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青春ユニゾン  作者: せんこう
高校一年生・夏編
117/444

七ノ二十七 「リーダー決め 二」

「夕ちゃん、私は、夕ちゃんに木管セクションリーダーを継いでほしい」


 未来が言った。その視線は夕に注がれ続けている。

 

「この四ヶ月ずっとそばで夕ちゃんを見てて、夕ちゃんはリーダーの素質があると思った。誰よりも努力してる。そして、パートの事を想う気持ちが強い。その気持ちが部全体に向いたら、夕ちゃんはきっと凄い事になる。だから、受けて欲しい」


 冷や汗が、脇の下を流れたのを感じた。

 突然の事で、頭が上手く回らない。なぜ、自分が。夕の頭の中は、それで一杯になった。


 初心者だ。楽譜も読めないような状態で入部した。迷惑をかけ続けてきたし、今も演奏にはついて行くだけで精一杯の状態でいる。

 そんな自分が音楽面のリーダーになるなんて、想像が出来ない。務まる気がしない。


 これまでの人生で、夕は一度も人の前に立つ仕事をしたことが無かった。クラス委員長や生徒会長、部長や副部長。中学の時も、そうした役職に就いた事はなかった。

 授業中に積極的に手を挙げるだとか、クラスの中心になるだとか、そういう事もしてこなかった。

 ほどほどの立ち位置。仲間外れにされないように、クラスの中心的な女子グループの中に入って日常をやり過ごす。そういう生き方をしてきた。


 未来は買いかぶり過ぎだ。そんな自分に、出来る訳が無い。

 断ろう、と夕は思った。

 震える口を開いて、言葉を紡いだ。


「わかり、ました」


 言ってから、自分は何を言ったのだ、と愕然とした。


 嫌だ。そう言おうとしたのに、口は反対の言葉を言っていた。

 未来が心の底から嬉しいと言わんばかりの笑顔を向けてくる。何て、無邪気な顔をするのだろう。その顔を見た瞬間、ああ仕方がない。こんな喜ぶ顔を見せられたら、今更断れない。そう思った。

 静かに立ち上がって、目の前の未来をまっすぐに見据える。未来は、笑顔のまま頷いた。


 なぜ、推薦を受けたのだろう。たった一言、嫌だと言えば良かったのに。その言葉が出なかった。

 晴子に前に来てと言われ、列から抜けて黒板の前に向かった。元子と目が合う。思考を読み取れない、冷静な目をしている。今、元子はどんな想いでここに立っているのだろう。


「それでは、今から二人にそれぞれの想いを話してもらいます。まずは元子ちゃんからお願いします」

「はい」


 元子が一歩前に出て、黒縁の丸眼鏡をくい、と持ち上げた。


「推薦を受けた山口元子です。受けておいてなんですが、私はどちらでも構わないと思っています。私が選ばれたら勿論全力を尽くしますし、夕ちゃんが選ばれても全然良いと思う。むしろ、現在の木管セクションリーダーである未来先輩から指名を受けた夕ちゃんこそが、相応しいのではないかとすら思います」


 元子の言葉に、部員たちがひそひそと声を上げた。晴子も都も、目を見開いている。けれど、それを気にした様子もなく、元子は前を向いたままでいる。


「とはいっても、私を推薦してくれた都先輩の期待は裏切れません」


 そう言って、元子は都の方を見た。


「せっかく私に期待してくれた人が一人いる。その気持ちを無下には出来ません」


 都が、微笑んだ。頷いて、元子が再び前を向く。二人の間には信頼関係のようなものがあるのだろか。たったその一瞬のやり取りで、二人は意思疎通を図ったように、夕には見えた。


「私がリーダーになったら、コウキ君と智美ちゃんを全力でサポートします。二人が余計な事に煩わされずに本来の仕事に打ち込める環境を作り出します。私達の代は、間違いなくこの二人を中心にして結束していく。だから、二人が最大の力を発揮できるように。そこに私の全力を注ぎます。以上です」


 頭を下げて元子が隣に戻ってくる。目は、合わなかった。


「じゃあ、次は夕ちゃん。お願いします」

「あ……はい」


 指名されて一歩前へ出た瞬間、心臓が大きく音を立てた。全員の視線が、夕に集まっている。夕の言葉を待たれている。心拍数が跳ねあがり、頭がカッと熱くなった。目の前が、くらくらと歪んでめちゃくちゃになっていく。


