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青春ユニゾン  作者: せんこう
高校一年生・夏編
120/444

番外六 「涼子先生」

 一人暮らしをしていると、盆休みだからと言って何か特別なことがあるわけでも無い。初日と二日目は、撮りためたドラマを観ながら寝て過ごした。

 よれよれのティーシャツと短パン姿で横になり、ビールを飲みながら画面を見て笑っている自分。その姿を客観的に想像すると、独身女がこれで良いのか、と空しくなる。

 

 教師になってもうすぐ六年になる。周りの友人には既婚者も増えだして、久しぶりに会うと、こどもを抱えていて驚かされたりするのに、佐原涼子には、未だに相手がいない。

 以前は仕事の後に合コンや婚活パーティーに繰り出したりもした。成果は無かったが、それなりに恋愛に対して前向きに動いていた。


 変わったのは、二年前に花田高校に来て、吹奏楽部の副顧問になってからだ。それまでと違って、忙しい日々が始まった。

 顧問の丘も部員も、毎日のように遅くまで練習していて、それに疑問を抱いたりせず、吹奏楽に打ち込んでいたのだ。丘は、涼子と交代ではあるが、朝は部員より早くに来ているし、夜は涼子が帰った後も、毎日残っている。家族との時間は取れているのかと心配になるほど、学校に居る時間が長い。


 涼子もなんとなく活動終了時刻くらいまでは残るようになり、友人からの誘いも、断り続けるうちに減ってしまった。丘からは帰っても良いと言われていたが、自分以外の全員が頑張っているのに、一人だけプライベートを謳歌するのはどうなのだ、という想いがあって、出来なかった。

 

 前の学校では卓球部の副顧問で、あまり熱心な部ではなかったから、涼子も適当にやり過ごしていた。同じような雰囲気だったら、そうしただろう。だが、花田高吹部は、何か違うものを感じた。吹奏楽の経験は無いが、丘や部員の熱にあてられたのかもしれない。彼らのために協力しようという気持ちが湧いて、部の運営で顧問の動きが必要な場面などで、働いた。


 部の役に立てているという充実感は、涼子の教師人生の中で、ようやく得られた楽しみでもあった。生徒からは涼子ちゃん、と呼ばれ親しまれているが、生徒を導く存在というよりは、友人のような扱いを受けていて、授業はあまり上手くいっていない。生徒を叱ったりするのも得意ではなくて、優しく接するようにしているうちに、そうなった。


「はーあ。これじゃいかんぞー」


 ベッドから降りて、呟いた。独り言も、癖になっている。

 このままだと、貴重な連休を、だらだらと過ごして終わる事になってしまう、と涼子は思った。


「買い物でも、行きますか」


 だらしない姿の自分が映る鏡を眺めながら、尻を勢いよく叩いた。軽快な音が、空しく部屋に響いた。


 






 車を三十分ほど走らせて、隣町のショッピングモールに来た。本格的に秋物の服が出回るのはもう少し後かもしれないが、少しずつは新作が出てきているはずだ。服でも買って、気分転換をしたい。


 はじめに、モール内に入っているシアトル系のコーヒーショップで甘いドリンクを購入して、飲みながら服屋を見て回った。

 このショッピングモールは一階から三階までテナントが入っていて、女性向けの服屋が多い。すべての店を見て回ったら、半日以上はかかるかもしれないくらい、女性向けに特化したショッピングモールだ。


 自分の服の系統に合う服屋を、軽くいくつか回ったが、これといって胸がときめく服は無かった。やはり、本格的な秋物はもう少し後だろう。しかも、途中で気がついたが、お洒落着を購入したところで、着る暇もないし、見せる相手もいなかった。


 思わずため息をつきたくなったが、無理やり頭から思考を追い出し、せめて部屋着の新調くらいはしよう、と心に決めた。このままでは、あの部屋着のだらしない恰好が当たり前になってしまいかねない。それは、女として駄目な気がする。


