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青春ユニゾン  作者: せんこう
高校一年生・夏編
103/444

七ノ十三 「合宿終了」

 今朝も起床時間よりだいぶ早くに目が覚めた。まだ眠っている他の同室者を起こさないように、静かに着替えてから部屋を抜け出し、洗面所の鏡の前で身支度をした。

 髪はいつも通り、はじめに高い位置でポニーテールに結び、そこから団子状に整えていく。ヘアピンで留めて、完成。


 学校ではこの髪型しかしたことがない。団子ヘアは、まこにとって気合を入れるための髪型だ。

 寝起きのぼんやりとした頭も、髪を整えていくうちにはっきりとしはじめ、完成する頃には目覚める。まこの一日の、始まりの儀式とも言える。


 一階の談話室に向か、中へ入る。まだ、誰もいない。

 窓の外に目をやり、軽く伸びをした。梅雨明けはまだなのに、空はよく晴れている。この時期になると、朝五時でも外は明るい。

 

 今日が、合宿の最終日だ。二泊三日は長いようで短く、あっという間だった。もう一日くらいは、欲しいという気もする。

 今年は去年と一昨年に比べ、はるかに密度の濃い合宿になったから、余計にそう感じるのかもしれない。

 おかげで、自分達の音が、一段と研ぎ澄まされた確信がある。


 今の花田高なら、奏馬達が言うように、本当に全国大会へ行けるかもしれないとすら思う。

 まこが一年生の時は、県大会で金賞だったが、代表にはなれなかった。吹奏楽コンクールは、金賞を取るだけでは駄目なのだ。そこから、代表に選ばれなければならない。

 二年生の時は、県大会もその次の県代表選考会も抜け、東海大会まで進んだ。そこでも代表になることで、ようやく最高峰の全国大会へ進める。けれど、結果は銅賞だった。


 一つ上の学年は、厳しい人ばかりだった。一人一人の我が強く、互いにぶつかり合ったりもしていたけれど、強烈なリーダーシップによって部はまとまっていた。

 

 ただ、それはコンクールまでの話だった。コンクールの後は、その厳しさが原因で三年生と一、二年生に分かれた激しい衝突が起こり、何人も部を辞めた。


 十二人いたまこの同期からは一人、また一人と部を去って結局三人がいなくなり、逸乃の代からも数人が少しずつ辞めていって、部員数が激減した。


 元々数の多くなかったまこと逸乃の代は、人数が減ったことで、合わせて二十一人になってしまった。普通なら一学年でそれくらいの人数が当たり前なのだから、いかに少ないかが分かる。


 その結果が、今年の春のフレッシュコンクールでの五位という順位に繋がった。あれは、まこにとっても衝撃だった。本番の地区大会だったら、代表圏外の順位だ。


 前年の東海大会出場から、あっという間の転落だった。

 今年は無理かもしれない。そういう空気が、表には出さなくても、何となく二、三年生の間に漂うようになった。


 その空気が、いつの間にか変わりだしていった。

 きっかけは、何だっただろう。フレッシュコンクール翌日から始まった、ペア練習だろうか。いや、具体的な何かはなかったのかもしれない。ペア練習開始後も、しばらくは暗い雰囲気だったのだ。


