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青春ユニゾン  作者: せんこう
高校一年生・夏編
105/444

七ノ十五 「地区大会」

 バスを降りると、太陽の眩しい光が降り注いできた。まこは、手で庇を作り、目を細めながら会場を見渡す。

 色とりどりの制服や舞台専用のブレザーに身を包んだ高校生が、いたるところに集団をつくっている。コンクールへ出場する他校の吹奏楽部だ。今日は、この全員と競うことになる。

 

「楽器下ろしに行くよ」


 晴子の指示に従い、ホールの裏に回る。楽器の積み下ろしを部員全員でした後、打楽器は舞台裏へ向かい、管楽器は楽器を持ってホールの中へ移動した。

 出演順が来るまで、ロビーで待機する。花田高は、演奏順が十二番目で、十五時頃が出番となる。県大会への代表を争うのは、全部で十三校。その中から、四校だけが選ばれる。


「皆、集まってくれる?」


 トランペットパートに声をかけた。四人が、まこの周りに集まった。


「緊張、してる?」

「う~ん……してます」


 逸乃が、眉尻を下げながら笑って言った。万里が同意するように何度も頷いている。


「修は?」

「してるよ、そりゃあ」

「コウキ君は、どう?」

「大丈夫です。むしろ楽しみなくらいで」

「何でそんな余裕なんだよ、コウキ君は」

「だって、俺達の演奏、良いじゃないですか。ね、まこ先輩」

「……うん。私達、ほんとに良くまとまったと思う」


 視線が、まこに集まってくる。一人一人と、ゆっくり目を合わせる。


「私と修と逸乃ちゃんはさ、コウキ君と万里ちゃんが入ってくるまで、そこまでまとまりのある三人じゃなかったじゃん」

「そう、ですね」

「まあ、そうかもな?」

「でも、今って、ちゃんと向き合えてる。全員で、トランペットパートとして一つになれてる。音も、各段に良くなった。だから、私もコウキ君と一緒。大丈夫だと思ってる。私達なら、上に行ける。バンドだって、今までにないくらい良くなってる。だから、大丈夫、いつも通り吹こう」


 コウキが、真っ先に頷いた。続いて、他の三人も頷いてくる。


「これ、皆のために書いたの」


 まこは、四通の小さく折りたたんだ手紙を取り出した。昨日の夜、パートの一人一人に宛てて書いたものだ。中には、それぞれに対する気持ちを込めてある。順番に、手渡していった。


「本番前の時間がある時に、読んでくれる? 私からの感謝の手紙。皆が私をパートリーダーとして認めてくれて、ついてきてくれた。だから、今日こうやって皆でコンクールに臨める。ほんとにありがとう」


 本心だった。ペア練習で逸乃に教えられる側になって、まこが拗ねていた時、四人が手を差し伸べてくれていなかったら、パートはきっとバラバラになった。まこも今のように成長することもなく、部の足手まといになっていただろう。

 皆のおかげで、まこは変われた。一人一人の優しさが、パートを変えたのだ。


 逸乃が、目を潤ませながら言った。


「もう終わりみたいな言い方しないでくださいよ、まこ先輩。こっからなんでしょ」

「うん。でも、気持ち伝えておきたくて」

「……よしっ、今読んじゃお」

 

 しんみりとした空気を破るように、コウキがさっと手紙の封に手をかけた。その手を掴んで、慌てて止める。


「ちょっと! 恥ずかしいから、私がいないとこで読んでよ!」

「はは、顔赤いですねまこ先輩」

「からかうなっ! い、今は駄目!」

 

 顔が熱い。自分で書いた手紙を、目の前で読まれることほど恥ずかしいことは無いではないか。

 まことコウキのやり取りに、三人が笑い声をあげた。強張っていた逸乃達の表情が、柔らかくなる。コウキなりの和ませ方だったのだろう、とまこは思った。上手く使われたが、皆の緊張が少しでもほぐれたなら、良い。