「あれー、涼子先生?」


 呼びかけられて振り向くと、


「やっぱり!」


 吹奏楽部員の市川幸が立っていた。隣には、鈴木夕と紺野星子。三人が、駆け寄ってくる。

 幸は、数学の授業を受け持っているため、他の部員よりは話す機会が多かった。夕も同じクラスだ。


「こんにちはー、何してるんですかー?」

「こんにちは。買い物に来たの」

「秋服ですか?」

「そうそう」

「私達もですよ。ねえ、先生って普段そういう恰好なんですね!」


 涼子の全身を眺めながら、幸が言った。今日の涼子は、ストライプ柄のワンピースを着ている。一応はお洒落をして来ようと思って選んだものである。


「まー、滅多に着ないけどね」

「えー、見せる彼氏いないんですかぁ?」

「いない……ね」

「そうなんだ。涼子先生可愛いのにー」

「あはは、ありがと」


 お世辞でも褒められると嬉しくなる。この歳になると、滅多なことでは褒められなくなるのだ。

 それまで黙っていた星子が、涼子の手に持っているドリンクを指さして言った。


「それ、一階のお店のですよね」

「うん、そうだよ、新作のドリンク」

「良いな―、美味しいですか?」

「美味しいよ。ちょっと甘いけど」

「飲みたいなー。先生奢ってください!」

「ええっ!?」

「あ、私も飲みたい」

「私も~」


 先生、先生、良いでしょ。三人が、涼子の腕を引っ張ってねだる。甘えた声を出されると、弱い。本当は生徒に奢ったりするのは駄目なのだが、休日だし、良いか、と涼子は思った。どうせ、一人で暇を持て余していた。少しくらい、生徒との時間を取るのも悪くない。


「しょうがないなあ、今回だけだよ」

「やったー!」


 三人が、満面の笑みで飛び跳ねた。こういう可愛らしい姿を見ると、演奏している時の凛々しい表情の彼女達と、同じ人物だとは思えない。だが、この姿が彼女達の素なのだろう。息を呑むような演奏をする、特別なこども達に見えても、実際は他の高校生と何ら変わらない。


 三人を連れて先ほどのコーヒーショップに戻り、涼子のものと同じドリンクを三杯購入した。空いていた席に、四人で座る。


「はい、どうぞ」


 それぞれに手渡すと、礼の言葉を言い、ドリンクを飲み始めた。一口飲んで、目を輝かせている。


「おいしー!」

「あまーい」

「これ好きかも!」


 三人を眺めて、涼子は自分の頬が緩むのを感じた。年頃の少女達が無邪気に過ごしている姿を見ると、かつての自分を思い出す。涼子も、高校生の頃はこうして友人と集まって、何でもないことに喜び、騒ぎ、楽しんでいた。


 もし吹奏楽部でなかったら、彼女達は学校帰りにもこうした光景を繰り広げていたかもしれない。そういう生き方もあったはずだが、それを選ばなかった。高校三年間という短い時間を、全て吹奏楽に費やすことを選んだ。


「三人は、部活が嫌だなって思ったことはないの?」

「何ですか、急に?」


 夕が首を傾げて言った。


「だってさ、休み、ほとんどないでしょう? 吹部じゃなかったら、平日にもこうやって遊べたかもしれないじゃない。女子高生らしいことをしたりさ」

「私は思ったことないですね。オーボエを吹いてる時が一番楽しいし、もっと上手くなりたいし、部活の時間なら沢山吹けますから」


 星子が即答した。彼女は、丘が将来を期待している生徒の一人だ。二年後には、バンドの中核を成す奏者になる、と丘が語っていたのを覚えている。才能だけなら、あの佐方ひまりよりも上かもしれないという。そんな彼女なら、当然の答えかもしれない。


「私も、最初は厳しくて嫌だって思った時もありますけど、今は思わないです。クラリネット、もっと上手くなりたいですから」

「鈴木さんは、初心者だったよね?」

「そうです。だから、早く皆に追いつきたいんです」


 夕の真剣なまなざしに、涼子はどきりとした。普段のクラスでの様子からは、部活動に熱中する性格の子には見えなかった。

 そういえば、三年の未来が、夕を評価していたのだ、と涼子は思った。未来は木管セクションリーダーをしている。勉学でも努力していて、よく受験の相談を受けていた。その合間に、夕について聞かされていたのだ。

