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青春ユニゾン  作者: せんこう
高校一年生・夏編
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七ノ二十五 「後悔をしないために」

 東海大会を控えている時に、一年生のリーダーを決めるのが本当に良いことなのか、何度も丘は悩んだ。体制が変わることで、悪い方向に作用すれば、これまで作り上げてきた音楽まで壊れるかもしれないからだ。リーダーになったなれなかったで、生徒がもめるのは、毎年多かれ少なかれある。そうした問題を、この時期に起こして意味があるのか、と。

 ただ、悩んでいたのは代表選考会の前までの話だ。


 代表選考会の数日前に、生徒からの提案で、互いの良い所を話すというワークを実践した。コウキの案だという。それが、上手く作用した。

 たったそれだけのことで、生徒の奏でる音ががらりと変わった。丘が何かを指摘したわけでも無いのに、遥かに音が良くなり、見違える演奏となった。

 

 演奏以外の場での雰囲気も、大きく変化した。丘から見ても、何となく風通しが悪く感じていた特定の生徒間に漂う空気のようなものが、感じられなくなった。

 

 コウキが提案したワークは、想定以上の効果を上げた。

 成長途中のこども達だからこそ、心が演奏に及ぼす影響は大きい。漠然とそれは分かっていたが、実際に、これ程か、と丘は驚いたものだ。

 おかげで、突破は厳しいかもしれないと感じていた代表選考会も抜けられた。


 代表選考会の表彰式の後、前任の顧問だった王子に言われた。


「丘君、驚きましたよ。県大会の時とはまるで別物の演奏になっていた。何をしたら、あんな風に変わるのです? 私は、鳥肌が立ちました。高校生は力がありますから、短い時間で大きく成長するのは珍しいことではありません。ですが、それにしても花田高の今日の演奏は、素晴らしかった」


 丘は、何もしていない。ただ、生徒の提案を採用して、実践しただけだ。

 生徒が自分達で変わろうと決意し、そして実際に変わった。


 王子が合宿の日に、生徒から沸き上がる力が重要なのだという話をしてくれた。全員の心が一つになることが、大切なのだと。

 きっと、生徒達は、ワークを通して互いに心を歩み寄らせたのだろう。


 このメンバーで、一緒に演奏をしたい。

 このメンバーなら、良い演奏が出来る。

 そうした想いを持つようになったのではないか。だから、あの演奏が出来たのではないか。


 これまで、丘は生徒達と、コンクールでどこまで目指すかという話をしてこなかった。具体的な目標を生徒達に与えなかったのだ。その余裕が無い状況だったというのもある。


 がむしゃらに目の前のことを一つ一つクリアしていく。それを生徒に課していた。結果的には彼らの成長を促しはしたが、心を一つにするという意味では、一致する目標を持たせていなかったために、上手くいっていなかったのかもしれない。

 

 そうした一連の流れがあって、今の部の雰囲気は良好だ。この状態なら、東海大会前にリーダー決めをしても、分裂や仲違いが起きることはないのではないか。

 その懸念以上に、リーダーを全員に認識させることに大きな意味があると丘は判断した。

 

 だから、代表選考会の翌日に、リーダー決めを一週間後に行うことを発表した。これまで、部長の晴子と摩耶にしか伝えていなかったことだ。生徒達は、突然の報せに驚いていた。


 盆休みを三日挟むことになるから、その間に各自でよく考えるようにと伝えてある。一年生は、特に頭を悩ませてきただろう。自分達の三年間に、最も大きく影響する問題なのだから。


 今日から練習が再開し、リーダー決めは明日だ。

 リーダーは立候補、生徒の推薦、丘の推薦の三つで候補を立てる。最初に立候補を募り、誰もいなければ生徒の推薦、それも無ければ丘の推薦、という順番だ。出来る限り、生徒の自主性を重視したくて、これまでもそうしてきた。


 何となく丘は、今年は自分が推薦をしなくても、リーダーが決まりそうな予感がしている。

 漠然とだが、そんな気がするのだ。





 



 

 








 代表選考会の翌日に、急に一年生のリーダー決めを一週間後に行うと丘から発表された。

 夕はそれまで、リーダーについてなど考えたことも無かった。いずれ一年生のリーダーも決めるのだろうということは分かっていたが、まだまだ先の話だと思っていた。


 役職は五つ。経験者も初心者も関係なく、全員に立候補する資格がある。一年生の中で誰が最も各役職に相応しいか、しっかりと考えろと丘は言った。だが、夕には誰が相応しいのかなど、全く分からなかった。


