づいている。

 次の一歩に向けて、花田高吹部は進み始めていた。

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