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青春ユニゾン  作者: せんこう
高校一年生・夏編
101/444

七ノ十一「答え」

 玄関の外で、晴子と奏馬と三人で立っている。日差しがきついため、ロータリーの屋根の下にいるが、それでもしっとりと汗ばんでくる陽気だ。

 今は、花田高の前任の顧問である王子を待っていた。

 少し早い蝉の鳴き声が、辺りを騒がしくしている。


「ちょっと遅れてますね」


 腕に着けた時計を見ながら晴子が言った。到着の予定時刻は十時前だった。今は、十時を数分回っている。


「もうすぐ来るという連絡はありました」


 丘が現役で一年生と二年生の時、王子の指揮で全国大会に連続出場した。花田高の黄金時代だった。丘はついていくのに必死だったが、優れた先輩が多かった。


 卒業後、丘が教師として花田高へ赴任してくるまでは、ずっと王子が顧問だった。丘が赴任したその年に、王子は異動した。以来、王子は花田高に来ていない。


 きっと、呼べば指導に来てくれただろう。だが、当時の丘は若く、王子から受け継いだこの部を、自分の指導で王子と同じように全国大会へ導きたいと考えた。それで、王子を招こうとしなかった。


 丘が顧問になって、もう十年が経つ。その十年間、成績は東海大会で銀賞が最高だった。そこが、丘の限界だった。あと一歩が、どうしても届かない。

 七、八年目からは、今の花田高では王子の指導を受けるレベルにない、と考えるようになった。部にとって何かが足りないと思いながら、それが一体何なのか分からず、けれど自分で見つけようと意地になっていた。

 

 今年になって王子に来てもらおうと決意出来たのは、この部が、明らかに今までと違うからだった。足りなかった何かというのは、まだ分かっていない。ただ、今なら王子の指導によって分かるかもしれないと思った。

 

 今年こそは、全国大会へ行けるかもしれないという気持ちが、丘の心の中にはある。言い表せない雰囲気や空気のようなもの。それが、今の部には満ちている。


「あ、来ました」


 奏馬が、施設の坂を上ってくる一台の車を指した。車が駐車場に停まり、しばらくして、男が降りてこちらへ向かってきた。

 にこにことした笑顔にふっくらとした体つき。間違えようもない。王子だ。


「先生、お久しぶりです」

「丘君、元気そうですね。遅くなってすみません」


 握手を交わし、王子が肩を叩いてくる。

 最後に会ったのは、去年の東海大会の会場だ。全く変わっていない。相変わらず、精気に満ち溢れた立ち姿をしている。


「こちらの二人は?」

「今年の部長の藤晴子と、学生指導者の相沢奏馬です」

「は、初めまして。藤です」

「相沢です。よろしくお願いします」


 二人とも緊張しているのか、表情が硬い。王子が笑いながら、二人と握手した。


「緊張しては、良い音は出ませんよ。いつも通りで良いですから」

「は、はい」

「では先生、さっそくですが中へ」


 王子と並び、施設の自動扉を通って中へ入る。晴子と奏馬も後をついてくる。

 ロビ―にいた卒部生の何人かが、さっと立ち上がり、並んで挨拶をした。それにも王子は笑って応えた。


 現役時代、王子が怒った姿は見たことが無かった。常に穏やかな表情で、決して生徒を威圧したりしない。話し方は生徒に対しても敬語だが、かといって距離を取っているわけではなく、親身になって生徒の面倒を見る人だった。ついたあだ名が菩薩先生だ。


 丘が生徒に対して敬語で接するのは、王子を真似てだった。いつも、王子のようにあろうとした。だが、とても王子のように決して怒らない、などということが出来た試しがない。

 丘にとっても、未だに王子は先生と呼ぶにふさわしい人だ。


 講義堂の分厚い扉を開け、王子を招き入れる。鳴り響いていた楽器の音が止み、静寂が講義堂を包んだ。生徒が息を呑んでいる。初めて会う、優れた指導者との対面の瞬間の、緊張。

 

「こんにちは」


 王子が言うと、生徒からの返事が一斉に上がった。


「うーん、良い返事ですね。返事だけでも、皆さんが素晴らしい演奏をするのだろうというのが伝わってきます」


 王子の笑顔とその言葉で、生徒の緊張が少しほぐれたのが分かった。相変わらず、他人の心を落ち着かせるのが上手い人だ。


「では、紹介します。花田高の前任の顧問だった王子先生です。二、三年生は知っていると思いますが、今は名古屋の光陽高校で指揮をされています。先生もご自分の学校の指導が忙しい時期ですが、無理を言って指導に来ていただきました」

