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青春ユニゾン  作者: せんこう
高校一年生・夏編
114/444

七ノ二十四「コウキの気持ち」

 一階に下りると、予想通り洋子は満面の笑みでドラムを叩いていた。乱れの無い正確なリズムの刻みに、髭面の中年店員が目を丸くしている。中学校のドラムは、コンクール時期だったためにずっと叩いてなかったらしい。久しぶりに電子ではない本物のドラムを触れて嬉しいのだろう。


 近づくと、洋子はスティックを止めて手を振ってきた。


「コウキ君!」

「お待たせ」

「このドラム、すっごく気持ち良いよ! 音も良い!」

「おー、そっか……ぐわっ三十万!? めちゃくちゃ高ぇ……!」


 こんな高級なドラムを、よく店は叩かせてくれたものだ。そう思っていると、目を丸くしていた店員が、拍手をしながら傍に来た。


「いやあ、お嬢さん、驚きの上手さだね。たまに腕自慢の子が叩きにくるけど、お嬢さんほど上手い子は初めてだ」


 店員が、もっさりとした顎鬚をさすりながら言った。褒められて、洋子が照れている。


「叩き方的に、吹奏楽の子?」

「あ……そうです」

「結構、経験年数があるの?」

「えっと、一年と四か月くらいです」

「まさか! その腕で!? いや……これは驚いた。才能だね。お嬢さん、どこの学校の子? 君の出る演奏会は是非見てみたいな」


 洋子が、ちらりとコウキを見た。


「俺たち、浜松の人間じゃないんです。愛知から来てて」

「何、そうなのか。それは遠くから、わざわざありがとう。そうか……」


 店員は、おもむろにポケットから名刺入れを取り出し、中から一枚抜き取った。


「じゃあ、名刺を受け取ってくれるかい? 何か楽器のことで相談がある時は、是非私に連絡をくれ。相談に乗ろう。演奏会の報せも待ってるよ」


 店員から差し出された名刺を、おずおずと洋子が受け取った。人から名刺を貰ったのは初めてだろう。両手で持ったそれを、じっと眺めている。白地に固い印象のフォントで名前と社名、連絡先が書いてあるシンプルな名刺だ。


「良かったな、洋子ちゃん」

「うん、ありがとうございます」

「それじゃあ、何か用があれば声をかけて」


 そう言って、店員はレジの方へ去って行った。


「名刺貰っちゃった。丸山雄太さん、だって」

「へえ。洋子ちゃん、一番上手いってさ。凄いじゃん」


 打楽器パートは扱う楽器が多いが、その中でも特にドラムが洋子のお気に入りだった。洋子は家に電子ドラムがあり、叩かない日は無いらしい。好きは上達の一番の秘訣だと言うが、洋子ほどその言葉を体現している子はいない。


 実際、ドラムに関しては一年ちょっとの経験だとは思えないくらい安定感のある演奏をする。去年の文化祭のバンド演奏の時でも、すでに高校生顔負けの技術力だったが、さっきの演奏はあの時より更に上達していた。

 

「比較する人がいないから、自分がどれくらいのレベルか分かんないよ」

「あー、文ちゃん史君は?」

「二人はあんまりドラム叩かない。私に任せるって言って、他の楽器メインなんだ」

「……そっか」


 洋子の同期のフミフミコンビは、小学生の時から打楽器をやっている。その自分達より後に初めた洋子のほうがドラムが上手いとなれば、何となく叩きづらい心境にもなるかもしれない。

 他人の才能に嫉妬して嫌がらせをするような子達では無いが、内心は複雑な気持ちもあるだろう。


「あ、上の階に、いろんな本とかCDあったよ。ドラムの入ってるCDもあったし、見に行く?」

「行く!」


 洋子が頷いて、二人で階段を上がった。

 しばらく書籍コーナーを堪能して、洋子はCDとドラムの教本を一冊手に取った。満足そうな顔で、それらを抱えている。


「良いのあって、良かったな」

「うん! 家でいっぱい聞く! あと、スティックとかも見に行って良い?」

「勿論」


 コウキも女性五人組の金管五重奏のCDを一枚と、読んだことのない名門吹奏楽部の取材をしたドキュメンタリー本を一冊選んだ。


 前の時間軸では、よくそうしたドキュメンタリーや指導法などの本も読んでいた。大人になった後にその知識を得たからといって、誰かに教えるわけでもない。だが、高校時代の自分が学生指導者として行っていた指導は、正しくなかったのではという後悔が、ずっと心につきまとっていた。