 本当に少しずつ、部員同士の不和や練習の無駄が無くなっていき、気がついたら部の空気が変わっていた。

 五月の終わりに、丘が部を変えていくと宣言した。方針も大きく変わり、皆、丘が本気なのだと感じた。あえて言うなら、あの時からかもしれない。


 日に日に、まとまりに欠けた演奏だったバンドの音が、良くなっていった。そして今は、今年こそは行けるかもしれないという空気が、部内に漂い始めている。

 自分達のレベルがあがっていることを、肌で感じるようになったからだろうか。


 二日に一度行っている演奏録音の効果も、大きかった気がする。客観的に自分達の演奏を聴き、問題点を自ら見つけ、改善していく。

 それを繰り返すことで、徐々に演奏の質が向上していることが、分かるようになっていった。


 やればできる。

 小さな成功の積み重ねが、部員に自信をつけてきた。


「今日は、まこ先輩のほうが早かったですか」


 コウキが、談話室に入ってきた。昨日は、コウキが先だった。


「おはよ」

「おはようございます。今日は木管が蜂谷先生のレッスンなんですよね。金管は何するんですか?」

「昨日のリーダー会議では、パート練習で丘先生が回るって言ってた」


 パート毎の合わせる力を、もっと高めろという指示だった。


「トランペットパートは、凄く良い感じ。でも、まだ良くなると思う」

「俺も、そう思います。細かいところで、もっと詰められる部分がある」


 コウキが隣にやってきて、窓の外を眺めた。その横顔を、まこはじっと見つめる。


 東中との合同練習の後から、逸乃の音が崩れた。中学二年生の華の腕に衝撃を受けて、自信を失くしたからだ。

逸乃は、まだ精神的に弱いところがある。一年生の時にも、似たようなことがあった。


 音楽面でまこが逸乃に言えることは無く、ただ寄り添うことしかできなかった。けれど、逸乃は短い期間で自ら悩みを克服した。むしろ、崩れる前より音が良くなったように思う。

 後で聞いたら、コウキとの会話で、ヒントを貰ったのだと言っていた。


 まこが、ペア練習で逸乃に教えられる側になって悩んでいた時も、コウキが率先して動いてくれたらしい。あの時、トランペットパートの全員と向き合ったことで、まこは自分を見つめ直すことが出来た。


 初心者だった万里の加速度的な上達も、ペアを組んだコウキの影響が大きい、とまこは見ている。初めてのコンサートで万里にソロを吹かせたのも、コウキの提案だった。

 今の万里は、とてもトランペットを始めて三か月目だとは思えない音の綺麗さだし、コンクール練習にも十分についてきている。


 トランペットパートのメンバー、一人一人に問題や欠点があった。普通なら長く尾を引いて、コンクールに支障が出そうなほどのものばかりだったと思う。けれど、それらは一つずつ解決されていき、トランペットパートはまとまっていった。

 その理由は、コウキの存在があったからではないのか。


 見た目だけなら幼くて、まだまだ年下の男の子という感じなのに、コウキは妙に頼もしいところがある。コウキの言葉で、心を動かされることが多い。あのおちゃらけた修すらも、コウキを認め、信頼している節がある。


 不思議な子だった。けれど、確実に居てよかったと思える子だ。コウキが居なければ、トランペットパートはまとまりを欠いたままだったかもしれない。


「ん、何ですか? 顔に何かついてます?」

「ううん。コウキ君が、うちに来てくれて良かったなって思ってただけ」

「急に褒めて、どうしたんですか、まこ先輩」


 気恥ずかしそうに、コウキが頭の後ろをかいた。


「何となく、そう思ったの」

 

 スピーカーから、起床の音楽が流れだした。最終日が、始まる。


「よし、今日も頑張ろう、コウキ君。パート練、気合入れてこうね」

「はい!」


 コンクール地区大会まで、あと六日。運命の日は、刻刻と近づいている。

 

 









 


 外は夕暮れで赤く染まっている。三日間の合宿が、あっという間に終わりを迎えた。

 職員に部員全員で挨拶をして、施設を出る。駐車場に待機していたバスに順番に乗り込み、思い思いの席へと座っていった。


 智美は、左列の真ん中より少し後ろの窓側席に座った。隣には、テナーサックスの幸が腰を下ろす。通路を挟んで右列の席には、バリトンサックスの元子と、二年生のアルトサックスの河名栞の姿。

