十一 「優しさの意味」
三学期はめまぐるしい早さで過ぎていった。
六年生は卒業を控えていることもあって、様々な行事や準備に追われ、日常をゆっくりと過ごす暇もない。
卒業式まで、あと数日だ、とコウキは思った。
小学生に戻って約半年。本当にあっという間だった。
二度目の小学校生活は、思っていたように完璧にはいかなかったが、それでも充実して満ち足りたものになった。たった半年の思い出だが、なによりも大切なものとして自分の中に刻まれている。
思い残すことはないかと自問すると、一つだけある。
洋子がふさぎがちなことだ。
春から、コウキと拓也がいなくなる。洋子は一人になってしまうのだ。
もちろん洋子にも友達はたくさんできている。その子達が、これからは支えてくれるだろう。それでも、一番仲が良かった二人がいなくなってしまうという現実が、洋子を不安にさせているようだった。
教師に聞いた話では、また絵本室にこもりがちなのだという。
時間が空いたら様子を見には行っていたが、あと数日で卒業する事実は変えられない。
洋子自身が乗り越えるしかない問題だった。
妹のように大切な存在となっている洋子が落ち込んでいる姿は、心配になる。なんとかしてあげたいが、良い方法は思い浮かばないまま、時間だけが過ぎていた。
「洋子ちゃん、今日も来ないって?」
体育倉庫のサッカーボールを借りて、拓也とサッカーしながら話していた。
「うん、一人になりたいって」
遊びに誘ったのだが、洋子は来なかった。
クラブ活動も、休みがちらしい。
「大丈夫かな、春から」
「まあ……時間が経てば元通りになるとは思うけど」
確信はない。
洋子は、あまり強い子ではない。このまま不登校気味にならないとは限らない。
「でもまあ、普通に俺たちの家に誘ったりして、夜とかに遊べばいいんじゃない?」
「そうだな。学校で会えない分、家で会えたら少しは洋子ちゃんも喜ぶかも」
中学生になったら、今までよりは忙しくなるだろう。それでも、親同士は理解しあってくれているし、誰かの家で一緒に食事をするとか遊ぶとか、そういうことは出来るはずだ。
コウキも、洋子とは今まで通り、遊びたいと思っている。
「それにさ、洋子ちゃん的にも一人で頑張れるようになるのは必要かもね。俺たちについてまわるだけじゃなくて」
拓也の言う通りだ。二人が、いつも洋子のそばにいてあげられるわけではない。
「なんか、拓也も変わったな」
「えっ、そう?」
「自分の意見を、ちゃんと言うようになった」
ボールを止めて、拓也が嬉しそうににやついた。
「んー、まあ、コウキの影響かもね」
「俺の?」
「うん、コウキが変わったから、なんか俺も影響されたんじゃないかな。洋子ちゃんだって。というかコウキの周りの人、皆変わったと思うよ」
思わず拓也の顔を凝視してしまう。のほほんとしているようで、拓也は意外としっかり周りを見ている。
拓也が、ボールを蹴り返してくる。
それを受けて、また返す。
二人の時はサッカーやキャッチボールをよくしていた。
成長してきたらスポーツができたほうが都合がいい。昔は運動が苦手だったが、それは克服しておきたかった。
それに、こうして二人でサッカーをしたりキャッチボールをしていると、会話が弾む。
洋子のことはどうにかしたいが、コウキと拓也が優しくすればするほど、寂しさや不安は増すだろう。
結局、いつも通り接するしかない。
「でさー、話変わるけど、告白したの?」
突然の直球な発言に動揺して、ボールをけり損ねてしまった。
「はあっ? 何急に、誰に、俺が?」
慌ててボールを取りに行く。
「いや、大村さんに。好きなんじゃないの」
「いやいや」
「いやいやって」
動揺を隠せなかった。
ボールをあらぬ方向へ蹴飛ばしてしまう。