「もうっ……とにかくっ。皆、集中していこう! 私達なら出来る!」

「はい!」


 まこは頷いた。

 大丈夫だ。今の五人なら、最高の音が出せる。地区大会だからといって、手は抜かない。いや、抜けない。そんな立場に、自分達はいない。他校を追いかける側だ。全力で吹く。吹いて、他校を抜いて、地区代表になる。

 両手を強く握りしめて、まこは一度大きく息を吸った。












「リハーサル、そろそろ終わりです」


 係の人の声で、丘が指揮を止めた。音が一斉に止む。

 もうすぐ、本番だ。今は、その前のリハーサル室で最後の音出しをしていた。


 丘が、全体を見回して言葉を放つ。


「いよいよ、この時が来ました。心の準備は良いですか」

「はい!」

「もっとこうしたい、ああしたいという気持ちは、皆さん何かしらあるでしょう。ですが、今までやってきたことに悔いがある人はいますか?」


 誰も手を挙げない。


「私も、悔いはありません。私達は精いっぱいやれることをやってきました。誰一人、手を抜いてこなかった。今日は、それを全て出し切ればきっと大丈夫だと思っています。デイホームとプールでのコンサートを思い出してください。私達が楽しめば、お客さんも楽しんでくれた。真剣に吹けば、お客さんも真剣に聴いてくれた。まずは、私達が楽しむこと。そして、お客さんに届けようとすること。それを一番に考えてください」

「はい!」

「では、行きますよ」


 係の人が、ホールに続く扉を開いた。前の学校の演奏が、かすかに聞こえてくる。

 丘を先頭に、木管楽器からリハーサル室を出て行く。


「いよいよだね」


 隣のまこが、こちらを見て言った。


「はい」


 コウキは、リハーサルの前にまこの手紙を読んだ。

 中には、コウキがいてくれて良かった。まこ一人では逸乃は支えられなかったし、万里をここまで引っ張り上げられなかったし、修を制御できなかった。コウキが助けてくれたから、トランペットパートはまとまった。まこにとって、一番感謝すべき相手はコウキだ、と書かれていた。


 前の時間軸では、まことの関係はそれほど濃いものでは無かった。同じパートだから話くらいはしたが、喧嘩もしたし、からかいあうような関係でもなかった。だが今は、まことも信頼しあえていると感じる。そのまこの気持ちにも、応えたい。

 

 コウキはこれまで、合奏の時でも、個人練習の時でも、常に本番で舞台に上がっているつもりで吹き、いつだって同じ気持ちを持てるようにと練習してきた。

 だから、身体が固くなるほどの緊張はない。程よい緊張感と高揚感。それが、コウキの身体に満ちている。


 舞台袖に入り、静かに待機する。暗い空間。反響板の隙間から、舞台の明かりが筋となって漏れている。舞台装置の操作台に設置された小型画面に映る舞台の様子を、舞台スタッフや運営係の学生達が凝視している。


 今まさに、この板の向こうでは、別の学校が演奏している。技術的には、それほど上手い学校ではない。

 一つ前に格上の学校が来なくて良かった、とコウキは思った。

 部員の中には、前の学校の演奏が上手いと、呑まれてしまう子もいるからだ。


 前の学校の演奏が終わる。拍手とアナウンスがあって、舞台に続く反響板扉が開いた。


「入ってください」


 一人ずつ、舞台へと足を踏み入れていく。

 もう、後戻りはできない。

 この時間軸に戻ってきて、中学校でも、三度のコンクールを経験した。だが、中学では顧問の裁量が大きかったし、自分の技量を上げることを優先して、目立った動きはしなかった。だから、コンクールへの思い入れも、それほどないまま卒業した。