 真面目で、上達への欲求と、パートのメンバーに対する想いが強いのだという。人は見かけによらないということか。


「私は、友達と遊びたいなーって思う時、ありますよ。だから今日だって二人を誘ったし。でも、嫌とまで思った事はないかなぁ」


 幸が言った。


「そっか。皆、部活が好きなんだね」


 涼子の言葉に、三人が笑顔で頷いた。

 休みが明けた二日後に、一年生のリーダー決めが行われる。丘が、トランペットのコウキを、早くリーダーとして全員に認めさせたいと言い出したからだ。例年は、九月か十月に行われていた。

 それほど、丘はコウキを評価している。丘が星子以上に注目している生徒は、コウキくらいだろう。涼子は、行事くらいでしか生徒と動くことは無いが、そういう時、コウキは率先して動いていたのは見ている。彼なら、リーダーにも相応しいのだろう、という気はした。

 それで、丘の希望に同意した。


「ところで、皆、リーダー決めについては考えてる?」


 涼子にリーダーを推薦する権利は無いため、特に気にする必要も無いのだが、一応は副顧問である。どんな生徒がどの役職に就くのかなどについては、興味があった。


「私は絶対立候補しないし、推薦も受けませんよ」

「えっ、星子ちゃん、リーダーやんないの!?」


 幸が、驚いて大きな声を上げた。夕も目を見開いている。


「ちょっと、声大きいよ。当たり前じゃん。私はオーボエに集中してたいもん。てか、公言してるし」

「えー……知らなかった。私、木管セクションリーダーは星子ちゃんかなって思ってた」

「ムリムリ。私はリーダーしたくないから。推薦もしないでね」


 手を振りながら、苦い顔をして星子が言った。丘が評価している生徒の一人だし、涼子も星子はリーダーになるだろうと思っていた。

 人前に立ちたくないという人は、組織に必ず一人二人はいる。それが良いとも悪いとも言わないが、少しもったいない。優れた者がリーダーをやるからこそ、人はついてくる。


「んー、でも星子ちゃんの言うこと、私は分かるよ。私もクラリネットに集中したい。もっと上手くなりたいし、それがパートのためにもなると思ってるから」

 

 夕が言った。未来の話の通りだ。自分の為だけでなく、パートの為に上達しようとしている。


「そっかぁ。まー、私もする気ないけど……」

「幸ちゃん、木管セクションリーダーやれば? 下手じゃないし、良いじゃん」

「えぇ、私、未来先輩みたいに叱ったりとかしたくないし。それに、セクション分けの作業とかもめんどくさそう……私、細かいの苦手だから」

「幸ちゃんっぽい理由だなあ」


 言って、星子が笑った。

 

「じゃあ、三人はリーダーに誰が向いてるなーって思う?」


 あまり誰が誰を相応しいと思っているのかは聞かないほうが良いことではあるが、涼子は好奇心に負けて問いかけてしまった。

 三人は少し悩んで、顔を傾けている。似たような恰好をする三人に、気づかれないように笑いをこらえた。


「不本意ですけど」

 

 星子が指を立てた。


「学生指導者か部長は、三木君かな。なんか爽やかすぎて好きになれないけど、まあリーダーになってもらうなら、三木君は絶対かも。てか、三木君にやらせとけば大抵の問題を解決してくれそうだし」

「分かる―! 私もコウキ君に絶対やってほしい!」

「私もかなー。コウキ君が分かりやすく教えてくれたおかげで、凄い上達出来た気がするし」


 一学期の間は、コウキが昼休みに初心者を集めて、練習会を開いていたと聞いた。彼のおかげで、初心者の上達速度が異常だった、と丘が感心していたことがある。夕は、その指導を実際に受けていた一人だから、余計に実感しているのだろう。