 その反省もあって、気づくとそうした書籍を手に取ることが増えていた。こうして過去に戻って、その時に得た知識が役に立っていると思うと、無駄ではなかったのだろう。


 会話をしながら階段を下りていると、聴き慣れた音が階下から聞こえてきて足が止まった。耳を澄まして、音を確かめる。


「誰か……吹いてる」

「トランペットだね」


 綺麗な音だ。滑らかに音が上下している。音の跳躍もスムーズで濁りが無いし、クリアな発音が耳に心地いい。

 音を出している主の姿が気になって、コウキは足早に階段を下りた。後を洋子がついてくる。


 一階に下りてトランペットの棚の前に向かうと、そこには女の子がいた。背は、百五十あるかないかという所だろう。中学生に見えないこともないが、どことなく大人びた雰囲気もある。

 それよりも、女の子の放つ音が、コウキの心を掴んだ。曲を吹いているわけではなくただ音出しをしているだけなのに、美しいと思った。

 逸乃や華とも違う音だ。逸乃は、澄んだ透明感のある音を出し、華は、力強い張りのある音を出す。この子はそのどちらとも異なる、輝くような明るい音をしている。

 

 女の子が、じっと見つめていたコウキに気づいて吹くのを止めた。怪訝そうな顔で、コウキに視線を投げつけてくる。


「何?」

「あ、いえ……綺麗な音だな、と思って」


 女の子は答えず、マウスピースを外すと、そばにいた先ほどの丸山という店員にトランペットを返した。


「ありがとうございました。少し、考えます」

「ああはい。いやあ……今日は、凄い日だ。ドラムに、トランペットに……君たち、中学生だろう? 将来が楽しみだ」


 丸山の言葉に、女の子がムッとした顔をして声を荒げた。


「私は高校生ですっ」

「えっ、あ、も、申し訳ない。てっきり……」

「失礼します!」


 地面に置いていた鞄をひっつかむと、女の子は足早に楽器店を出て行った。あっという間の出来事で、コウキ達も丸山も、呆然と女の子を見送ってしまった。


「いや、まずいことを言ってしまったな……また来てくれると良いが……」

「な、なんか怖い人だったね、コウキ君」

「え、ああ……そう、かな」


 確かに口調はきつかったが、彼女の音は、温かみのあるものだった。あんな音を出せる人なら、きっと素は穏やかな性格なのではないだろうか。

 ぶつぶつと呟きながら、店員はトランペットを持ったまま奥に引っ込んだ。


 彼女の名前も、どこに住んでいるのかも聞けずじまいだった。ただ、高校生だと言っていた。あれほどの腕なら、もしかしたら吹奏楽コンクールの東海大会で会えるかもしれない。


「またあの音、聴きたいな」

 

 思わず、コウキは呟いていた。

 



 









 洋子がスティックと小物を選び終わった後、会計を済ませて楽器店を出ると、時刻は十六時を回っていた。随分長居してしまったが、洋子は納得の行く物が購入できたようで満足そうにしていた。


 そのまま帰る選択もあったが、もう少し一緒に居たかったし、二人とも小腹が空いていたので近くの喫茶店で一休みすることにした。

 昔ながらの純喫茶という外観で、内装もどこか懐かしさを感じさせるような店だ。


「暑かったぁ……」


 店員が置いていった水を勢いよく飲み干して、洋子は大きく息を吐いた。実に美味しそうに飲む。よほど水を欲していたのだろう。

 コウキもコップを手に取って、一口飲んだ。持ってきていたお茶は大分前に飲みきっていたので、喉が乾いていた。冷水が身体に染みこんでくる。ほのかにレモンの味もする。


「さっきのトランペットの人、どこの人なんだろうね」

「ああ。名前だけでも聞いておけば良かった。あんな上手い人は、滅多にいない。華ちゃんや逸乃先輩と良い勝負だよ。それに、音が良かった」

「私もあの人の音、凄く綺麗だと思った」


 やはり、浜松の人なのだろうか。東海大会には、浜松からは三校出てくるはずだ。その中に、いると良いのだが。


「まさに俺の目標の音って感じだったなあ」


 これまで、ずっとティム・モリソンというプロのトランペット奏者の音を理想として自分の中に持ってきた。彼は一音一音が輝くような音色をしていて、それでいながら温かみも感じさせるような魅力がある。勿論曲調によって多彩に色を変え、見事な技巧を披露する。