「皆噂してたけど。二人のこと」
「なんで? 噂に?」
「いや、俺も聞いただけだけど。一緒に帰ったり遊んだりしてるんでしょ?」
確かにそうだが、誰かから二人の関係について聞かれたこともなかったし、女子同士で美奈を悪く言うような話も聞かなかったから、そんな噂が立っているとは思いもよらなかった。
「まあ、そうだけど……しないよ告白なんて」
「えっ、なんで?」
「別々の学校になって会う時間減るし、それに、俺らまだ小学生じゃん」
そう。小学生で付き合うとかなんだとかは、早すぎる。
こっちはそうではなくても、向こうは完全なこどもなのだ。ころっと気が変わる可能性も、ないとは言えない。
前の時間軸でも誰と誰が付き合っているといった話は耳にしたことがあったが、その二人が長く付き合っていたという話は全くなかった。
こどもの恋愛では、そんなものだろう。
「ふーん、もったいね」
「もったいねって……向こうだって新しい学校で好きな人できるかもしれないじゃん」
離れていれば、それだけ気持ちも離れやすくなる。
維持するのは大変だろう。
「そんなもんかー」
「そんなもん」
拓也は、自身が誰を好きとかそういう話には無関心で、男友達と遊ぶことに夢中だった。他人の恋愛にもそんなに興味はないようだ。
自分から話を振っておきながらもうどうでも良くなったらしく、この話もそれっきりだった。
拓也と適度にサッカーを楽しんだ後、下校した。
帰宅して、自室のベッドに寝転がって天井を見上げた。真っ白な天井をぼんやりと眺めながら、思考に耽る。
洋子も美奈も、新しい生活がもうすぐはじまる。いつまでもコウキがその準備の邪魔は出来ない。
洋子とはずっと一緒にいてあげたいと思うし、美奈ともできる事なら同じ学校に通いたかった。
二人はコウキが心を許せて、自然体でいられる数少ない人達なのだ。
それでも、やれること、やってはいけないこと、その区別ははっきりしておきたい。
優しくする事と甘やかす事は違う。ただ優しくするだけでは、洋子の気持ちの整理がつかないだろう。
彼女とは学校以外で会える。足りない部分はそこでフォローすればいい。
美奈の事は、気持ちに整理をつけるしかない。彼女の選択した道なのだ。
以前聞かされていた通り、すでに塾に通う事も決まっていて、中学生になったら部活もあるし、夜は八時九時まで勉強漬けになるかもしれない、と言っていた。
とても、会う時間はなくなるだろう。
あと数日で美奈とは会えなくなるという事実が、暇さえあれば頭に浮かんで、胸が苦しくなる。
相手は精神年齢的な意味で言うと、十六歳近く離れている相手。こどもと大人だ。なのに、なぜか美奈と話しているときはまるで同じ年齢の子と話しているかのような気分だった。
好きかと聞かれれば、好きだ。だが、その気持ちをどうにかしようもない。
きっと、美奈に気持ちを伝えれば、受け入れてくれるだろう。
だとしても、滅多に会えない中で、その気持ちを持続させるのは難しい。
自然消滅とか、そういう風になるのが落ちだ。
それだけは、嫌だ。
最初はクラスの輪をつくっていくことが優先で、恋愛事はしないつもりでいたのに、気づいたらこんなことになっている。
おかしな話だ。
頬をひっぱたいた。
うじうじと悩んでいても仕方がない、とコウキは思った。
すぐにとはいかなくても、切り替えていくしかない。
中学は中学で、もっと忙しくなる。これまでの関係がリセットされて、また新しい子達との関わりが始まるのだ。いじめや陰口といった問題も、より陰湿になるだろう。
できるだけ、それを無くせたらと思う。
きっと、そういうことに夢中になっているうちに、日常に追われてこの気持ちも整理がつくだろう。
そう、自分に言い聞かせた。