 部員のはしゃぐ声を抱えて、バスは花田高へと走りだした。


 初めて経験した部活合宿は、智美にとって、満ち足りた時間となった。部員全員で共同生活を送りながら練習に打ち込むのは、想像以上に楽しいものだった。


 もっと、この時間が続いてほしかった。これこそ、智美の望んだ部活動の姿だったのだ。

 名残惜しさで、胸が少し苦しい。


 練習の精度も、暑くて騒がしい学校でのそれよりも、はるかに高かった。たった三日間の練習が、学校での何十日分にも匹敵したのではないかと、智美には感じられた。


 午前の蜂谷のセクションレッスンでは、またしごかれた。五月から始まった月一度のレッスンは、今日で三度目だった。

 毎回、課題を出される。それを、次のレッスンで蜂谷が見る。合格が絶対条件で、出来ないと恐ろしい目にあうから、全員必死だった。


 蜂谷は、個人個人に合う絶妙なレベルの課題を出してくる。だから初心者も三年生も関係なく、初心者は早々に合格したのに経験者は手間取る、ということも起きた。

 智美は、なんとか一度目も二度目も課題をクリアしている。今回出された次の課題は、もう少し難しいものだった。


 けれど、蜂谷は出来るようになったことについては褒める人だ。厳しい指導だが、ついていけば認めてもらえる。それが、不思議とやる気に繋がる。丘や王子、コウキとも違うタイプの指導者だ。

 この三日間で、智美自身も成長を感じていた。出来なかったことが出来るようになる。それが、達成感と喜びになる。


 初心者の智美にとっては、吹奏楽の世界の全てが新鮮に映った。陸上は部という集団で活動するものの、個人競技の面が強かった。吹奏楽は真逆で、全てにおいて他の部員との協調が欠かせない。まさに団体競技のようなものだ。

 いざこざも多いけれど、互いに真剣だからこそ起こる問題であり、それを乗り越えると、より結束が強まっていく。


 智美は、皆で高め合うのが好きだった。そうやってぶつかりあって、どんどん人と人の関係性が深まっていくのが、たまらなく楽しい。


 今でも、合奏ではなんとかついていくことしかできない。初めの頃ほど注意されることは減ったけれど、まだ技術不足で目立つことも多い。

 それでも、毎日が充実している。


 全員の出す音が、一つの音楽へと形作られていく。一体となって、得も言われぬハーモニーが生まれる。耳に、身体に、心に、その音が染みこんでくる。

 音楽を奏でることが、これほど楽しく、奥が深く、満ち足りたものだとは、智美は知らなかった。


 コウキに誘われて吹奏楽部に入って、本当に良かった。

 おかげで、心から仲間と呼べるような人達と出会えた。


「何黄昏れてるの、智?」


 隣に座っていた幸が、頬を指で突いてくる。


「黄昏てないよ。思い返してただけ」

「何を?」

「言わない」

「あー、隠し事だぁ。智が、私に隠し事……」


 嘘泣きの仕草をしながら、ちらちらと幸が見てくる。わざとらしいその仕草に、笑いがこみあげてくる。右手の平を差し出して、幸の視界を遮った。


「隠し事とかじゃないって」

「じゃあ何さ」


 幸が智美の右手を両手で包みこみ、そっと下へおろした。目が合う。綺麗な二重をしている、と智美は思った。


「さっちゃんはいつになったらコウキに近づくのかって話」

「んあ? 何それー」

「さっちゃんが、コウキにだけは奥手になるから」

「お、奥手になってないし!?」


 髪の毛の間から見える耳を赤く染め上げ、幸が両手足をばたつかせた。

 

「嘘だ。他の男子には友達みたいに接してるのに、コウキにだけよそよそしいんだもん。丸わかり」

「そそ、そんなことないもん!」


 幸は、男子女子関わらずスキンシップが激しい。所かまわず触れるから、幸に好かれていると勘違いする人も多く、言い寄る男の子は後を絶たない。それで、幸は陰で男好きだと言われている。


 けれど、幸はただ誰に対しても無邪気に接するだけの純粋な子なのだと、智美は分かっている。

 ボディタッチの多さは、意図的にやっているようなあざといものではなく、ただ人との距離感が異常に近いだけの話だ。


 自分が陰口を言われていることを知っていても、それを言う子のことを悪く言ったりもしない。

 良い子なのだ、幸は。だから、応援したくなるし、からかいたくなる。


「バレバレだよ。ねえ、元子ちゃん」


 通路を挟んで右列の通路側に座っていた山口元子に話しかける。黙って本を読んでいた元子が、眼鏡越しにこちらを見て首を傾げた。

 元子は一年生でバリトンサックスを担当している。同じパートとして少しは話すけれど、バリトンサックスは時には木管低音パートにも組み込まれるため、どちらかというと元子は木管低音の子達と仲が良い。