 あの女の子の音は、どこかそれに近いものを感じた。


「出来れば、トランペットの話、色々聞きたかった。あーあ……惜しいことしたなあ」


 背もたれに身体をもたれさせて、天上を仰ぐ。

 コウキは、トランペットの上達に悩んでいた。この時間軸に戻ってきてから、ずっとトランペットを吹き続けている成果もあって、自分でも下手ではなくなったとは思う。ファーストを担当しようと思えば出来るくらいの技術力はあるはずだ。それでも、やはり逸乃のような聴く人を惹きつける音ではないし、華のようにバンドを引っ張り仲間を鼓舞するような力強さも無い。

 自分の音にトッププレイヤーとなれるだけの魅力が無いことは、自分自身が一番良く分かっていた。


 あの女の子と話せば、何か新しいものが見えたかもしれない。


「お待たせしました」


 店員が、注文したエスプレッソとチーズケーキを運んできた。洋子には、メロンクリームソーダとザッハトルテが渡される。伝票を置いて、店員が下がった。


「食べよっか」

「うん! ケーキ、久しぶり~」


 いただきますをして、洋子がザッハトルテを口に含んだ。目を閉じて、味を堪能している。


「~っ美味しい!」

 

 目を輝かせて、さらに一口。美味しそうに食べる洋子の姿が微笑ましい。コウキも、チーズケーキをフォークで取って食べた。レモンも使われているのだろうか。酸味がちょうどいい具合で、甘すぎないのがコウキ好みだ。タルト部分は、時間が経ってもサクサクさを失っていない。


 しばらくケーキを堪能しながら、会話に花を咲かせた。こうして洋子と顔を合わせてじっくり話すのは、本当に久しぶりだった。合同練習の時はほんの少ししか話せなかったし、それ以降はずっとメールでしかやり取りが出来ていなかった。

 会話の度に、ころころと表情の変わる洋子を見ていると、心からこの時間を楽しんでくれているのだということが伝わってきて癒される。

 

 












 すっかり話し込んでしまい、気付けば一時間近くも喫茶店で過ごしていた。遅くなりすぎると、洋子の両親が心配するかもしれない。

 すぐに浜松駅で電車に乗って自分達の町まで戻り、洋子の家に近づいた頃には、十九時になろうとしていた。


「遅くなっちゃってごめんなぁ」

「ううん、いっぱい一緒にいられて嬉しかったよ」

「俺も。でも、お父さんとお母さんに心配かけちゃったな」

「メールしておいたし、コウキ君と一緒なら安心だって言ってたから、大丈夫だよ」

「だと良いけど」


 洋子の家が見えてくる。


「一言挨拶していくよ」

「うん! あ、せっかくだからご飯も食べていってよコウキ君」

「いや、それは悪いし、またにする」

「えー……」

 

 しょんぼりとした顔をされると心が痛むが、洋子を一日連れまわして、そのうえ食事までご馳走になるのは気が引けた。

 洋子とは、明日も会う。拓也も来て三人で過ごすのだ。たった三日間しか休みがないのに、そのうちの二日を、コウキが貰っている。洋子の両親も、本当はもっと娘と過ごしたいはずだ。だから、これ以上洋子の時間を奪えない。