「なに、私にとっても花田高は思い出深い学校です。丘君の頼みとあっては、何が何でも飛んで来ますよ」

「ありがとうございます。では、先生、後はお任せしてもよろしいですか?」

「ええ」


 丘は下がり、講義堂の一番端の隅に座った。王子の指導を見るのは十何年ぶりの事だから、今日は自分も指導される側として見るつもりの心構えをしていた。


「では、まずは皆さんの音を聞いてみましょうか。課題曲を通してみましょう」

「はい!」


 喉が鳴って、自分が唾を飲み込んだことに気がついた。

 同じバンドを、王子が振る。指揮者が違うだけで、バンドの音が大きく変わることはよくあることだ。つまり、自分と王子の力の差を見せられることになるかもしれない。

 

 例えそうなるとしても良い。丘が王子の足元にも及ばないことは、自分で分かっていることだった。

 今は王子の指導を見て、それを吸収することに集中するのだ。











 王子が話せば、皆が笑う。

 講義堂の中はゆったりと和んだ雰囲気で、かつてないほど、良い意味で生徒の力が抜けている、と丘は思った。 


 王子は決して怒らない。かといって、何も指摘しないとか笑って済ますというわけでもない。いかに良い音を出せる状態で吹くかという、心構えや吹き方に重点を置いた指導だ。さすがに三時間の指導で曲の細かいところまで見ることは、出来ないからだろう。


 生徒をリラックスさせるというのとも違う。自然体で吹かせようとする。それが、結果的に一人一人の持っている力を引き出している。

 

「さて、そろそろ時間ですかね」


 壁の時計を見て、王子が言った。


「今日、皆さんの演奏を聴いて、正直言ってうちの高校にとってかなり手強い相手になると思いました。私の指導にすっと応えてくれるし、要求したことを的確に表現しようしてくれる。それは、皆さんに力があるからこそ出来ることでしょう。皆さんの今のレベルなら、必ず県大会でお会いすることになると思います」


 部員一人一人を、しっかりと王子が見回す。それから、ふっと笑った。


「とはいえ、油断は禁物ですよ。皆さんと同じように、他の学校もあと一週間で猛烈な追い込みをかけるはずです。手を抜けば、あっさりと結果がひっくり返る可能性もあるのが、吹奏楽コンクールです。弛まぬ努力を続けてください」

「はい!」


 王子の指導が終わり、昼休憩になった。生徒が食堂で昼食を食べる間、丘は王子と抜けて、近くの喫茶店で食事をすることにした。生徒は副顧問の佐原と卒部生が見てくれている。

 喫茶店に着いて、人の少ない奥の席を選んで座った。


「先生、今日は忙しいのに来ていただいて、本当にありがとうございました」

「良いんですよ。私も、久しぶりに花田のサウンドに触れられて良かったです。丘君はしっかりと花田のサウンドを作っていますね」

「ありがとうございます……ですが、それで精いっぱいでした」


 店員が、水とおしぼりを運んでくる。コーヒーを二つと日替わりランチを注文すると、復唱して店員は下がった。


「結局、先生から受け継いだ十年間、一度も全国へ行けていません。あと一歩が届かないのです。そして、私には、未だにその一歩を越える方法が見えていません。花田のサウンドを守っているだけでは、駄目なのです」

「それが分かっているだけでも、良いと思いますよ。そこから先は、難しい。私達教師だけでは到達できない世界だ」


 王子が、ちょっと水を口に含んだ。


「先生、今年の部は、何かが違うのです。私は、今年こそは全国に行けるのではないかと感じています。でも、同時に不安もあります。また駄目なのではないか、と。顧問になってから、ずっと全国へ行くための何かが足りていないと思っていました。それが、まだ分かっていない。今日の先生の指導で分かるかもしれないと思いました。ですが……」

「相変わらず、丘君は生真面目ですね。そこが、丘君の良さでもありますが」


 現役時代も、よく王子に言われた。もっと柔らかくなれと。


「丘君。君は、優れた教師です。生徒が柔軟性を持っていた。丘君の指導が生徒を委縮させるようなものではない証拠です」


 王子の言葉に、丘は伏せていた顔を上げた。


「中には厳しく指導し、生徒の競争心を煽ったり自尊心を傷つけながらも優れた演奏をさせる人もいます。ですが、それはごく一部の話。そのような指導で作り上げる音楽は、真の音楽とは言えません。丘君は良い演奏、いいですか、優れた演奏ではなく、良い演奏です。それを生徒が奏でられるだけの指導をしていますよ」

