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青春ユニゾン  作者: せんこう
高校一年生・秋編
129/444

八ノ七 「笑おうよ」

 結果発表を待つ学生と来場者の声で、客席は騒々しい。

 これまでの会場より広く、二千人近く収容できるホールだ。3階席まであって、全て満席になっている。

 全員が、審査員が舞台上に現れるのを、今か今かと待ちかまえていた。


 舞台裏の暗い空間。スタッフが、せわしなく動き回っている。他の学校の代表者と一緒に並びながら、晴子は自分の胸を抑えていた。


 コンクールで一番緊張する時は、いつだろう。舞台袖で出番を待ち、前の学校の演奏を聴いている時か。それとも、本番の瞬間か。

 晴子は、結果発表が一番嫌いだった。何千人という人に見られながら、自分達の校名が呼ばれるまで、舞台上で直立していなければならないのだ。自分には、不似合いな状況だ。


 これで、コンクールの結果発表を舞台上で迎えるのは、地区大会から数えて四度目となる。何度経験したって、慣れない。

 各学校の代表二名が、表彰を受ける。だから、都が傍に居る。それだけが、救いだ。一人では、耐えられない。


「では、始めます」


 係員が言った。

 反響板扉が開けられ、審査員と司会が入っていく。続いて、各学校の代表が並んで入り、雛壇に上がった。


 花田高の皆は、すぐに見つかった。二階席の右端に集まっている。会場が静まり、進行役の声がマイクを通して流れているけれど、極度の緊張のせいで、晴子の耳には入ってこない。脇を、汗が伝った。

 

 東海大会の、結果発表。この場に立てる日が来るとは、初めの頃、晴子は思いもしていなかった。

 今年の二月頃に、今の二、三年生から何人も退部者が出た。実力のあった子が、何人もいなくなった。そして、一個上が卒業して、ごっそりと人が減った。二十一人。全部員の数だった。部のレベルは急激に落ちた。

 

 春になって一年生が入部してきても、四十一人にしかならなかった。コンクールの定員の五十五人に満たなかったし、初心者は七人もいた。

 東海大会なんて、夢の世界になってしまった、と思った。それどころか、地区大会すら危ういだろうと、誰もが暗い気持ちに覆われた。

 それが、懸命に走り続けてきたうちに、東海大会だ。


 夢のような時間が続く中で、晴子も欲が出てきた。もっと先へ進みたい、もっと、もっと、と。

 そして今、全国大会へ、手が届こうとしている。


「愛知県立安川高等学校、ゴールド金賞」


 結果発表は、進んでいた。大歓声と、拍手。校名が呼ばれる度に、代表者の列は前に進む。呼ばれた学校が、審査員の前に移動して、表彰されていく。


「愛知県立光陽高等学校、ゴールド金賞」

 

 また、歓喜の声。代表選考会の時ですら声を上げなかった安川高校と光陽高校でも、東海大会ともなれば、喜ぶ。それくらい、難関なのだ。


 発表が、進められていく。


「三重県立……」


 花田高の前の学校だ。迫力のある演奏だった。


「ゴールド、金賞」


 拍手が沸き起こり、前の学校の二人が、中央へ進んでいく。晴子と都は、また一歩前に進んだ。次は、自分達だ。

 審査員が、前の学校の二人に賞状を渡していく。

 そして、再び拍手。


 喉が、鳴った。


「愛知県立花田高等学校」


 金、来い。


「ゴールド金賞」


 ぶるっと、身体が震えた。二階席の右端から、悲鳴にも似た歓声が沸き上がる。

 ついに、来た。夢じゃない。

 興奮が表に出ないよう、唇をきつく結んだ。前へ進んでいく。審査員と、向き合う。賞状が、楯とともに渡される。それを都と二人で受け取って、客席に礼をした。拍手が打ち鳴らされる。


 そうして全ての学校の結果発表が終わり、各校の代表は、また全員が雛壇に戻った。

 結果発表は、終わりではない。ここからが、むしろ、重要だった。


 客席は、異様な熱に包まれた場所と、静かに結果を噛みしめている場所とに分かれている。金賞を得た学校と、得られなかった学校。舞台上からだと、その違いがはっきりと見てとれた。

 