 けれど、智美ももう少し元子と仲良くなりたいと思っていた。


「何?」

「さっちゃんが、コウキにだけよそよそしくて好意がバレバレだって話」


 ぱたん、と元子が本を閉じる。三国志。表紙がちらっと見えた。随分硬派な作品を読む子だ。


「そうだね。バレバレだね」

「え、嘘、私そんなに分かりやすい?」

「うん。私が見たところ、コウキ君は幸ちゃんの好意に勘づいていて、意図的に幸ちゃんと親しくし過ぎないようにしているように感じるよ」

「え……何それ、どういうこと……?」


 わなわなと震えながら、幸が力なく手を元子のほうに差し出す。

 眼鏡をくい、と持ち上げて元子が笑った。普段、あまり笑わない元子が、珍しい。けれど、どこか意地悪な笑顔だ。


「脈無しってこと」


 ずばりと言われて、幸の手が固まった。元子の容赦のない物言いに、心が折れたらしい。手を下ろし、がっくりとうなだれてしまった。


 幸の背中越しに、元子と目が合う。いたずらっぽい表情。幸がこうなるのが分かっていて、あえて言ったのだろう。中々に意地が悪い。


「さっちゃん、気にしないほうが良いよ。今はってだけの話じゃん。ここからここから」

 

 背中をさすって慰める。幸から、反応は無い。


「まあ、智美ちゃんの言う通りではあるね。今は脈無しってだけだから」


 元子の言葉に、少しだけ幸が動いた。


「……どうすれば脈ありになるの?」


 元子が、丁寧に結われたおさげの毛先を、指でくるくるといじる。しばらく唸った後、鼻で笑って言った。


「私を恋愛であてにするのは、得策じゃないね」


 そのまま、元子は三国志の世界へ戻っていった。

 脈無しという言葉が大分効いたのか、幸は相当落ち込んでいる。その頭を撫でながら、思案した。


 幸の気持ちは本物だ。自分から誰かを好きになったのは初めてなのだという。だから、人との距離の詰め方の上手い幸が、コウキにだけは上手く接することが出来ずにいる。

 その初々しいところも可愛らしくて、応援してあげたくなる。


 とはいえ、コウキには洋子がいる。美奈のことは恐らく諦めていると思うけれど、洋子のことは、今でも大切なはずだ。

 他の女の子にとっては、手強い相手だろう。何せ洋子は、コウキが美奈に夢中だった時も、それを知りながら、嫉妬心や執着心を見せたりして、コウキを不快にさせないようにしつつ、ずっとコウキの隣に居続けたのだ。

 

 簡単に出来ることではないし、洋子の性格だと、戦略的にしていた訳でもなく、素でやっていたのだろう。だから、コウキも洋子により一層魅かれている節がある。

 コウキは、女の子のあざとさをすぐに見抜くところがある。美奈も洋子も、そういうあざとさの無い子達だった。


 幸も、そういう意味ではコウキに好かれる要素は、充分にあると思う。ただ、本人がこの調子だと、コウキが幸に魅かれる前に、コウキの方から避けられるのも無理はない。

 コウキ自身は、あまり女の子に言い寄られるのを好んでいないからだ。


「さっちゃんは、とにかくコウキと普通に接することから始めるのが一番だよ。そしたら、コウキもきっとさっちゃんの良さを知ってくれるから」

「……うん」


 幸が力なく頷く。そのままローファーをかかとを使って雑に脱ぐと、座席の上に両足を乗せて、山になった膝に顔を埋めた。

 何か良いアドバイスを出来れば良いけれど、智美も恋愛経験など無いに等しいから、これ以上のことは思いつかない。

 流れていく景色に目をやりながら、智美はため息をついた。

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