「では……何故、私はあの子たちを全国へ連れて行ってあげられないのでしょう」

「……実は、私もかつては丘君同様、何かが足りないと悩んでいました」

「先生が?」


 王子は、ゆっくりと頷いた。


「バンドのレベルは他校と比べても問題ない。それなのに、毎年東海大会で止まってしまう。何故なのか、いつも悩んでいました。そういう時に、進藤君が入部してきました。丘君の一つ上の」

「懐かしい名前です」


 進藤。丘が一年生と二年生の時の部長だ。丘が入部した時、彼は二年生ですでに部長をしていた。


「進藤君は、強烈な個性とリーダーの素質を持った子で、一年生時点で部を引っ張る存在でした。彼が動くと、自然と部がまとまっていった。彼は、次々と部を改革していきました。そして、二年生になって部員の誰もが、彼が部長にふさわしいと認めた。それで、丘君が入部してきた時には、もう三年生ではなく二年生の彼が部長だったのです。何か問題があれば、全て彼が解決していった。部員は、進藤君という強烈な光に導かれ、一致団結しました」


 丘も、覚えている。進藤を頼れば、何もかもが上手くいった。彼がいて、王子がいれば、自分達は大丈夫だ。そんな思いでいた。強烈な光、という王子の表現は的を射ている。まさに、進藤は全部員にとっての光だった。


「あとは知っての通り、丘君が一年生の時に初の全国大会に出場、翌年も連続して出場。それからは、ずっと東海大会止まりです。何故たった二年だけ全国へ行けたのか……また私は悩みました。進藤君の代がいなくなったすぐ後でも、丘君の代と一つ下の代がいたからバンドのレベルも大きくは変わらなかったのに、何故全国大会に届かなくなったのか。考え尽くして、私は思ったのです」


 タイミング悪く、店員が、ランチとコーヒーを運んできた。二人分のパスタとサラダが並ぶ。伝票を置いて、また店員は下がった。


 王子が話を中断し、フォークに手を伸ばしてランチを食べ始める。仕方なく、丘もそれに合わせて食べ始めた。

 喫茶店らしい、素朴なナポリタンだ。味は悪くない。山の方の喫茶店でも、それなりに需要はあるのか、店内は客でそこそこ埋まっている。人気メニューなのか、ほとんどの客が、日替わりランチを食べているようだ。

 しばらく食事に集中し、二人ともあっという間に平らげた。一息ついて、コーヒーを飲みながら王子が会話を再開した。


「全国大会に行けたあの二年間は、生徒だけでなく私までもが、進藤君という光に頼り切っていた。彼という強烈な存在が、全員の気持ちを一つにさせた。足りない何かとは、生徒から沸き上がる力なのだ、と私は思いました。技術力の事ではなく、想いや気持ちといった部分の話です」

「湧き上がる、力」

「ええ。自分達なら出来る。やれる。一つになれば絶対に叶う。そう信じる力。あの二年間は、私までそういう気持ちを抱きました。私達ならやれると。だから私達は全国大会へ行けたのです。ですが、進藤君がいなくなった後、私達はその力を失った」


 確かに、進藤の代が卒業して、丘の代が三年生になった。丘は部長だった。だが、丘には進藤ほど上手く部をまとめることは出来なかった。進藤のようにあろうとするのは、丘には無理だった。


「一連の流れを経験して私は、生徒の心を一つにし、私達ならやれるんだと信じる力を湧きあがらせる事が必要なのだと気づきました。あの時は、進藤君が主柱のような存在となって皆を一つにした。ですが、進藤君のような人間がごろごろといるわけではありません」

「はい」

「だから、私は部の体制を変えたのです。部長と副部長の二大リーダー体制から、部長と学生指導者の二人とそれを支える三人のリーダー、かつ一年生と二年生にも五役職のサブを置くという、複数リーダー制度に」


 今のリーダー制度は、丘が卒業後何年かしてから採用された体制だった。なぜ切り替わったのか、丘も詳しくは知らないままだった。


「皆の心を一つにまとめあげられる主柱となり得る生徒が、毎年いるとは限りません。だから複数のリーダーがそれぞれ役割を分担し、生徒同士で互いに助け合い、高め合い、心を一つにしていくような形にしようと思ったのです。たった一つの強烈な光ではなく、小さくても確かな光が集まって、一つになる。そういう力の引き出し方に変えました」