 いよいよ、代表の発表である。全国大会へ出場する代表は、東海支部からは三校のみ。今日、金賞を得たのは、七校。七校のうちの、たった三校。


 銀賞と銅賞だった学校にとって、ここからの時間は無意味だ。自分達には関係のない発表が行われる。それでも、この場に留まる。最後まで結果を聞き、代表に選ばれた学校の生徒達の歓声を受け止めなくてはならない。辛い時間で、晴子も、中学の時から、コンクールの度に味わってきた。


 ただ、今の晴子には、そのことに思いを馳せるだけの余裕はなかった。緊張は続いているし、気を張っていないと、膝が震えそうになっている。自分を保つので、精いっぱいだ。


 一番偉い人なのだろう。初老の男性が、マイクの前に立ち、重々しく、その口を開いた。


「どの学校も、本当に素晴らしい演奏ばかりでした。審査員の方々は、随分悩まれたようです。どの学校が選ばれても、おかしくなかった。そんな結果となりました。選ばれた学校と選ばれなかった学校とを発表するこの瞬間が、私は毎年一番苦しい。ですが、たとえどんな結果でも、皆さんには、誇りを持ってほしいと思います。それくらい、今日の全ての学校の演奏は、素晴らしかった……では、出演順に、発表します」


 会場が、静まる。

 男性が、手にした紙を読み上げる。


「愛知県代表」

 

 心臓が、音を立てた。


「安川……」


 大歓声。一階席に座る安川高校の部員達が、立ち上がって喜んでいる。

 小さく、晴子は息を吐いた。違った。


 安川高校は、去年も、全国大会へ行った。これで、全国大会への出場は、何度目なのだろう。

 同じ地区の学校として、競い合う仲だと思っていた。けれど、結果だけを見れば、両校の差は圧倒的だ。花田高は、もう十年以上、全国大会へ行けていない。


「続きまして」


 また、男性がマイクに顔を近づけた。

 花田高と、言ってください。心の中で、呟いた。


「愛知県代表」


 来い。


「光陽高等学校」


 賞状を、握りつぶしたくなった。まだ、呼ばれないのか。

 心臓が、どうかなりそうだ。手汗が、酷く気になる。


 あと、たったの一校。

 お願いします、花田高の名前を、呼んでください。また、心で呟いた。


 誰に願えば良いのかも分からないし、願っても、発表される結果はすでに決まっている。それでも、願わずにはいられなかった。

 もう少しだけ、夢を見させてほしい。皆で、全国大会へ行きたい。ここまで、やってきたのだ。あともう一歩先へ、進みたい。


「続きまして……」


 マイクの前に立つ男性が、息を吸った。


「三重県代表」


 その言葉が、晴子の身体を、さっと冷たくした。急速に、耳が遠くなる。いや、意識が、現実を拒絶しようとしたのだろう。呼ばれた学校が歓喜の声を上げているのは、なんとなく分かった。まるでテレビの向こうの出来事のように、目の前の光景が現実的でないものに、晴子には感じられた。


 花田高は、代表に、選ばれなかった。


 それからは、あっという間だった。代表となった三校がトロフィーと賞状を受け取って拍手を浴びた。晴子の頭は完全に真っ白で、呆然としているうちに、閉会していた。


 気づけば、舞台裏にはけ、都とうなだれていた。

 速やかにご退場願います。司会のアナウンスが、会場に響いている。

 