「夕ちゃん?」


 晴子に呼びかけられて、びくりと身体を強張らせた。何か、言わなくては。他の人は何と言っていたのか思い出そうとして、名前だ、と気が付いた。


「推薦を受けた、鈴木夕です。私は……」


 言葉が、続かない。何を言えば良いのか、分からない。緊張で頭の中がかき乱れて、冷静な思考が出来ない。

 黙り込んでしまった夕の姿に、部員が戸惑いを見せている。その空気に、ますます心は焦り、鼓動が早くなる。


 救いを求めて、夕は視線を泳がせた。その視線が、未来の方へと吸い込まれるように流れていく。自然と、意識が未来の方へ向かっていた。

 目が合った瞬間、未来が大きく頷いた。


 大丈夫。


 口の動きで、未来がそう伝えてきたのが分かった。

 夕は、自分が推薦されるなど全く想定していなかったし、その推薦も断ろうとした。ただ、ちょっとした間違いでここに立っているだけだった。だから、急な事で頭が真っ白になっているし、まともに言葉を出すことが出来ないでいる。


 元子の演説は、完璧だった。誰もが、元子になら任せられると思ったはずだ。今の夕と比べたら、どちらに任せたいと思うか。おそらくほぼ全員が元子に手を挙げるだろう。未来も、夕のこの姿をみて、幻滅しても不思議ではなかったのだ。


 それなのに、大丈夫と言った。こんな夕を見て、それでもまだ未来は信じている。少しも疑わず、夕なら大丈夫だと、確信しているのだ。


「はあっ」


 止まりかけていた息が、勢いをつけてこぼれた。


 今まで、誰かにこれほど真っすぐに期待された事は無かった。ずっと、学校ではただ平穏に過ごす事が目的だった。そんな生き方だから当然だ。夕だから任せたい、夕にやって欲しい。そんな風に何かを頼まれたことは無かった。


 今、未来は、その夕に期待してくれている。こんな自分を、信じてくれている。

 初めての、人からの信頼。少しの疑念も抱いていない、心からの信頼。


 それに、応えたい、と夕は思った。

 そう思った瞬間、不思議と焦りも緊張も不安も、何もかもが怖いものではなくなっていた。歪んでいた部員の顔や景色が、元に戻った。何十という目に見つめられても、心がざわつかなくなった。


 一度、大きく息を吸った。肺に空気が大量に入り込んできて、胸が大きく広がる。

 考えるより先に、言葉が衝いて出た。


「すみません、緊張しちゃって……もう、大丈夫です。私は、今まで誰かに期待された事が無かったです。何かに夢中になった事も。何もない毎日でした。自分で、そういう生き方をしてきました。でも、今は違います。今は、クラリネットに夢中です。吹奏楽も大好きです。この部が、私の生活の中心です。そして……未来先輩が、初めて私に期待してくれました。こんな、焦って言葉が出なくなった私に幻滅せずに、それでも未来先輩は信じてくれた。目が合った瞬間に、大丈夫って、伝えてきてくれた。嬉しかった。その信頼に、応えたいです。私は……リーダーになります。なって、部のために動きます。今はどうしたら良いのか、何をしていけば良いのか、分かりません。でも、先輩たちの働きを見て、学びます。私も、先輩たちのように、リーダーとしてこの部のために頑張ります。だから私を、リーダーにしてください」


 先ほどまでの緊張や焦りは何だったのだろうと自分で思うほど、冷静でいられた。言葉は、自然と溢れてきた。全て本心だった。

 つい数十秒前まで無理だと思っていたのに、今はもう、リーダーをやろうという気になっている。それほどに、未来の信頼は、夕の心を動かした。


 言い終えて、頭を下げた。音楽室から音が消え、静寂に包まれる。次の瞬間には、手と手を打ち合わせる軽快な音が洪水のように押し寄せてきた。顔を上げると、そこにいる全員が、夕に向かって手を叩いていた。

 

 その光景に、ぽかんと立ち尽くす。気が付くと、隣に元子がやって来ていた。

  

「夕ちゃん。夕ちゃんが木管セクションリーダーをやって」

「え、でも」

「夕ちゃんがやるべきだよ。演説、良かったよ」


 そう言って、元子は推薦を辞退した。


「都も、良い?」


 晴子の問いに、都が頷く。


「夕ちゃんのあの言葉を聞いたら、文句なんて何も無いよ。元子ちゃんの言葉も聴けたから、満足」

「そか。……では、元子ちゃんが辞退したので、夕ちゃんのみ投票を行います。皆目を瞑って。夕ちゃんに木管セクションリーダーを任せたいと思う人は手を挙げてください」


 夕も、目を閉じた。手を挙げる時の衣擦れの音。すぐに、都が数える声が聞こえてくる。


「わ……」

「おおっ……目を、開けてください」


 実際は大して経っていないだろうけれど、待つ時間が、随分長く感じた気がする。目を開けた瞬間、少しだけ窓の外の光を眩しいと感じた。


「全員です。満場一致で、木管セクションリーダーは夕ちゃんに決定しました!」


 歓声が上がる。


「凄くない!? 二人も満場一致!」

「初めてじゃん!」

「満場一致自体そんなあり得ないもんだって」


 部員が口々に語り合っている。

 全員が、夕を認めてくれたというのか。こんな自分でも、良いと思ってくれたのか。

 身体が震えた。初めての感覚だった。これは、興奮なのだろうか、と夕は思った。


 未来が、こちらを見ている事に気がついた。目が合って、親指を立てて差し出してくる。未来のおかげだった。未来の信頼と励ましがあったから立ち直れた。他者の信頼が、こんなにも力を与えてくれる事を、初めて知った。