 コウキにとって、本番は高校からだった。

 持てる全てを、この三か月間に注いできた。それを、表現する。

 審査員に認められれば、県大会へ。認められなければ、地区大会で終わる。ただ、それだけだ。


 自分の席に座り、客席を眺める。地区大会だから、聴衆の数はそれほど多くない。本番を終えた後の高校生のほうが多いくらいだろう。


 薄暗い客席と対象的に、舞台上はスポットライトが眩しく、暑い。だが、たんにライトの熱がそう感じさせるわけではなかった。花田高の全員が、熱を帯びているのだ。

 必ず最高の演奏をしてみせるという強い意志が生み出す、熱。


 丘が、指揮台へ上がった。一人一人と、目を合わせていく。アナウンスが入って、会場が静まった。


「楽しく」


 丘の口だけが、静かに動いた。そして、手が上がり、指揮棒が構えられた。部員も楽器を構え、丘を凝視した。

 一瞬の後、すっと滑るように、丘の手が振られた。


 クラリネットのハーモニーと打楽器の拍子から、静かに『架空の伝説のための前奏曲』が始まった。木管楽器が加わって、徐々に速度を増していく。打楽器の拍子が会場の空気を裂き、一瞬の静寂が訪れた。そこから中低音楽器の響きが地の底から沸き上がるように繰り出され、次々と音が重ねられていく。そして、曲はアップテンポに切り替わる。


 序盤の静けさを打ち破るように、スネアドラムのリズムが跳ね、トランペットのソロが高らかに会場に鳴り響いた。逸乃の軽やかで明快な音が抜けていく。良い音だ。

 木管の流れるようなメロディの後、先ほどのトランペットのソロと同じフレーズをホルンパートが吹き、トランペットパートが受け継いだ。そこから曲は急展開を迎え、がらりと雰囲気が変わる。緊張感をはらんだ各楽器の掛け合いが繰り広げられ、各パートの音符の列が、滑らかに移し渡されていく。ハーモニーに乱れは無い。苦戦していた木管楽器の連符も、綺麗に決まった。


 場面が変わる。木管の繊細で美しいメロディが会場に響き渡り、ゆったりと歌うような音の塊が、会場を流れる。メロディを受け継いだフルートとオーボエのソロが、聴衆の耳に甘くささやきかけた。

 曲は、クライマックスに差し掛かった。木管群の主旋律に金管群のハーモニーが彩りを添え、ホルンの対旋律が絶妙な具合に顔を覗かせていく。各楽器の素早い掛け合いを経て、最初のトランペットソロで流れたフレーズが再び奏でられる。ホルンが吠え、トランペットが高らかに鳴り、木管の早いパッセージが曲を加速させていく。


 そして、最後にして一番の難所の六連符の連続へ。管楽器とティンパニの高速の連符が、一体となって駆け抜ける。降り注ぐようなロングトーンが轟いて、丘の動きが止まった。残響が消える。

 丘の手が、静かに下ろされた。


 今までと比べても、遜色のない出来だった、とコウキは思った。

 練習通りの力が、発揮されていただろう。

 課題曲の余韻はそこそこに、『歌劇「トゥーランドット」より』へ気持ちを切り替える。部員が、静かに楽譜をめくる。


 あと一曲。まだ、時間は充分に残されている。

 各学校に与えられた時間は十二分だ。一秒でもオーバーすれば失格となってしまうから、それだけは起きないようにと、綿密に通し練習を繰り返してきた。


 丘が、再び構えた。

 後、約七分。部員の集中力は一切乱れていない。












 

 本番の後、写真撮影をして楽器を片付け、それから全員でホール内へ戻った。適当な場所の座席群に陣取り、固まって座る。結果発表の時間だ。

 出場した全学校の部長と副部長が、一列に舞台上に並んでいる。晴子と都も、他校の人達と同じように、緊張した面持ちを浮かべて直立している。


 スーツを着た男性達が現れ、賞状や楯が並ぶ机が運ばれてくる。


「それでは、結果発表を行ってまいります」


 頭髪の禿げた老人が、厳かに宣言した。ざわめいていた会場が、しんと静まる。誰かの唾を飲み込む音が、聞こえた気がした。

 