「皆が……待ってるね」


 都が、呟いた。前髪で隠れていて、表情は見えない。

 頭が、酷く重い。胸の奥が、おかしい。

 花田高は全国大会へは行けなかったという事実が、時間が経つほどに、晴子の全身に覆いかぶさってくる。


「……どんな顔をして、皆のとこへ行けばいいんだろ」


 晴子も、呟いていた。うなだれたまま、都が肩を震わせだした。


「……そんなの、わかんないよ、晴子」


 わかんない。

 もう一度、都が繰り返した。舞台裏の床に、ぽたぽたと雫が落ちたのに気がついた。都が、泣いているらしい。

 それを、どこか他人事のように、晴子は見た。同時に、ああ、自分だけは、泣いてはいけないのだ、と思った。

 きっと、今、皆が泣いている。誰もが、暗くなっている。ここで晴子まで泣いてしまったら、誰が、皆を励ますのだ。

 晴子にしか、出来ないではないか。















「ごめんなさい、ひまり先輩、ごめんなさいっ」


 会館を出た広場だった。

 泣きじゃくる星子を、ひまりは腕の中に抱きしめていた。ひまりは言葉が出せず、星子の頭を撫でることしか出来なかった。

 星子だけではない。梨奈が、栞が、牧絵が、何人もの部員が、ひまりを囲んで、泣いている。


 部員の後ろで、丘と涼子も、うなだれている。卒部生や応援に来た保護者は、顔を歪ませて、その光景から目を逸らしていた。


 花田高は、代表に選ばれなかった。東海大会で、終わった。

 昨日と同じ、いや、それ以上の演奏だった。何もかもが、歯車がかっちりとはまったかのように、完璧な演奏だった。

 だから、客席で聴いていて、ひまりは確信した。代表は間違いない、と。

 なのに、結果は、違った。代表の三校と花田高で、何が違ったのだ。何故、届かなかったのだ。


「先輩達だ」


 誰かが言った。視線を会館の方へ向けた。都が、泣いている。溢れ出す涙を、片手で拭っている。拭っても拭っても、涙が手を濡らしているのが見える。その都を、晴子が、もう片方の手を繋いで、引いてくる。


「お待たせ、皆」


 晴子の顔は、笑っていた。涙を隠してきた様子はない。目は赤くないし、涙の跡もない。本当に、笑っている。

 少し意外な気持ちで、ひまりは晴子を見た。てっきり、晴子も泣いていると思っていた。泣かない部員など、いないと思っていた。

 

「丘先生、バスに乗る前に、少し、話しても良いですか?」


 皆の前に立ち、晴子が言った。


「……はい」


 晴子が、一人一人と目を合わせていく。ひまりも、目が合った。そして、晴子は笑顔のまま、話を始めた。


「皆、お疲れ様でした。全国大会……行けなかったね。行けると思ったのに。私達の今日の演奏は、完璧だったと思う。どこにも、駄目な所は無かった。私は、本当に最高の演奏だったと思う。今までのどんな時よりも」


 不意に、少し離れたところにいた団体が、歓声と拍手を上げた。花田高の一つ前に演奏した学校だ。代表に選ばれ、全国大会出場を決めた。

 晴子は一瞬そちらを見て、それから、また顔を戻した。


「こんなに凄い一体感を感じたのは、初めてだった。昨日の最後の通し演奏も、良かったよね。でも私は、今日のほうがもっと凄かったと思った。吹いてて、最高に気持ちよかった。皆は、どうだった?」


 すすり泣く声ばかりで、誰も応えられない。ひまりも、声は出せなかった。けれど、気持ちは同じだ。間違いなく、最高の演奏だった。


「一人でも、今日の演奏を後悔してる人はいる? 私は、後悔してないよ。本当に、良かった。私達の全部を出し切った演奏だった。負けてなかった。代表の三校に、負けてなかった。絶対に、そう思う。だからさ」


 晴子の言葉が止まった。続きが、聞こえてこない。顔を伏せていた部員も、晴子を見た。ひまりも、顔を上げた。そして、息を呑んだ。


 笑顔のまま、晴子の目から、大粒の涙がこぼれて落ちていた。


「だから、笑おうよ。胸を張って、帰ろう」


 声は、震えている。肩も、小刻みに動いている。それでも、表情だけは崩れなかった。

 それで、ひまりは悟った。晴子も、心の中で泣いていたのだ。部長らしく気丈にふるまおうと、笑顔を見せ、言葉を紡いで、自分を抑えていた。

 

 泣いていないわけが、無かった。ただ、それを見せまいとしただけだったのだ。晴子は、そんなに強い人ではない。ただ精いっぱい、自分だけは笑おうと、部員を励まそうと、考えたのだろう。

 都が、晴子に抱きついた。都のむせび泣く声が、ひまりの胸を締めつけた。


「晴子」


 未来も駆け寄り、晴子と都を抱きしめた。まこも、岬も、瑠美も、駆け寄った。部員達のすすり泣きが、嗚咽に変わった。


「ごめんね、皆、私は、泣いちゃいけないのに」


 そう言って、晴子は、まだ笑っている。何という人だ。この人は、どこまで。

 ひまりも、もう、涙を止めることなど不可能になった。


 いつの間にか、空は茜色になりだしていた。その色が、余計に胸を苦しくさせる。


 全員で、一つになった。

 本気で、上を目指した。

 夢を、実現できると思った。

 

 けれど、負けた。完璧に、負けた。

 音楽に勝ち負けはないなんて、詭弁だ。コンクールだけは、結果という事実によって、各学校の優劣を決められてしまう。それは、勝負だ。

 そして、花田高は、負けた。


 三年生の、最後の夏だった。

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