 応えよう。未来の想いに。これからは、自分の為だけではなく部の為に動こう。


 笑いかけてくる未来に、夕もとびきりの笑顔を送り返した。












 

 新体制が始まって三日が経った。リーダー決めの際に毎年起こる混乱も今年は無く、生徒は東海大会に向けての練習に打ち込んでいる。

 やはり、この時期に決めて間違いではなかった、と丘は思った。


 東海大会まで、各学校はコンクール一色になって練習をする。当然、そこに対抗するためには花田高も猛烈な練習が必要となる。そんな時によそ事にかまけていて良いのかという考えはよぎった。

 

 だが、生徒達の音楽活動はコンクールがすべてではない。コンクールで勝利するために全てを後回しにすることが、果たして本当に正しいことなのか、丘には疑問だった。

 部活動を通して生徒が成長すること。音楽を愛するようになること。それこそが吹奏楽部の存在意義のはずだ。

 

 コンクールの後にはミニコンサートや文化祭、アンサンブルコンテストなど、様々な行事が押し寄せてくる。その時になって全てをこなそうとすれば、いずれどこかで破綻が起きる。あるいは手を抜くようになる。

 コンクールのために他を犠牲にする。そういう考えを持ってほしくない。だから、丘の選択は間違ってはいないと確信している。

 

 職員室で、一人で机に向かっていた。

 隅に置いてあったコーヒーカップを手に取り、冷たくなったコーヒーをすすった。焙煎香が鼻を抜け、苦味と酸味が脳を覚醒させる。

 椅子の背もたれにもたれて、丘は静かに息を吐きだした。


 新たにリーダーに加わった五人は、丘の想定していたメンバーとほぼ同じだった。木管セクションリーダーだけ、オーボエの星子が適任だろうと思っていたのだが、クラリネットの夕になった。


 夕は、あまり目立つ生徒ではなかった。初心者でありながら成長が著しく、期待出来る生徒ではあったが、リーダーをやるタイプには見えなかった。未来の推薦を受けて前に立っても、何も言えずにいた夕を見て、丘は対抗の元子しかないだろうと思った。


 ところが、何があったのか。ほんの一瞬で、夕はがらりとその様子を変えた。夕なりの、心から出た想いが、部員の心も動かした。対抗の元子まで辞退して、夕に譲った。全員が手を挙げるという結果は、丘も予想していなかった。


 顧問になってから、毎年リーダー決めを見てきた。満場一致で認められた生徒というのは、少ない。去年は部長の摩耶、一昨年は学生指導者の奏馬、その前の年は一人もいなかった。年に一人いれば良い方なのだ。それが、二人出た。初めての事だった。

 やはり、今までと違う流れが来ている。自分の心が高揚している事に、丘は気がついた。


 とはいえ、新体制の成果が出るのはもっと先の事だろう。コンクールが終わった後は、生徒主体での活動が増える。花田高吹部がさらに大きく変わっていくのは、そのあたりからかもしれない。

 今はまだ一年生のリーダー達は仕事に慣れるのに必死のはずだし、コンクール練習が中心のため、丘の合奏がほとんど全てだ。生徒の動く余地は少ない。

 

 東海大会は一週間後に三重県で行われる。すでに前日入りするための宿と練習場所の確保も済ませた。万全の体勢で臨める。

 当日は愛知、静岡、三重、岐阜、長野の五県から強豪校が集まる。どこも、花田高より華やかな歴史と成績を持つ学校ばかりだ。全ての学校が、県大会とは比較にならない完成度の演奏を作り上げてくる。

 

 それを超えて全国大会へ進むのは、容易ではない。だが、厳しいと思われた東海大会への進出も、生徒は果たして見せた。

 彼らは今、全国大会に本気で行こうとしている。丘が問わなくても、すでに彼らの目標は全国大会へ進む事で一致している。


 誰が言い出さなくても自然とそうなった。それは、強い結束となっている。今年こそは、全国へ。丘も、そのつもりだ。今のバンドなら、不可能な話ではない。


 夏の最後を彩るコンクールが、すぐそこまで迫っている。

高校一年生・夏編終わりです。

秋編は東海大会からスタートです。これまで描写してこなかった部員達も登場してくる予定です。


楽しみにしていただけたら、嬉しいです。

せんこう

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