「後は正直誰でも良いかな。まー、金管セクションリーダーは美喜ちゃんしかいないかもだけど、あの子、性格キツイからリーダーになったら凄い怒ってばっかりでやりづらそう」


 星子の物言いに、少し涼子は違和感を覚えた。同じ部の仲間なのに、と。


「確かに、この役職は絶対この人、って思える子、あんまいないよね。誰かいる、夕?」

「んー……分かんない……美喜ちゃんだって、私あんまり話したことないし」

「まあ、先輩達が考えてくれるんじゃない? 任せとけば、上手く決まるでしょ」


 星子が言うと、そうかもね、と幸と夕が答えた。

 やはり、コウキは名前があがるのだ、と涼子は思った。


 二年前に花田高にやって来て、副顧問になった。初めてリーダー決めが行われた時、丘から色々と聞かされた。当時の丘は、まず間違いなく選ばれるのは、ホルンの相沢奏馬だろうと言った。その通りで、奏馬はリーダー決めの時に満場一致で選ばれた。去年は、打楽器の摩耶は部長になると丘が明言した。やはり、満場一致で摩耶になった。丘が名前を挙げた生徒は、確実にリーダーに選ばれてきた。

 だから、コウキもきっと選ばれるのだろう。


 それほど見事に当てて見せるのなら、いっそのこと丘がリーダーを任命すれば良いのではないかと思って、一度そう言ったことがある。


「私が決めて、無理やりやらせる。それでは、生徒はやらされているという感覚しか持てません。自らやろうと思い、立ち上がる。あるいは、仲間からやって欲しいと言われてやる気になる。そういうリーダーでなければ、本当に部員達を導く存在にはなれないと私は考えています」


 丘はそう答えて、リーダー決めのやり方を変える気は無いという意思を示してきた。


「とはいえ、ある程度は流れを作るために動いたりはしますが。まあ、これは、秘密ですよ」


 口に指をあてながら、丘が言った。

 実際、今年のリーダー決めの最大の目的は、コウキを部長ではなく学生指導者にすることだ。コウキなら、まず間違いなく誰かしらに推薦を受ける。そして、コウキはそれを受け入れるだろうと丘は予想している。


 他の役職に選ばれるのを防ぐために、部長の二人とも話して、リーダー決めの順番を学生指導者からにした。最初に学生指導者を決めれば、コウキが仮に立候補をしなくても、誰かが推薦をする。そうなれば、コウキが学生指導者になる確率は高い。


 コウキは、部長か学生指導者のどちらになっても、優れた才覚を発揮すると丘は読んでいた。その上で、学生指導者を任せたいらしい。


 ずるい、とは涼子は思わなかった。

 あくまで流れを作っているだけで、実際にどうするかは部員達が決める。コウキが、もし部長をやりたいと思っているなら、学生指導者は断るかもしれない。

 始まってみなければ、分からないのだ。議論誘導をしている訳ではないのだから、これくらいは、別に悪いことではないだろう。


「そっかー、皆色々考えてるんだね。リーダー決め、上手く行くと良いね」


 どこか他人事のように言ってしまったような気がして、しまったと思った。だが、三人は気にした風も無い。


「あーあ、もう飲み終わっちゃった。もう一杯飲みたいな~」


 ちらりと幸がこちらを見てくる。


「もうダメです。それに、虫歯になるよ」

「私、虫歯になったことないのが自慢ですから!」


 にっ、と幸が笑う姿を見て、思わず皆で笑った。

 良い、息抜きになった。三人と別れた後、部屋着用の服を買って、帰宅した。


 明日から、部活動が再開する。吹奏楽コンクールの東海大会が三重県で開催されるため、涼子は宿泊所や練習場所の確保に動いた。宿泊の部屋割りや練習場所との打ち合わせは、引き続き涼子が任されているから、それをやることになるだろう。

 

 丘や生徒が雑務に煩わされないで済むように、涼子がやる。それが、涼子なりの部への貢献の仕方だった。

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