 家に着き玄関へ入ると、洋子の母親が出迎えてくれた。開けっ放しのリビングの扉から、野球中継の音声が聞こえてくる。父親は、テレビを見ているのだろう。

 遅くまで連れまわしたことを謝罪したが、母親は笑って済ませ、洋子と同じように夕飯を食べていかないかと誘ってきた。


「嬉しいですけど、これ以上は申し訳ないので……。またお邪魔させてください」

「そう? 気にしなくて良いのに。じゃあ、またいつでも来てね。気を付けて帰りなさい」

「ありがとうございます」


 玄関を出ると、洋子が後をついてきた。


「お見送りしてくる」


 そう言って、扉を閉めた。


「じゃあ……また明日楽しみにしてるな、洋子ちゃん」


 洋子は、うつむいたまま立ち尽くしている。話しかけても返事がない。


「洋子ちゃん?」

「……もっとコウキ君と一緒にいたかった」

「それは、俺も、だけど」

「明日も会えるけど、明日が終わったら、またずっと会えないんでしょ?」

「……多分」


 夏休みの間は東海大会に向けての練習があるし、そこを抜けられたら、全国大会が待っている。ミニコンサートやアンサンブルコンテストもあるし、下手をすると、年末まで会う暇はないだろう。

 不意に、洋子が抱きついてきた。ほっそりとした腕が、腰に回される。


「わがまま言ってるって分かってるけど……帰って欲しくない」


 力をこめられる。顔を胸の辺りに埋められていて、表情は分からない。


「もっともっと話したいこと、いっぱいあるもん」


 声が、震えている。


「明日話そうよ、洋子ちゃん」

「足りない」

「メールで」

「顔を見て話したいんだもん」


 遮られて、言葉に詰まった。

 ここまで自分の意思を示してくる洋子は、初めてだった。今まで、駄々をこねるような姿を見せてくることはなかった。

 初めて見る洋子の様子に、コウキは戸惑った。

 

「でも……お父さんお母さんも、きっと洋子ちゃんともっと話したいはずだよ。夏休みなのに、ずっと部活でしょ。ほとんど夜しか洋子ちゃんと話せてないんじゃない? きっと、本当は二人も洋子ちゃんと長く過ごしたいと思ってるはずだよ。だから……夜まで邪魔出来ないよ」

「そんなの、分かんない。私はコウキ君といたいんだもん」


 すん、すん、という鼻をすする音が聞こえてきて、洋子が泣いているのだと気がついた。一層腕に力を込められ、密着度が増す。

 ずきりと、胸が痛んだ。心臓を思い切り掴まれたような苦しさで、顔を歪めてしまう。 

 泣かせるつもりはなかった。ただ、自分ばかりが洋子を独り占めするべきではないと思っただけだった。


 洋子のすすり泣きが、静かに繰り返される。

 胸の奥で、言いようのない感情が沸き上がった。思わず、洋子の腰に手を回して、抱きしめていた。 


「洋子ちゃん……ありがとな。泣くくらい、一緒にいたいと思ってくれて」


 言葉が、勝手に口をついて出る。

 少し間があって、小さく洋子が頷いた気がした。


「凄く、嬉しいよ。俺も同じなんだ。俺だって……もっと一緒にいたい。何なら、ずっとそばにいて欲しいって思ってる」


 すすり泣きが続いている。


「俺もまだ全然話し足りない。もっと話したいこと、沢山ある。それに……」


 正直な気持ちを言えば、手だって繋ぎたかったし、こうして触れ合いたかったし、夜もまだ一緒にいたかった。

 当たり前だ。

 洋子のことが、好きなのだ。

 だが、言葉にはならなかった。いや、しなかった。かろうじて思いとどまった。


 ようやく、はっきりと自分の気持ちを自覚した。いつの間にか、洋子を好きになっていた。コウキの中で、誰よりも大切で、離れがたい存在になっていた。


 理由をあれこれとつけて気づかないようにしていただけで、本当は、とうの昔になっていたのだろう。気づいていないふりをしていただけなのかもしれない。

 自分の身を守るために、自分の気持ちから目を逸らしていた。

  

 二人の間に、沈黙が流れる。

 言葉が無くなると、それまで気にならなかった虫の声が、途端に耳につきだす。すっかり周囲は暗くなっていて、玄関の明かりが、二人の姿を夜の暗闇の中にぼんやりと浮かび上がらせている。

 腕の中の洋子の温もりを感じながら、コウキは自分の唇を強く噛みしめた。

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