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青春ユニゾン  作者: せんこう
高校一年生・秋編
125/444

八ノ三 「理由なんてどうでも良い」

 ひまりを、全国大会へ連れていく。リーダー達の提示した目標は、星子の中で、ぴたりとはまった。

 ひまりのソロが好きだ。あのソロを、真横という特等席で聴く。それが、星子の楽しみだった。こんなところで、終われない。もっと、ひまりのソロを隣で聴きたい。


 こんなに凄い人が先輩なんだ。そばにいるんだと、聴く人にも知って欲しい。だから、ひまりのためにも全国大会へ行く。星子の中の迷いは、消えていた。


 職員室の扉を開け、入室の挨拶をする。扉を閉め、まっすぐに丘の元へ向かった。


「おや、早いですね。どうしました、紺野」

「おはようございます、先生。お願いがあります。今から、ソロを見ていただけませんか」


 丘の眉が、ぴくりと動いた。


「ソロを、あと三日で、納得のいくものに変えたいんです。お願いします」

  

 まだ朝の六時だった。活動開始時間まで、二時間ある。

 手に持っていたペンを机に置いて、丘が身体をこちらに向けた。


「わかりました。先に上に行っておきなさい。すぐに向かいます」

「ありがとうございます」


 頭を下げ、職員室を出る。


 家でもソロの練習はしてきた。けれど、今の星子一人では限界があった。丘の指導は、間違いがない。アドバイスを貰えば、突破口を見つけられるかもしれない。


 四階へ上がると、総合学習室からコウキと智美の音が聞こえてきた。今日は一番だと思っていたのに、やはり、あの二人は先に来ている。あの二人が、星子より遅く来たことは、一度も無い。星子と違い、隣の市から通学しているのに、だ。

 この時間に来ようと思ったら、五時過ぎには出発するのだろうから、実際はもっと早くから起きているはずだ。並大抵の努力ではない。


 頭を振って、考えを振り払った。今はどうでも良いことである。ソロに、集中しなければならない。総合学習室には寄らず、音楽室に向かった。自分の席の傍に荷物を置き、オーボエを組み立てる。音出しを終えたところで、丘が入ってきた。


「よろしくお願いします」

「では、聴かせてください」


 指揮台に座った丘が、フルスコアを開いた。頷いて、オーボエを構える。朝の涼しい空気が、星子の心気を澄ませていく。静かな空間に、星子の呼吸の音が響く。


 オーボエから、音を紡ぎ出した。

 もう、ひまりの真似をするのはやめた。ひまりの音を頭に思い浮かべ続ける限り、決して納得の行くソロにはならない。ひまりを全国大会へ連れていくには、ひまりに並ぶだけの、星子ならではのソロにする必要がある。

 自分ならこう吹くという、頭の中にある旋律を、奏でた。音楽室に、星子の音が満ちる。


「どうでしょうか」


 吹き終えて、丘に問いかけた。

 丘は、頷き、フルスコアに落としていた目線を上げた。


「家で練習してきたのですか?」

「はい」

「努力が感じられます。一昨日までは、佐方のソロを真似るようなものでした。今は、紺野らしいソロになっていますね」


 褒めているのかそうでないのか、星子には微妙な言葉に感じた。


「紺野は、この歌劇を観たことがありますか?」

「はい、母が、DVDを見せてくれたことがあります」

「原曲は、カラフ王子が自分の勝利を確信して歌いますね」

「はい」

「カラフ王子は、自信に満ちているのです。自らの想いを疑わず、確信している。貴方は今、どうですか。自分のソロに、自信がありますか?」

「……少し、だけ」

「それでは、いけません。貴方は、カラフ王子なのです。姫への愛と勝利を確信して、自信たっぷりに歌い上げるカラフ王子のようにならなくては」

「でも、私は、まだ、ひまり先輩を超えられていません」

「超える必要が、あるのですか?」


 丘の顔を、見上げた。目が合う。


「佐方を超えたら、その瞬間に貴方のソロは良いものになるのですか?」

「……いいえ」

「ソロを吹く目的は、なんですか。佐方を超えることですか?」


 はっとした。


「……っ、違います」

「では?」

「良い音楽を、奏でるため」

「何故、良い音楽を奏でたいのですか?」

「全国大会に行きたい、から」

「何故、全国大会へ行きたいのですか?」

「ひまり先輩を……全国の舞台に、立たせたいからです」


 丘が、大きく頷いた。


「では、貴方は、誰に向かってこのソロを吹いているのですか?」


 その言葉を聞いた瞬間、頭をがつんと殴られたような衝撃を感じた。

 誰に向かって吹くのか。

 ずっと、ひまりを超えることに夢中で、ソロを誰に向けて吹いているのかという意識が、一切なかった。

 

「考えても、いませんでした」

「そうでしょう。貴方のソロは、誰かの心に届けようという気持ちが、入っていないように感じました」

「……はい」

「貴方は、誰にこのソロを届けたいのですか」


 審査員。いや、違う。審査員に届けようとしても、彼らは見抜く。その打算に満ちた音では、ソロを認めてもらえないだろう。そういう次元の音楽をしている限り、花田高が代表に選ばれることは無い気がする。


 普通なら、聴衆、と答えるだろう。それも、違う。星子が、届けたい相手。ひまりの顔が、ぱっと浮かんだ。

 

「ひまり先輩に」

「何故です?」

「……吹けなくなったひまり先輩が、今、一番苦しんでいると思います。そのひまり先輩に、大丈夫って、伝えたいから。私達が、先輩を連れていく、って伝えたいから。言葉で伝えても、意味が無いと思うから……」