 晴子や未来から、リーダーの重要性については聞いている。

 部長は部の顔となる存在であり、部を運営面で引っ張る最重要人物である。当然、人望が要るし、部員をまとめ上げる力も必須だ。頼りない人物では、誰もついてこない。


 副部長はその部長を補佐する。裏方の仕事のほとんどが副部長の責務で、部の運営を円滑に進めるためのマネージャー的な素質も重要なのだという。

 運営面のリーダーはこの二役職で、残る三役職が音楽面でのリーダーとなる。


 学生指導者は、名前の通り音楽指導を一手に担う重要な役職で、部長と並ぶ存在だ。指導者というくらいだから、音楽指導の才能は必須で、演奏技術もある程度は求められる。晴子が言うには、その指導力如何によってバンドの演奏レベルにも影響があるから、部長よりもその年のバンドにとって鍵となる存在かもしれないのだそうだ。

 

 普段ほとんど目立たない金管と木管の各セクションリーダーについては、学生指導者の補佐は勿論、セクション練習やアンサンブル活動の時に動くらしい。

 セクション練習とは、要するに金管は金管、木管は木管、打楽器は打楽器というように、同じ系統の楽器で集まって行う練習だ。合奏よりは細かく、パート練習よりは複雑な合わせをしたい時に行われる。

 もっと細かく分けて、ある曲の中で同じメロディやリズムを演奏している楽器同士でセクションを組む事もあり、コンクール時期だとそういう練習は増える。


 木管セクションリーダーを担当している未来に教えてもらったが、花田高が演奏する曲は全て、実際に活用するかどうかは別として、両セクションリーダーが協力してフレーズ単位でのセクションの組み合わせをあらかじめ決めておくのだという。

 そうすると、実際にセクション練習をする時に、いちいちフルスコアを確認してどことどこが組むかを指示する手間が無くなり、スムーズに練習に移れるからだという。

 

 花田高が一年間に演奏する曲は、何十曲もある。その全てで、実際は一度もやらないかもしれないセクション練習のためにそうした組み合わせ表をつくっておくなんて、恐ろしい手間だ、と夕は思った。

 ただ、そういう細かい裏の仕事が、この部の効率の良さに繋がっているのかもしれない。

 リーダーは、華やかなだけではないらしい。


 丘から、実際に立候補するかとか誰かを推薦するかとかは、当日まで他人に打ち明けないようにと言われていた。表明すると、それに流されて意見や意志を変えてしまう生徒が現れるかもしれないから、と。

 そういう事情もあって、同期の友人達とも相談はしたものの、あまり参考にはならなかった。

 

 夕は、リーダーに立候補する気はない。初心者でもやりたければ立候補できるとは言われたけれど、今は自分の事で精いっぱいだ。

 自分が上手くなることが、クラリネットパートにとっても、部にとっても良い結果に繋がると信じている。だから、今はとにかく上手くなる事に集中したい。


 生徒推薦については、学生指導者は、誰も立候補しなければコウキを推薦しようと思っている。音楽指導の才能がある人物という話を聞いて、真っ先に浮かんだのがコウキだ。一学期の間、コウキが初心者を集めて昼練を開催してくれていた。あの昼練のおかげで、夕は上手くなれた。

 コウキの教え方は、分かりやすい。一番なってほしいと思うのは、コウキだ。


 あとの四役職については、正直な所、判断がつかない。きっと、上級生が相応しい子を推薦してくれる。成り行きに任せた方が良いだろう、と夕は思った。












 



 丘には、立候補の意志や推薦したい人の名前などを他人に打ち明けるなと言われていた。ただ、コウキとは、前から話し続けてきたことだから、今更だった。


 いつもの小さな川の堤防に、二人で座っている。

 明日がリーダー決めの日だから、今日は全員早く帰ってよく考えるようにという丘からの指示があった。そのため、まだ辺りは明るい。


 コウキが堤防に生えている草をちぎって、指でもてあそんでいる。


「コウキは、立候補するの?」


 智美が話しかけると、コウキは頷いた。


「本当はしないつもりだったけど……気が変わった」

「へえ……何か理由があって?」

「本当に部を変えていきたいなら、自ら動かないと駄目だなって思って。自分から動く人間にしか、人はついてこないし」


 コウキが、つまんでいた草をはらりと地面に落とした。それから、身体を倒して堤防に仰向けに寝転がった。


「正直今までは、俺はリーダーにならなくても良いと思ってた。皆を支える立場でいられれば良いや、って。でもそれじゃ駄目だって気づいた。責任のない立場から物を言うっていうのは、言い換えれば責任は取りたくないけど口出しはしたいって事だ。そんなの、卑怯者のする事じゃん」