「それで私が卒業した後、部の体制が変わったんですね」

「ええ。花田高にいる間はまだ手探りの段階だったので、丘君には中途半端にバトンタッチすることになってしまいました。私は光陽高校に行ってからこの体制を確立させました。おかげで、年によってムラがありますが、全国大会にも出場できるようになった」


 光陽高校は、この十年間で、三度全国大会へ行っている。


「技術力がどんなにあっても、全員の気持ちが一つになっていなければ高みへは到達できません。心を一つにする。そうして初めて、持っている力以上の演奏が生まれるのです」

「つまり、私もこの十年間、生徒から沸き上がるはずのその力を引き出せていなかった、ということですか」

「そうだと思います。とても難しいことですが、技術だけでは人を感動させられない。想いの力は、馬鹿に出来ないのです」


 丘は、少し昔を思い返した。確かにこの十年間、生徒と心を通わせるという部分で、上手くいっていない面があった。ある程度上手くいった年は、リーダーも粒ぞろいで東海大会に進めたりした。そういう年は、生徒のまとまりが例年より良かった気がする。


 全員が、目標に向かって一つになる。

 今まで、口ではそう言いながら、本当に生徒は心から一つになっていたのだろうか。丘は、彼ら彼女らが、目標は叶うと信じられるだけの舞台を整えてあげられてきたのだろうか。

 

「丘君が今年、全国に行けるかもしれないと感じているのなら、それは確かなものです。私もそう感じる年が何度かありました。そういう年は、全国へ行けた。この感覚は、言い表せられないものです。肌で感じる、と言っても良いかもしれません。何か、部員の中に今までと違うものがあるのでしょう」


 言われて、丘は一人の生徒を思い浮かべた。

 三木コウキ。彼が入部してきてから、部は変わった。

 今の二年生と三年生は、歴代の生徒達と比べても、それほど優れた代ではない。個人個人でみれば突出した奏者はいても、まとまりという意味では弱いところがあった。


 だが、これまで丘が日誌や面談で得た情報などを全て統合して考えると、コウキの代が入部してから、部は今までにない強固なまとまりを見せるようになってきていた。たった数ヶ月で、見違えるようなバンドになったのだ。

 その中心に、コウキがいると丘は見ている。


 主柱となり得る存在。丘の中で、その言葉が不意に現実的なものになった。


「一人、変わった生徒がいます」

「ほう」


 王子の目が、ちょっと動いた。


「学生指導者の相沢君ですか?」

「いえ、一年生です。トランペットの」

「彼ですか」


 王子は人を覚えるのが早い。さっきの指導で、もう顔を覚えたのだろう。


「彼は、目立つ生徒ではありません。ですが、部員から上がってくる話の中に頻繁に彼の名があるのです。トランペットパートだけでも一年生だけでもなく、様々な生徒から、彼の名が」

「ふむ……」


 コウキは、進藤ほど強烈な存在ではない。何と言えば良いのだろう。全員を、下から支える。崩れそうになる何本もの柱を、一番下で支え続ける。そんな存在だ。

 土台、と言っても良いかもしれない。

 

「性質は違いますが、少し進藤先輩に近いものを感じます」

「なるほど……丘君のその感覚は、案外当たっているかもしれませんよ。ただ……彼だけにとらわれないよう、気を付けなさい。もし彼が進藤君のような存在になるとしても、そこで彼だけに頼れば、彼がいなくなった後、またかつてと同じことになるかもしれません」


 丘はしっかりと頷いて、王子を見据えた。


「先生、ありがとうございます。お話出来て良かった。少し、見えた気がします」


 王子が、満面の笑みを浮かべた。


「期待していますよ。花田高がもう一度全国に行く日を」


 時刻は、そろそろ昼休憩が終わる頃だ。王子と席を立ち、丘は会計を済ませた。

 外は暑い。いつもならげんなりとするところだが、今、丘の心は暑さも気にならないほど、高ぶっている。

 

 あと一歩に、足りない何か。それが、王子との話でつかめた気がする。やはり、王子を招いて良かった、と丘は思った。

 降り注ぐ太陽の光を浴びながら、丘は拳を握りしめていた。

怪我してて更新止まっていましたが、再開していきます!お待たせいたしました! 


せんこう

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