 ここからは、出演順に校名と結果が発表される。銅賞、銀賞、そして銀賞と聞き間違えないように、ゴールド金賞。この三つのどれかが告げられる。

 結果発表は淡々と進行し、もう十番目までの学校が呼ばれた。今の時点で、金賞を得たのは五校。あと一校か二校しか金賞はもらえないだろう。十一番目の学校。


「……高校、銀賞」


 拍手が上がる。銀賞を告げられた学校の生徒達は、落胆の声も上げず、座席に座っている。結果を、受け入れている。


「次だ」


 隣に座っていた智美が、目を瞑りながら、祈るような形で両手を握りしめている。智美にとっては初めてのコンクール、初めての結果発表だ。緊張の瞬間だろう。

 コウキも目を閉じ、静かに耳を澄ませた。


「十二番、愛知県立花田高等学校、ゴールド金賞」


 その言葉が放たれた瞬間、部員が湧き立った。悲鳴を上げて、喜びを表現している。

 少し、コウキもほっとした。金賞は間違いないと思っていたが、実際に聞くまで確定ではなかった。金を取ると思われていた学校が銀になることなど、コンクールではよくあることだ。

 結果を聞いて、胸が軽くなった。


「やったよコウキ、金!」


 智美が制服の袖を引っ張ってきた。頷いて、笑いかけた。

 最後の学校は、銀賞だった。


「続きまして、県大会へ進む代表校を四校発表いたします。出演順にお呼びします」


 再び、会場が静まる。金賞を得た六団体の生徒のほとんどが、マイクの前に立つ発表者を凝視して、次の言葉を待っている。思うことは、皆同じだ。自分達の学校が呼ばれて欲しい。


「来い、来い……!」


 智美が、ぎゅっと目を瞑って、両手をまた顔の前で組んだ。

 コウキも目を閉じた。結果は、努力についてくる。そう信じてやってきた。どの学校にも負けないだけの努力を、花田高は続けてきた。


「一番、愛知県立安川高等学校」

 

 大きな拍手。中学の同期の萌と陽介が進学した学校だ。出演順一番という厳しい出番でありながら、代表を勝ち取った。

 安川高校の部員は、全国レベルの学校だけあって、軽々しく歓喜の悲鳴を上げたりはしなかった。


「六番、……高等学校」


 発表者の声が聞こえなくなるほどの悲鳴。


「八番」


 再び、絶叫に近い悲鳴。


「もう三校だ」

 

 智美の消え入りそうな呟き。代表は、あと一校。金賞を取った残りの学校は、九番と、十二番の花田高のみ。

 緊張が、会場を包む。厭らしい発表者だ。随分、待たせる。早く発表してくれ。そう思ったのは、コウキも緊張していたからか。実際の間は、大して変わらなかったのかもしれない。


「十二番、愛知県立花田高等学校」


 番号が呼ばれた瞬間、花田高の部員が勢いよく立ち上がって、絶叫した。大音量の拍手と、歓喜の叫び。

 

「通った。県大会に、行ける」


 智美が、泣いていた。


「やった、やった」


 繰り返し、智美が呟いた。綺麗な涙の粒が、智美の顎を伝って次々と落ちていく。


「行ける、行けるよ、コウキ」

「ああ」


 ぎゅっと、智美が手を握ってくる。

 コウキは、自然と笑っていた。安堵して、背もたれに身体を静める。知らず知らずのうちに、身体も固くなっていたようだ。呼吸も止まっていたようで、大きく息を吐きだした。


 司会者が、騒ぐ高校生を無視して、コンクールの閉会を告げた。代表に選ばれた学校の生徒は喜びでその場にとどまり、選ばれなかった学校の生徒は、下を向きながら、足早にホールを去っていった。


 勝った者と、負けた者。本来なら勝ち負けのないはずの音楽の世界で、コンクールだけは明確な勝敗をつけられてしまう。

 泣こうが喚こうが、結果は変わらない。ここにいる誰もが、与えられた評価を受け入れるしかない。


 去っていく他校の生徒を見ながら、コウキは複雑な思いに駆られた。

 他人の多くの涙の上に、コウキ達の未来は繋がったのだ。


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