「生真面目だねえ。誰もそんな風に思わないと思うよ?」

「そうかもしれないけど、自分が嫌だから」


 空を、真剣なまなざしで眺めている。

 智美も、一緒になって寝転がった。ちょうど視界の中を、鳥が二羽絡み合いながら飛び去っていった。


「それに、俺はあまり前に立ちすぎないで、他の皆が動いて部が変わる姿を見ていたいと思ってたけど、それって結構難しい事でさ。もしそれで上手く行かなかった時に、俺は後悔しないかなぁって考えた。多分、いや、絶対後悔する。もっとああすればこうすればって、悔やむ。俺に出来た事があったはずなのに、とか、俺があの時動いていれば、とかってさ。井口君の時みたいに」


 智美と同じアルトサックスの同期だった井口真は、練習についてこられず、夏前に吹奏楽部を退部した。コウキは、それを止められなかった事を悔やんでいた。  


「後悔するような生き方をしたくないし、周りの人にもしてほしくない。全力で打ち込みたい。皆が泣かないで済んで、笑っていられるようにしたい。だから、立候補する」

「……そっか」

「勿論、俺一人で部を思い通りにするつもりなんてないよ。先輩達を差し置いてでしゃばるつもりもない。ただ、もっと積極的に運営に関わって行こうと思ったんだ」

「コウキらしいね」

「そうか?」

「うん」


 責任感が強くて、誰よりも周りの人の為に動く。けれど、決して自分一人で暴走したりしない。ちゃんと周りを頼ったり、周りが自分から動くのを待ったりもする。コウキは、そういう子だ。去年のクラスでの様子も、そうだった。


「じゃあ、コウキは学生指導者? 部長?」

「俺は、学生指導者にする。音楽面で、もっとやってみたいことが沢山あるんだ」

「ははっ、まだ隠し玉があるんだ。どんだけ引き出し持ってるの、コウキは?」

「アイデアはあっても、使えるかどうかはやってみないと分からないよ。だから、そういうのを試すためには、学生指導者のほうが良い」

「ふーん……」


 風が吹きぬけた。

 車も滅多に通らない場所だから、静かだ。川の中に、何かが飛び込んだらしい。ぽちゃん、という音が水面の辺りから聞こえてきた。


「じゃあ、私は、部長に立候補する」


 一瞬の間があって、がばっとコウキが身体を起こした。驚いた表情を浮かべている。


「本当に?」

「うん。前に、話したじゃん。一緒に頑張ろうって。コウキが立候補するなら、私もするよ」


 にっと笑いかけると、コウキが表情を緩めた。それから再び頭を地面に預けて、空を仰いだ。


「智美が部長で、俺が学生指導者か。良いなぁ、それ。ほんとに智美が一緒に立候補してくれるとは思わなかった。あの時は半分冗談だったから」

 

 真が辞めた日にもここに来た。その時にコウキが部長か学生指導者になるのなら、智美はもう片方をやれ、と言われた。

 あの時は、自分がやって良い訳がないと思っていた。途中入部をした素人で、吹奏楽について無知に近い人間がリーダーになるなんてふさわしくない、と。

 

 今は違う。


 コウキやサックスパートの仲間が、智美を鍛えてくれた。無知の素人は卒業した。今なら自分にも出来る事があるはずだ。


「コウキとなら、やれる気がするから。隣にコウキがいたら、怖くない。一緒に、リーダーに選ばれよう」

「……ああ」


 何となく横を見ると、偶然コウキもこちらを向いてきた。視線が交わる。


「大丈夫。智美と俺なら、きっと皆認めてくれる」


 そう言って、コウキは優しい微笑みを向けてきた。笑い返してから、智美は空を見上げ、流れていく雲を眺めた。

 大きな塊になった白い雲が、次々と視界を通り過ぎていく。

 いつの間にか、この時間帯になると蒸し暑さが和らぐようになってきた。夜には、開けていた部屋の窓も閉めないと風邪を引きそうだ。

 

 夏が、終わりに向かっているのだ、と智美は思った。

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