 滅多に笑わない丘が、微笑んだ気がした。


「では、佐方に伝えようと思って、吹いてみなさい」

「……はい」


 このバンドは、ひまりがいないと、完璧にならない。ひまりの音があって、初めて完成するバンドだ。けれど、ひまりが怪我をしたから東海大会を抜けられなかったという言い訳は、したくない。

 

 ひまりが怪我をした理由は、聞いていない。けれど、ひまりは何も悪くないし、このバンドは、ひまりの怪我で負けたりしない。絶対に代表に選ばれ、ひまりが治ったら、また一緒に演奏するのだと、そう、伝えたい。


 オーボエを構える。神経を研ぎ澄ませ、音を放った。

 上手い下手ではない。音楽的に正しい正しくないでもない。ただ、ひまりに伝えるために、吹く。ひまりのおかげで、星子はこれだけ上手くなれたのだと。ひまりが、必要なのだと。

 

 リードを口から離すと、丘が言った。


「紺野、それで良い」


 優しい目だと思った。


「コンクールは、勝ち負けが決まる場です。だから、勝ちにこだわった演奏をするというのも、一つの選択でしょう。ですが、私達は違う。私達は、私達が奏でたい音楽を奏でるためにやっている。今の演奏は、花田高の一員である貴方らしいソロでした」

「ありがとう、ございます」

「後で、バンドとも合わせてみましょう」

「はい」

「まだ時間がありますから、もう少しやりますか」

「お願いします」


 丘が、細かな点について指摘をしはじめる。それを楽譜に書き込み、星子はもう一度ソロを吹いた。















「何で、ひまり先輩のために吹く、なんですかね」


 ユーフォニアムを吹いていたよしみが、楽器を下ろして怪訝な顔をした。


「何、モッチー、急に」


 以前は苗字で呼んでいたよしみも、最近では他のパートのメンバーと同じように、久也をあだ名で呼んでくるようになっていた。


「怪我して吹けなくなったのは、言っちゃえば佐方先輩の自業自得ですよね。なんで、佐方先輩のために吹くんだろう、って疑問で」


 久也は、どんな状況でも自分の仕事を全うするのが重要だと思っている。ひまりのために吹こうが吹くまいが、久也の演奏は変わらない。

 

 部員が新たな目標によって音を立て直したのは、悪くない。ただ、自分の責任で吹けなくなった者のために吹く意味があるのかは、理解できなかった。

 よしみが、大きなため息をついて額を抑えた。


「モッチーって、ほんとに、なんていうか……冷めてるね」

「冷めてる?」

「うん。自業自得とかじゃないんだよ、これは」


 言っている意味が分からず、首を傾げた。昼休憩で、図書室にいるのは久也とよしみと、あとは打楽器パートだけだ。


「自分のミスで怪我をしたんだから、その子が悪い。大会に出られないのも吹けないのも、仕方がない。そんな風に済ませてしまう部活が、本当に良い演奏なんて、出来ると思う?」


 答えに窮して、無言を貫いた。


「怪我をして吹けなくなった自分のせいで、部がぐらついてることに責任を感じてて、吹きたいのに吹けなくて、悔しがってる。そういう子を見て、何とも思わないような心の持ち主が、どんな音楽を奏でるって言うのさ」

「それは」

「ひまりの努力を、私達はずっと見てきたはずだよ。ひまりのソロに、引っ張ってもらってきたはずだよ。それを忘れて自業自得ですなんて、私には言えないよ」


 布でユーフォニアムを磨きながら、よしみが言った。


「全員で吹きたい。普門館の舞台に上がりたい。苦しんでるひまりを、連れていきたい。自然な気持ちじゃない、これってさ?」


 そう、なのか。


「理由なんてどうでも良い。ただ仲間のために動く。そういうもんだよ」


 言い終えて、よしみはまたユーフォニアムを構え、演奏を始めた。

 久也は、ぼんやりと、目の前の譜面台に置かれた楽譜を眺めた。仲間とは、何なのだ。一緒にいれば、それで仲間なのだろうか。ひまりだからこそ、部員達は頑張ろうと思ったのではないのか。久也が怪我をしたとしても、部員達は同じように気持ちを強めただろうか。

 考えても、答えは出ない。分かった時には、よしみの言うことも、理解できるのだろうか。

  

 午後の練習が再開して、また合奏だった。トゥーランドットの星子のソロパートから始められ、念入りに、ソロに伴奏者が合わせる練習が重ねられた。


 星子のソロが、昨日までより良くなっている。  

 星子のソロとひまりのソロでは、同じメロディでも随分と違う印象を受ける。ひまりのソロが、精巧なガラス細工のように繊細で歪みの無いものだとすれば、星子のソロは、常に変化する水のように時に静かに、時に荒々しく、感情の波に揺り動かされている。


 丘の表情が、心なしか和らいでいるように、久也には見えた。滅多に見ない顔だ。演奏を止めて、丘が言った。


「紺野のソロは、流動的です。伴奏者は、それをポジティブにとらえてください。常に同じように吹けば良いと思わず、その場その時の空気や感情を察知して、紺野のソロに合わせようと意識してください」

「はい!」

「では、もう一度ソロのところから」


 丘の指揮棒が、細かく揺れた。


 星子のソロに、久也は何かを感じた。それが、ひまりのために吹くという想いから生まれた力なのだとしたら、久也も、それを持つことが出来たら、もっと良い演奏ができるようになるのか。

 まだはっきりとその感覚は分かっていない。ただ、久也も、少しだけひまりを想ってみよう、と思った。

 

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